永遠の貴方(後編)

 崖の上の一角に……少しだけ平坦な場所がある。


「グゥ!」

「……ここなのね」


 私はふわりと舞い降りた。

 ドゥンケはぴょんと私の腕から飛び下りると、ぐるぐる回りながら嬉しそうに吠えた。

 そんな楽しそうな様子のドゥンケを見てちょっと微笑むと、私は目の前の景色を見渡した。


 ここは――パラリュス。果てしなく広がる白い空。雄大な青い海。揺れる緑の木々。黄色い砂浜。

 ――全部、きれい。


「ドゥンケ……あなたが守っていた島は……本当に綺麗ね」

「グゥ!」


 ドゥンケは機嫌よく吠えた。

 いくつかの漁船と……遠くに、ハールの海岸が見える。

 このどれかに、きっとホムラさんは乗っているわね。


「懐かしいわ……」


 四つの祠を廻る旅。

 ――ずっと、颯太くんとすれ違っていた旅。

 でも……。


「グゥ?」


 ドゥンケが心配そうに私を見上げた。


「……何でもないのよ。そろそろ……帰りましょうか」

「グゥゥゥ……」

「颯太くん……心配しているかもしれないから」


 ちょっとドゥンケと散歩に行ってくると言って神殿を出てから、どれぐらい時間が過ぎたんだろう。

 身体を失ってから、私たちは夢か現実かわからない時間を過ごすことが多くなった気がする。

 それでも……。


「ふふっ……」


 思わず笑い出した私に、ドゥンケが「グウ?」と啼いた。


「……ごめんね、内緒よ。多分……颯太くん、怒ると思うから」

「グウゥゥ……」


 ドゥンケが少し不満そうに唸った。

 私はもう一度ドゥンケの頭を撫でると、再び遠くの水平線を眺めた。



  ◆ ◆ ◆



 ――わらわのために……すまぬ……。


 女神ジャスラ……。

 いいえ、これは私のためです。

 私が生きる意味――それが見い出せた、唯一のことだから。



 の神器……。

 そう……確かに、それはある。

 神剣みつるぎ……宝鏡ほかがみ……。

 遠く……かすかに……その波動を感じる。どちらも……深く眠っている……。


 

 ――水那……ジャスラの涙だ。少しでも、お前の助けになればいいが……。


 不思議……ずっと、颯太くんの気配がする。時々、声も聞こえるの。

 トーマ……お義父さん……みんな……幸せに……暮らしているかしら?



「……!」


 急に、意識がはっきりした。

 感じる。……遠くにある神剣……それに触れた、トーマの気配が。

 トーマの手によって、神剣が目覚めようとしている。


「……剣……トーマ……」


 思わず呟いた。

 何がどうなっているのかはわからない。でも、私がトーマを助けなくては。

 神器を扱えるのは、もう……。

 不意に、脳裏に颯太くんの姿が蘇る。


 ――水那……!


 颯太くんの声が聞こえる。

 いるの? まさか……この世界に、いるの!?


「――颯太くん……!」


 私は思わず叫んだ。

 どこにいるかもわからない、彼を必死に呼んだ。


「水那!」


 その声は、随分近くで聞こえた。

 私の意識は、完全に現実に還ってきていた。ゆっくりと目を開ける。

 見える……。目の前は闇が蠢いている。

 でも……その奥に、微かにいくつかの人の顔が見える。

 心配そうに私を見つめている女性と少女……そして、颯太くんの顔が。


 ――本当にいたなんて……! まさか、また会えるなんて……!


「助けて……トーマを助けて!」


 私は必死に叫んだ。

 こうしている今も、意識が奥へと引きずり込まれようとしている。

 駄目! その前に、トーマを助けなくては。

 神剣が完全に目覚めるためには、ヒコヤの宣詞が……!


「剣の力……引き出せていない。私が繋ぐから……剣の宣詞を……!」


 それだけ言うと、私は固く瞳を閉じた。

 遠くに感じる神剣の気配を必死に辿る。

 どうか……どうか、私の意識が途切れる前に……!


『――ヒコヤイノミコトの名において命じる』


 颯太くんの声だ……。

 感じる。ヒコヤの……三種の神器のあるじたる力を感じる。


『汝の聖なる剣を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を断つ浄維刃せいばを賜らん……!』


 ――神剣よ……届け……!


 私の祈りと颯太くんの宣詞が合わさり……すさまじい勢いで勾玉に呑み込まれてゆく。

 わかる……繋がっていく。


「……」


 私は思わず安堵の吐息を漏らした。ゆっくりと……意識が遠ざかる。

 確かに神剣が目覚めたのを、肌で感じながら。 


   * * *


 ――ソータは……ずっと、ジャスラで旅をしていたぞ……。


「えっ……」


 ――わらわの……力を取り戻し……ミズナ、そなたの浄化を助けるために……。


 あれから……私の意識はうつらうつらとしていた。

 そして前よりも、女神ジャスラの声が聞こえるようになった気がする。

 それは、私の強制執行カンイグジェが破られたのもあるけれど……浄化が進み、女神ジャスラが徐々に穏やかな心を取り戻しつつあるからだと……思う。


「なぜ……」


 ――……なぜ、だろうな……?


 女神ジャスラが小さく笑う気配がした。


 ――聞いてみればよいのではないか……?


 それだけ言うと……女神ジャスラは再び眠りについてしまった。


   * * *


「颯太くん……」


 ――水那? 起きたのか?


 颯太くんの、少し驚いたような、弾んだ声が聞こえる。


「うん……。ねぇ、どうして?」


 ――は?


「どうして……ジャスラにいるの?」


 ――……。


 少し戸惑ったような気配が伝わって来た。

 駄目……あまり長くは話せない。

 私が慌てて


「トーマは………」


と言いかけると、それを遮るように颯太くんは


 ――トーマは親父に預けた。


とだけ答えた。

 そしてまた、困ったような気配だけが伝わってくる。

 ……何をそんなに困っているの?


 ――俺は……。


「……」


 ――俺は、水那を取り戻すためにここにいる。ただ……それだけだ。


「え……!」


 それってどういうこと……と聞こうと思ったけれど、もう私の意識の方がもたなかった。奥へとひきずりこまれる。


 颯太くん……私のためなの?

 そうなの?

 私……私は……。


 ――三種の神器が……ソータが認めた、伴侶。明らかであろうに……。


「え……」


 ――何とも……不器用なことよ……。


 女神ジャスラがふふふと笑った。


 颯太くん。……そうなの?

 私は……そんなにも必要とされてるって……思ってもいいの……?


   * * *


「……颯太くん」


 ――あっ……水那?


 さらにどれだけかの時間が経ってから。

 話しかけると、ちょっと慌てたような颯太くんの声が聞こえた。


「……うん」


 ――……大丈夫か?


「……うん」


 颯太くん……そう言えば、いつもこうだったわね。

 十歳のあの時も、四つの祠を廻る旅をしていたあの時も、いつも「大丈夫か?」って聞いてくれた。

 私の存在を不安に……疎ましく思っていた訳じゃない。

 私のことを、気遣ってくれてたのよね。


 ――無理するなよ。ちゃんと自分の身体と相談しながら浄化しろよ。疲れたら休むんだぞ。


「……ふふっ……」


 思わず笑ってしまう。

 颯太くん……またセッカに、過保護だって言われるわよ。


 ――……何だよ。


 自分でも気付いたのか、颯太くんが少しぶっきらぼうに言った。


「……何でもな……あ……」


 もっと話したいのに、意識が遠ざかって行く。

 また、闇の中に……。

 違うの……もっと違う言葉が、聞きたいのよ。

 でも……無理ね。

 颯太くんはすごく不器用だから……。


 ――声が聞けて……すごく嬉しかった……。


「……!」


 私の意識が少し戻る。

 颯太くんの口から、そんな言葉が聞けるなんて……!


「……私も……大好き……」


 どうにかそれだけ言う。……伝わったかしら?


 ……伝わったみたい。

 何だか……いろんな感情が爆発している気配がするから。



  ◆ ◆ ◆



「本当に……もう……」


 私が思わず独り言を呟くと、ドゥンケが「グゥ?」と啼いて私を見上げた。


「……ふふっ……」


 まさか……あれから、20年以上も経っていたなんて。

 颯太くん、若いままだったし……それに、言うこととかも全然変わっていないんだもの。

 もっと……ちゃんと言葉にしてくれればいいのに。


 でも……もう、いいの。

 もう十分……伝わっているから。


「ドゥンケ……そろそろ帰りましょう」

「グゥ!」


 私はちょっと微笑むと、ドゥンケを抱き上げた。

 颯太くんが、待ってる。

 ――多分……ちょっと、不機嫌そうにしながら。


   * * *


「――遅かったな」


 神殿に戻ると、颯太くんがヒトの姿になってじろりと私を睨んだ。腕組みをしている。

 ……予想通りだった。


「ごめんなさい。ドゥンケのお気に入りの場所に行っていたの」


 私もヒトの姿になるとちょっと微笑んだ。

 あれから――私達がこの世界に戻ってきてから、2年になる。


 私達は、この神殿の中でなら神器の力でヒトの姿になることができる。

 颯太くんは、ヒトの姿でいることの方が多い。靄になるといろいろな感覚がわからなくなるから。朝日さん達と交流するのにズレを感じるのが、嫌なんだと思う。

 それでも……私達はまだ未熟だから、そんなに長い時間は保てないけれど……。


「【……?】」


 傍に近寄って私が言うと……颯太くんは力強く私を抱きしめた後、ハッとしたような顔をした。

 ガッと私の両肩を掴み、引き剝がす。


「お前なー! 何で強制執行カンイグジェなんて使うんだよ!」

「ヒトの姿のときしか、使えないから……」

「そうじゃなくて! 何でわざわざ命令するのかって聞いてるんだよ!」

「……」


 だって……私の方が何かしないと、颯太くん、意思表示してくれないから……。

 引き剥がされたのでちょっと拗ねていると、颯太くんが「はぁ」と深い溜息をついた。


「だからお前は強制執行カンイグジェの使い所を間違えてるって言うんだよ。力を使ったらヒトの姿を保つ時間も減るだろ?」

「それは……」

「そんなことぐらい、いちいち命令しなくたってやってやるよ」

「やって……?」


 ちょっと言い方に引っかかりを感じて聞き返すと、颯太くんが「んがっ」と小さく叫んだ。

 顔が赤くなっている。


「あー、もう……。だから、俺がしたいの! それでもって、その時間が減るのが嫌なんだよ!」

「……うん」


 満足して頷くと、颯太くんがもう一度ぎゅっと抱きしめてくれた。


「……ったく、こんなこと言わせやがって……」

とブツブツぼやいている。


「ふふっ……」


 私は思わず笑った。

 やっぱり……少しは、進歩したのかもしれない。



 目を閉じると……さっき、崖の上から見た光景が瞼に浮かぶ。

 異世界……いいえ、私達の世界、パラリュス。

 空気が綺麗に澄み渡った――美しい世界。

 私達が救うことができた……この、小さな世界。


 永遠に……見守っていく。

 ――ずっと、颯太くんと、一緒に。



                              ~ End ~

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