【失踪〈1〉】

 昨夜の兄の告白が気持ちに重くのしかかりなかなか寝付けなかった私の耳に突き刺さるように目覚まし音が鳴り響いた。

 時刻はいつもの午前7時20分。

 自転車で通える距離の会社に入社をした利点で若干、朝はゆっくりだ。


「あ、お兄ちゃん・・・・」


 スマホを見れば兄からLINEが来ている。

 私の起床時間にはすでに電車内の人になっている兄は某製薬会社の薬品研究員をしており通勤時間は1時間半ほどだ。


『昨日の件、三咲は心配しなくていいからね』


 メッセージはそれだけ。

 あれだけの爆弾告白を一方的にしておいて、心配しなくていいから、はないんじゃ? と、私は少しイラッとした。

 と同時に、物心ついてからの記憶の中で常に小春日和の静かな海のように穏やかで、怒ったところを見たこともなく、親思い妹思いの典型的な〈いい人〉だった兄が密かに抱えていた葛藤にまったく気がつけなかった自分自身にもイラつく思いがした。


 何かしてあげたい、でも、何をどうすれば──


「おはよう。ベーコンエッグでいい?」

「おはよう。うん、ありがとう」


 買ったばかりの真っ赤なエプロンをつけ、テキパキと私の朝食の準備をしてくれている母の姿を見ながら(綺麗だなぁ)と素直に思った。


 二十歳で父と結婚し翌年に兄を産んだ母は色白の美人で、黒目の大きな瞳と理想的な卵型の輪郭のバランスが絶妙に良く、パッと見、大げさではなくアラフィフの実年齢よりも10歳は若く見える。


「はいはい、出来たわよ」

「ありがとう」

「あ、そうそう、今週末はパパ帰って来るって」

「え、そうなの?」

「うん、何かね、お兄ちゃんにいい話があるみたいよ。縁談的な?」

「えっ! 縁談っ?!」


 朝食が並べられたキッチンテーブルの椅子に座りかけていた私は、母の言葉に思わずピン! と立ち上がった。


「やだ、なあに? そんなビックリする?」

「え・・・・い、いや・・・・」


 1年前から遠方に単身赴任中の父、邦夫くにおは行ってからまだ1度も帰って来ていない。

 母よりもひと回り年上の父は某企業の役付きで、地方支社のテコ入れのため赴任中だ。

 その父が帰宅するという。

 しかも、兄にまさかの縁談話を持ってくるらしい。

 私は心臓が動悸を始めるのを感じた。


「お兄ちゃん、年末には27になるじゃない? 私はともかくパパはもうアラカンでいい年だから早く落ち着いてもらって安心したいのかもね。ほら、お兄ちゃんてぜんぜん女っけないし」

(女っけ・・・・そりゃ、あるわけないよ)


 内心で突っ込みを入れながら私は、とんでもないことになったという焦りで一気に食欲を失った。


「おじいちゃん、起こしてくるわ」


 奥の和室でまだ就寝中の父方の祖父の元にパタパタとスリッパの音をたてながら向かった母の後ろ姿を見ながら、私の頭の中で混乱する思考がグルグルと渦巻いていた。


 

 

 

 


 

 


 

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