第23話 意外な再会

 眠りについたのか、それともずっと闇の中で10年間自分の中に押し込めたモノを掘り返していたのかわからない。

 けど次に気づいた時僕は自分の部屋のベッドの上で、開け放たれたカーテンから降り注ぐ朝日を顔に浴びて目が覚めた。

 はっと時計を見ると6時25分。

 今日は……何曜日だっけ。

 そうか、昨日が日曜だから月曜か。

 なら、会社に行かないと……。

 普段の起床時間は7時なので随分余裕な時間だなぁ。

 のそりと上体を起こすと、腹部に鋭い痛みが走る。

 ああ、そういえば昨日お昼食べてから何も口にしてないっけ。

 腹部の痛みに構わずクローゼットから出勤用のスーツ一式を取り出して着替え、階下のリビングへと向かう。

「おはよぉ……」

「あ、ちゃんと自分で起きたのね。おはようセイちゃん」

 お母さんが丁度キッチンで朝ご飯の支度をしていた。

 何かを焼いているのかふんわり軽くコゲの匂いと味噌の香りが漂ってくるリビングで、いつも座る席にそのまま座る。

「ねえセイちゃん」

「ん~?」

 お盆に僕の分の朝ご飯を載せたお母さんがキッチンからこちらに向かってくる。

「モモちゃんにちゃんとお礼、しなさいね?」

「なんで?」

 お盆から僕の前に茶碗や皿を並べるお母さんは困ったような表情になる。

「昨日の事、覚えてないの? 桜ちゃんのメッセージを聞いて憔悴しきったセイちゃんをずっと心配そうに見守っていたの、モモちゃんだからね?」

 お母さんの口調が間延びしていない、と言う事はこれ断ったり意に沿わない答えを言ったりすると激怒されるやつだ……。

「わかった。お礼するよ」

 もうウチに来る事は無さそうだけど、お礼ならゲーム内とかLINEでも済ませられる。

「そうして頂戴。向こうの親御さんにも迷惑かけちゃったし」

「え?」

 なんでそんな大事に?

「だってモモちゃん、あんなに落ち込んだ貴方を放っておけないからって全然帰ろうとしなくて……こっちは別にいいけども家からの電話も無視してお母さんが出てね、それで事情を説明して迎えに来てもらったのよ」

「そうだったんだ……」

 また僕は僕の我儘のせいで他人を振り回してしまったんだ。

 それも何の関係もないモモちゃんのご両親を。

「そうよ。それと。セイちゃんは一度モモちゃんのお宅に行くべきだわ。そうね……そしてちゃんと話して頂戴、親御さん達と」

 それってなんだか『娘さんを僕に下さい』と言いに行けと言われているような……。

 でもまだいつもの口調に戻っていないので拒否したらしたで怖いのでわかった、と首肯しておく。

「それにしても、思ってたより元気そうで安心したわ」

「そう?」

「そうよぉ~。昨日のセイちゃんってば話しかけてもな~んにも返事してくれなくてお母さんとっても心配したんだからねぇ~?」

 でも、別に元気なわけでは無くてただ病気もケガもしていないってだけで。

 だから僕はこう答えた。

「違うよ、涙が枯れ果ててしまっただけ。今この瞬間もずっと泣いてる」


※  ※  ※


 そんな枯れ果てたまさに抜け殻の僕は焦点の定まらない胡乱な視線ですぐに周囲に『何かあったんだ』と確信させたようで、定例の社内大会用会議で本社を訪れていた友田さんはじめ同僚や上司から物凄く心配されたけど、仕事自体はルーチンワークなので(多分)滞りなく済ませられた。

 覇気が無いぞ! などと言われてもそんなものは最初から持ち合わせていないし元気出して、と励まされてもどうしたらこの状態が元に戻るのかは僕自身にも分からなかった。

 オンラインゲームの方はと言えば、あれからログイン自体していない。

 モモちゃんにもLINEすら送ってないし、またあちらからもメッセージは来なかった。

 朝起きて、出社して、退社して、寝る。

 そんな何の意味もない時間を、ゴールデンウィーク突入前の平日二日間……いつもならもっとどうやって連休を過ごそうかとわくわくする期間を消費した。

 だって、寝て意識を失えばまた桜の事だけを考えていられるから……。

 でも次の日、いわゆる『昭和の日』。

 ワイシャツに袖を通した所で『あ、今日は祝日か』と気づいて部屋着に着替えなおした僕は多すぎる睡眠時間のせいでぼんやりとした頭で何気なくスマホを覗く。

 あ、モモちゃんからメッセージ来てるや。

 指紋認証を済ませてメッセージを確認すると。

『29日、空いてますか?』

 の一言だけだった。

 送信時間は昨日の20:16。

 心配して『大丈夫?』とか『元気出して』とか送られてくるよりも、今の僕にはその単純で意図が明確な一言はありがたかった。

「空いてるよ……っと」

 口にした言葉をそのまま打って送信して、既読が付くかどうか確認せずスマホをベッドの上に放り投げる。

 桜に死ぬなって言われたから、僕は体を動かすエネルギー補給のためリビングへと降りる。

「おはよ…………モモちゃん……」

「おはよ、セイちゃん。待ってた」

 休日の朝7時を少し回った時刻にも関わらずモモちゃんはお母さんと並んでウチのリビングに座っていた。

「今返事返したばっかりなのに……」

 僕がどう返事を返すかは関係なくて、例えNOと言ってもお母さんがモモちゃんの用事に付き合わせる手筈になっていた、とお母さんがにこやかに告げた。

 僕はどう答えようと選択肢を与えて貰えず、今日の予定は目の前の2人によって確定されていたという訳だ。

「わかった……こないだのアレね」

 観念してそう答えると『よくできました~』とお母さんが嬉しそうにキッチンへと姿を消す。

「あ、おば様がどう言ったかは聞いてないけど、あたしセイちゃんにお礼言われたいわけじゃないからね?」

「え?」

 お母さんからはお礼をしなさいと言われていたから僕は今から謝意を伝えるつもりだったので見事に出鼻を挫かれてしまう。

 とりあえず立っているのも疲れるので僕はリビングの僕の指定席へと腰を下ろすとモモちゃんは今日の予定について、軽く内側にカールした自分の髪の毛の先を指先でいじりながら説明をした。

 あ、今日は束ねないでそのまま降ろしてるんだ。

「今日はね、ウチに来て欲しいんだ」

 数日前お母さんと約束した二つの事のうち、もう一つの方。

「急だなぁ」

「急だね。でも今日くらいしかウチはパパとママが揃わないから……二人ともお仕事大変なのよ」

「そっか、共働きなんだね」

 モモちゃんのお母さんが看護師だというのは以前聞いたっけ。

 あれ、僕なにか忘れているような……。

 ちょっと引っかかるものを感じたけどいつも以上に頭が働かない僕がいつも以上にその引っかかりが何なのか追求する事はもちろん不可能で。

「あ、モモちゃんも朝ご飯まだよね。食べて行ってね」

「は~い、頂きます」

 まるでその二人の短い会話は予め決められていた台詞のようで、二人ともに棒読みっぽさがあったけど。

 メニューはご飯とみそ汁、そして卵焼きとタコさんウィンナーにレタス主体のサラダ。

「食べたら、出かけてらっしゃいな」

「そうする……いただきます」

 そういえばお父さんはずっと日本各地を単身赴任しているから、食卓はこの10年ほとんど僕とお母さんしかいなかった。

 でもそれよりちょっと前は、たまに隣の一家が総出で……と言っても2人だけど来てくれてとても楽しくて賑やかな食卓になっていたっけなぁ。

 お母さんも『人数多くないと作れない料理があるから』とそういう日は普段2人きりの食卓には並ばないメニューを作ってくれたっけな。


 後から教えてもらったけど。

 この日の朝食のメニューはモモちゃんがあらかじめリクエストしたらしかった。

 リクエストは特に単品を指定した物ではなく、ざっくりとしたオーダーを一言だそうだ。

 でも僕は未だにそのオーダーが何なのか分からない……。


※  ※  ※


 モモちゃんの家が駅を挟んで向こう側にある、と言うのは知っていたので僕たちはいったん駅の構内に入り、反対側へと通り抜けた。

 線路が高架から大地へと降りる辺りに、通り抜けられる小さなトンネルがあるにはあるけどウチからは遠回りになるので最短距離を選んだんだ。

 道中、僕はモモちゃんにこんな事を訊ねた。

「ねえ、何で僕モモちゃんのご両親と直接話する事になったの? 迷惑かけたみたいだけど電話とかでも良かったんじゃ……?」

 するとモモちゃんは、こう答えた。

「ん~、それはおば様と約束したからセイちゃんには言わない。でも一言だけ」

「うん?」

 お母さんがわざわざモモちゃんに口止めするって。

 まさかお母さん勝手に『迷惑かけた責任を取って婚約させます』とか言ってない……よねえ……?

「会えばわかるわよ」

 僕の困惑したであろう表情を読み取ってか、モモちゃんがそんなヒントにもならないヒントをくれたけど。

 やっぱり僕には何が何だかわからなくて。

 でも会えばわかるなら会ってみるしかない……んだよねえ。

 いきなりモモちゃんのお父さんに殴られたりとか……しないよねぇ?

 通りの右手に住宅地、左手に畑と言う僕が住んでいる地域とは全然違う風景がこんなにも近くにあったのかと驚きつつモモちゃんに先導してもらって歩く事、駅を出てから10分。

「ここだよ」

 金属プレートの表札に『綿貫』と書かれた、赤系のレンガを組んだ門構えと格子状の門、その奥にある建物は築4、5年と言った感じのまだ新しい、今風の佇まいを見せる。

 広さはウチと同じくらい、かな。ちょっと大きいかも。

 迷いなく門を開けたモモちゃんの後を追って玄関まで続く短い石畳を歩く。

 今更だけど、すっごい緊張してきた……。

 そもそも女の子の友達の家に入るなんてそれこそ10年ぶりだし……。

「ただいま~ 連れて来たよ~」

 玄関を開けたモモちゃんが中にいるであろう自分の両親に対して大声で帰宅と来訪者の存在を告げる。

 その元気の良い声に呼応して、いくつか見える扉の一つから壮年の男性……間違いなくモモちゃんのお父さん……がひょっこりと顔を出す。

 え?

 ええ?

 ええええ!?

 何故貴方がそこに……?

 驚きを隠せずにいると、照れたような、困ったような表情で『モモちゃんのお父さん』がこう告げた。

「おかえり、桃…………それと、いらっしゃい誠一君。本当に久しぶりだね」

「一ノ瀬のおじさん!?」

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