第12話 愚者は愚者なりに思考する

 ああ、そういえばそうだった。

 モモちゃんが部屋を出て行ってからの僕はいつも座っているパソコンチェアにも座らず床にへたり込むように座ると。

あの時、あの病室で起こった何気ない出来事を鮮明に思い出していた。

 桜から預かったシュシュは……さっきモモちゃんが我儘を言って奪おうとした、うさぎのぬいぐるみの耳に着けたシュシュなんだ。

 これをもらった直後、お母さんが洗濯しようと(桜の持ち物だって認識があったから)した時も僕はさっきモモにしたように怒鳴り散らして指先だけでも触れさせる事はしなかった。

 それにしても僕は女子中学生相手に何て醜態を晒してしまったんだろう。

「ただいま……さっきはごめん。あたし無神経だった」

 心もとない扉が開く音がしたかと思うと、しおらしい様子のモモちゃんがそっと部屋の中へと入ってきた。

「いや、僕の方こそ怒鳴ってごめん」

「ううん……」

 戻ってくるまでの時間が30分以上と結構かかったみたいだけど、まぁ色々と僕なりに察して何も問わないようにする。

 大人げない発言をしてしまった事が本当に申し訳なくて、モモちゃんの顔を見るのが辛くて意図的に俯いたままの姿勢を保つ僕。

 それはあっちも同じだったみたいで、小さな予備のテーブルに広げてログインしっぱなしの自分のパソコンの前に座ってこちらを向こうともしないモモちゃん。

 僕の視界には今ちょっとだけ横座りしたモモちゃんの足が入っている。

 上下セットの安っぽいジャージ姿の僕と学校がお休みなのに制服姿のモモちゃんの間に会話はなく、二つのパソコンから流れてくる全く同じフレーズの曲が、音源ごとにずれて聞こえてくる以外何の音も無かった。

 やがて無言でログアウトをしパソコンの天蓋をぱたんと閉じたモモちゃんの方が先に口を開いた。

「今日はもう、帰るね。指導ありがと、セイセンセ」

「うん」

 結局、今日は二度と目線を合わせる事なくそそくさとノートパソコンをリュックにしまって退散したモモちゃん。

 ああ、やってしまったかなぁ。

 この先、モモちゃん……アールちゃんがログインした時僕はどうやって接したらいいんだろう……。


 そんな後悔が半日ほど続いた状態で臨んだ夕食の時。

「モモちゃん、『アレ』に触れちゃったのね」

 お母さんがしみじみとそんな話題を提供してきた。

 そっか、お母さんは何もかもお見通しなんだ。

「うん、つい……ね」

「ちゃんとごめんなさいした?」

「したよ。部屋に戻ってきた時すぐに」

「そう、それは良かったわ。お母さん結構心配してたのよ?」

 何気ない親子の会話。

 でもそれは決定的な『ある情報』が意図的に欠けている。

 でも僕はその話題が続く事はあまり好ましくなかったから、あえて今日疑問に思った事を質問して話題を切り替える事にした。

「ねえ、お母さん」

「ん~?」

「なんでモモちゃんは突然部屋にまで侵入するのを許して、友田さんは客間止まりだったの?」

 そりゃまぁ、先客のモモちゃんがいるからって事で母親として何か思う所があったのかもしれないけど。

 それでも僕は自分の中に沸いたちっぽけな質問をぶつけてみた。

「貴方、そんな簡単なこともわからなくなっちゃた?」

 お母さんは不満げというか寂しげというか、もっとこう深い所に思う所がありそうな苦笑いを浮かべた。

「だって……モモちゃんは桜ちゃんに似てるでしょう?」

「!?」

 その瞬間、僕は色々と悟った。

 ――なぜ、お母さんが僕の部屋に行くことをモモちゃんに許したのか。

 ――なぜ、僕は『セイちゃん』と呼ぶモモちゃんに嫌悪感を示さなかったのか。

 ――なぜ、心のどこかでうざいと思っても無碍な対応を取れなかったのか。

 全て得心がいった。いってしまった。

 見た目や行動なんかは似ていない部分がある二人だけど……。

 桜とモモちゃんはもっと根っこの部分で確かに、僕にとって『同質』だったんだ。

「ごちそうさま」

「あら、もういいの?」

「うん……ちょっとね」

 いつもの量を食べきれなかったけど精神的な問題ですでに満腹感がお腹の辺りを重たくしていた。

「あんまり気にしちゃダメよ?」

「うん……」

 階段をのろのろと上がって自分の部屋に入ると、真っ暗な中にディスプレイの明かりだけが浮くように点灯していた。

 あ、ゲームつけっぱなしだったか。

 僕がログインしたまま放置していた数時間で、僕のフレンド達は入れ替わり立ち代わり挨拶をしたり雑談に興じたりと僕がいなくてもあっちの世界は平常運転らしかった。

 あまり遊びたい気分でもないし一言言って落ちるかな。

 暗がりでも文字が淡く発光するキーボードを頼りにログアウトする旨を伝えようとチャットを打ち込み始めると。


>>アール=リコ:さっきはごめんね! もうしないから!


 と、アールちゃんから個別チャットが飛び込んできた。

 慌てて今入力していた文章をバックスペースキー連打でクリアにした僕は改めて彼女に向けてその返事を入力した。


リリィ=リィ>>:いや、こっちこそ怒鳴ってごめんね。怖かったでしょ?

>>アール=リコ:……

リリィ=リィ>>:正直に言って?怒らないから

>>アール=リコ:本当に?

リリィ=リィ>>:うん、絶対怒らない

>>アール=リコ:……怖かった。すっごいすっごい怖かったッ……

リリィ=リィ>>:そっか。ホントにごめん……


 そうだよな、怖くなかったはずがないんだ。

 大人で、男で、階下にお母さんがいると分かってはいるけど部屋に二人きりだったんだから。

 そうは言うけどお前ストーカーされてたんじゃ? おあいことは言わないけどそこは差し引いてもう少し罪悪感薄くても良くない? と思う人はいるかもしれない。

 でも僕はそんな風に差し引きの出来る、精神的に器用な人間じゃなくて。

 不器用だから素直に、許すって言ってもらえるまで平謝りするしか知らなくて。

 そんな風に相手のジャッジを待つのは裁判で自らの罪を涙ながらに告白し裁判官の判決を待つ更生した被告人のような気持ちで僕が入力した後何のテキストも更新されないチャット欄を見続けて。

 そして。


リリィ=リィ>>:やっぱり、女の子に怒鳴り散らしちゃう人とは一緒に遊びたく、無くなっちゃったかな?


 それならそれで自分の蒔いた種なので潔くその結果を収穫すればいい。

 誰かが僕と疎遠になるのは嫌で嫌で仕方ないけど、その原因が自分にあるのならまだ救われる。

 本当に救いようがないのは『自分の力や考え方、下した決断ではどうにもならない』場合だ。

 でも、ちょっと追い込んでしまったかもしれない先の発言をアールちゃんは真っ向から否定してきた。


>>アール=リコ:ううん。それはない。でも、きっかけが欲しい、かな

リリィ=リィ>>:きっかけ?

>>アール=リコ:無神経な事をしたあたしと、それを必要以上に怒鳴った貴方がこの後も何のわだかまりを持たずにフレンドを続けていくっていうきっかけ。簡単に言えば気持ちを切り替えられる何かがあればいいな、って。


 その考えは……わからなくは無かった。

 つまりお互い最後に見たのは落ち込んだ僕とおびえたモモちゃんで、そのイメージを払拭するくらいインパクトのあるお互いの『ほかの顔』を見たい、、と言っているんだと、少なくとも僕はそう受け取った。


リリィ=リィ>>:何か、かぁ


 でもなぁ。

 お互い現実世界で数回顔を合わせてしまっているしこれ、きっとゲーム内でどうこうって事じゃさすがにないよなぁ。

 自分からアクション起こすのは……なぁ。

 別にモモちゃんと何もしたくないという事ではなくて。

 別にモモちゃんでなくとも僕は誰に対してもこういうスタンスなわけで。

 それは僕が身に着けた処世術……いろんな人から主体性がないって言われるけど、それでいいんだ。

 だって僕は…………。

 ふとスマホの画面が点灯してLINEの着信表示。

 モモちゃんからだったそのメッセージは、URLが張り付けられただけの簡素なもの。

 このタイミングで何だろう?

 と思いながら青い意味はあるけど普通の人は解読する事のないちょっと長いアルファベットの文字列を指ではじく。

「コラボカフェ……?」

 そういえば今リリィとアールちゃんを介して僕とモモちゃんを繋ぐこのゲーム、期間限定で秋葉原にコラボカフェがオープンするんだった。

 ゲーム内の料理を再現したりストーリー中に出て来るキャラクタ―をイメージしたりと言ったメニューが実に50点以上もあるうえ、特定のメニューは一日ごとに数量限定で特典が付いてくる。

 開催は……明日から5月31日まで。


リリィ=リィ>>:見たけど……


 そのままLINEで返しても良かったんだけどスマホのフリックよりキーボードの方が入力は絶対に楽なのでゲームで返事をする。


>>アール=リコ:一緒に行こう?


 その答えは予想していたけどYESと回答していいのかどうか、僕の心の中では多少の葛藤が起こっていた。

 YESって言わなくちゃ。

 7割くらいはそう思っているしこの先お互いログインしているのに一緒に遊べないどころか会話すらなくなるのは嫌で、そうならないための『ケジメのつけ方』をずっと年下の女の子がわざわざ提案してくれたというのにまったく僕という人は……。


>>アール=リコ:だめ、かな?


 うん、僕も腹を決めよう。


リリィ=リィ>>:わかった。一緒に行くよ。でも今からチケット取れるかなあ?


 ワールドサーバー総数は国内だけでも30を超え、そのワールド一つ一つが同時接続数5000キャラを超えるというとんでもない規模で展開されているゲームで、しかもゴールデンウィーク突入間近なこの時期に入場チケットが必要なお店なんて空きがあるわけが……。


>>アール=リコ:大丈夫、持ってるよ。二人分。

リリィ=リィ>>:二人分……あ、そっか。

>>アール=リコ:うん、ウィンと行こうと思ってたけどアイツ興味ないからって断ってきたんだ。

リリィ=リィ>>:そうだったんだ。で、何日のチケットなの?


 一応聞いておかないと、もし平日なら有給使う事も視野に入れねば。


>>アール=リコ:それがね……明日、なんだ……

リリィ=リィ>>:え?


 いやいや、そんな突然言われてもいくらなんでも明日は僕にも用事……、はいつも通り無かった。


>>アール=リコ:予定、無いよね……?


 いやまぁありませんけど。

 しかし……う~ん…………。

 まぁ、いいか。

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