第10話 だって僕は、まだ……

 そして順調に時は流れ、ゴールデンウィーク目前の土曜日(まだゴールデンウィークではない)の午後、予告通りモモちゃんは先週と同じように突然僕の部屋へと乱入してきた。

 今は僕が魔法使いで立ち回る時に気を付けている心掛けとか画面のどの情報を見ているかとかそういう人間的なスキルについて解説を終え、いよいよ実践という所。

「セイちゃ~ん、お客様よぉ~」

 ……と、いう所で階下からお母さんの間延びした呼び声が聞こえた。

「ちょっと行ってくる。自主練してて」

「はい! セイセンセ」

 ちらっと僕の方に一瞬だけ視線を向けたモモちゃんはその直後にはまた自分の持ち込んだノートパソコンの画面に向き直して壁殴りの修行を続行する。

 それにしても客って……。

 宅配ならお母さんが受け取ってくれるし敬太は絶賛イリスでログイン中だし義明は……多分うちに来る事はないだろう。

 小学校時代から続く友人関係ってのは付き合いの長さに反比例してとてもライトなんだ。

 だから、休みの日に僕を訪ねて来る人なんて人付き合いの悪い僕にはモモちゃんくらいしか思いつかないわけで。

 などと考えながら部屋を出てすぐの階段を降り玄関に向かうと。

「え~と……どちら様でしょうか……」

 そこに立っていたのは胸元まで伸ばした髪を金に染め上げ、薄手のタートルネックのセーターとワイドデニムパンツに身を包んだ見ず知らずの女性だった。

「え~、その反応はちょっと傷ついちゃうなぁ……」

 気恥ずかしいのかちょっと上ずった声でそう答える目の前の女性。

 ん、この声はどこかで……。

「こうしたらわかるかな………っと」

 女性は器用な手つきで長い髪を無造作に手で束ねると首の付け根辺りで止めて見せた。

「友田さん!?」

 突然の来客パート2は、僕の先輩にして仕事上での恩師だった。



「ごめんね、突然お邪魔しちゃって」

 お母さんの勧めで客間に通された友田さんはやっぱりお母さんが入れてくれたお茶を一口すすると突然深々と頭を下げた。

「え? 僕友田さんに謝られるような事しましたっけ……」

 その僕の質問に友田さんは『あ、違うの違うの』と慌てて両手を自分の顔の前で振った。

「ううん。悪いのは私。ほら、月曜の打ち合わせの時に送るって言ってた資料あるじゃない」

「あ~なんかそんな事言ってましたね」

 あれ、でも僕そういうメールを受信した覚えないんだけど。

「うん。でも……なんか小和田君のアドレスだけ漏れていたみたいで…………気づいたの昨日の定時後だったけど本社に電話したらもう退社したって……申し訳ないから直接持ってきちゃった。本当ごめん。私のミスです」

 住所は社員名簿を検索したんだろうけど、あの才色兼備という四文字熟語が良く似合う友田さんがそんな凡ミスをするとは珍しい……少なくとも僕は初めて見た。

「だからね、せめてと思ってこれを……」

 ショルダーバッグの中から厚さ数ミリの紙の束を取り出すと座卓の上に乗せこちらに手で押してよこす。

 それが何なのかは見なくても理解できる。

「わざわざすみません……別に改めてメールでも良かったのに」

「私もそう思ったけど。ほら、月曜って朝は色々あるじゃない? だから……早い方がいいかなと思って。まぁこれを土日に読んだら無給の休日出勤になっちゃうから迷ったんだけども」

「いやいや! むしろそこまで配慮してくれてありがとうございます! グレーかブラックかは知りませんけどちゃんと来週月曜の打ち合わせ時間までには読みますので」

 僕の答えが社会的に正しかったのかはわからない。

 でも、人間的にはちゃんとできた……と思う。多分。

「うん、まぁ無理しないでね。休日は休日なんだから」

「はい」

「それじゃあ、用事も済んだし私はこれで失礼するわね。あ、それと」

「なんでしょう?」

 友田さんは立ち上がると、明らかな作り笑顔でこう言った。

「もし今日の私の態度が個人情報保護の観点から確実にブラックだって感じたら遠慮なく会社に申し立ててね」

「しませんよ。だってこれ、完全に善意でしょう」

「どう、かしらね」

「友田さん?」

「ううん、何でもない。それじゃあまた会社でね」

「はい、ありがとうございました」

 会社じゃないんだし別に敬語使う必要もないんだけど、僕にはそんな器用な真似はとても無理で、自分の住み慣れた家なのになんか友田さんがいるってだけで客間だけ会社になったみたいで。

 そんな『場の空気を変える』力のある人がこうしてわざわざ僕のために時間を使ってくれた事が何より嬉しくて。

 そんな気持ちで玄関まで見送ると。

「今度、飲みにでも行きましょう。大会終わった後にでも、ね」

「はい!」

「それじゃ、またね」

「はい、またー」

 小さく手を振って小和田家を後にする友田さん。

 さて……無理するなとは言われたけどせっかく持ってきてくれたんだし資料に目を……。

「じ~~~~…………」

「モ、モモちゃん!?」

 階段の途中、壁が丁度いい仕切りとなっている部分からジト目で恨めしそうに玄関の辺りを睨み続ける亡霊……ではなくモモちゃんがそこにいた。

「ねぇ……」

「な、何かな?」

 尊敬する先輩の突然の来訪に浮かれていた僕にピシャリとモモちゃんが突っ込みを入れる。

「今のが…………『さくらさん』なの?」

「違うよ」

 その明らかに方向が180度異なる突っ込みに僕は間髪入れずに一言で回答を返す。

「そっか」

「そうだよ」

 桜は……友田さんとは違ってもっと……。

「んじゃ、またご指導よろしくお願いしますよ、セイセンセ」

「はいはい」

 それ以上モモちゃんが友田さんについて追及する事はなく、いわゆる『何事も無かったかのように』踵を返して僕の自室へと戻る。

「あ、待ってよ」

 僕もモモちゃんの後を追う。

「ねぇ、セイちゃん」

「今度は何?」

 僕が部屋の扉を閉めた所で再びの問いかけ。

「先週も思ってたんだけどさ。なんでセイちゃんの部屋ってこんなにぬいぐるみたくさんあるの?」

 ああ……その事か。

 それは……。

「趣味だよ。僕可愛い物好きだから見かけて気に入ったら衝動的に買っちゃうんだよねー」

「ふぅん?」

 その答えにあまり納得して無さそうなモモちゃんの生返事。

 あまり言わないけど、男にぬいぐるみ収集の趣味があって何が悪いんだ!

「じゃあ、これは何?」

 モモちゃんが指さした先にあるのは……この部屋の中でも特に大きい部類に入る枕よりちょっと大きいうさぎのぬいぐるみで。

 もっと言えば片方の耳には女の子が髪留めに使うピンク色のシュシュが付け根に巻かれていて。

「ウサギだね。そいつこの部屋の中でも最古参なんだよ。物持ちいいでしょ? 僕」

「…………そのシュシュ、可愛い柄ね」

 さっきからモモちゃんの口調がなんだかおかしい。

「だろ。その子に似合うかなーって僕が……」

「嘘」

 今までで一番冷たく低い声でモモちゃんが切り返す。

「嘘じゃない……僕が……」

「じゃあ」

 僕の方に向き直って面と向かってから、モモちゃんはこう告げた。

「あのシュシュ、頂戴?」

「……………だめだ」

「頂戴?」

「ダメだって言っただろ?」

「でも! 気に入ったの! 欲しいの!!」

 駄々っ子みたいにねだるモモちゃんだけど、この部屋の何をあげてもいいけどそれだけは絶対に、ダメだ。

「ダメだって言ってるだろ!」

「勝手に貰って行くもん!」

 と、モモちゃんが僕のベッドの上、枕元にあるウサギに……正確にはその耳に巻かれたシュシュに手を伸ばそうとした時。

「ダメだって言ってるだろ!!!!」

 部屋中、いや家中に轟く声量で、僕はその身勝手な行動を全力で阻止した。

「!?」

 その多分予想だにしなかった僕の剣幕を背中越しに感じたであろうモモちゃんはビクンッと一度身を震わせた。

 そんな風にモモちゃんが見せた一瞬の変化を見ようともせず、僕はさらにたたみかける。

「触るな!! それに触るなら出ていけ!!」

 まるでアメリカのホームドラマの修羅場のように、その台詞と共に今しがたくぐった階段に続く扉をオーバーアクションで指し示す僕。

「ごめんなさい……そんなに怒るとは思わなくて……トイレ借りるね!」

 こちらを向こうともせずそう言い残して部屋を後にするモモちゃん。

 今のはちょっと大人げなかった……かな?

 でも……『それだけは』だめなんだ。

 ごめんね……戻って来たらちゃんと謝るから。

 僕はそのシュシュに対して特別な思い入れがあった。

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