プロローグ② 500年生きた賢者

   □


「なあウィル、目的地まであとどれくらいだ?」


「あと一時間くらいかな」


 屋根付きの馬車に乗る男––––ウィリアム・レイマグナは流れゆく外の景色を眺めながら眼前に座る黒い鳥型の魔獣––––フェルニルの問いに答えた。


 右手にトウモロコシ畑が広がっており、青々とした茎葉が太陽に向かって背を伸ばしている。早朝の空は澄んでいて、薄い青色がどこまでも続いている。


 馬車の外側に設置された御者台には五十代くらいの男が手綱を握りしめている。彼の耳には車輪が回る轟音が響いているため二人の会話は届いていなかった。


 ガタガタと揺れる馬車内。

 ウィリアムことウィルのアシンメトリーの前髪、特に目が半分ほど隠れるくらいの長さがある右側がよく跳ねた。


「遠い、遠すぎる! ここまで蒸気機関車っていうやたらと速い乗り物に乗ってきたってのにまだ着かない。本当に『魔術発祥の町』なんてあるのか?」


 フェルニルことフェイは長距離移動にうんざりしていた。


「自動車ってのを使えば早く着いたんじゃねえか? 馬車より速いんだろ?」


「自動車は長距離には向かないらしい。街中を走るのに適してるって話だ。だから使えない」


 ウィルたちが利用した蒸気機関車の駅から馬車に乗り換えて三時間以上が経っていた。

 機関車に乗ったのは昨日の夜。駅に着いたのは午前三時頃。そして馬車に乗っている内に空が明るくなり朝になった。


 ウィルはフェイの問いに一つ一つ答えていたが、眠気のせいでほとんど頭が働いていなかった。気を抜けば瞼が落ちそうになる。


「なんで女神は大陸の端っこに来ようと思ったんだろな。どうせなら中心にある町にしてくれれば移動も楽だって言うのによ。それに……」


 一定のリズムを刻むフェイの小言と馬車の揺れが相まって、ウィルはとうとう眠りに落ちてしまった。


   □


 夢を見た。

 次の目的地に関する話を聞いたあとだったこともあり、その内容が反映された夢。


 目的地である町の名はヤルル。

 そこには二つの物語が存在した。


 一つ目は千二百年前、絶滅の危機に瀕した人間を救うため、女神が降り立ったという奇跡の物語。

 女神は人々に魔力を与え、人々は教わった魔術を使い、滅びの道を脱した。

 誰もが知る物語である。


 二つ目は160年前、『500年生きた賢者』が引き起こした凄惨な物語。

 賢者は世界に危機を招いた。意図したものではない。しかし結果的に多くの人を犠牲にし、世界に多大な被害をもたらした。

 それも魔術によるものだった。

 各地の空に無数の巨大な穴が現れ、人々はその黒々とした穴に吸い込まれていったそうだ。

 ほどなくして穴は閉じられた。

 賢者本人も穴に吸い込まれたという。

 賢者が何を思ってその魔術を使用したのかは分からない。

 多くの被害を出したにも関わらず、町に住む者以外にこの物語を知る者は少ない。心に留めておくことにも抵抗を生む事象だったのだろう。


 『500年生きた賢者』は穴を抜けた先で今も生きているのか、そもそも穴に吸い込まれたのか、この物語自体存在したのかは全てが謎である。


 しかしこの二つの物語が今も町に影響を与えていることは間違いなかった。

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