勇者の後始末
狼二世
第1話 当たり前の光景
◆◆◆
勇者がなんだって?
知ってるよ。
死んでも戦うことを選べる、余りにも純粋で――放っておけない戦士のことだよ。
◆◆◆
薄暗い『迷宮』の冷たい床に、死が転がっている。
それは、俺にとって別段珍しいことではなかった。
死体が、二つ、転がっていた。
焼け焦げた石畳の上に、二つの躯が横たわっていた。
それに違和感を覚えなかった。そう感じる自分が異常だとは思えなくなっていた。
魔力の塊が蒼白く照らす『迷宮』の深層。これは当たり前の状況で――それを処理するのは、自分にとって当たり前の光景だから。
まだ"マシ"な方を検分する。
その身体はまだ熱を持っていた。命は失われていたが、それが在った痕跡はまだ残っている。
けれど、意味はない。目の前の二つの遺体は、動いていない。
「さて、どっちだろう」
自分でも、寒気がするくらい冷静な言葉だった。
「どっちが勇者なのか」
もう一度、まだ"マシ"な方の遺体を見やる。
肩口から荒々しく切りされた傷口はまだ暖かい。
血は流れたのか、はたまた吸われたのだろうか、ほとんど残っていない。けれど、体を触ると、紅い液体のぬめる感覚は残っている。
「竜の爪で切り裂かれた……か……それにしては綺麗だな」
血で濡れた法衣の下、鎖帷子は紙のように引き裂かれていた。
顔は潰れていて、もはや誰か分からない。細いが引き締まった身体をした冒険者であることだけが分かる。
「これでも、まだまともな方か」 そう、マシな方だ。原型をとどめている。
「だよな」
僅かに視線を横にずらす。そこには、四肢が炭化し、顔すら黒く塗りつぶされた死体が転がっていた。
しかし、その手には未だに剣が握られている。竜の炎すら耐える聖なる銀で出来たシンプルな装飾の剣。幅広の刃には刃零れ一つない。
まちがいない、勇者の聖剣だ。
「勇者か。そして――火竜、だな」
火竜――その爪は名工の鎧を容易く切り裂き、牙は分厚い金属壁すら砕く。そして、魔力を持ったブレスは人を消し炭にする。
「間違いないな、勇者さんよ」
「はい、お見事――」
遺体の口が動いた。
黒く焼け焦げた肉体が動き始めた。
焼け焦げた四肢は瞬く間に再生し、血の色を取り戻す。
そうして、死体だった男――勇者は立ち上がる。
筋肉質の屈強な肉体の美丈夫。青い瞳と金色の髪は、男の俺から見ても美しいと思う程だ。
「――服を着ろよ」
「無理だって、いくら勇者の肉体が不滅でも、装備は普通の物だからね。この聖剣以外は」
先ほどまで死んでいたとは思えないような冗談めかした口調。
慣れているが、寒気を覚える。
「悪いが、上着を貸してくれないか?」
「必要ねえよ、一応着替えは持ってきてるからな」
「うん、助かる」
背嚢から粗末な布の服を取り出すと、投げて渡す。男同士で遠慮がないのか、勇者は恥ずかしげもなく服を着替え始める。
「さて……戻りますか」
「ああ、彼を弔わないとね」
「何回目だ?」
「夏になって四度目。これで九人目」
遺体を担ぐと、地上へ向かう順路を確認する。
ここは魔を極めた狂人が作りだした遺跡。
俺が肩に担ぐのはかつて戦士だった人間。
そして、目の前に居る男は――勇者だ。
薄暗い通路を、ただ、歩く。
血の抜けた死体を担いで歩くなんて妙な姿だけれでも、それを咎める人間は居ない。
「敵は火竜か?」
改めて確認をする。
「それと、吸血蝙蝠と踊る剣だ」
なるほど、火竜にしては切り痕が綺麗だと思った。野生生物がベースの魔物であれば、もっと荒く切る。
「気が付いたら蝙蝠に動きを封じられていた」
「その間に大型の魔物に接近された、と」
「ああ」
『迷宮』内の魔物の連携か。浅層でもよくあるが、やはり厄介だ。
数が多く、小回りの利く魔物が索敵や陽動を担当して、屈強な大型の魔物が殲滅する。
小鬼≪ゴブリン≫がよくやる手段であるが、浅層では精々人とそう変わらない人間がやるくらいだ……まあそれでも十分な脅威なのだが。
「なるほど……対策を考える必要があるな。あの変り者に伝えておく」
「それと――」
事情を聞きつつ歩いていると、間もなく階段へとたどり着く。
ここを昇れば街への転送装置はすぐ傍にある。エスコートも十分だろう。
「悪いが、死体は頼むぞ」
担いでいた遺体を渡すと、勇者はそれを身長に抱きかかえる。
「ああ」
どこか、声が硬かった。
◆◆◆
「さて……」
勇者を見送ると、踵を返す。
『迷宮』内に浮かぶ魔力の塊が青白く床を照らす。不自然なまでに整った石畳と壁の先、暗い通路が続いていた。
「それじゃあ行きますか」
音もなく歩を進める。
これからが、俺の仕事だ。
勇者の痕跡に従って通路を歩く。程なくして魔物の死骸が見つかった。
残っている魔力の残滓を確認しながら、ギルドから支給された皮のポーチに詰めていく。
子供の頭くらいの大きさのポーチに、数メートルの魔物の肉が収まっていくのは妙な感じだ。
「圧縮ポーチは収納には便利なんだがな……」
魔力で内部に広大な空間を持つ圧縮ポーチ。取り出す際には特殊な解除術式が必要な上に、内部が整理されていないので取り出すのには不便ではあるが、入れるだけなら便利でこの上ない。
『迷宮』は魔物を生み出す。
魔力によって呼び出された動物や植物は『迷宮』の内部で異常な変化を遂げ、鉄よりも固い牙や鱗、特殊な効果を持つ皮を生み出す。
通常、それは人間にとって脅威であるが、加工次第では強力な武器にもなる。
それを回収するのが俺の仕事の一つだ。
『ニック』
幼さの混ざった少女の声が頭に響いた。
魔力による通信だ。
「どうした、テレサ」
ギルドで待機している通信魔術士の名前を確認する。
『救援の依頼よ、場所は深層の――』
どうやら、素材の回収が一時中断しなければならないようだ。
「了解。座標を教えてくれ」
もう一つの仕事の始まりだ。
『それと……勇者は帰ってきたわ。ありがとう』
「どういたしまして。励ましてやってくれよ」
それとは別。仕掛中の仕事は無事に終わったらしい。
足早に通路を駆けながら、状況を確認する。
『要救護者のライセンスは斥候≪シーフ≫。浅層の探索をしていた時に、トラップに引っかかって引きずり込まれたそうです』
「名前は?」
『ニールス」
「知り合いだ。顔見りゃ分かるな」
何度かギルドで顔を合わせたことがある。
俺よりも少し年上のヒュームの兄ちゃんだ。普段は浅層で動物系の魔物を狩っている。
ナイフの腕は悪くないし、状況の判断力もある。まあ――それでも運悪くトラップに引っかかればどうにもならないが。
指定された場所に移動すると、壁に横たわっている男が見えた。
床には血の池が広がっている。
「――あ」
絶え絶えの息を吐き出し、虚ろな瞳で俺の方を見る。少なくとも、意識はある。
「待って居ろ、今応急手当てをする」
背嚢から包帯と強壮薬と鎮痛剤を取り出す。
傷口を止血し、薬を飲ませる。程なくして呼吸が落ち着いてきた。
さすがはセイルの薬だ。即効性はある。
「すまない……」
今度は、ハッキリと聞き取れる声が聞こえた。
「とりあえず、歩けるな。早く行くぞ」
肩を貸してなんとか立ち上がらせる。ハーフリングの俺にはヒュームの肩を貸すと言うより、腹部から持ち上げる形になってしまう。
「血の匂いに敏感な奴がいるんだ」
魔物はすぐに寄ってくる。少しでも急ぐ必要があった。
とは言っても、怪我人を抱えながらでは速度に限界がある。
『ソレ』は、すぐに現れた。
「伏せろ!」
蝙蝠の羽音が聞こえてくる。
それと同時に風切り音。
「うわあ!?」
悲鳴を上げるニールスを無理やり押さえつける。ちょうど顔があったところを、黒い影が通り過ぎた。
それも、何十個も。
吸血蝙蝠。羽を広げれば人の頭ほどもある大型のそいつは、『迷宮』に巣食う蝙蝠が魔物化したものだ。
一匹一匹がそう大したことはないが、なにより数が多い。
高速で接近し、牙による攻撃は厄介極まりない。
それだけでも頭が痛いのに、奴らは大型の魔物すら呼び寄せる。
「ど、ど、どうする」
獲物を品定めするかのように円形に俺たちを包み込む蝙蝠。
狼狽するのも無理はない。
だが、既に対策はある。
「こうする」
背嚢から小さな球を取り出す。内部に蓄えられた魔力を確認すると、それを投げつける。
瞬間、音が弾けた。
そう大きくはない音。だが、貫くような違和感が『迷宮』に広がる。
すると、蝙蝠たちが勢いを失って地面に落ちた。
「行くぞ!」
無理矢理ニールスを肩に担ぐと、一気に床を蹴って走り出す。
「今のは?」
「音波爆弾だ。魔物化していても元の生物の生態は生きている」
蝙蝠は超音波で物体を判別する。それを、無理やり妨害してやった。
「なら、倒せないか?」
「音波でかく乱できるのは一時的だ。普通の蝙蝠も、すぐに周波数を変えて対応してきやがる」
街で普通の蝙蝠を駆除してる奴に聞いたから、間違いはない。
走りながら後ろを確認する。数は三匹。音爆弾の効果は確かにある。
この数なら、倒せるか。よし!
石畳を踏み抜いて急減速。ニールスがなんか呻いているが我慢してもらう。
「おらよっ!」
重鉄塊を腰から引き抜く。そのまま叩きつけるように投げつける。
空気を切り裂く音。そして、肉が潰れる鈍い音。質量を叩きつけられた蝙蝠は黒い魔力を飛び散らすと、沈黙した。
「やったのか?」
「見りゃ分かるだろ」
頭を潰されたら死霊だって活動停止に追い込むことが出来る。
――まあ、何事も例外が存在するから決めつけるのは良くないが、とりあえず蝙蝠程度なら問題ないだろう。
ともかく、頭部と武器の回収だ。
「逃げないのか?」
「回収だけはする。放置して魔物化したら厄介だからな」
本来なら無視したいところだが、死骸は放っておけば魔力によって魔物化するし、道具は勝手に動き出す。
と言っても時間はかけられない。僅かであるが羽音と重い足音が通路の奥から聞こえてくる。
数秒でそれを回収すると、また走り出す。
「行くぞ」
ニールスを肩に担ぎなおし、今度は走り出す。あまり時間はかけない方がいい。
「すこし揺れるぞ」
「はは、吐いたら悪いな」
「そしたら、ギルドからじゃなくて個人的に請求するわ」
まあ、軽口が叩けるなら大丈夫だろ。
曲がり角の死角に滑り込み、音と目視で確認しながら進む。
十分程走ると、ようやく浅層への階段が見えてきた。
◆◆◆
階段を上ると、広間に出る。中央には琥珀色の魔力の結晶。端には目の痛くなる建物。
まあ、今は関係ない。魔力の塊に手を当てて、解除コードを詠唱する。
空間が歪む感触。程なくして、迷宮とは違う景色が見えてくる。
茜色の空と、静かに音を立てて流れる噴水。それを中心に囲む、白いレンガ状の石畳の広場。
道の端には木造の真新しい建物たちと、剣や携えた人々。
猫が欠伸をしていた。子供が玉を蹴って遊んでいる。
「とりあえず、ギルド――の前に病院か」
ここはもう、死と隣り合わせの『迷宮』ではない。俺たちの街に、帰ってきた。
◆◆◆
ギルドの隣、冒険者用の病院は今日も怪我人で溢れていた。
神妙な顔で倒れ伏す男の手を掴む女。包帯を巻いた腕を冗談めかして見せる男。悲喜こもごもだ。
テレサがあらかじめ連絡をしておいてくれたのか、手続きはすぐに終わった。
とんできたヒュームの医者に引き渡して、俺の仕事は終わりだ。
「あ、ありがとうございます」
「気にするな。ギルドから給料は貰ってるしな」
しきりに礼を言う若者に別れを告げる。外に出ると、もうとっくに空は茜色になっていた。
魔力の街灯が街を照らし、家が遠い人間は既に帰路についている。
多くの冒険者に踏みしめられた石畳の道は夕陽に紅く染まる。石造りの建物の窓からも灯りが灯る。
鍛冶屋や商店は店仕舞いをはじめ、対照的に酒場には徐々に活気が満ち溢れている。
「帰るか」
もう、仕事をする気はない。
とりあえず、ギルドに戻ったら勇者が居るかくらいは聞こう。飯くらい一緒に食ってもいいだろう。
「――まあ、死んだその日に元気に飯を食えるってのも妙な話だけどな」
本人の前で口にしたのなら、きっと、当たり前のように嘯くだろう。
『僕は、勇者だからね』 きっと、笑いながら言うんだろう。想像したら、悲しくなってくる。
「――そうですか」
病院の中から、色を失った声が聞こえてきた。
「ああ、病院でももう手の施しようがないって」
ああ――助からなかった奴も居るのだろうな。
ここは冒険者と『迷宮』の街。
『迷宮』で得られる素材や研究結果で発展したが、それは常に死と隣り合わせにあるもの。
今日もまた、命を拾った人が居る。栄光を得た人間がいる。
そして、全てを失った人間もいる。
誰かの嘆きを聞きながら、自らに言い聞かせる。
今日はたまたま、生き残っただけ。俺は勇者ではなくて、それに続く数多の冒険者の一人でしかないのだから。
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