第2話 優しい人ほど怒ると恐い

 優也が通っている高校は、石崎宅から徒歩三十分といった距離にある。その道のりを優也は歩いて通学している。

 八時二十分。優也はいつも通りの時間に教室へとたどり着いた。


「あっ、おはよ、優也君」

「ああ、おはよう」


 着席して、優也の存在に気がつき笑顔で挨拶してくるのは、冬野ふゆのほたる。

 金髪に、薄めの青色をした瞳をもった、まるで人形のように可愛らしく整った少女……といいたいところだが、彼は性別上は優也と同じ男である。容姿だけでなく言動も女の子みたいなところから、クラスはおろか学年を超えて学校中で、いわゆる男の娘としてからかわれていたりする可哀想な男の子である。

 とはいえ、実を言えば優也も冬野が男であると断言できる証拠がなかったりする。最近始まったプールの授業も全て見学で、入学後にあった健康診断でも、事前に体操着を制服の下に着用していた。


「お前、本当は女だろ?」

「突然ひどいよ優也君⁉︎ 僕はまぎれもなく男の子だよー!」

「男の娘?」

「男の子っ‼︎」


 発音だけだと同じだけどな。

 まあ、学校側も冬野を男子として認識しているのだから、彼は男の子であり男の娘なのだ。

 そんな他愛ない会話をしていると、


「席に着きなさーい。ホームルーム始めますよー!」


 チャイムの音とともに、ドアから入ってくる人物が一人。優也のクラスを受け持つ先生だ。

 担任の登場で、優也と冬野の会話も終了。

 ……と、


「優也君、優也君。大丈夫かな?」


 体だけは前向きに座り直した冬野が、控えめに話しかけてきた。


「ん? なにがだ?」

「うしろ……」


 その時点で、優也はなんとなく察しがついていた。

 優也の後ろといえば、もう一つ座席がある。優也の友人の笹木ささきりゅうという男子生徒の席だ。

 茶色く染色した短い髪をワックスで自由にはねさせて、右耳にはイヤリング、瞳はカラコンなのか元々なのか紫色をした少年。笹木は、そんなチャラ男である。

 そして、なぜ冬野が彼のことを大丈夫かと心配したのかといえば、なにもその見てくれのことを言っているのではない、むしろ容姿を心配するどころか、そこに彼の姿がないのである。すでに予鈴は鳴り終えて、担任は点呼を始めようとしている。優也の高校では、点呼時に出席していなければ遅刻。その後本鈴までに登校したとしても遅刻扱いとなってしまう。


「あー、まあ……」


 しかし優也は何も驚かない。

 なぜならば、彼の遅刻癖は今に始まったことではないからだ。


「そのうち来るんじゃねーの」


 ガラガラガラッ、と。

 噂をすれば何とやら。教室のドアを開けて、笹木が現れた。


「フー……。ギリギリセーフっと」


 笹木は、額にかいた汗を拭って胸をなでおろす。肩で呼吸しているあたり、どこかから走ってきたということなのだろう。

 彼の言ったとおり、幸いにも担任は点呼を始めてはいなかった。しかし学校の先生というものは、だからといって見て見ぬ振りをするほど優しい人ではない。


「笹木くん!」

「あ、センセー。おざいまーす」

「おざいますじゃなくて、おはようございますでしょ。……ってじゃなくて! 遅刻が多いですよ」

「やだなぁ、遅刻はしてないじゃないですか。遅刻寸前ですよ」

「同じです。もう少し早く登校できないんですか?」

「いやぁ、朝は弱くて」

「そういう問題じゃ……」

「あっ、センセ。ホームルーム終わっちゃいますよ」


 黒板の上にあるアナログ時計を指差して言う笹木。その言葉に先生の気が取られた瞬間を見計らって、笹木は自分の席へとそそくさと逃げる。

 それに担任が気がついた頃にはすでに遅し。大層不満そうな表情をしていたが、笹木を呼び戻そうとはしなかった。

 担任の点呼に、次々と生徒が返答していくなか、自分の番を待つ優也の背中に、二回叩かれる感触があった。

 振り返ってみれば、人差し指を立てた笹木と目が合う。


「なぁ聞いてくれよ、優也ー」

「んだよ」

「朝大変でさー。遅刻も仕方なかったんだよ」

「それは俺じゃなく先生に言えよ。だいたい、お前の大変って、目覚ましかけ忘れたとかそんなんだろ」

「ちげーよ。目覚ましが壊れてたんだよ」


 あんまり変わんないだろ。


「……?」


 ふと、優也はあることに気がつく。


「てか、おしゃべりしてていいのか?」

「?」

「さっき先生を怒らせたんじゃねぇのか」

「ああ、大丈夫だっての。先生は今点呼して……」


 るし、と続けようとした笹木の口が止まる。彼の視線は、黒板の前、教卓を見ていた。そしてそこにいるはずの担任がいないことを知る。


「笹木クン……」

「ひっ……」


 まるで地をうならせるかのように、どす黒い不気味な声が聞こえてきた。それは、笹木の背後から。

 恐怖に震える笹木は、視線だけを声のした方へと向ける。

 そこに立っていたのは………………。


 優也のクラス担任は、まだ教師になって一年と少しの新米先生だが、美人で優しく、おまけに授業がわかりやすいと生徒から評判がいい。

 しかし本日、彼女を本気で怒らせると誰よりも恐ろしいことが判明。静かに優也は、以後気をつけていこうと肝に銘じたのであった。

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