外伝2 女たちの料理教室
女たちの料理教室(前編)
二月も半ば。ジャスラにも冬が訪れ、いつも温和なデーフィにもぶるりと身震いするような少し冷たい風が吹いている。
1台のウパ車がデーフィの領主の家――領主のダン、娘のセッカと孫のミッカの住む家の前に止まった。
1人の大柄な金髪の男が、ハールで貯蔵してあった魚の塩漬けを抱えながら降りてくる。
――ホムラだ。
「帰ったぞ~」
「あ、お帰りー! ごめん、ちょっと手が離せないからさー!」
セッカの声が奥から聞こえてくる。
「どうしたぁ?」
いつもなら元気よく玄関まで迎えに来るはずなんだがな、とホムラは首をかしげながら家の中に入った。
「あー、アサヒ! そこ違う!」
「えーっ!?」
「チャイがほどよく焼けたらって言ったじゃん!」
「ホドヨク、がよくわかんないんですけど!」
「そこは勘で!」
「無理ですよ!」
「……セッカ、あの、もう少し具体的に……」
「えー? こんなのパーっと炒めてチャッチャと味付けしてー……」
「チャッチャと言われてもー!」
「……」
ホムラが足を踏み入れると、そこは戦場だった。
セッカの隣で朝日が困ったように叫び、水那は二人の横でどうしたものか、という顔をしながら何かをこねている。
そして三人の様子をじっと見ながら必死にメモを取っているレジェルがいた。
「何だぁ……?」
「あ、ホムラさん」
テーブルで一心不乱に豆の皮を剥いていたシャロットが顔を上げた。
「お帰りなさい!」
「あれ……確か、ウルスラだかの姫さんだよな」
「シャロットです。……もう、覚えて下さいよ」
シャロットはぷうっと頬を膨らませた。
「何だ? 何でウチにいるんだ?」
「ウルスラの名代としてヤハトラに来たんですけど、ちょうどアサヒさんと水那さんに会って。アサヒさんがセッカさんの家に行くって言ったからついてきちゃいました」
「ほぉ~」
ホムラは相槌を打ちながら、シャロットの向かいに座った。することもないので、同じように豆の皮剥きを始める。
「……で、レジェルは何をしてんだ?」
「えっと……セッカさんにチャイのエバ焼のレシピを聞く約束をしてたんですって。それで、実際に作ることになって……見ながら書き記しているみたいです」
見ると、レジェルは眉間にしわを寄せながら必死に何かを書きつけている。
「セッカさん、今、カルミ粉どれぐらい入れました?」
「テキトーだよ、そんなの!」
「それじゃわからないんですけど……」
「パパパッて感じ?」
「パパパ……」
困惑するレジェルに、ホムラはガハハと豪快に笑った。
「無謀だな、セッカに習うっつーのはよ」
「うるさいよ、ホムラ!」
「セッカさーん、何か焦げてきちゃったんですけどー!」
「もーっ! アサヒ、あんたどれだけ不器用なのよ!」
「セッカ……アサヒさんが、可哀想よ。もう少し、丁寧に、教えて、あげなきゃ……」
「嬢ちゃん、それは無理な相談だな」
「だから、ホムラは黙ってて!」
「ガハハハ……」
「ぷっ……」
夫婦の軽快なやり取りに、シャロットは思わず吹き出した。
「何か、面白いですねー」
「んー? そうかぁ?」
「料理とかよくわかんないけど、あんなに忙しいものなんですか?」
「ありゃセッカだけだな。三つ四つ同時にこなしちまうからよ。感覚だけでやってるからな」
「感覚……うーん……」
シャロットは思わず唸った。
「私には、とてもじゃないけど無理そうです」
「要は慣れってことだよ。でも、姫さんには必要ないだろ。出された物を食うだけだろうからな」
「……」
ホムラの言葉に、シャロットはちょっとムッとしたような顔をした。
「……そうですね。でも、やればできるかもしれません」
「そうかぁ?」
「誰でも最初は初心者です。きちんと理解して、十分な準備をして取りかかれば……」
「姫さん……なかなか難儀な性格してんなぁ」
ホムラの言葉に、シャロットはますます頬を膨らませた。
「だから、シャロットですってば!」
◆ ◆ ◆
「おお、うまいうまい」
満足そうにチャイのエバ焼を頬張るホムラの向かいには、かなり疲れた様子の朝日がいた。
「美味しい……美味しいですけど、セッカさんから料理を習うのは、無理……」
「ふふっ……」
隣の水那がやれやれといった様子で微笑む。
「嬢ちゃんはさすがに慣れてるな」
「一緒に、旅をしたから……何となく」
「凄いですね……」
「お手伝い、だけ、だから……」
「んで、レジェルは作り方はわかったのか?」
「もう1、2回は見ないと駄目ですね、これは……。エンカがすごく感動していたから、作ってあげたかったんですけど」
書き記した紙を見ながらそう答えると、レジェルはガックリと肩を落とした。
「そっか。……でも、ま、頑張れよ。惚れた女に作ってもらうメシが、最高なんだからよ」
ホムラの言葉に、レジェルはちょっと恥ずかしそうにしながら頷いた。
ホムラの隣にいたセッカは「馬鹿言ってんじゃないわよ!」と叫ぶと、赤い顔のままバシーンとホムラの背中を叩いた。
◆ ◆ ◆
『朝日さん……お弁当って作ったこと……ある?』
セッカの家からの帰り道。水那がおずおずと切り出した。
『暁が幼稚園の時は、たまに……。でも、暁が「ばめちゃんのがいい」とか生意気言うもんだから、あまり作らなくなっちゃったけど』
その時のことを思い出したのか、朝日はしかめっ面をした。
『でも、どうして?』
『颯太くんが喜ぶこと……考えたら、そういうことじゃないかと思って……』
そう言いながら、水那はゆっくりと頷いた。
『……ホムラさんも……言っていたし……』
『――オレもやりたい!』
シャロットが元気よく手を上げた。
『シャロットも?』
『ホムラさんに「出された物を食べてるだけ」って言われて……何か、グサッと来た。ウルスラの民が献上してくれた物を、王宮の料理人が調理してくれて、オレ達は消費してるだけなんだって』
『そりゃ……だって女王の一族なんだから……』
『でも、何かヤだ。オレもやってみたい! アサヒさん、教えてよ!』
『えー……』
朝日は二人の顔を見比べると、ちょっと困った顔をした。
『さっきも言ったけど、私はあんまり料理をやってないのよね。ウチにはママがいたから』
『バメチャン?』
『そう。元々は自分のレストランで調理からやっていたから、上手なのよ』
『じゃあ、バメチャンに習う』
『えっ!』
『バメチャン、教えてくれるかな?』
『多分……この間、会社の売却が完了したって言ってたから、時間はあると思うけど……』
『じゃあ、是非!』
『……』
シャロットの言葉に、朝日はちょっと考え込んだ。
『そうね……何か面白そうではあるけど……でもシャロット、シルヴァーナ女王の許可は取らないといけないんじゃない?』
『あ、そうだね。じゃあ、シルヴァーナ様がいいって言ったら、ミュービュリに行ってもいい?』
『まぁ……』
『やった! ミズナさん、よかったね!』
『ええと……』
話の展開についていけず、水那はちょっと戸惑った声を出した。
『私……そんな理由でミュービュリに行って、いいのかしら?』
◆ ◆ ◆
シャロットの声にシルヴァーナ女王が応え、三人をウルスラに転移してくれた。
絶大な力を持つシルヴァーナ女王は、パラシュス、ミュービュリに関わらず、自分の下へ召喚することができる。
「ああ……アサヒさん。ちょうどよかったです」
朝日とシャロットと水那がウルスラ王宮に着くと、そこはシルヴァーナ女王の私室だった。
女王とコレットでお茶をしていたようだ。テーブルの上にはお菓子や本などが広げられている。
シルヴァーナ女王は立ち上がると、にっこりと微笑んだ。
コレットも続けて椅子からぴょんと飛び下り、ぺこりと会釈をした。
「どうしたの? 大広間じゃなくて女王の部屋だなんて……」
「今日の公務はもう終わりました。それに……ちょっと、ミュービュリに関するお話が聞きたくて」
「なあに?」
「あの……ばれんたいんとは、何ですか?」
シルヴァーナ女王が手に持っていた雑誌を指差した。
そこには「男子が喜ぶプレゼント・ベスト10!」みたいな煽り文句がでかでかと書かれている。
「どうやら女性が男性に何かをする、ということのようですが……」
読める単語だけ拾ったらしい女王が首を傾げる。
「あ、そうか……もうそんな時期ね。えっと、日本の風習で、女の子が好きな男の子や普段お世話になっている男の人にチョコレートをあげるっていう日があるの」
「チョコレートは……食べたことがあります。甘くてすごく美味しかった」
思い出したのか、シルヴァーナ女王は嬉しそうにうんうんと頷いた。
「でも……女の子が、好きな男の子に?」
「ええ」
「まあ……!」
シルヴァーナ女王が目をキラキラさせている。
「私もやってみたい……!」
「え……」
「トーマ、喜んでくれるかしら!?」
「それは……」
「私もー!」
隣のコレットが元気よく手を上げる。
「ユズはいつもいろいろ教えてくれるのよ。お世話になってるのよ」
「そうね」
「えーっと……」
二人の勢いに、朝日がやや押され気味になる。
隣にいたシャロットが、ズイッと前に出た。
「シルヴァーナ様。私もね、料理を習いたいと思ってたの。バメチャンに」
「バメチャン?」
「私の母です。ミュービュリで料理人をしていたから……」
「まぁ!」
シルヴァーナ女王は驚いたように目を見開くと、にこっと微笑んでポンと両手を打った。
「それは素晴らしいですね! 是非、教えていただきたいです!」
「え……」
「アサヒさん、ばれんたいんとはいつなのですか!?」
「2月14日……」
朝日が答えると、シィナはぎょっとしたような顔をした。
「今日じゃないですか!」
「あ……そうだっけ?」
「シルヴァーナ様、大丈夫、間に合うよ。まだお昼だもの。……ね、アサヒさん!」
「え、ちょ、ま……」
「そうね。……シャロット、
「了解。シルヴァーナ様が皆を連れていってくれるんだね」
「ええ。シャロットはバメチャンのところへ行ったことがあるのよね?」
「うん」
「では案内してね。教えを請うのですから、私たちが出向かなくては」
「ちょ……女王、待って、待って――!」
◆ ◆ ◆
「あら……素敵なお嬢さん方ねぇ」
瑠衣子はぐるりと台所に集まった女性たちを見回した。
にこにこしているシルヴァーナ女王、書き留めるための紙の束を片手に意気込んでいるシャロット、ぼけーっと辺りを見回しているコレット、やや困惑した様子の水那、そして……頭を抱えている朝日。
「ママ……何でそんなに落ち着いてるの……?」
「え……だって私、どうぞって言ったわよね?」
「言ったけど……」
朝日はもう一度溜息をついた。
どうにかシルヴァーナ女王の転移を食い止めたあと、朝日は一足先にミュービュリに帰って来た。
瑠衣子に
「お弁当作りとチョコレート作りを教えてほしい人達がいるんだけど」
と伝えると、瑠衣子は
「どうぞいらして」
と二つ返事で引き受けたのだ。
それを確認したシャロットはシルヴァーナ女王に伝え、女王は皆を引き連れて上条家に転移してきたのだった。
「じゃあ、まずは着替えましょうか」
「着替え……?」
「そんなドレスじゃ汚してしまうわ。朝日、適当にお洋服を用意してあげて。私は準備をしているから」
「わかった……」
やや眩暈を覚えながらも、朝日は四人を二階へと案内した。
◆ ◆ ◆
「まずは、チョコを細かく刻まないと……」
「細かく……こうですか?」
シルヴァーナ女王が手をかざし、木っ端微塵にする。チョコレートの欠片があちこちに飛び散った。
その一つがコレットに命中して
「きゃん!」
と飛び上がる。
「……あら……?」
「シルヴァーナ女王……今日はフェルティガの使用は禁止にしましょうか」
朝日が散らばった欠片を掃除しながら苦笑いをした。
「駄目ですか……?」
「気持ちを込めるなら、手作業でね」
「はい……それもそうですね」
「私もー。私もやるー!」
「コレットは……包丁は危ないかな」
「ええ~……私もお手伝いしたいの」
『コレットちゃん』
言葉はわからないもののコレットがごねていることはわかったらしい瑠衣子が、コレットを手招きした。
戸棚からボウルと小麦粉を取り出す。
『あれ、ママ、それ……』
『クッキーを焼こうと思って室温に戻してあったの。さ、いらっしゃい』
「うん!」
呼ばれたコレットが、嬉しそうに瑠衣子に駆け寄る。
『はい、粉を入れるからね。よく混ぜてね。こうするのよ』
「うん……」
コレットが見よう見まねでヘラを動かす。
瑠衣子が粉を振ると「わぁ~」と嬉しそうに声を上げて覗き込んだ。
顔にかかって「げほげほ」とむせる。
『あらあらあら……』
「あう、あう……」
そんな二人の様子を見て、シャロットは嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、バメチャンは凄い。コレットはああ見えて、結構人見知りするの」
「そうなの……」
手早くタマネギを刻みながら水那が相槌を打つ。
「ミズナさん、上手」
「私は、施設でも、手伝ったり、していたから……」
「施設……?」
「……それより、シャロット。材料の、準備は……終わった?」
「あとちょっと。……えーと、ギュウニュウ、大さじ2……」
シャロットは慎重にきっちりと測りながら材料をボウルに入れている。
「あ、こぼしちゃった! やり直し。えーと……」
「シャロット。そこまで、きっちり、測らなくても、だいたいで……」
「駄目。初心者は何事も忠実にやらないと」
「……そう……」
◆ ◆ ◆
「じゃあ、これに温めた生クリームを……」
「アサヒさん、アサヒさん! 茶色いのが無くなっていきます!」
「だ、大丈夫、慌てないで! 消えてないから!」
「ひゃ、ひゃ……」
シルヴァーナ女王が変な悲鳴を上げながら混ぜていく。混ざり合って再び茶色くなっていく様子を見て、ちょっとホッとしたように息を漏らした。
「綺麗に混ぜ終わったら、しばらく冷やさないとね。このあと丸めないといけないから」
「冷やす……」
「女王、フェルティガは使わなくていいから!」
「え……でも、その方が早くできませんか?」
「どんな結果になるか怖いから、ちゃんとやろう? そんな急がなくても大丈夫だから。それにね、その間にコーティングするパウダーとか、いろいろ準備が……」
『朝日ー? ちゃんと教えてあげてるの?』
二人が口論していると思ったのか、瑠衣子が心配そうに声をかけた。
『大丈夫! トリュフは作ったことあるし! 説明してるだけ!』
『そう……?』
見ると、シルヴァーナ女王もうんうんと頷きながら話を聞いているようだ。
どうやら大丈夫そうだったので、瑠衣子は再び水那とシャロットの方を見た。
「10分経った! ミズナさん、これ、水15ccです!」
「ええ」
慌てるシャロットとは裏腹に、水那は落ち着き払った様子で計量カップに入った水を受け取り、フライパンに流す。
「ふ、フタ、フター!」
『シャロット……落ち着いて。大丈夫よ。上手に出来てるから』
瑠衣子が声をかけると、シャロットがちょっと慌てた様子で振り返った。
『だって、手早くって……』
『料理はね。美味しく食べもらえますようにって……もっと楽しんで作った方がいいのよ。その方が美味しくできるわよ。そんな理科の実験じゃないんだから……』
『う……』
ちょっと赤くなると、シャロットは恥ずかしそうに俯いた。
『確かに……オレ、頭でっかちだって、アキラにも言われる』
『まぁ、あの子ったら相変わらず口の悪いこと。注意しなきゃ』
『いいの、いいの。アキラはそれで。バメチャン、アキラを叱らないで』
そう言うと、シャロットは「あーっ、焼き過ぎたー!」と叫んで慌ててフライパンを覗き込んだ。
『よいしょっと……』
水那が皿に移す。
……少し焦げた部分もあるが、美味しそうなハンバーグが出来上がった。
お弁当に入れる予定なので、少し小さめのものが二つ。
『ふう……。颯太くん……ハンバーグ、好きかしら?』
『嫌いな人なんて滅多にいないわよ。きっと喜んでくれるわ』
瑠衣子の言葉に、水那はちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
そんな様子を見たシャロットは「そっか、そういうことか……」と何かを納得したように頷いていた。
「バメチャン! 丸くなったわ!」
一生懸命に卵のパックに詰めたご飯を振り回していたコレットが嬉しそうに声を上げた。
『あら、上手に出来たわね』
『バメチャン……それ、何?』
『お弁当に入れるおにぎりよ。これだと、簡単にできるの。コレットちゃんに作ってもらっていたの』
「へぇ……すごいじゃない、コレット!」
シャロットがコレットの頭を撫ぜると、コレットは得意げに胸を張った。
「くっきーも焼いてるのよ。私が、混ぜたのよ」
「えらい、えらい」
「ユズにあげるのよ。姉さまにもちょっとあげるの」
シャロットは「ちょっとなの?」とは思ったものの、黙ってコレットの頭を撫ぜた。
言葉は通じないはずなのに、瑠衣子の言いたいことがちゃんとコレットに届いている。
――それが、何だかとても暖かいことに思えたから。
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