第2話 日常

◆◆◆


『迷宮』と生と死のやりとりをする。

それが、俺たちの日常だ。


◆◆◆


 この世界は浸食されている。


 数百年ほど前から、各地に出現した『迷宮』。

 ある時は地下に。ある時は樹海に。ある時は滅びた町に。


 淀んだ魔力と空気に侵された地は、おびき寄せた生物や無機物を"魔物"と呼ばれる異形の存在へと変える。

 やがて、汚水が池に流れ込む様に現実へと浸食した『迷宮』は、世界を食らう。

 文字通り世界ごと『迷宮』に喰われた土地は、漆黒の魔力が満ちたヒトの住めない土地となってしまう。

 ――異界蝕

 古今東西あらゆる人々を脅かしてきた現象だ。


 だが、救いはあった。

 神の祝福を得て聖剣と不死身の肉体を備えた勇者がこの地に生まれたのだ。

 人々の反撃ははじまった。


 王は勇者を支持し、冒険者と呼ばれる腕自慢の若者たちがそれに続き、『迷宮』に逆に踏み入った。

 やがて人々は『迷宮』から得られる物資すら糧にし始めた。


 そうして、気付けば『迷宮』の傍には冒険者たちの街が出来上がったのだ――


◆◆◆


 俺たち冒険者の朝は早い……と言うより、夜に危険を冒すようなことはしない。

 朝日と共に目覚め、しっかりと朝食をとった後に、街の中央のギルド――俺たちの面倒見てくれる施設に足を運ぶ。

 街のちょうど中央。がっしりとした造りの建物は、今日も多くの冒険者と出入りする商人たちで賑わっていた。 

「よう」

 馴染みの連中に軽く挨拶をしながら中に入る。

 新しい依頼を確認しようと受付に目をやると、ちょうど話し込んでいた。

 長く、黒い髪の品の良さそうな受付嬢。応対しているのは、まだ十半ばほどのヒュームの青年だ。

 身に着けている鎧も、剣の鞘もまだ真新しい。

 おそらく、新人だろう。

「それでは、ライセンスの登録をお願いします?」

「ライセンス?」

 おっと、そこも分からないか、無理もない。

「戦士≪ファイター≫とか魔術士≪マージ≫とか、自分が出来るおおよその技量に応じた分類ですね。神聖魔法を使えるなら療術士≪ヒーラー≫、ともかく、他の人に紹介するときの目安みたいなものです」

「えっと、特に……武器を振るうくらいしか」

 申し訳なさそうに畏まる新人。うんうん、最初はそんなものだ。

「でしたら、戦士≪ファイター≫で登録しましょう。後々、功績に応じて我々から更新をお願いすることもあります」

 受付嬢は慣れた手つきで書類を作成していく。とは言っても、時間はもう少しかかりそうだ。


「待ってるの、ニック」

 後ろから、ころころと明るい声が聞こえた。

「テレサか、おはよう」

「おはよう、昨日はお疲れ様」

 ハーフリングの俺よりも低い背。栗色の肩まで伸ばした明るい髪色の、あどけない顔の少女。

 昨日も通信で勇者のフォローをしていた、ギルドの通信魔術師≪テレパスマージ≫の少女だ。

「依頼の確認だったら、今日は入ってなかったと思うわ」

「となると、素材の回収と浅層のパトロールか」

 軽い仕事、と言うには命の危険と隣り合わせだが、まあ今日は楽な方だろ。

「それと、勇者が言ってたわ。例の素材をセイルさんに届けて欲しいって」

「わかった」

 そうと決まればさっさと行ってしまおう。

「そだ」

 確認しておこう。

「勇者はどうだった?」

「うん、いつも通り」

 何気ない言葉だけど、テレサの言葉はどこか冷たかった。

「いつも通り――か」

 いつも通り、平気な顔して『迷宮』に潜っているんだろう。

「――いつも、あいつがごめんね」

「気にすんな」

 俺のしていることなんて、大したことないんだから。

「それより、あいつの前でそんな顔してるなよ」

「はいはい」

「あいつの返ってくる場所は、お前なんだから」

「だといいけど――」


 どこか寂しい声のテレサ。その顔は見ないでギルドを出る。

 陽は、大分高く昇っていた。空には疎らな雲。風は穏やかで、いい日だと思った。


◆◆◆


 『迷宮』に踏み入れる度に、濃い魔力の空気に眩暈を起こしそうになる。


 『迷宮』とは、異界からの侵略現象だ。

 この世界に別の世界で展開された術式が『迷宮』と呼ばれる存在そのものを世界に上書きする。

 行ってみれば、異界。物理法則も空気も異なる石で囲まれた地下迷宮に入るのは、危険に身を晒すことこの上ない。


「さてと、今日もお仕事だな」


 腰につけた幾つかの重鉄塊。二本のロングダガー。そして、背嚢と圧縮ポーチ。そして、鍛えた技。

 魔力の塊がうっすらと蒼白く照らす『迷宮』を音も立てずに進む。

 俺の仕事は、『迷宮』の探索とは少し違う。他の冒険者たちが放置した消耗品の屑や魔物の素材を回収することだ。

 ギルドで発行される魔術印を倒した魔物に施しておくと、それを回収して後々清算する。昔は冒険者それぞれが持ち帰っていたらしいが、煩雑な上に回収中に他の魔物に襲われる事故が多発したとのことで、俺のような斥候技能を持つ人間が回収を担当することになっている。

 金になる、と言うのも理由であるが、『迷宮』とは生き物そのものだ。死体に再び魔力で命を与え、兵として仕掛けてくる。放置された剣なども同様に、命なき魔物として動き出す。

 

 回収をしながら、冒険者たちとすれ違うこともある。


「よう、今日も精が出るな、ニック」

「お互い様だ」

 

 ドワーフのオッサンと軽く挨拶をする。こんな稼業も長いもので、浅層を冒険する奴らとは大体顔見知りだ。


「そう言えば、新人が来てたぞ」

「はは、んじゃあすぐにニックに仕事が増えるな」

「そうならないことを願うんだけどな」


 談笑の後に別れを告げる。今日も仕事が順調だ。


◆◆◆


 『迷宮』は、大きく分けて二つの層で出来ている。

 比較的俺たちの世界に近く、『迷宮』の魔力が及ばない浅層。

 ここは出現する魔物もあまり強くなく、ある程度の腕自慢であれば安心して魔物や遺跡由来の植物などを回収できる。


 問題は、深層。

 足を踏み入れる度に構造が変わる、まさしく生きた世界。出現する魔物も癖の強い奴らで、命がいくらあっても足りない。

 そして、浅層と深層の中間に、広間がある。

 そこに用事があった。

 浅層から階段を降りる。何十匹もすっぽりと入るような、真四角の広い空間。

 中央には琥珀色の魔力の結晶。そして、端には堂々とテントが張られている。

 紅いと緑の派手な色。趣味が悪い――そう面と向かって言ったら、所持者も同じことを言ってた。

『色は関係ないさ、使えればそれでいい』

 実用性さえあればいい、そうだ。

 まあ、そんな奴だからこんな『迷宮』のど真ん中にラボを造るのだろう。

『『迷宮』内の濃い魔力が無ければ、実験は出来ないからね」


 テントの入り口を開け、中に入る。

「よう」

 視界に入ってくるんは雑多に置かれた資料。それとは対照的に整然と並べられた研究道具。そんな煩雑な空間の真ん中で、赤毛が跳ねた。

「やあ、お仕事お疲れ様、ニック君」

 ボサボサの腰まで届く長い髪。ずれた銀縁の眼鏡にヨレヨレのローブ。だってのに、顔だけはそれなりに精悍な女性が情けない声で応えた。

 顔立ちは悪くないと言うのに、この女はいつも破滅的な格好をしている。俺も人のことは言えないが。


 セイル――『迷宮』の中に研究所を作り、付与魔法の研究をする変人のエルフだ。

 変人であるが腕は確かで、助けになった人間は数多くいる。


「これの解析を」

 背嚢から袋を取り出す。中身は、灰だ。

「これは、ギルドが言っていた」

「ああ、火竜に焼かれた勇者の一部だ。

「はは――彼もよくやるね」

 まったくだ、そしてそれを当たり前のように持ってくる俺もな。

「相変わらず汚いな。掃除はしておけよ」

「研究用具はしっかり整理しているさ」

「はいはい」

 とりあえず、床に散乱している資料を棚にまとめておく。足の踏み場くらいは確保したい。

「竜、倒せるようになるか?」

「ん、とりあえずこの灰から耐熱の付与エンチャントは出来るだろうね。とは言っても、竜はそれだけじゃないだろう?」

「ああ」

 爪に牙、力だって単純に人間が太刀打ちできるもんじゃない。

「考えておくよ」

 ありがたい。

「しっかし、酷い格好だな」

 これで恰好がマトモならいい調子なのだが……

 セイルのヨレヨレのローブがずれて下着が見える。なのにまったく色気が無い。

「君もね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る