女たちの料理教室(後編)

「はら~……」


 ボウルや皿が散らかっている流し台やダイニングテーブルを眺め、朝日は溜息をついた。


「賑やかだったわね」


 瑠衣子は鼻歌を歌いながらそれらを片づけ始める。

 台所には、もう四人の姿はなかった。それぞれが作った物を抱え、帰って行ったからだ。


「世界は違っても……」

「え?」


 朝日は手を止めて瑠衣子の方に振り返った。


「世界は違っても……女の子の願うことは、同じね?」

「……そうね」


 朝日の脳裏に、ユウの笑顔がよぎった。


(そうだ、バレンタイン……昔、渡せなかったんだっけ。理央に誘拐されたから……)


 それは、もう16年も前のこと。

 ……何だか、懐かしい。


(トリュフ、喜んでくれるかな。甘いもの好きだから……きっと、大丈夫だよね)


 次の瞬間、夜斗の姿が思い浮かんだ。


(そういえば……夜斗も随分長い間、そばにいてくれている……)


「あ、ママ。余ったクッキー、貰ってもいい?」


 作ったチョコレートをラッピングしながら、朝日は瑠衣子に聞いた。


「それと、もうちょっと台所を使わせて」

「いいけど、何するの?」

「ユウにはチョコを渡すとして……夜斗にはお弁当でも作ってみようと思って。最近エルトラの仕事が忙しいらしくてフィラに帰ってこないって理央がぼやいていたから、陣中見舞いにね。それに、いつもお世話になってるから」

「……そう」

「それにね、思い出したの。暁に『ばめちゃんのがいい』って言われて作らなくなったけど、私だってやればできるんだって!」

「……」


 拳を握って力強く言う朝日に、瑠衣子は溜息をついた。


「だから、そういうものじゃないんだけど……」

「え?」


 不思議そうにしている朝日を眺め、瑠衣子は困ったように微笑んだ。


「――朝日が一番、分かってないかもしれないわね……」



   ◆ ◆ ◆



「ユズ――!」

「わああああ――!」


 突如、部屋に現れたコレットに、ユズルは驚いて腰を抜かしてしまった。


「会いに来たのよー!」

「な、な、何……どういう……えっ!? えっ!?」

「んーと……」


 コレットは説明しようとしたが、うまく言葉にならなかった。


「もう、それはいいの。はい、これ!」


 むん、と胸を張ると、コレットはリボンのついた透明な袋をユズルに差し出した。


「……これ……?」

「くっきー、なのよ。ちょこが入ってるの。バメチャンに教えてもらったのよ」

「……コレットが作ったの……?」

「混ぜて、焼いたのよ」

「……」


 ユズルはまじまじとコレットの顔とクッキーの袋を見比べた。


「バルタン、なのよ。お世話になっている人にあげるのよ」

「ああ……そういう……」


 とはいえ、コレットが一人でミュービュリに来れる訳はないし、勝手に来るようなこともするはずがない。

 多分、裏でシィナとシャロットが関わっているのだろう。


 そう考えたユズは、よしよしとコレットの頭を撫ぜた。


「ありがとう、コレット」

「うふふ……バルタン、楽しいのね!」

「バレンタイン、ね。そう言えば……僕、初めてもらったかも……」


 氷の王子様は異常に潔癖、という噂が流れていたせいか、それとも女子同士でずっと牽制し合っていたせいなのか、ユズルはそういったイベントとは無縁だった。

 関わったのは、トーマのお返しの買い出しに付き合った程度だ。


「初めて? 私が?」

「うん……そうだね」  

「うふふ……」


 コレットはとても嬉しそうに笑った。

 そんなコレットを眺めながら、ユズルは


(……なんか細かいことはよくわからないけど……それは後でシャロットにでも聞こう……)


と考えていた。



   ◆ ◆ ◆



“アキラ、ちょっと、ちょっと”


 そんなシャロットの声が暁の耳に飛び込んできたのは、今日のレッスンを終えて事務所に向かっているときだった。


「何だ? シャロット」

“今、そっちに行っていい?”

「ば……駄目に決まってるだろ! だいたい、ゲートは回数が……」

“違うの。シルヴァーナ様と一緒だから、大丈夫。それじゃ……”

「待てって! 人目ってもんがあるんだから!」

“えー……”


 シャロットの焦れたような気配が伝わる。



 ――しばらくして、二人は事務所の一室に隣り合って座っていた。

 夜も遅く、ステラポリーには涼子しかいなかった。久しぶりに会ったシャロットに少し驚いてはいたものの、涼子は快く打ち合わせ用の小部屋を貸してくれた。 


「……シルヴァーナ女王は?」

「トーマ兄ちゃんのところに行ってくるって」

「ふうん……」

「で……はい、これ!」


 シャロットが差し出したのは、四角い手提げ袋だった。

 夜に仕事があるとき、瑠衣子が持たせてくれる弁当袋だ。


「何だ? ばめちゃんに頼まれたのか?」

「そうだけど……そうじゃない。私が作ったの」

「……へ?」


 シャロットは、今日の出来事をかいつまんで説明した。


「……でね、暁がこの後も事務所で打ち合わせだから、持って行ってあげなさいって、バメチャンが」

「はぁ……」


 暁はまじまじと弁当袋を見た。

 中から弁当箱を取り出し、ふたを開ける。


「あ……普通だ」

「失礼ね!」


 シャロットは軽く暁の腕を小突いた。


「ちゃんとバメチャンに教わったもの。きっちり流れを把握して、準備して、しっかり計って……」

「実験かよ」


 呟きながら、パクリと一口。


「あ、うまい」

「でしょー!?」


 シャロットが得意げにバシバシ叩く。


「痛ってーな」

「あ、ごめん。……実験みたいってね、バメチャンにも言われたけど……でもね、美味しく食べてくれますようにって、念じたもの、ちゃんと」

「……俺に?」

「うん、そう。……最後は」

「最後だけかよ」


 そうツッコんだものの、暁はじんわりと嬉しさがこみあげてくるのを感じた。


(それって対抗意識とかそんなんじゃなくて、最終的には……俺のために作ったってこと……だよな……)


「どう? どう?」

「美味いよ。ちゃんと言われた通りにきっちりしたのも、良かったんじゃないか?」

「本当……?」

「昔の科学者でさ、料理全然できなかった女の人がいてさ。でも結婚したあと、その人はまるで実験のように1つずつ研究していったんだって。これの茹で時間は何分がベスト、とか綺麗に炒めるのはこうすればいい、とか……」

「へえ……」

「それで、最後はすごく料理上手になったんだってさ」

「そうなんだ。すごいねー」

「そうそう。だから、シャロットの考えもあながち間違いじゃないってことだな」


 ハンバーグを頬張りながら、暁が言う。


(アキラは……いつもそうだ。そのままの私でいいんだよって言ってくれる)


 だから自分も、落ち込んだり変に僻んだりしなくて済んでいるのかもしれない……。


 シャロットがそう思ってちょっと感動していると

「ただ……卵焼きはダメだな。殻が入ってた」

と言って、暁がペッペッと白い物を吐き出した。


「もー! そこは黙って美味しいってことにしといてよー!」

「注意しないと直らないだろ」

「うう……アキラの馬鹿――!」



   ◆ ◆ ◆



「トーマ! お久し振り!」


 ふわりとシィナが現れる。そしてギュッと抱きついた。


「元気だった?」

「元気は元気だけど……」


 トーマはちょっと呆れたようにシィナを見下ろした。


「突然、どうした?」

「もう……」


 シィナはちょっとむくれると、ツンとすました。


「トーマ、今日が何の日か知ってるの?」

「2月14日、バレンタインだろ」

「知ってるんじゃない!」

「そりゃ……」


 トーマがふと視線を逸らす。

 シィナがその視線の行く先を追うと、紙袋があった。

 中にはきれいにラッピングされた箱がいくつか入っている。


「えー! もう貰っちゃったの!?」


 シィナは袋に飛びつくと、いくつか取りだした。

 小さな手のひらサイズのものが大半だが、中にはかなり大きめのオシャレな箱もある。


「そりゃ、職場の先生とか、生徒がくれたりするから……。あ、でも、全部義理だぞ、義理」

「……違うもの……」

「本当だって。職場の付き合いとか、そんなもんだよ」

「違う。キタジマセンセーって人とか、かなりトーマのこと好きだもの」


 どうやら日頃からかなり覗いているらしいシィナが、むくれた顔をする。


「どうでもいいだろ」

「よくない!」

「シィナがくれるんなら、来年からは全部断るよ」

「え……」


 シィナがちょっと意外そうな顔をする。


「シィナはそんなイベント知らないと思ってたからな。でも、そんなに気にするなら……」

「でも……」

「シィナに貰えれば、後はどうでもいいっちゃどうでもいいし……」

「あ、い、いいの!」


 我儘を言い過ぎた、と思ったのか、シィナはぷるぷると首を横に振った。


「トーマは、そんなこと言っちゃ駄目」

「……ん?」

「ツキアイ、とか、義理、とか……ちょっとは……わかるし。だから、どうでもいいとか、言わないで。それに……トーマは、皆に好かれてて、頼りにされてて……そういうトーマが、大好きだから」

「……」


 トーマはちょっと微笑むと、シィナをぎゅっと抱きしめた。


「それで? 早くくれよ」

「……はい」


 シィナは少し緊張した面持ちでチョコを差し出した。

 どう見ても手作りなソレを見て、トーマは「えっ!」と驚きの声を上げた。


「手作り!?」

「うん。……アサヒさんに、習ったの……」

「……うん、美味い」


 早速取りだして1個を口に放り込んだトーマが、口をモゴモゴさせながら言う。


「本当!?」

「うん。よく頑張ったな」

「うふふ……」


 シィナは満足そうに微笑むと、キスしようとしたトーマの腕をすり抜けてふわりと浮かびあがった。「それじゃ」と言って小さく手を振る。


「え……帰るのか?」

「今日中にどうしても渡したかっただけだから。それに、シャロットとコレットも連れて帰らないと……」

「え……」

「じゃあね!」


 シィナがそう言った途端、紫の風がトーマの部屋に吹き渡る。

 ……収まったころには、シィナの姿はどこにも見当たらなかった。


「……おい……」


 トーマはがっくりとうなだれた。


(せっかくミュービュリに来たんなら、もうちょっと、こう、何か……)


「……お前はそれでよくても、俺はよくないんだよ……」


 トーマのぼやきが、むなしく部屋に響いていた。



   ◆ ◆ ◆



「……ただいま」

「遅かったなー。心配したぞ!」


 水那がヤハトラに戻ると、ソータがひどく慌てた様子で出迎えた。


「セッカん家で何してたんだ?」

「いろいろあって……朝日さんの家に……」

「はぁ!?」


 訳がわからない、というようにソータが口をあんぐりと開ける。


「朝日の家って……ミュービュリか!?」

「ええ」

「何で、そんな……だいたい、お」

「――颯太くん」


 長く続きそうなソータのぼやきを、水那はピシリと遮った。


「え……」


 ソータは少しドキリとして水那から視線を逸らした。思わず俯く。


(何か怒ってる? ひょっとして……クドクド言い過ぎたか?)


「……」

「……これ」


 ビクビクしていると、ソータの目の前にすっと何かが差し出された。


「……???」

「こういうの……嫌い?」

「へ……」


 ソータは包みを受け取った。……少し温かい……。

 慌てて傍の机に置き、結び目を開く。


 ――それは、二段重ねの弁当箱だった。

 一段目は卵型のおにぎりが三つ入っている。ふりかけがまぶしてあったり、海苔が巻いてあったり、飽きないようにいろいろな味付けがされているようだ。

 二段目には、おかず。メインのハンバーグのほかに、卵焼き、タコさんウインナー、ブロッコリー、ポテトサラダが小さな器に小分けにされて入っていた。


「な……これ……」


 ソータは水那の方に振り返ると、震える手で弁当箱を指差した。


「……作ったの」

「水那が?」

「ええ」

「……!」


 ソータはもう一度弁当箱を見た。そしてバッと箸を握ると

「食っていい? 今すぐ食っていい?」

と、水那に聞いてきた。


 何かちょっと子犬みたい……と思いながらも、水那は少し微笑んで頷いた。

 ソータは椅子に座ると「いただきます」をきっちりやってから勢いよくバクバクと食べ出した。


「うまい!」

「本当?」


 水那も隣に座る。


「ほんと! ……あ、がっついちゃ駄目だよな。ちゃんと味わわないと」


 そう言ってちょっと落ち着いて食べ出したソータを見て、水那は

「……ふふっ……」

と小さく笑った。


「ん? 何だ?」

「ねぇ……こういうの……したかったわね」

「え?」

「颯太くんが……たとえば、弓道の試合とかに行って……」

「……うん」

「私はね、お弁当を持って、試合会場に応援に行くの」

「……」

「それでお昼休みにね、午後はいよいよ決勝ね、頑張ってね、とか言って……お弁当を渡すの」

「……」

「そういうの……――颯太くん?」


 見ると、颯太が少し涙ぐみながらハンバーグをモグモグ食べていた。


「どうして泣くの?」

「……泣いてねぇ!」

「……」


 颯太の顔を見なくて済むように、水那はソータの背中に抱きついた。


「……んぐ……」

「颯太くん……」

「……何だよ」

「せっかくだから、あーんとかする?」

「んぐっ!」


 何かを喉に詰まらせたらしいソータがゴホゴホとむせる。

 水那は「大丈夫?」と言いながら背中をさすってあげた。


「あ……ぐ……」

「そんなに焦らなくても……」

「焦るっての! ハードル高すぎるから!」

「……」


 水那はソータの背中をさすりながら

(この人どれだけ不器用なんだろう……)

と心の中でぼやいた。


(でも……そんな颯太くんが、大好きよ)



   ◆ ◆ ◆



 ミュービュリとパラリュス――異なる世界に白い雪が舞い……それぞれの想いが溶け込んでいく。

 2月14日の夜は……こうして更けていった。

 


                          ~ End ~

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