第20話 小さな思い出
ウチに来た時の常で、モモちゃんは僕の部屋に入るなりリュックから愛用のノートパソコンを取り出して手早くゲームを遊ぶための接続をしていく。
けれど、今日はそこまでで手を止めてゲームを起動する事なく椅子に座る僕の方を向く。
「ん~、セイちゃん、最初に謝るね。ごめんなさい……」
「え? いきなり謝られても何の事だかさっぱり分からないんだけど?」
『先に謝る』と言ったのだから理由はこの後話してくれるんだと思うけど、それでも僕にはまったく覚えがないので咄嗟にそう答えてしまう。
「今まで黙ってたけど………あたし、実はずっと前からセイちゃんの事…………」
モモちゃんの頬が名前の通り桃色にほんのり染まって、その熱に浮かされたように潤んだ双眸が僕を真っすぐと見つめて……。
えっ!?
これってまさか……まさかまさか。
いやでもそれは………ッ。
「知って……いたの…………」
「えっ?」
予想したのと全く異なる発言に、僕は硬直していた全身がさらに固くなって。
「知ってたって何を……?」
洞察力とか観察力とか相手の意図をくみ取るとかそういう心の機微、気遣いに疎い僕はそのモモちゃんの一言で全てを察する事は全くもってできなかったのでそう聞き返すしかなくて。
「セイちゃんとオフ会する前からね、あたしはセイちゃんの事を知って、いたの」
「ええええ? 何で何で!?」
だって絶対に、100%接点が無かったってハッキリと言えるわけで。
でもそれは僕だけがそうで、モモちゃんは違うという事で。
「びっくりしたよね。でもどうしても言い出せなくて……」
「いったいいつから……その、僕の事を知ってたの……?」
そして、モモちゃんは暫く俯いて黙り込んで、やがて顔を上げて話してくれた。
「あたしの母は、電車で一駅の所にある総合病院で看護師をしているの。実の父はあたしが生まれる前に事故で亡くなっていてね、まさに女手一つであたしを育ててくれていたんだ……」
「うん」
「あたしはそんな母を子供ながらに……って今でも子供なんだけどさ、幼いなりに迷惑かけたらいけないなって思ってて、保育園に母が迎えに来てくれた時は決まって職場の病院に一緒に行って仕事が終わるのを待ってた時期があるの。丁度10年くらい前の事よ」
「そうなんだ」
「うん、でね。そんな時、見知らぬ『お兄ちゃん』を見つけたの。病院のロビーにある椅子に腰かけて、病気でもない感じなのにすごく苦しそうで、悲しそうで。だからある時声を掛けたんだぁあたし。『お兄ちゃん、お薬はいりますか?』ってね。そしたら……」
ああああ。
僕知ってる!
多分だけど、知ってる!
だってそれは。
『ありがとう、でも僕は僕のとても大切な人が病気になっているのが悲しいだけだからお薬は無くても大丈夫だよ』
僕とモモちゃんが同時に全く同じ台詞を口にする。
だって、それは僕がかつて自分自身の口から名前も知らない女の子に言って聞かせた台詞だったから。
つい昨日、敬太と義明とその『病院で出会った女の子』について語ったばかりだったし、あの後僕はご多分に漏れずというかその女の子について色々と思いだしていたから。
「……覚えてたんだね」
僕の桜絡みの記憶は、普段は奥底に封じ込めていても一度封を破れば後から後から、全く色あせる事なく脳裏に蘇る。
それに、あの時の女の子は僕がそう答えた直後に『悲しいね、好きな人が病気なのは悲しいよねえ』と言ってわんわんと泣き出してしまったからそこに桜本人がいなくても僕の心に深く刻みつけられていたんだ。
「覚えてるよ。泣いてくれたことも、励ましてくれたことも、全部ね」
「恥ずかしいなぁもぅ」
はにかむ様に視線を僕から外すモモちゃん。
それから中学生の僕と幼児のモモちゃんは顔を合わせる度に色々な話をしたはずだ。
内容まではさすがに覚えていないけど、話をしている最中でも頭の中は桜の事でいっぱいだったけど、当時のモモちゃんと話をしていた事は確かに覚えている。
「でもね、突然セイちゃんは来なくなっちゃったでしょ。お兄ちゃんの大切な人は治ったのかな? 治らなかったのかな? 治ってたらいいなあってずっと思ってたの」
「そう、だったんだ……」
僕の知らない所でも桜の事を気に病んでくれた人が、いた。
その感覚は敬太や義明とも違う、秘密を暴かれたかのようで何だかこそばゆい。
「でね、半年くらい前かなぁ。あたしはその『お兄ちゃん』を自分が住む町で見かけたの、これはホントに偶然だけど」
「ええ? それはどこで……」
「覚えてないかなぁ? 駅前のファーストフード店だよ」
そこは僕たち3人がよく利用している店だけど。
「う~ん……あそこは何度も行ってるから一体いつの事なのか……」
「まぁ、そうだと思うけどね。あたしは一目であの『お兄ちゃん』だって分かったんだ。だってあんまり変わってなかったし……でもあたし自身は変わっちゃったから声かけても分からないだろうなーって思ってね。わざと隣の席に座って聞き耳を立てちゃったんだ」
「うん……」
そこまで言うと、モモちゃんはくるりと自分のパソコンの方へと向きなおって電源を入れた。
「ね、そっちもログインして」
「何でまた急に……まぁいいけど」
ゲームのアプリを立ち上げてIDとパスワードを入力、ついでにスマホからワンタイムパスワードを入手して入力する。
荘厳なスタート画面からCONTINUEを選択してキャラクター選択画面へと移行。
そこで、手が止まった。
「あ、もしかして」
「思いだした? うん、あたし偶然にもセイちゃんが友達とこのゲームを遊ぼうって相談してたのを聞いちゃったんだ」
ファーストフード店の中で、義明が見つけて来たゲームに僕と敬太は興味を覚えて、一緒に始めると約束したんだった。
そういえばあの時あの場所でノートパソコンを持ってきていた敬太が早速インストールして、三人分のアカウントを作成してその場で僕はリリィを作成したんだっけな。
つまり、最初からバレバレだったわけだ。
オンラインゲームなんて初めてだったので公衆の場でキャラを作る事がどれだけ危ないか……まぁ僕たちは男だからいいけど同じことを女の子がやったらかなり危険なはず。
さらに思いだしたけど、僕たちがゲームのスタート地点近辺をうろうろしていた時に積極的に声をかけてきてくれたのはラズベリーさんで、そこから友達の友達感覚でアールちゃんと知り合いになったんだったっけなぁ。
「あたしねぇ、実はずっと見てたんだよリリちゃんの事……でもなんか話しかけづらくて」
「そうだったんだ……ラズさんが声かけたのはちょっと意外な展開だったけどあたしはあの時ちょっとほっとしたんだぁ……これであの時のお兄ちゃんと繋がりが持てる、ってさ」
「そう、だったんだ」
偶然が重なって知り合った僕たちは今こうして同じ部屋でゲームをするまでに至ったけど。
でも、やっぱり僕はモモちゃんに対して一歩も二歩も引いているというか、関係性は一番いい言い方をすれば『友達』だ。
モモちゃんが何を望んでいるのかまでは分からないけど。
「あのねぇ、あたしだって女の子なんだよ?」
少しの間、僕がそんな事を考えていると唐突にモモちゃんが言った。
「うん?」
「だからさぁ、見ず知らずの男の人に自分からオフ会しようなんて言えないよ……」
「あ……」
それは確かにそうなんだろう。
軽々しくオフ会に参加して『痛い目を見る』女の子は決して少なくないって言われているし。
「じゃあさ、僕なら大丈夫だって思ったんだ?」
「うん。10年前のあの『お兄ちゃん』なら大丈夫かなって」
それだけ言うとモモちゃんは立ち上がって、ベッドの向こう側にある窓を覆うカーテンをスライドさせて、窓越しに外を見る。
その窓からは一本だけ植えられた桜の木がぽつんと立っている僕の家の裏庭が見えて、そのさらに塀を超えた先にはかつて一ノ瀬家が暮らしていた家が今でも次の主が現れる事なく佇んでいる。
僕はその風景を視たくなくてずっとカーテンで隠しっぱなしにしていたけど、少しは事情を知っているモモちゃんがその風景を見たいのなら別に止めさせる必要はないかな、と思った。
それにしても。
僕が無類の女好きになっていたらどうなっていたんだろう?
でもそれはIFの話で、現実はモモちゃんの見立て通りと言うか、昔から僕に与えられている『安心、安全、ついでに安パイ』と言う周囲の人たちの評価が示す通りなのだけど。
「あの木は……桜?」
「そうだよ。何か最近はあまりぱっと咲いてくれないけどねー」
まるで桜の死を惜しむかのように、10年前から徐々に庭の桜の木はあまり花を咲かせなくなってしまって、今年はついに申し訳程度に数輪が開花したのみになってしまった。
「何かの病気……じゃないのかなぁ?」
「あ~木も病気とかあるって言うもんね。今度受診させてみようかな」
「うん、それがいいよ……そういえばさ。桜と言えば」
僕もモモちゃんもようやく最初のしんみりムードから脱却していつもの調子が戻って来たかな? と言う時にモモちゃんが急に不敵な笑みを浮かべ始めた。
「な、なに……?」
そう、『いつもの調子』に。
「桜の木の下には~…………」
「ぎゃああやめてやめてやめて……………………………………………あっ!」
ふと。
「えっ?」
またしても10年前の記憶を鮮明に。
「あああああああっ!!」
思いだしてしまった。
「ど、どうしたのセイちゃん!?」
頭を抱えてがっくりと膝をつく僕にモモちゃんが駆け寄るけど、僕の脳はそんな事お構いなしに、自分の意思とは関係なく無慈悲に『あの日』の出来事を再生していく。
どうしてあんな大切な事を忘れていたんだろう……。
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