第7話 大人の女
明けて月曜日。
社会人として普通に就職をしている僕は休日明け、それも普段よりも色々な出来事……ほぼ全部が半年前にオンラインで知り合ってつい一昨日始めての顔合わせを果たした中学生の女の子によってであるが……のためかいつもよりも数倍、今日という日、週明けの出社が嫌で嫌で仕方なかった。
いつもの起床時間に『今日はサボろうかな』なんて布団の中で逡巡したけど、そういえば社内大会の打ち合わせが予定されていた事を思い出して悪魔の誘惑を何とか振り払って4月の半ば、もうすぐゴールデンウィークという時期にも関わらず肌寒い朝の空気に自らを飛び込ませた。
週の始まりの日という事で朝から事業部長が何を言いたいのか焦点の定まらないスピーチを20分、その後総務から『メール読めば誰でも理解できます』的な内容の周知で10分という全く空気を読まない会社の決め事のせいで貴重な一日の労働時間のうち実に16分の1を無駄に消費してしまった。
そういえば、モモちゃんと言えば昨日駅まで送った後きっちり自宅からログインをしてきて、夜寝るまでずっと壁殴りを実行していたみたいだ。
成果は……2500位なのでまだまだレイドに挑むには実力不足だけど。
でも、そんな状況を少しでも良くしようとセシルさんが『今日はもうちょっといい装備を揃えるために《霊峰の地下洞窟》に行ってみよう』と提案して皆がそれを了承していた。
つい2か月前に実装された霊峰の地下洞窟は(僕が攻略した時は無かったしそもそも必要無かったけど)レイドに挑みたいけどそこまでうまくないプレイヤー向けにいわば『補助輪』みたいなちょっと強めの装備をドロップするボスがいるので、モモちゃん……もといアールちゃんの装備を全体的にレベルアップして差分を少しでも埋めようという訳だ。
で、僕はと言えば大会打ち合わせのため自席のあるフロアと同じ10階の『会議室1』へとノートパソコンを携えて移動する。
「失礼しまーす」
まだ開催まで20分もあるけど入社3年目ともなると自席にいるだけで何らかの仕事上の相談を持ち掛けられたりするのでそれを避けていつもは始業から30分を充てている『メールチェックの時間』を捻出しようとしていた。
誰だよ、月曜に打ち合わせ予定入れやがったのは……。
「あれ、早いね小和田君」
勢いよく……はないけど室内に先客がいた事が意外で僕はぴたりと足を止めてしまう。
声の主は2年先輩の友田由美さん。
天然のプラチナブロンドと見間違えるくらいまで脱色した、毛先まで細かいパーマがかけられた(ソバージュ、って言うんだっけ?)髪をワニ口クリップで纏めているせいで両耳に止められた小さな金属製のアクセサリー……つまりピアスが丸見え。
鼻筋が日本人にしては通っていて目は切れ長と、控えめに言って美人の部類に間違いなく入る。それも世界レベルで。
そんなナリをしている友田さんだけど僕よりランクの高い大学を卒業して仕事も出来るため昨年横浜営業所へと主任待遇で栄転した実力者だ。
「友田さん……お久しぶりです」
先輩であり、そして役職が上の彼女に対して僕はそう畏まる。
「なぁに? 一昨年までは席が隣だったんだしそんなに固くならなくてもいいのに」
この気さくな所も含めて、社内のどの方面からも人気がある。
「そう言われましても……」
「横浜からだとねぇ、結構池袋まで出て来るの面倒なのよ。電車で一本なのはわかるんだけど混雑が酷くて……」
それで早めに出社して打ち合わせまでの時間ここで仕事をしていたというわけか。
「ああ、わかります。休日でも時間帯によっては人凄いんですよね副都心線」
「繁華街と繁華街をつなぐとか乗客の気持ち全く考えてないよねぇ鉄道会社って」
友田さんとのこういう他愛ない雑談も久しぶりだ。当然だけど。
前はよくこういうくだらない話をしてたっけな。
「で、どうです? 横浜営業所は」
「ん~、そうね。普通、かな。こっちと変わらないわ」
何気ない質問に何気ない回答を返してもらったはず、なんだけど。
普通と言った友田さんの表情は何故かとても辛い物が含まれているようにも見えたんだ。
その後、打ち合わせは滞りなく進み、議長である友田さんの『委員の皆さんには後程メールで詳しい資料を配布しますので来週の打ち合わせまでに各自読んでおいてください』という発言でようやく〆となった。
二時間半も座りっぱなしだったせいで首を軽く左右に曲げるとコキキッと軽快な音。
よっぽど凝ってたんだろうなぁ。
さて、お昼は何にしようかな……。
「小和田君」
「あ、お疲れ様です友田さん」
「お疲れ様。丁度お昼だし久しぶりに一緒にどう?」
「あ~……すみません。先約は無いんですけど今日は……」
昼休みの時間にモモちゃんがゲームの事でLINEするとか言いだして、昨晩の僕はそれを(しぶしぶ)了承したので、つまりはスマホを弄りながら誰かと食事をするなんて言うマナー違反な事はしたくなかった。
「そ。じゃあ仕方ないかな。また来週ね小和田君」
「はい、また来週です友田さん」
部屋に入って来た時と同じく会釈をして退室した僕はいったん自席にパソコンを置いてエレベーターホールへと向かった。
……結局、隣のオフィスビル1階にあるオレンジ色の看板を掲げた牛丼屋へ入った僕は大盛(と生卵)を食べ終わる3倍の時間を居座る事になってしまった。
理由はもちろんモモちゃんとのLINEのやり取りだ。
そりゃ他愛もない質問が飛んで来たら参照URLでも張り付けて済ませようと思ってはいたけど、彼女の質問はそういう基本的な部分の先、プレイヤーの勘とか経験が左右する事柄が対部分だったのでそういうわけにもいかなかったんだ。
……カウンター越しに『早く帰れよ』と言いたげににらみつけて来る店員さんの視線がとてもとても申し訳なくて。
仕方なく僕がさらに並盛を追加注文してそれを平らげた事は誇ってもいいと思うんだ……。
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