【失踪〈2〉】

 まずかったかもしれない。

 目の前で母の顔が固まっている。


 単身赴任の父が週末に帰ってくると、しかも兄への縁談話をたずさえてくるようだと、母から聞かされたその話が私の心理を混乱させ、そして暴走させた。


 結局──私は喋ってしまった。


 出社をしたものの落ち着かず仕事にも身が入らず、急な体調不良を理由に退社時間よりも2時間早く早退させてもらい、帰宅をするなり母に〈あの事〉を打ち明けてしまった。

 約束を守れなかったことを心の中で兄に詫びながら。


「・・・・本当に・・・・本当なの? それ」


 5分以上も無言のままだった母がようやく口を開いた。


「・・・・うん」

「そう・・・・」

「ぜんぜん気づかなかった・・・・でしょ?」

「・・・・」


 再び、母は押し黙った。

 出来の良い自慢の愛息子が、ずっと女になりたかったと、そのために性転換をしに海外に行くことを決めたと、そんな爆弾的な暴露をされ、今、母の頭の中は昨夜の私同様に混乱のるつぼ状態のはずだ。

 無理もない。 


 が、母の口からようやく出た言葉は私の懸念とは異なる意外なものだった。


「何で・・・・今なのよ」

「ほんと何で今・・・・って、え?」

「ったく・・・・何で今よ!」

「え・・・・それどういう意味──」

「ああもうっ」

「お、お母さん?」


 どうして・・・・や、何でそんな・・・・ではなく「何で今なのよ」という言葉のその真意がつかめず、テーブルを両手でバン!と叩きいきなりソファーから立ち上がった母を私は呆然と見上げた。


「ちょっと出掛けてくるわ」

「え、ちょっ、どこに──」

「まあいいじゃない」

「・・・・」


 兄の真の姿を知らされた落胆や悲嘆というより、妙に怒りモードな様子の母に正直、私は戸惑った。


「おじいちゃんが老人会から帰ったら冷蔵庫にチーズケーキあるって教えてあげて。好物のだから」

「え、あ、うん」

「お願いね」

「うん。で、お母さんはどこに? 何時頃に帰るの?」

「まあ・・・・あとでLINEするから」

「・・・・わかった」


 どうにも取り付く島のない様子に、私はうなずくしかなかった。


 そして母はそれきり──戻って来なかった。


 

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