第4話 迷える子羊、再び
学校からの帰路、優也はスマホに通知が来たことに気がつき、スマホをズボンのポケットから取り出した。
通知は、もはやスマホの連絡手段として当たり前となったチャット型のアプリからのものだった。開いて見てみれば、吹き出しの中に「心配かけてごめんね。明日には、学校行けそうだよ」と書かれていた。
「そうか。今日はゆっくり休んどけよ、っと」
色違いの吹き出しで、優也の返信が表示される。
すると、返事が来るのを待っていたかのように、すぐに、既読と表示された。
「はーい。明日、いつもの場所で待ち合わせね」という返信に、優也は「了解」と返し、スマホの画面を暗くした。
さっきのやり取りの相手は、同じ高校に通う優也の友だちであり、小学生時代からの幼なじみだ。今は、優也が引っ越してしまったため離れているが、中学の頃までは家が隣同士であった。
ふと、スマホをしまうために見下ろした視界の端で、オレンジ色の何かが動いた。
(? 今のは……?)
優也は歩みを止めて、オレンジの何かが消えた場所を見る。そこは、変哲もない、ただのビルとビルの間にできた路地だ。
(そいや、昨日の泥棒少女も、あんな色の髪してたな……)
とはいえ、彼女であるはずがないわけで。
といっても、一度気になってしまうと、それを確認するまで気が済まない優也であった。
そこへ近づき、恐る恐る路地を覗き込む。
するとーー、
(まただ……)
まるで優也から逃げるようにして、路地の奥へと姿を消してしまったオレンジ色の何か。
遠目だったため確実とはいえないが、優也の肩ほどまで、一五〇センチほどの全長があった。
そういえば、昨日の泥棒さんも、それくらいの身長だったことを思い出す。
(まさか、な……)
それ以上の追跡はせず、優也は自宅へと向けて再び歩き出す。
あれからしばらく歩いただろうか。すでに辺りは都心部から離れ、人通りも少なくなっていた。
その間、優也は、ある違和感を感じていた。
それは一つの足音だ。まるで、優也のあとをつけるように、同じペース同じ歩幅で聞こえてくる音があった。急げば、同じように急いでくるし、立ち止まれば音は止み、再び歩き出せば、また鳴り始める。
それが、先ほどのオレンジの何かと関係あると結論づけるのに、なんの根拠も必要なかった。
(一回試してみっか……)
そう心の中で決めた優也は、すぐさま行動へと移す。
吸い込まれるように、曲がり角を曲がると、そこにあった電信柱の後ろへ隠れる。
すると、タタタ、と駆け足で走り寄ってくる音が一つ。先ほどから優也をつけていた何者かが慌てて探しに来たようだ。
その姿を、優也は陰から静かに覗いていた。オレンジ色の髪に、ひまわりのヘアゴムで髪の一部をミサンガに結った人物。やはり、昨日の泥棒少女である。
彼女は、とりあえずその場で一周、二周と見回して、さぞ不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 消えたよ?? 瞬間移動かなにか使えるのかな?」
「んなわけねぇだろ」
おおよそ見当がついていたが、やはり犯人の正体が彼女であったことが判明し、害意が感じられなかったため、優也は物陰から姿を見せた。
「あれ? たしか君は昨日の……。また会ったね!」
「いかにも偶然を装ってるけど、ずっとお前がつけてたのを俺は知ってるからな」
「これは驚いたよ。気づいてたんだね。君は探偵さんかなにかかな?」
「お前のバレバレな尾行なら誰だって気がつく」
「おかしいなぁ。自分では完璧だったんだけどね」
あんな尾行で気付かれないと思っていたというのだから驚きだ。
「あっ、でもでも、これって、昨日会っただけなのに顔を覚えててくれてたってことだよね⁉︎」
「泥棒の顔を忘れるほど馬鹿じゃねぇよ」
「だからわたしはドロボーじゃないよ」
「迷える子羊、だったか」
「そっ」
昨日、彼女自身の口から聞いた言葉を思い出した。
あの時は、泥棒の言い逃れとして言ったのだとばかり考えていたが、もしも事実なのだとすれば、
「迷子ってことか?」
「ううん。君に助けてほしいんだ」
「助け? 何から?」
誰かに追われてるとか、そんな雰囲気はなさそうに見受けられるが……。
「何からっていうか……。正しくは手伝ってほしいことがあるんだよ。引き受けてくれるかな?」
「内容も聞かないうちから、やすやす了解できるかよ。具体的には何をすりゃ……」
いいんだ? と問おうとした瞬間、
ぐぅぅ…………
まるで大地が唸るような、低くこもった音が鳴り響いた。それが少女から聞こえてきたものだと、彼女がお腹をおさえているのを見ればわかった。
「積もる話はおいおいだね。まずは腹ごしらえしないと」
「勝手だな……」
それが何かを頼む側の態度かよ……、と呆れてしまうほどに。
「君は?」
「あ? 俺はいらねぇよ。家に帰ったら晩飯あるんだし」
「そう言わずに。いい場所知ってるんだよ!」
「ちょ……」
強引に、少女は優也の手を引いて走り出した。
目的の場所は、二人がいた地点からはそれほど離れておらず、
「ここだよ」
そう言って、少女に紹介された場所というのは、
「って俺の家じゃねぇかよ‼︎」
もはや見慣れすぎた建物。ただの石崎家だった。
「ここの店はね、」
「おい聞いてるか。ここは俺の家。店じゃねぇ」
「とくにね、」
「聞けよ⁉︎」
「隠し味があって、肉じゃがが絶品たいたい痛い、痛いよ⁉︎」
「そうかそうか……、肉じゃがが絶品だったか美味かったか」
「美味しかったけど、どうしてわたしの頭を鷲掴みなの⁉︎痛いよっ⁉︎」
一通り彼女を痛みつけて、それなりに気分が晴れたところで、優也は少女を解放する。
「いや、すまんな。つい手がな」
「そんなに肉じゃがが食べたかったのかな」
そうじゃないと言えば嘘になる。なぜならあの肉じゃがは……いや、それについては過ぎたこと。彼女に説明したところで、肉じゃがが戻ってくるわけでもあるまい。
「まあ、ここまで来たんだ。家に上がれよ」
「いいの⁉︎」
初めからそのつもりだっただろうが、というツッコミは堪える。
「あの肉じゃがほどはできねぇが、なんか作るよ」
「? あれは君が作ったんじゃないの?」
「別にいいだろ細かいことは」
逃げるようにして、優也は門扉を開け、玄関のドアに鍵を差し込んだ。
ドアを開きながら、優也は後ろについてきている栗色の髪の少女に問いかける。
「んで、何が食いたい? 好きな食べもんはなんだ?」
「んー……、焼肉かな」
「ふざけんなよ」
好意でご馳走になるというのに、なんと図々しいことか。やっぱり今にでも追い返してやろうかという気持ちが芽生えてしまう。
「まあ、なんか適当に作るからイスにでも座っててくれ」
ダイニングに置かれた四人掛けの席に座るよう促して、優也はキッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けたところで、優也はあることを思い出す。それは冷蔵庫の中身の少なさだ。昨日のどっかの誰かさんの仕業で、冷蔵庫に入れていたものが減ってしまっているのである。
(はあ……)
優也は心の中で大きなため息をついて、今度は冷凍庫を開けた。
幸いにも、冷凍庫の中身までは手をつけていないそうで、凍った肉やら魚やらが残っていた。
(まあ、なんなりと作れるか)
いくらかの食材を取り出して、優也は、さっそく調理へと取りかかった。
両親ともに家へ帰ってくることがほとんどない優也は、毎日、というわけではないが、一年のほとんどを自炊して生活している。そのおかげで、料理の腕は、料理人の娘から太鼓判を押されているほどだ。
「ほらよ」
そう言って、少女の前に出すは、豚肉の生姜焼き、白ご飯、みそ汁の三点セット。いわば、生姜焼き定食である。
「うわぁ、おいしそうだね!」
「そうか?」
そっけない態度をとりながらも、自分が作った料理が誰かに褒められれば嬉しくないわけがない。
少女と向かい合う形で優也も椅子に腰を下ろすと、両手を合わせて食事を食べ始めようとしていた対面の少女が小首を傾げた。
「あれ? 君は食べないの?」
「こんな時間に晩飯なんかいるかよ」
時刻は午後五時前。いつも夕食を食べるのは、午後八時を過ぎてから。今夕食を済ませてしまうと、夜にお腹が空くことなど目に見えていた。
「そういや、名前聞いてなかったな。俺は
「わはひ? わはひは……」
「聞いた俺が悪かった。口のもん、食べ終わってからしゃべってくれ」
ゴクリと、口に含んでいた豚肉を呑み込む少女。一息ついて、名前を名乗る。
「わたしは、
「一言余計だ」
今からでも生姜焼きがのった皿を引き下げてやろうか。
「そんで、さっき言ってた俺に頼みたいことってのは?」
「はほへ、」
「わかった。先に全部食べてくれ」
「あひはとう。はすはふほ」
多分「ありがとう」的なことをしゃべったのだろうが、さすがに後半は何を言っているのか聞き取れなかった。
よほど腹が空いていたのだろう。ひなこは、十分もかからずして、優也が作った生姜焼き定食を平らげた。
空腹が満たされて満足そうに一服をついた後、ひなこは少し真剣そうな面持ちで話し出した。
「優也くんに頼みたいことはね、わたしと一緒に『研究所』を潰す手伝いをしてほしいんだ」
「研究所を潰す?」
何の? と問おうとしたところで、ひなこが続きを話し出す。
「そ。そのためにはね、わたしと優也くんが『契約』を交わす必要があるんだけど……。引き受けてくれるかな?」
「待ってくれ。研究所ってなんだ? それに契約ってのは? そもそもお前は何者なんだ?」
「質問攻め? そんなんじゃ、好きな女の子にも嫌われちゃうよ?」
「余計なお世話だ。てめぇがわけわかんねーことばっかしゃべるからだろ」
「そっか。ごめんね」
あはは、と笑いながら謝るひなこ。
「でもね、わたしも、あんま詳しく話せないんだ。優也くんが契約に応じてくれるっていうんなら話せるんだけど……」
「悪いが、そんな聞くからに怪しい契約を結ぶほど、俺は馬鹿じゃねぇ」
うーん、と頭を抱えて、ひなこは次の手を見つけ出そうと悩んでいる。
「そもそも、なんで俺なんだ? 頼むだけなら誰だってよかったろ」
「なんとなく……、かな。昨日、君とたまたま出会って、直感で、君ならいける、って思ったの。わたしの直感はね、当たるんだよ?」
「…………」
聞いて呆れた。
なんとなく。たまたま出会ったから。直感で。
そんな適当な理由で、人に物事を頼もうとする人間がいたとは。しかも、研究所を潰す手伝い、というのはそんな優しいことじゃないだろう。いわば、適当な理由で他人をトラブルに巻き込もうというのだ。
「腹はいっぱいになったか?」
突然の話題に、一瞬ひなこは返答を遅らせながらも、それはそれは笑顔で首を縦に振った。
「うん! ほんとにありがとう。やっぱりわたしの目にーー」
「んじゃ帰ってくれ」
「ーー狂いはなか……え?」
「聞こえなかったか。帰ってくれって言ったんだ。お前を家にあげたのは、どっかで飢え死にされたら後味が悪いからだ。お前の頼みとやらを聞き入れるためじゃない」
「でもでもっ……、優也くんならきっと」
「断る。あんたの中で俺がどんだけ善人なのか知らないが、俺はそんなに優しい人間じゃない」
「そんなことないと、」
「お前に俺の何が分かるってんだッ‼︎」
優也は感情に任せて、右手で作った握りこぶしをテーブルに叩きつけた。その反動でテーブルから数センチ浮いたガラスのコップが、テーブルを転がって床へと落ちた。
ガラスの割れる高い音が、静けさに支配されていた空間に鳴り響き、その音で優也は目をさました。
「っ! ……わ、悪い……」
「ううん……」
さすがのひなこも、突然の優也の行動に怯えているのか、小さな声で控えめに首を横に振った。
「……とにかく、俺はお前に何度頼まれたって依頼を引き受けることはない。だから帰ってくれ」
「…………」
頭を抱えてふさぎ込む優也を見て、やっと彼女も諦める気になったらしく、静かに席を立つと、そのまま優也の前から姿を消す。少しして、玄関ドアが閉まる音が聞こえてきた。
「………………」
頼みごとをする彼女の顔を見ていれば、今の彼女がどれだけ困っているか誰だって読み取れるだろう。
しかしこれでよかったのだ。昨日のリンゴを落としたおばあさんの時と同じく、優也がやらずとも、他の誰かがやるだろう、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます