第14話 遅刻+夢、または回想(その5)

 モモちゃんとゲームのコラボカフェに行く当日……と言っても約束したのは昨日の夜だけど。

 普段なら休日だし10時頃まで布団の中でごろごろしているけど、そうも言ってられないので平日よりちょっと遅めの7時半に起床してもろもろの準備を済ませ出かける準備は万全だ。

 秋葉原駅の改札を出た所で集合で良いんじゃないかと提案した僕に真っ向から異を唱えて迎えに行くから準備して待っているようにと主張したモモちゃんが宣言した時間から10分が経とうとしていた。

 池袋でオフ会した時や数回家に遊びに来た時は遅刻なんてしなかったから、何かあったのかなと少し不安になる。

 もしかして風邪ひいた、とか?

 それならそれで僕が中学生だった頃よりずっとしっかりしてる娘だし連絡くらいはありそうだけど。

 どうしようか……と色々な事を考えているうちにもどんどん時間は過ぎてかれこれ20分の待ち状態。

 ぴんぽ~ん

 あ、来たかな。

 居間で待機していた僕はチャイムの音と共に玄関へと急ぎ扉を開ける。

「ハァ………ハァ…………ごめん遅く………なって……」

 両膝に手をついて肩で喘ぐモモちゃんがそこにはいた。

「どうしたの? 具合でも悪いの? それなら……」

「ううん、違うの。もう大丈夫だから……」

「そっか」

「うん……さ、行こっか」

 呼吸が整ってきて上体を起こしたモモちゃんの額は汗がびっしりと張り付いていて、僕と目が合うといつもの笑顔にちょっとだけ安堵を足したような表情を浮かべる。

 寝坊して慌てて走ってきたのかなぁ。

 それで僕が怒ってない事を理解して安心した、とか?

「ちょっと待って」

 僕は脱衣所から丁寧に折りたたまれた洗顔タオルを一枚持ってきて彼女に手渡す。

「はいこれ。とりあえず汗拭いて。あ、お母さんのだから心配しなくていいよ」

「ありがと」

 それにしても、モモちゃんの家ってこの近くなのかな?

 同じ駅、では無いにしてもそこまで離れた場所じゃないよねえ。

 なんて呑気な事を考えてないでもしかしたらこの時、何故汗だくになるほど走ったのか聞いておけば良かったと後になって僕は後悔する事になる。

 でもそんな他の人にとっては当たり前で気の利いた事かもしれない些細な事を僕が気にする事ができるはずが無くて。

 もうちょっと踏み込んでみたら、何かが変わっていたのかもしれなくて。

 10年前のあの日の放課後のように。


  ※  ※  ※


 敬太、義明からずっと僕が秘めていた違和感が具体的に何なのかやっとたどり着けるヒントをもらった日の放課後、僕はいつも通り桜の病室を訪れていた。

 当の本人はというと長い入院生活で手足は細り、どちらかというと大きめだった胸もしおらしくなって、肌も髪も痛みがひどくおまけに外出できないせいで元々白めな肌がさらに病的に白くなってしまっていた。

「今日もありがとね、セイちゃん」

 一年前よりどこもかしこも細くなった桜が、例外なく細くなった声を振り絞るようにいつもの台詞を漏らす。

 6人でシェアする病室だけど、利用中のベッドのどこを見ても他の患者さんは今日僕が訪ねてきた時から不在で、つまり今僕たちは病室の中だけど二人きりという事になる。

 入院したての頃もしこういうシチュエーションに遭遇したらきっと心の中でガッツポーズを決めていたと思う。

「いつもの事だし……ねぇ、一つ聞いていい?」

 僕の質問をしたいんだけど? という質問に一瞬肩を震わせる桜。

「う、うん……何?」

 左手に点滴を受けているのが時々痛むのか、桜は苦痛とも困惑ともとれる表情で、それでも僕から目を逸らさずに肯定の意思を告げる。

 相手からOKは出た、けどさすがに……こればっかりは何の証拠もないしもし間違っていたら桜はきっと怒る、そういう話を僕は切り出そうとしていた。

 今日、僕は一つの疑問をぶつけて、その上で一つの僕側からの真実を桜に話すつもりで病室を訪れた。

 学校を飛び出してわき目も振らず駅にまっすぐ向かった僕が、電車の中で立ち尽くすどころか床にへたり込んでしまった『違和感の正体』。

 それは友達二人が教えてくれたヒントを頼りにスマホであれこれと検索をした結果たどり着いた多分……事実で。

 理論的には納得がいったものの、それはかえって感情が納得しようとしないという状態に僕を陥らせた。

 でも僕は努めて平静に、いつも通りを装った……と思うけど、桜にどう映ったかは分からない。

 腕と足の震えをぐっと力で押さえつけて桜に悟られないようにしてから、僕はゆっくりと、でもはっきりと聞こえるように、でも極力優し気な声で、目の前の病人にこう尋ねた。

「桜。僕ずっと考えていたことが……あるんだ」

「……うん」

 病室に入る前に誰もいない事を確認してはいたけど、やっぱり不安で室内を一通り眺めてみるけどやっぱり誰もいなかったので僕は先を続けた。

「桜、本当は何て言う病気なの?」

 ずるい問いかけだった。

 だって僕はもう答えを知っている。

「セイちゃんはさ、こう言いたいんだよね。『桜は腸炎じゃなくてもっと別の、もっと重い病気なんじゃないの?』って」

「…………」

「その表情が、全て物語ってるよ? 本当にセイちゃんは素直過ぎ」

 くすくす、とあの仕草――軽く握った拳を口元に充てて笑う――をする桜。

「……ごめん」

「いいよ。パパはきっとセイちゃんやおばさんを心配させたくないから……だけじゃなくて。パパはきっとパパ自身がそれを誰かに伝える事で嘘だとか夢だとかって思う、っていう逃げ道無くしちゃうから……ごめんね」

 おじさんは桜が何の病気なのかを、多分正確に把握しているんだろう。

 そしてそれは、桜自身も。

 確定じゃん、それ……。

「なんで桜が謝るのさ。誰も悪くないしそもそも僕誰も責める気なんかないよ」

「うん、まぁそれでもね」

「……んで。まぁ桜の言った通りだよ。だから……僕は桜が今置かれている状況を正確に把握したい…………ただ自分自身が納得したい、たったそれだけの理由で……だけど」

 だって僕は医者でも看護師でも薬師でも謎のなんとかパワーで人々を癒す新興宗教の教祖でもない、ただの中学生に過ぎない。

 後ちょっとこの病院が遠い場所にあるだけで容易に毎日のお見舞いをあきらめなくてはならないほどお金に余裕があるわけでもない。

 だから僕は……ただ単に異性的な魅力を感じる唯一の人の、全てが知りたいと。

 それが僕の我儘で、それがどれだけ彼女を傷つける事になるかまで予想した上で、それを聞いた後彼女が僕を拒絶するかもしれない、という最悪の結末に一人震えて、それでもやっぱり『好きな人の事を少しでも知りたい』という僕にとってはとてもとてもとても珍しい『欲望』。

人間の持つ本能がこの件では自覚できるほど明確に現れていた。

「セイちゃん……わたしが倒れた時の自覚症状が、ね」

 僕がはっきりと質問を声で形にして桜に届ける前に桜が束ねた髪をゆっくりと手でなでながら穏やかに言った。

「うん」

「わたしのママが倒れた時と、ほぼ同じだったの…………」

 やっぱりか。

 やっぱりそうだったんだ。

 どこの箇所かまでは知らないけど、日本人の死因順位で堂々の1位、悪性腫瘍だとか悪性新生物だとか言われている病気……一般的には『癌』と呼ばれるそれ…………。

 今の桜の身体の状態は強すぎる薬の副作用でもあるんだ。

「どうして……どうしてっ…………くっ」

 奥歯を力の限り食いしばると口内にギチギチッと骨のきしむ音が響く。

 まだだ。

 まだ泣いたら、だめだ。

 でもなかなか続く言葉を紡ぐことができない。

 せっかく主体性を持たない僕が珍しく自分から疑問を持ち、そしてそれを口にしようとしているのに肝心な時に全身が指一本すら動かせないくらいガチガチに固まってしまっている。

 そして……この後。

 主体性を持たない僕が本当に珍しく僕からアクションを起こそうとしているのに、そのためにうってつけな状況でもあるのにこんな事では……。

「ごめんね、セイちゃん」

「…………」

「でも。こうやって点滴を受け続けていれば治る可能性もある……お医者様はそう言っていたわ。多分気休めじゃないよ。だってママもそういわれたって言ってたし」

 それは多分嘘ではない、と思う。

 抗がん剤を投与して治る『人もいる』、確率はいかほどなのか、桜がそれに当選するのかは神のみぞ知るといった所だろう。

「でも桜、手術は……」

 喉の奥に引っ掛けるような低くてかすれた声で、その短い文章をようやく振り絞る僕。

「……断った。だって手術したら……………」

 桜が何と言ったのか、後半は聞き取れなかった。

「そっか。うん、わかったよ。でね、桜……」

 聞き取れなかったけど、その部分を聞き返さずに僕は僕の話したい事を優先した。

「ん~? 呆れちゃった? それともがっかりした?」

「そんな事あるもんか! もしそうならこんな毎日お見舞いになんて来てない!!」

 場所も忘れて大声で抗議をする。

「ダメだよ。ここ、病院なんだから大声だしたら」

「あ、そっか。ごめん」

 でもその大きな声量で発した一言は僕に再び話す力を与えてくれた。

「桜、僕は…………」

「うん」

「また桜と一緒にお昼休みを過ごしたい。…………一緒に買い物に行きたい、お茶を飲みたい、本を読みたい、宿題をしたい、ゲームをしたい、それから、それから………」

 堰を切ったかのように桜としたい事を次々と口にしていく。

 声は出ているけど普段と全然違ってカラカラにかすれてるし、さっきから我慢してたはずなのにぼろぼろ涙をこぼしまくってるし、控えめに言って傍から見たらどれだけかっこ悪いんだろう今の僕。

 けれど桜は僕が桜としたい事を列挙するのを黙って聞いて、やがてこんな事を言った。

「なぁに、セイちゃんわたしの事好きなの?」

 それは口調だけは軽口に聞こえて。

 でも声は僕がそうであるようにかすれていて、そして震えていた。

「そうだよ。悪いか。桜がどんな重病を患ってたってその気持ちは変わらなかった。変わりようが無かったんだよ……ッ」

 桜の方を見上げると、桜も泣いていた。

 僕の様に大量の涙を流しているわけでもなければそこまで悲しい顔をしているわけでもない。

 今目の前にある桜の表情は……例えば僕が野菜を食べたがらない時に『んもう。ちゃんと野菜も食べなさいよ』とお昼休みにプチ説教をしていた時のような、困ったちゃんを呆れたように見るような表情で。

「ありがとう…………わたし、頑張るからね」

「うん……」

 この時、僕は桜の答えを求めなかった。

 聞きたいのは山々だったけど何故だか自分の気持ちを伝えただけで満足しちゃったから。

 それに、怖かったから。

 桜に拒絶されたらどうしようって。

 最後の最後で両想いであるかどうかを確かめるよりも、自分の気持ちを守るほうに走ってしまったんだ。

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