第17話 ウォーダンの過去

   □


三十年前––––


 ウォーダンの妻であるアニーは流行病で死んだ。

 ウォーダンは衰弱していく妻の姿を見守ることしかできなかった。

 その時、息子のベルクは十歳だった。

 

 ウォーダンはアニーを失ってから、自身の無力さを嫌と言うほど思い知らされ、塞ぎ込んだ。

 『魔術協会』にいた頃に研究していた〈魂魄魔術〉が完成していれば、アニーを失わずに済んだと嘆き続けた。


 〈魂魄魔術〉––––


 それは『魂魄剥離』とも呼ばれる人体から魂を抜き取る魔術。

 自身の肉体を強化し、治癒力を高める〈強式魔術スルーズ〉とは異なり、他人に使用する点や魂という見えないものへアプローチする点が研究者たちの頭を悩ませ、結局彼らの努力が結実することはなかった。

 

 手に入らないものに縋る虚しさ。

 それでも縋るしかない自分。

 無力な自分。

 愚かな自分。

 そんな自分を受け入れることができなくなったウォーダンは酒に溺れた。

 酒に呑まれることで自らの思考能力を奪った。

 それでも受け入れ難い自分自身が不意に現れるたび、机に頭を打ち付けた。

 そんな生活を続けて三年が経った。

 そして今度は息子のベルクがアニーと同じ病にかかってしまった。

 ウォーダンは絶望した。


 息子の命に期限がついたことに、

 自分が息子を忘れていたことに、

 絶望したのだ。


 酒に溺れ、正常に思考が機能しない生活を送ってきたせいで、この世に残った最愛の息子の存在を忘れてしまったのだ。


 心の底からベルクを愛していたはずなのに––––


 ウォーダンは自分の行ないを呪った。

 息子を忘れていた罪悪感に苛まれた。

 父親以前に人間失格であると嫌気が差し、自死すら考えたが、それこそが最大の罪であると考え直したウォーダンはもう二度と愛する者を失わないよう、館にて〈魂魄魔術〉の研究を再開した。


   □


 ウォーダンは〈魂魄魔術〉を完成させるためなら手段を選ばなかった。

 ランダムに生きた人間を捕らえ、生きたまま魂を抜き取る。

 失敗すれば魂を抜き取られた人間は死んだ。

 『魔術協会』では人体実験を禁止されていたし、研究に行き詰まっても人の道から外れるような思考は持たなかったウォーダンも、ベルクを助けるためなら多くの他人の命を犠牲にできた。


 何十、何百と魂魄剥離の実験を繰り返した。

 そして実験の成果はたった一年足らずで得られた。

 『魔術協会』時代では何十年もの歳月をかけて、それでも成果が得られなかった同じ実験を、人間に対して行なっただけで簡単に実を結んだ事実にウォーダンは怒り心頭に発した。

 それは自身がその当時、研究に対して非情になっていれば、完成した〈魂魄魔術〉でアニーを救えた可能性を知ってしまったからだ。


 ウォーダンは研究を続けた。

 抜き取った魂を別の体に移し替える必要があった。

 

 ベルクの魂を病に犯された体から解放し、健康な体へと移し替える。見た目はベルクではなくなるがベルクの心は守られる。仮説の域を過ぎないものの、その可能性に賭けるしかなかった。


 しかし研究が最終段階を迎えるのと同時に、ベルクの容体が急変した。

 ウォーダンはやむを得ず未完成のまま〈魂魄魔術〉を使用した。


 理論は間違っていない。

 私ならできる––––


 ウォーダンは魔術の成功を願った。

 そして願いは叶った。



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