第2話 たつどし

「留年したくない…」

 ゆいがポツリと呟く。

 前期の期末試験が終了して夏休みに入った。秩父高専では夏休み開始が8月中旬で9月いっぱいが夏休みとなる。前後期の二期制で、夏休みを境に期が切り替わる。前期の成績による単位取得状況によっては後期で挽回のきかない事態にもなるので試験結果が気になってしまう。夏休み後半にもなれば忘れているだろうが。

 数年前までは秋休みというものもあったらしいが、夏休みが一ヶ月後ろにずれることでなくなってしまった。この部には秋休みを経験した人間はいない。


「それは私への嫌味か…?」

「あっ」

 1年生からの付き合いだが一つ年上のひなが目を細めてゆいを睨む。ひなは2年生にあがることができず2回目の1年生を過ごしたのだった。

 高専において留年は珍しいことではない。学科によっては40人クラスであれば卒業までに15人は入れ替わっていることもある。入れ替わると言うことは、落ちていく人数と落ちてくる人数が毎年だいたい同じということだ。

 1年生での留年はあまりきかないが、中学校から比べて突然18教科に増える定期試験と水曜日を除く毎日の8時間授業にすぐに適応できない人もいる。

 さらに赤点が100点満点中60点と高めで、中間と期末試験の平均が60点未満だと単位を落とす。専門教科には再試験等の恩情がない教科が多い。


「おつかれさまー」

 挨拶とともにめぐりが部室に入ってくる。

「遅れてごめんね。早速作業しなきゃね。今パソコン開くから待ってて。」

 今日は文化発表会、略して文発ぶんぱつの準備のために集まっている。

 文発は、地区ごとの高専の文化部が集まり、各部の活動成果を発表しあうイベントである。毎年持ち回りで各地の高専が主催をし、その高専または付近の施設にお邪魔して部活動の活動実績を発表する、文化部だけの文化祭のようなものだ。

 今年は8月の下旬に栃木県小山市で開催される。文芸部はいつも部誌の最新号とバックナンバーを並べておわりだ。

 めぐりが持参したノートパソコンを開くと、ネットワーク経由でコピー機にデータを送り印刷を開始する。古い型ではあるが、印刷室の業務用のタワー型コピー機を入れ替える際に交渉して1台譲ってもらって設置したらしい。

 ゆいとひな、ゆうきは予備もあわせて四台の長机を部屋の中央にセッティングし、そこに印刷が終わった分から紙を並べていく。こうして一枚ずつ拾い重ねながら長机を一周すると冊子が出来上がるようにする。ホチキスでとめれば部誌の完成だ。

 昨年の文発から1年分、12号分の部誌を各号およそ50部ずつ用意しておく。大変そうに聞こえるが、在庫が足りている号は今日は作業しないのでそこまででもない。

 ゆうきがホチキスでとめて箱に積む係、ゆいとひなが長机を周る係、めぐりは必要分の印刷が終わったら長机に合流すると役割を決めて作業を開始する。


「そういえばさー」

 長机の周りを何周かした頃ゆいが口を開く。

「オバケが旬の季節じゃん?オバケっていると思う?」

「特産品みたいに言うなよ…。高専生というか理系の人は基本的にいないと思ってるんじゃない?非科学的だし。」

 ひなが答え、めぐりとゆうきも賛同する。

「ゆいはいると思ってるの?」

「いや、さすがにいないと思ってるけどさ。他の学校行ってる友達が信じてるみたいで。オバケ屋敷とかこわーいって。」

「ただのぶりっ子じゃないの?あんなのただのビックリドッキリ施設じゃん。オバケ関係ないし。」

「だよねー。でもオバケがいると仮定して考えてみたらちょっと面白くてさ。」

 ゆいが一人で続ける。

「おばけって浮いてるじゃん?壁とかすり抜けて物理的な干渉ができないってことは、地面に立てないから恐らく重力の影響を受けてないんだよね。重力の影響受けてるならマントルまで一直線だし、そうじゃなければ上方向になんらかの推進力を持ってることになるし。でも、それも少しおかしくて、重力の影響を受けないなら地球の自転公転について行けなくなって一瞬でバイバイしちゃうんじゃないかと思って。すごい速さで動いてるわけじゃん?速度まではよく知らないけど。ということは、もし目の前におばけが現れたとしたら、それはすごーーーーく頑張って自転公転の速さに追いつきながら私達の目にはそこに留まって見えるように冷静に振る舞ってるってことで、そう考えたらめちゃくちゃ面白くなっちゃって!!」

 オタク特有の饒舌さを発揮して、しかも途中から笑い始めたゆいに周りは若干引き気味だ。しかしこれだけ喋りながらでも部誌作成の手と足は止まってはいない。ホチキス係のゆうきに部誌を渡して次の周回へと進む。

「太陽系自体も移動してるかもしれないからオバケも考えること多そうね。」

 ひなが適当な相槌をうつ。

「あとさ、オバケって可視光を反射してるわけじゃないんだよね、きっと。鏡に映るとか、鏡にしか映らないとか色々いるけど。」

 まだ続くのか…という顔をしながらもひなは話を聞く。

「となると、見えてると思わせるために視神経に電気的な干渉をしてる?とも考えてみたの。複数人に同時に見えることが少ないのは、もしかしてAR的に同じ場所に存在するように見せるのが難しいからかな?とか。一人なら若干適当でも誤魔化せたり、半透明なのもすでに見えてる映像にレイヤー重ねるような処理してるからかな?とか。」

「よくもまぁそんな事考えるね…。」

 めぐりも少し呆れている。

「えーっ?こういうこと考えるの面白くない??」

 あまり周りからの賛同は得られなかったようだ。しょんぼりと黙って、でも不満そうにふてくされたような顔をしながら部誌作成作業を続ける。


「そういえばさー」

 さらに何周かして再びゆいが口を開く。

「ひなちゃん彼氏とはどうなの?」

 ひなはゆいの言葉に少し顔を引きつらせる。

「な…なんで?」

「最近話聞かないからー。」

「べ…べつに…何もないけど…。」

「ふーん。」

 実は最近彼氏の様子がおかしいと感じていたひなは、ゆいの問いかけに若干体が緊張する。その様子を少し見て、ゆいが更に言う。

「実はこの前、ひなちゃんの彼氏に本屋で話しかけられてさ。」

「は???なにそれ!何を話したの?!」

 色々な考えが一瞬でひなの頭の中を駆け巡り硬直する。まさか浮気?こういうのが好みだった?それとも何かを探ろうとした?いやまさか彼がそんなことを…。

「いや…あの、友達だよねってことで、なんか挨拶してくれて、少し喋ってたんだけど、私がうっかりひなちゃんが留年してることを喋っちゃって…。話してないとは思わなくて。いや、でも高専なら留年は普通ってことも話したんだよ!だけどやっぱり学外の人には感覚が分からないかもで、なんかこう、どうしようかなーって…。あの、ごめん…。」

「お前のせいかーーーーっ!!」


 ひなはすぐにスマホを取り出し

「ちょっと出てきます!」

 と言い残し、作業途中の部誌を机上に置いて部屋から駆け出していき、結局その日は作業が終わるまで戻らなかった。

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しかくけい 泡盛もろみ @hom2yant

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