第22話 10年前からのメッセージ

「そうだ! そうだよ!!」

「セイちゃん!? 大丈夫?」

 蹲って過去の出来事を全て思いだした僕は差し伸べられていたモモちゃんの手を振り払うように突然立ち上がった。

「ひゃっ」

 びっくりしたモモちゃんが軽く悲鳴を上げる。

「……あるんだ…………」

「何が、あるの?」

 立ったまま虚空を……窓の外に見える元一ノ瀬邸の2階部分と桜の枝を焦点を合わせる事なくぼ~っと見つめて。

 それから僕は頭を真っ白にしたまま、部屋を飛び出す。

「セイちゃんってば!」

 後ろからモモちゃんが付いてくる足音が聞こえるけど僕は構わず靴をつぶし履きにして玄関を飛び出して裏庭に回ると、桜の木の根元を両手でがむしゃらに掘り出した。

「何……してるの?」

 遅れて追いついたモモちゃんが訊ねるのも無視して、僕はひたすら両手を硬い土へ打ち付け、掻いて、必死に土をどける。

「あるんだ……」

「あるって、何?」

 恐る恐る、モモちゃんが今の常軌を逸した僕に問いかける。

「埋まってるんだ……タイムカプセルが……っ………10年後に、2人で開けようって約束したんだ……桜と…………………ッ」

「え……!!」

 爪が剥がれるんじゃないかと思うくらい10本の指先全てが痛みを訴えるけど僕は構わず土を深く掘り続けて……。

 カコン。

 その無意味にも思える行動はやがて金属らしい何かとぶつかって軽い音を立てる。

「!!」

 確か埋めたのは金属でできた横長のお菓子の缶だったはず。

 僕は今しがたはっきりと思いだした記憶に沿ってその箱を最速で取り出せるように土をかき分けていく。

「あった…………」

 一時退院した桜が提案したタイムカプセルには、その日やっぱり桜の思いつきでそれぞれが10年後の自分に充てて書いた手紙が収められているはずだ。

 やがて土の中で錆びて見る影もないお菓子の缶はその姿を白日の下に再び晒された。

 普段なら爪の中にまで土が入ってきた気持ち悪さで今すぐ手を洗いたくなるところだけど今ばかりはそんな考えにすら至らない。

 ふと、『2人で開けよう』と約束していた事を思い出すけど……本当に中を見ていいのかと自問自答してみるけど。

 このまま中を……桜の手紙を見ないでこの10年前の僕の思い出が切り取られた箱は誰の目に触れる事もなく永久に土の中に埋めておく方が良いんじゃないかと言う考えが頭をよぎるけど。

 それでも僕は、極まれに発揮する僕の主体的な考えから、その封を解いた。

 中にはあの日桜が書いた方の、名前と同じ桜色で桜の花びらが刻印された一通の封筒と。

「これは……」

 見慣れない、掌にすっぽりと治まりそうな白い機械と、単三型の乾電池。

 缶の中に、僕が書いたはずの手紙は見当たらなかった。

「それ、ICレコーダーだよ、セイちゃん………多分、電池式の」

 背後からモモちゃんの鎮痛な声が響く。

 こんなもの、僕は入れるなんて聞いてない。

 そもそもこれを埋めた時僕は学校に行かなきゃならなくて立ち会っていなかったから、桜がこんなものを仕込むには十分すぎるほど時間はあったけど……。

 じゃあどうして埋めた場所を知っているかと言うと、学校から戻って来た時にはわざとらしい盛り土がされてあったと記憶していて、その位置を正確に覚えていただけだ。

 モモちゃんの声には答えない代わりに僕はモモちゃんがそこにいる事を許した上で、ICレコーダーに電池を挿入し再生ボタンを押した。

『…………セイちゃん。これを聞いているのは10年後の大人のセイちゃんなんだね。何か変な感じ』

「っ……くっ……」

 それは紛れもなく10年前の桜の声で。

『でも、残念だけどセイちゃんがこれを聞いているって事は、わたしはセイちゃんの傍にいないんだね。だってタイムカプセルをもしわたし達2人で開けたらどんな手を使ってもこれをセイちゃんから奪うだろうから』

 桜……桜……ッ。

『セイちゃんと出会ってもう2年が経つよ。いつもわたしを気にかけてくれてありがとう。本当は、たくさんの友達と教室でお弁当食べたかったよね。でもわたしのためにセイちゃんはそれを諦めてくれた。嬉しかったけど、その事、わたしはちょっと怒ってるんだよ? だってセイちゃんの可能性を、他でもないわたしが閉ざしちゃったって事だもん。そんなのは……嬉しいけど、やっぱりイヤ。セイちゃんにはもっとたくさんの人と仲良くなって、そしてその優しさを十分に発揮して生きて欲しいと、桜は願います』

「あっ……あっ……」

 嗚咽が止まらない。

『前に、セイちゃんわたしの事が異性として好きだって、そう言ってくれたよね。

 あれ、本当はその場で答えたかった……答えたかったよ……。

 でもわたしは自分の気持ちをどうしても伝える事が出来なかったんだ。

 これを聞いているセイちゃんは10年後のセイちゃんだし、時効だから言うね。

 ……嬉しい。

 わたし、一ノ瀬桜も小和田誠一君が好きです。

 パパよりも、ママよりも大好きです。

 でもそれを言うわけにはいかなかったの。

 だってわたしはもうすぐセイちゃんの前からいなくなっちゃうから。

 ねぇ、知ってる?

 『一時退院』って言うのはね。

 治る見込みのない患者に、最期にいい思いをしてもらうためにも許可が下りるんだって。

 わたしはそれで退院できたんだよ。

 じゃあ、どうしてわたしが良くなる方法……手術を受けなかったのかを話すね。

 わたし、ママが好きで尊敬してるんだぁ。

 大きくなったら自分もお母さんになる、って小さい頃からの夢だったの。

 でもわたしが患った所はママと同じで、そしてそこは手術するとわたしの夢が永遠に敵わなくなってしまう所なの。

 だから、薬で何とか治せればって思ったんだけど……失敗しちゃった。

 肝心な時はいつも失敗しちゃうんだ、わたし。

 でもねぇ、ちょっとだけ愚痴を言わせてもらえるのなら。

 もし一年……ううん、半年前にセイちゃんが本当の気持ちを伝えてくれていたら……。

 ううん、やっぱりやめとく。これはずるいもんね』

「くそっ………クソッッ」

 何度も何度も地面に拳を叩きつけて、その度に溢れる涙は土を濡らして、濡らすからまた叩いて……。

「セイちゃん……」

 モモちゃんが鼻をぐしぐし言わせながら暴動する僕の拳をそっと自分の胸元に引き寄せる。

『それとね。多分今、セイちゃんの隣にはセイちゃんの事をわたしと同じかもしくはそれ以上に思ってくれている女の子がいると思う。

 ……はじめまして、彼女さんか、奥さんか、もしくはこれからそのどちらかになる方。一ノ瀬桜です。

 セイちゃんって酷いよね。

 だってほぼ100%自分から能動的に動こうとしないし、引っ込み思案だし、めんどくさがりだし、優しいクセに頑固だし。

 顔も名前も知らない貴女にたった一つだけ、お願いがあります。

 もしかしたらこれを聞いているセイちゃんはわたしとの事を美化して、下手をすると崇拝して、多分こんな風に思っているかもしれません。

 ――だって僕は……(桜がいなくちゃ何もする気が起きない)

 ――でも君は(桜じゃない)

 ――そうかもしれないけど(でも桜はそんな選択はしない)

 こんな風に思っていたら、遠慮なく横っ面をひっぱたいて、それからこう言ってあげて下さい。

 『でも、貴方は生きている。生きている以上前を向いて、一歩でも先に進まないならそれは死んでいるのと同じだよ』、って。

 セイちゃん頑固だけど、わたしのせいで心の時間を止めているかもしれないけど、それを溶かすのはわたしには無理だから、貴女に託します。

 あ、別に『わたしのセイちゃんをよろしく』と言う意味ではないので誤解しないでくださいね。

 わたしはただ、もしセイちゃんがわたしにかまけて自分の主体性と幸せを放棄しているなら、そんなセイちゃんを許せないだけです。

 …………長くなっちゃったから、そろそろ終わりにするね。

 最後にふたつだけ。

 セイちゃん、わたしは物語なんかによくあるように、『死んでも忘れないでね』とかその逆に『わたしの事は早く忘れなさい』なんて言わない。

 セイちゃんが、セイちゃんなりの時間をかけて消化してくれればいい。

 でも、あまり呑気にしているとまた後悔する事になるよ。

 それだけは、覚えておいてね。

 それと、セイちゃんに書いてもらった未来の自分への手紙は、わたしが貰って行きます。

 『こっち』でも、『向こう』でも、わたしの一番大事な宝物。

 でもごめんね、約束を破って多分わたしはこれを録音し終わったら10年待たずに開けちゃうね。

 わたしには、もうあまり時間が残されていないから……。

 …

 …

 …

 …

 …

 それじゃあ、バイバイ、セイちゃん。大好きだよ』

 ぷつりと音を立てて、ICレコーダーの声はそこで止まった。

「うあああああああああ……………………………ッ」

 それからしばらくの間、僕は立ち上がる事はおろか座り込む事すらできずひたすら泣き叫ぶしか無かった。

 10年ぶりに聞いた、僕の脳内からではない桜の肉声は優しく僕を包み込んで、厳しく突き放して、我儘で言いたい放題だけど反論が出来ない一方通行で。

 10年越しに両想いだった事を確認できた事よりも、桜があの時自分の死を予感していた事、そしてそれを隠すよう普段通りに振舞おうとしていた事、それら全てを僕が気づけないだろうという事まで見抜いて……多分答え合わせと素直な当時の気持ちを込めたんだ。

 もし、これを聞いた時の僕が心を閉ざして周囲とぶつかり合う事なく、いつまでも『安心、安全、安パイ』の評価を受け入れているなら―――まぁその通りだけど―――ちゃんと前に進めと、生きているのに死んでいる状況に、自分が好きになった人が陥っているのは嫌だと。

 そういう10年前の桜の意図は僕にも理解出来た。

 でも、それでも。

 桜の優しい拒絶はお母さんの言葉よりも、敬太の言葉よりも、義明の言葉よりも、モモちゃんの言葉よりもずっとずっとすんなりと僕の中に入って来て。

 だってこの人達は多分同じことを今まで言ってくれていたはずで。

 単に僕が『ふぅん(でも桜いないし)』と適当に流していただけで。

 何が安心、安全、安パイだよ!

 ただ単に自分の考え方が全てで、周囲に迷惑が掛かりそうなら桜のせいにして逃げて。

 それを繰り返して10年の歳月を生きて来たところで、それは肉体的に成長する時間だっただけでしかなくて。

 精神的には中学生時、桜が倒れた時かもしくはもっと前から成長止まってて。

 ようやく、気づいた。

 僕は……ずっと周囲に、ある意味『腫れ物に触れる』ような扱いをされてきたんだ。

 他でもない、僕の妄執と頑固さによって。

 あぁ…………。

 何も、見えないや。

 今って夜だっけ……?

 何時なんだろう?

 でもどうでもいいか。

 だって僕が何をしたところで、どんなに頑張ったところで何が変わるわけでもない、変える力なんて、無い。

 どこかからすすり泣きの声が聞こえる。

 誰?

 桜?

 お母さん?

 それともモモちゃん?

 でも、誰でもいいか。

 僕には関係ない。

 あぁ、何か体が軽いや。

 宙に浮いているのかな。

 このままどんどん登って行けば、僕は再び桜に会う事が出来るかな。

 また会って、それから……。


 混乱と絶望と悲嘆が混濁して、ごちゃ混ぜになった僕の心は周囲を認識する事を忘れさせて深く、深く自分の中に蓄積された負の感情、さっき掘り返した土の様に冷たくて硬くなった僕自身を次々と呼び覚ましていく。

 濁って、正気を失って泣く事しかできない僕に、ふわりと暖かい何かが覆いかぶさる感触があって、やがてこんな言葉を機械的に耳が拾った。

『大丈夫、セイちゃんにはあたしが付いてるよ』

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