【失踪〈4〉】

「美都子さんは?」

「あ、おじいちゃん・・・・」


 起きてきた祖父の治一郎が、母の姿が見当たらないことに気づきリビングの入り口で私に声を掛けた。

 深夜の2時頃まで兄と話し込んでいた私はそのままソファーでうたた寝し、「会社行ってくるよ」という兄の言葉で目を覚ましてからただボーッとしていた。


「出掛けたよ」

「ああ、そう」

「朝ごはん作るよ。納豆と卵焼きでいい?」

「うん」


 3年前に祖母が亡くなってから80歳の祖父には若干、認知症の症状──記憶が曖昧、物忘れなど──が出始めてきてはいるが日常生活に目立った支障が出ているほどではなく、もともと喜怒哀楽があまり表に出ない大人しいタイプの人なため家族の手をわずらわせることもなかった。

 

 ただ、祖母亡きあとかわりに身の回りの世話を焼いていた母を精神的にも頼りにしてのは明らかで、その依存心は日に日に強くなっていたように思う。


 そんな祖父に、母が昨夜からいなくなったことを知らせるべきなのかどうか、どう話せばいいのか──私はキッチンに立ちながら疲弊した頭で考えていた。

 すると背後から祖父が唐突な言葉を言い放った。


「美都子さんはコウジ君とお出掛けかい?」


 耳慣れない名に、私は動作をピタリと止めた。


「コウジ君? え、コウジ君て誰?」

「お友達」

「誰の?」

「美都子さんの」

「はあっ?! おじいちゃん、どういうこと? お母さんの友達って・・・・私はそんな人のこと知らないよ? え、誰なの? その人」

「さあ、知らない。お友達ってことしか知らないよ」

「知らないよって・・・・」


 若い頃からの物腰の柔らかな口調が認知症が出始めてから良く言えば更にのんびり、悪く言えば緩慢かんまんになった祖父の、ふんわりとした話しぶりに私は少しイラつきを覚えた。

 と同時に、まさかの展開に急激に胸がざわめくのを感じた。


 コウジ君?

 男?

 母に男友達?


 あの母に──男!?


「おじいちゃん、ちょっとゆっくり話を聞かせて。今、ご飯用意するからね」

「はいはい」


 刻んだネギと納豆を手早く混ぜながら私の脳裏に昨日の母の言葉がよみがえった。


『何で今なのよ!』


 想像したくも考えたくもないが、もし、母に父とは別の男性の存在があったのだとしたら、あの言葉の謎の真意しんいが一気に透けて見えてくるような気がした。


 同時に、ここから先の家族の行く末が決して明るいものではないという予感に私は、日常の均衡きんこうが不意に崩れゆく恐怖をも感じていた。



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る