第5話 夢、あるいは回想(その1)
長い長い雨の季節、梅雨が明けて段々と空を巡る太陽がその力強さを見せ始める7月の第二週、ついでに言えば平日の正午。
安心、安全、ついでに安パイと安定した人物評を周囲から得ている僕、小和田誠一はクラスメートの一ノ瀬桜と共に昼休み恒例の、屋上のベンチに並んで座ってお弁当の時間を迎えていた。
「はい、今日の分」
僕は学校指定の鞄から弁当箱を二つ取り出して、隣に座るボブカットの女の子へとそのうちの一つを手渡す。
「いつもありがとう、セイちゃん」
「作ったのはお母さんだからそれはお母さんに言ってよ」
「ううん、セイちゃんも運んでくれてるしそれはやっぱりお礼言わないとね」
このセイちゃん、というのはお母さんと桜だけが使うちょっと特別な呼び方だ。
小学校の卒業式を迎えて一週間ほどの去年の3月末に、桜はうちの隣の空き家に引っ越してきた。
一家、と言っても父と娘の二人だけ。
桜のお母さんは……二年くらい前に病気で亡くなっていると聞いて僕はわんわんと大泣きしてしまったんだ。
母親のいない一ノ瀬家と父親が単身赴任で年中不在の小和田家で会談が行われた結果、お互い協力し合える部分は協力しましょうという話になり。
その協力体制のうちの一つとして地元の中学校が弁当持参である事を知った一ノ瀬家はお弁当の作成依頼をする代わりに弁当の食材をすべて提供するという事になったのだ。
中学生相応の、まだあどけない顔つきの僕たちは声をそろえて『いただきます』と小さく合掌すると包みを解いて中身を確認する。
色とりどりの俵型おにぎりが数個、ミニハンバーグ、ブロッコリー、ミニトマト、たこさんウィンナー。
「うええ、またブロッコリー入ってるよーおかーーさーーん」
僕はあまり植物の食べ物が好きではない、青臭い物は特に苦手だ。
「セイちゃん子供みたいよ」
「子供だもーん。お肉だけ食べてればそれで幸せだもーん」
お母さんに悪気のない事は分かってるんだけどどうしてこう逃げられない場所に全力で避けたくなるものを突っ込むのか……。
「じゃあ、セイちゃんはブロッコリーからね? 1分経過毎にブロッコリーが1個無くならない場合セイちゃんのハンバーグとわたしのブロッコリー交換しちゃうからね」
にこやかに非常に嫌らしい提案をしてくる桜だけど、こっちはきっと面白いからからかってるだけで善意とかじゃないんだろうなぁ……。
「いえ、善意だよ? ちゃんとセイちゃんが大人になれますように、って、ね?」
「心読まないで!」
ふふ、と大仰に軽く握った手を口元に充てるわざとらしい仕草で笑ってみせる桜。
「……けふんっ……けほっけほっ……」
「桜? どうした?」
笑い顔を苦痛の表情へと瞬間的に変え桜が数度せき込んだ。
「ん、ん~……風邪かなぁ。最近なんか調子でない事多くて……食欲もあんまりだし……あ、でもおばさんのお弁当は残さず食べるわよ? だっていつも美味しいんだもの」
「あんまり無理するなよ。夜も遅いみたいだし」
「って事はぁ、自然とセイちゃんもわたしが起きてる時間は起きてるって事だよね?」
「うっ……」
「そっちこそあんまり夜更かししないで寝なさいよ? それで栄養偏らせてたら本当に体ダメになっちゃうんだからね?」
「わかったよ……」
中学生同士の会話というのは時として気軽に『死』を連想させる話題になる事もあるけど、僕は桜の前で死を予感させるような発言を自身への絶対禁忌として順守していた。
屋上でお弁当を食べようとなったのも、今にして思えば昼休みの時間、どこかのグループから聞こえてくるそういう他愛もない雑談がどうしようもなく嫌だったから、かもしれない。
そこで不謹慎な話題を止めるよう抗議をするとか、それこそ力ずくでやめさせようとかは思ったかもしれないけど実行に移す事の出来なかった僕が桜にしてあげられるのはただ避ける事、みんなと離れた場所でお昼を慎ましく過ごす事しか無かったんだ。
もちろん、特に一ノ瀬家の事情を桜自身があまり語りたがらないので両家の間で交わされたお弁当に関する協定から想定される、『男女が量の違いこそあれど毎日全く同じ中身のお弁当を持ってきている』事がトリガーとなって多感な年ごろのクラスメート達の体のいいからかいの対象となる事を避けたかったという理由ももちろんあるのだけども。
「いよぉ、お二人さん」
「敬太……それに義明まで」
片手を軽く上げてこちらに向かってくる、僕より頭一個分背の高いさわやか系イケメンが三島敬太、そのすぐ後ろを歩く五分刈りで誰が見ても野球部所属の方が木崎義明だ。
彼らは僕の小学校時代からの友人で、僕たちの事情を知る数少ない人達で、そして僕たち二人に変な噂が立たないようこうして一緒にお昼を過ごしてくれる仲間だ。
「こんにちは、三島くん、木崎くん」
「悪いな、ちょっと授業が延びて遅くなったわ」
「来てもらえるだけで十分だよ、ありがとう二人とも」
「お礼はそのハンバーグでいいぞ誠一」
「んじゃ俺ウィンナーな」
「やめろ俺の分がなくなるだろ!!」
「あ、じゃあわたしの分をどうぞ」
和気あいあい、という言葉がしっくりくる4人の関係。
それはこの時間だけは確かに僕と桜を中心に展開されていて。
まぁ、敬太と義明には正直な僕の桜に対する想いを伝えていて(白状させられたとも言うけど……)、そして『誠一が思う通りに事が進めば良い』と応援までしてくれたんだけど。
つまり僕は桜の事をいつしか異性として見てしまっていて……。
はっきりいって『そういう意味で』とても可愛いと、もっと近づきたいと、思ってしまっていたんだ。
この日の夜、桜は自宅から救急車で病院に運ばれて行った。
その時の、一ノ瀬のおじさんの絶望しきった青白い顔とその血の気が失せ切った顔を赤く照らす救急車のライトの毒々しい赤い光は、カンの鈍い僕にも一つのとある予感を感じさせるには十分だった。
――桜の身を蝕んだ原因、その病名は………………。
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