完結経験値のウソ

 いや、完結経験値は本当ですよ。


 あるのはホント。


 ただ、その取得条件が本当に〝完結〟なのか、っていうのと、完結経験値がなければ作家として成長できないのか、ってあたりに疑義を呈したいわけです。


 だって、世界一売れてる漫画・ワンピースの作者、ワンピースしか作品ないですよ。ワンピース、完結してないですよ。


 いや、ワンピースの作者・尾田栄一郎には投稿作『WANTED!』があるし、ワンピースの前身となった読み切り『ROMANCE DAWN』もあるじゃないか!

 あれは短編だけど、読み切りとしてしっかり〝完結〟しているだろう!


 って人向けの反論として『OVER LORD』の作者の丸山くがね先生はマジでほぼ『OVER LORD』しか作品ないし、もう一つの作品は7万文字辺りで八年放置されてますから完結はしてないです。

 もちろん『OVER LORD』も完結してないです。(オバロにはWEB版もありますが、そちらも同じく)


 デビュー前に別名義で完結作を投稿していた、かも知れないけど、そこら辺は調べようがないので……。


 全カクヨム作家を総動員しても敵わない程度に売れているオバロの作者に完結作品がない以上、完結経験値がなければ作者として成長できないという仮定はちょっとどうなのか、という。




【タヌキが出ます】


『桃源水滸伝』


https://kakuyomu.jp/works/1177354054893542939




 はい、いきなり訳分からん概念を持ち出してきて、何だか有名な作者様を腐しているようにも取れる話を始め、お前は一体何が言いたいんじゃいと思った方、申し訳ないです。


 ご説明しますと、我々物書きの間でまことしやかに囁かれている概念の一つに『完結経験値』というものがあるんです。


 作品を完結させると、単に公開していただけの時や、連載していただけの時と比べて段違いの経験値が入ってくるので、作品を完結させることは書き手として成長できる一番確実な手段である、という信仰です。


「まずは一本完結させろ。話はそれから」


 みたいに使われます。


 この完結経験値の面白いところは、作品を〝完結〟させないと、入ってこないとされているところです。



 で、実際にあるのかないのかでいうと、あります。

 実感を伴って、「あ、今〝完結経験値〟入ったな」みたいに思うこと、しょっちゅうあります。


 なので、誰かに助言を求められた時には、まずは一本完結させてみるのがいいかも、みたいなことは俺も言います。



 ただ、小説書き始めの人にとって〝完結〟って、どうやらかなりハードル高いっぽいんですよね。

 俺も最初の小説十五万文字ぐらいのやつ完結させるのに二年かかりましたし。

 だから、こういうこと言うと、結構な確率でマウントだと取られちゃう。



 なのでちょっと今回は〝完結経験値〟について、もうちょっと細かくバラシていこうかなと思ってこの記事を書いてます。



 まず、完結の定義が曖昧ですわな。

 何をもって完結とするのか。


 拙作〝スリーピング・マジェスティ〟は正直、完結してないです。

 先に例に出したワンピースでいう『バギー編』くらいのところで終わってます。

 が、俺はあの作品で〝完結経験値〟と思しき経験を得た感触があります。


 一方、〝イセカー・インクレディブル〟という作品はまぁ完結しています。

 けど、〝完結経験値〟を得られたかな? というと微妙な感じ。

 ゼロではないけど……ぐらいの感じ。



 ここで、

・完結経験値と呼ばれているモノ、完結していなくても入るんじゃね?

 という疑問が得られるわけです。


 俺が〝スリーピング・マジェスティ〟の時に「得た」という感触があった経験値が仮に本物だったとしましょう。

 まぁ、本当に何かを得たかどうかなんて、どこまでいっても本人の自己申告に過ぎませんから、本物もクソもないわけですが。

 俺はあったと感じたので、あった、ということにします。

 となると、〝完結経験値〟という名前なのに、完結していないのに入ったことになってしまいますね。


 で、種明かししますと、実はさっき『バギー編』くらいのところで終わっていると言いましたが、〝スリーピング・マジェスティ〟は『バギー編』にあたる章は完結してるんですよ。


 つまり、一部完結でも〝完結経験値〟って入るんじゃない?

 という仮説が成り立ちます。


 そこで、もう少し踏み込んで考えたい。

 本当に〝完結〟がキーなのか?

 と。


 俺の答えを先に言ってしまうと、実は完結ではなくて、「作者がいったん作品を手放した時に、書き手として成長するのでは」と思っています。

 大事なのは「完結」というより「作品を、後から言い訳はできない状態にまで完成させ、その状態で他者に評価を委ねる」ことではないか、と。



 例えば俺の〝スリーピング・マジェスティ〟は、ワンピースでいう〝ひとつなぎの大秘宝〟はまだ見つけていないところで終わっていますが、とある町を苦しめていたバギーという海賊をやっつけ、町長に感謝されて次の町へ旅立つ、というオチまでは書いてある。


 このオチがまぁ綺麗に決まって、もうこの時点で評価されても悔いはない、今の文字数で書けるものは出し切った、と思った。

 その後、小説新人賞に応募し、二次落選で返ってくるわけですが。


 で、応募した瞬間に、一気にアラが見えてくるわけです。

 もう応募しちゃった以上、このシーンは実はこんな意図があって……とか、審査員や下読みさんに言い訳しにいくわけにはいかない。

 投稿サイトなら、ひっそり書き換えることもできます。

 後から付け足すこともできます。

 でも、応募だとそうはいかない。

 応募、じゃなくても、友達に見せる、でもいいです。

 友達に読んでもらう場合は、後から言い訳はいくらでもできますけど、友達の〝初読の感想〟を後から書き換えることは出来ない。

 そういう、「後には引けない」ポイントに到達して、「あぁ、あそこはこうすれば良かった、ああすれば良かった」と後悔する。

 これが、〝完結経験値〟だと思ってます。


 実際に、〝完結経験値〟という言葉を使っている人、本当に〝完結〟がキーなら書き上げた瞬間に成長しなきゃおかしいんですが、書き上げた作品を「応募した」瞬間だとか、ツイッターでよく見る創作論お教えマンガの場合だと(二次創作の話が多いので)「印刷所に送った」瞬間、やっぱり、「後には引けない」ポイントに到達した瞬間なんかに「経験値が入った」と言っている人が多い。


 これを何というか知ってますか。

 完結経験値よりもっと簡単な言葉です。


〝後悔〟です。


 後悔によって自分を客観視できた状態、これが完結経験値。



 つまり、というのが、俺の結論です。



 だからマジでマウントとかじゃないんだよな。


 じゃあ、なんで〝完結〟経験値なんて呼ぶのか?

 これを説明するのに、さっき例に出したもう一つの拙作〝イセカー・インクレディブル〟の話をしますけど。

 この作品、ちゃんと完結してます。

 作者として考えていた本筋は全部書き切りました。

 むろん、「書籍化するから続きを書け」と言われたらいくらでも展開を生やせるようにはしてますけど、想定していたラスボスは倒している。

 ここから先を書くのは蛇足……とまではいかないけど、まぁ、ここで終わっても作者的に文句はないかなっていうところで終わっている。


 けど、〝完結〟経験値は入った感じがしない。


 なぜか。


 この作品、実は3万文字推奨のコンテストに応募する為に書いたのに、6万文字強ありまして。

 それでも少しでも文字数を削るべく、書こうと思っていた展開を一つ削っている。

 その後、10万文字以上のコンテストに応募しようと思ったんですが、削った展開を書き足しても今度は足りない。

 まさに〝帯に短し襷に長し〟を体現したような作品なんですが。


 心情的に、「それなら落選しても仕方ないね」と思える保険があったわけです。



 なぜ、先駆者がみんな「完結させろ」「完結経験値」と口を酸っぱくして言うかと言ったら、「全力を出し切ってない状態だと、後悔も出来ないから」ですよ。


 たとえ作品として完結していても、「レギュレーションに合わせる」という部分で全力を出し切れていなかった。

 だから、〝イセカー・インクレディブル〟では後悔できなかった。



 推理小説で、〝探偵があっと驚く推理を披露して事件を解決する〟というところまで書いてない作品を応募しても、後悔のしようがないわけです。

「推理パートまで書いたら、みんな絶対びっくりするんだけどなー。実は犯人あいつなんだよなー。絶対みんな驚くだろうけど、今回は時間がなくてそこまで書けなかったからなー。あー、推理パートさえ書ければなー」

 みたいに、作者の心情的に「まだ奥の手を隠している」状態の作品は、たとえ酷評されても大したダメージにはならない。


 ダメージを受けろって言ってんじゃないですよ。

 だって、さっきも言ったけど、完結経験値って評価をもらったタイミングで入るわけじゃなくて、作品を手放した時に入るわけでしょう。

 ダメージを受けるかも知れない、けど、俺にはもう手札が残ってない。

 これが通らなかったら潔く負けを認めるしかない。

 って状態でターンエンドした際に、期待と不安がないまぜのめちゃくちゃ色んな可能性が脳裏をよぎる。

 それが完結経験値なんです。

 その次の、相手(読者)のターンで好評か酷評かは、あまり関係ない。


「まだ俺には手札が残っている」

「この時点では分からないかも知れないが、ここから怒涛の展開で、奥深い世界設定が徐々に明らかになって、読者は涙すること必至」

「ただ、この文字数じゃ伝わらなくても無理はないな」

 みたいな半端な状態で作品を他者の評価に委ねても、作者が心に保険かけてるんだから、後悔のしようがないわけです。

 だから、完結経験値、と呼ばれている。


 精神的にノーガード状態になってないと、入んないんですよね。

 逆に言えば、精神的にノーガード状態になっているなら、本当に完結していなくてもいい。〝ひとつなぎの大秘宝〟を見つけていなくてもいい。


 さっきの〝スリーピング・マジェスティ〟はラスボス倒してないけど、「ここから先の展開に対する期待値込みで評価してほしい」みたいな心の保険はなかった。

 めちゃくちゃ綺麗にオチが決まったと思ったし、これが連載作品ならここで打ち切られても後悔はない、っていうところまで書いた。



 は出し切ってないけど、(当時の)は出し切った。



 なので、そんな〝完結〟にこだわることはないんじゃないか、と俺は思います。

 オバロだってワンピースだって完結はしていないしね。

 ただ、一度くらいは精神的にノーガードになるほど全力を込めた作品を発表してみるのも、いい経験になるよ、というのが俺の感想です。



 たったこれだけの事を言うのに、すげー長くなってしまった。


 しかもなんか、今回はあんまり愚痴っぽくなかったな。愚痴がこのエッセーのメインコンテンツなのに。

 こんなこともある。今日は終わり。

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