永遠の貴方(中編)

「ここに閉じこもってても仕方ないだろう。旅をすれば、水那は浄化ができるようになるかもしれないんだ。旅の中で修行して、ネイアの役に立ったらどうだ?」


 あの日――ジャスラに来てから2年後の夏――颯太くんはそう言って、私の腕を取った。

 ミュービュリからこのヤハトラに逃げてきて、私はネイア様に匿われていた。

 ずっと迷惑をかけてばかりで、自分の存在自体が邪魔に思えて……どうにもならなかった。


 ネイア様は言った。

「ソータが来る。ミズナにしかできないことがある」

……と。


 ようやくその日が来たのに……私はまだ怯えたままだった。

 だけど颯太くんに腕を掴まれて、ハッとした。


 そうだ。颯太くんがいたから、私はヤハトラに来れた。そして、また颯太くんに会うことができた。

 私はこの世界で、役に立たなければ。役に立つ人間にならなければ。

 でなければ、もう何のために生きているのかすらわからない……。



 ――颯太くん。知らないでしょう。

 あなたの一言一言が、こんなにも私を左右するなんて。



 四つの祠を廻る旅……私は颯太くんの役に立ちたかった。

 でも、実際には足を引っ張ってばかりだった。

 デーフィの森では強制執行カンイグジェを使って倒れてしまった。

 ハールに行くときは、私のせいで颯太くんが怪我をしてしまった。

 そして、私がまだ浄化を身につけていなかったから……あの人を、ジンを救うことができなかった。ホムラさんの領地に攻め入られてしまった。

 そのことで自分を精神的に追い詰めてしまった私は……ハールの祠で、闇に侵食されかかった。

 そして……。


   * * *


“飲み込んだら……ソータ、ミズナと契れ”

「……は?」

“何度も言わせるな。ミズナを抱けと言ったのだ”

「何で!」

“お前の勾玉の力を分け与え、ジャスラの涙の雫でもって擬似的な勾玉を体内に作る。これしかない”

「その分け与えって、他に手段はねぇのかよ!」

“わらわがその場にいなければ無理だ”

「じゃあ、ヤハトラに戻って……」

“間に合わん!”


 ああ……私のために、二人が言い争っている。

 私が闇に侵食されたから。私が未熟だから。

 私が……何の役にも立ててないから。

 また、私は周りの邪魔をしている。


「くそっ……」


 颯太くんの苦しそうな声が聞こえる。


 お願い、迷わないで。困らないで。

 私はいいの。颯太くんなら……ううん、颯太くんだから、いいのよ。


「――気持ちが……ないのに……」


 颯太くんの……辛そうな声が聞こえた。



 ――颯太くん。このとき、私……泣きたかった。

 でも……笑ったの。

 颯太くんを……困らせたくなかったから。


   * * *


 強制執行カンイグジェで強引に身体を繋げても……心は繋がらない。

 私は……颯太くんにとって、負担にしかならない。


 颯太くんがくれた勾玉の力……これが、私に力の使い方を教えてくれている気がする。

 私にできることは……浄化をすること。浄化で、このジャスラを救うこと。

 もうそれしか……私の生きる価値はないんだわ。




 それからの颯太くんの行動は……支離滅裂だった。

 前よりも優しく声をかけてくれる。……でも、前ほどは傍に来てくれない。

 前よりも笑いかけてくれる。……でも、前ほどは怒ってくれない。

 きっと、私のことをどう扱ったらいいか、わからないんだわ。

 だって……無理矢理、だったから。


   * * *


「辛かったら……なかったことにして、いい。……あのときのこと」


 二人きりになれたのは、本当に久しぶりだった。

 だから……私は思い切って、颯太くんに言った。

 解放してあげたかった。

 ――私、という重荷から。


「あの……強制執行カンイグジェで……不本意で……だから、何て言うか……」


 私は俯いてしまって、颯太くんの顔を見ることはできなかった。


 怖いの。

 楽にしてあげたかったのは、本当。だけど、ホッとしたような顔は見たくなかったから。


「……」


 颯太くんが私に近寄る気配がした。後ろの壁から振動が伝わってきて、思わず顔を上げた。

 ――びっくりするぐらい近くに、颯太くんがいた。


「……無理だ」

「え?」

「別に……俺が辛い訳じゃない。水那が辛いだろうと……思うだけだ。ただ……俺には無理だ。俺の中で、それは……絶対なかったことに……できない」


 一言一言噛みしめながら、声を振り絞る颯太くん。その表情は、とても苦しそうで。


 どうして? 颯太くんにとっては……そんなに、辛い出来事だったの? なかったことにできないぐらい?

 私は……颯太くんにとって、そんなにも重い存在なの?


「……」


 ショックで、何て言ったらいいかわからなかった。

 私は颯太くんを困らせてばかりだ。どうしてこんなに、役立たずなんだろう。

 

 颯太くんをただ見つめることしかできない。

 口をついて出そうになる謝罪の言葉……でもきっと、颯太くんはそれを望んでいない。

 じゃあ、どうすればいいの……。


 颯太くんは私と目が合うと……顔を近づけてきた。

 ――唇どうしが触れ合う。


「……!」


 思わず目を見開くと、颯太くんがハッとしたような顔をしたあと「ごめん!」と叫んで走っていった。


 ごめんって……何がごめん、なの?

 私が重荷だっていうこと? 私の言ったことに応えられないってこと?

 それとも……キスしたこと?

 ねぇ、どのごめんなの?



 ……この後、颯太くんはレッカさんやホムラさんと一緒に気まずそうな顔をしながら部屋に戻って来た。

 それは……が起こる前の、不器用で照れ屋な颯太くんの顔だった。



 ――颯太くん。このとき……私ね、少し嬉しかったの。

 少なくとも嫌われてはいないんだって、わかったから。


   * * *


 ハールの内乱は佳境を迎えた。

 ラティブのジャスラの涙……これを使って、私が闇を祓う。

 浄化の力で……ハールに平和を。


 ――わらわを……どうか……!


 ジャスラの涙――いえ、その奥の何かが叫んだような気がした。

 このとき、わかった気がする。

 私が……この、ジャスラを救う方法が。



 だから……お腹の中に赤ちゃんがいることがわかったとき、私は混乱した。

 どうしたらいいかわからなかった。

 やっと、自分の進むべき道が見えたのに。

 颯太くんの――ジャスラのために、私が役に立つ方法がわかったのに。

 私はやっぱり、颯太くんの重荷になってしまうの……?


 泣くことしかできない私に、颯太くんは何度も「ごめん」と言った。

 違うの。謝ってほしくなんかないの。

 私は……。


「――何で二人ともそんなに謝ってるの?」


 セッカが不思議そうに……そしてちょっと不機嫌そうに言った。

 その言葉に、私はハッとしてセッカの顔を見た。

 セッカは私たちの顔を見回すと、フッと小さく溜息をついた。


「どっちも後悔してなくて……どっちもちゃんと受け入れてるんなら、謝る必要なんてないじゃない。何だかそんなの……おかしいよ。赤ちゃんが、可哀想……」

「……」


 私は思わず自分のお腹を押さえた。


 ……そうよね。私が颯太くんに謝ったら……重荷になって申し訳ない、なんて思ったら、それは、私自身がこの子を邪魔に思っていることになってしまう。

 そんなのおかしい。だって私は……もう、この子を愛してるもの。 


「そうだな。……悪かった」


 颯太くんはそう言うと、私の方に振り返った。

 ……とても優しい顔をしていた。


「気づかなくてごめんな。楽しみにしてるから……身体、大事にしてくれ」

「……」


 私は涙をこぼしたまま、ただ頷くことしかできなかった。


 ねぇ……楽しみにしてくれるって。あなたのこと、待ってるって。

 颯太くんは……不器用だけど、全然思ったことを言ってくれないけど、嘘はつかない人よ。

 単に私を慰めるだけの言葉じゃないって……わかるもの。



 ――颯太くん。私は無理でも……この子は愛してくれる?


   * * *


 そうして……北のベレッドで、トーマは生まれた。

 私の意識は朦朧としていた。

 命を生み出すことがこんなに大変だなんて、知らなかった。

 だけど……雪が静かに降り積もる中、トーマの元気な泣き声がとても嬉しかったこと……今でも鮮明に覚えている。

 颯太くんはすごく喜んでくれて、ちょっと泣いていた。それが驚きだった。


 でも……本当は颯太くん、泣き虫なのよね。

 私が知ったのは――もうずっと後のことだったけれど。


   * * *


「雪だぞ、トーマ」

「あー……」

「雪と言えば……やっぱ雪だるまだよな!」


 トーマを抱き上げながら、颯太くんが大声で言う。

 セッカが「何それ?」と不思議そうな顔をしていた。


「そうか。セッカは雪自体、初めてだもんな。ミズナは知ってるよな?」

「……うん」


 私は立ち上がると、颯太くんの傍に行った。

 颯太くんは私にトーマを渡すと


「じゃあ、双子と一緒に作るか。ココに作るから、楽しみにしてろよ」


と言って嬉しそうに笑った。

 そしてセッカと一緒に、暖炉の効いたこの暖かい部屋から出ていった。


 その後ろ姿を見送ると、私は腕の中のトーマに話しかけた。


「ねぇ、トーマ。お父さん……雪だるま作ってくれるって」

「あうー」

「……楽しみね」


 私が微笑みかけると、トーマもにこーっと笑った。


「ふふっ……」


 笑顔が、颯太くんによく似てる。

 トーマが生まれてから……颯太くんは、すごく自然に笑うようになった。

 何となくギクシャクしていた私たちの関係も、少しだけよくなったような気がする。


 外を見ると、この家の双子が元気に駆け回っている。

 その少し離れたところでは、セッカが凄い勢いで雪玉を転がしていた。


「もう……セッカってば。それじゃ雪だるまにできないわよ。ねぇ、トーマ」

「うー……」


 トーマに話しかけてから再び庭を見ると、ソータくんがこっちを見ていた。


「……お父さんがトーマを見てるわよ。ほら」


 私は微笑むとトーマにも手を振らせた。

 颯太くんはちょっと照れたように軽く手を上げると、“ここに雪だるまを作るからなー”というのを身振り手振りで知らせてくれた。

 私は頷くと……雪が舞い降りてくる空を見上げた。


「トーマ。……あと、少しね」

「うー?」


 トーマも不思議そうな顔で空を見上げる。


 あと少し。

 私がトーマと一緒にいられる時間も……颯太くんの傍にいられる時間も。


「お父さん……トーマのこと、大好きよ。きっと……大切にしてくれるわ」

「ううー……?」


 私の気持ちがわかるのか、トーマが少し顔をしかめて声を上げた。

 私はぎゅっと……トーマを抱きしめた。


「大丈夫。私も……ずっと、愛してるから」


 言いながら……そっと自分の胸を抑えた。


 ――聞こえる。

 時々……聞こえるの。女神ジャスラの嘆く声が。

 そして、わかるの。勾玉の力が……私にも宿っていることが。



 ――颯太くん。私……もう、決めていたの。

 ジャスラに留まり……私のすべてをかけて、闇を浄化する。

 それが、私の使命なんだって。



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