Act 4. See you in the Darkness

<ロス市内>


 夜。多くの人間で溢れるこの西海岸の街も、夜が訪れれば重い静寂が支配する。夜の帳に包まれながら、一人の男が長い銀髪を夜風に揺らしながら口に咥えた紫煙を燻らせる。仕事が終わった。一日の疲れを癒すため、彼は単身夜のロスを練り歩いている。だが、胸を張って人に言えるようなものじゃない。暴走した機械の兵士を一太刀で葬り、機械を使って人を殺める者を斬り捨てる。既に、血塗られた道を歩んでいる事は男が一番理解していた。


「…………」


 男――――宗像斎はふと自身の手に視線を落とす。自らの腕から伸びた無機質な物体は、寸分狂わずに人間の肉を持った手を形どっていた。それでも、感覚はない。四肢を無くした。否、奪われたと言った方が正しいだろう。斎は掌を握り締める。忌々しいモーターの駆動音が皮肉にも、彼の耳に響いた。


「……ちっ」


 彼の舌打ちが、夜のロサンゼルスに響く。煙草のフィルターを手に取り、煙を吐き出した。手足を奪われたあの日から、彼は毎晩酒に溺れる事だけが日課になっている。薬物にも手を出そうとした。ただ、自分が人間の尊厳を失ってしまうのは怖かった。四肢を失った彼は、誇りを失う訳にはいかなかった。だから、酒と煙草を拠り所にしていた。


「…………」


 沈黙と共に斎はアスファルトの上を歩き続ける。こんな夜更けに、開いている店の方が少ない。それでも赤と青のネオンライトを煌々と点けているバーがひとつ、彼の視界に入った。まだこの街は眠っていない。斎は身に纏っていたコートの裾を靡かせながら、地下へと下りる階段へ足を掛ける。やがて、彼は金色に塗られたドアノブを捻った。木製の境界線を越えた瞬間、ピアノとサックスの美しい調和が彼の耳に響く。


「よう、いらっしゃい」


 バーカウンターに立っていた、白いシャツ姿の男が彼を迎えた。深夜という時間もあってか、店の中にはほとんど客が居ない。白髪交じりの伸びきった髪を揺らし、無精ひげを蓄えながら男はカウンター席に座った斎に声を掛ける。


「久しぶりじゃあねえか、イツキ。また酔いたくなったのか? 」

「……ウィスキーを一杯くれ。ストレートで」


 初老の店主――――ロドヴィーゴ・グラスゴップは不敵な笑みを浮かべながら後ろの棚に並べられていたウィスキーの瓶とグラスを彼の前に置いた。ロドヴィーゴ、通称ロニと呼ばれるこの男は、斎がこの街にやって来た時からの昔馴染みだった。Puni The Italian Malt Whisky-Nova、イタリア製のモルトウィスキーで、果実、特にバナナの風味と香りが特徴的な酒だ。褐色の液体が楕円形の容器に注がれ、斎は徐に透明な器を手に取る。


「俺の愛する国のもんのだ。イタリアはそれこそワインだとかエスプレッソだとか言われてるが、イイ男はこういうのも嗜む」

「……相変わらずお喋りだな、お前は」

「性分だ。お前さんだって知ってるだろう? 」


 静かに斎は笑みを浮かべた。滅多に見せない彼の頬笑みに、ロニは不敵に笑う。グラスを呷り、熱い液体を喉に注いだ。燃えるような熱さと甘い風味が彼の喉を支配する。


「酔うのには最適だな」

「もう少し香りを楽しめ。それなりに値は張る」


 薄暗い店内に流れるジャズの音色が、彼の鼓膜を刺激した。金管楽器の吹き荒ぶ音とドラムの軽い打撃音が、一つの音楽を紡いでいく。再度、斎はグラスを傾けた。


「今日の仕事はどうだった? 」

「別に。普段と何も変わらん。鉄を斬り、撃鉄を起こした。……匂いが鼻にこびり付いてる」

「シャワー浴びてくか? おっと、勘違いするなよ。俺にそっちの気はない」

「こちらから願い下げだ」

「じゃあ、ミカエラはどうだ? 」

「……冗談は止せ」


 呆れるように肩を竦め、不機嫌そうな顔をロニに向ける。ミカエラ・ウィルソン。彼の上司でもあり、彼の四肢を創り上げた技術者でもある。彼女は確かに生物学的に言えば女だが、それ以上に腹に一物を抱えている。ミカエラの全てを背負えるほど、斎は力持ちではない。


「はは、今のミカが聞いてたら真っ赤になって怒るだろうよ。"むむっ、斎さんは私を女と認めてないでありますかぁ!?" ってな」

「……どうやらお前は自分から客足を減らそうとしてるらしい」

「冗談だよ、ったく相変わらず手厳しいぜ」


 豪快な笑い声を上げるロニを横目に、斎はグラスの液体を飲み干した。いつの間にか他の客も支払いを済ませ店を出ていたようで、スピーカーから流れる無機質なジャズの音楽のみがこの空間を支配する。瞬間、店の入り口から入店を知らせる甲高いベルの音が響いた。パーマがかった焦げ茶色の髪を揺らしつつ、くたびれた色のトレンチコートを身に纏った男が店内に足を踏み入れている。


「よお、ロニ。相変わらず客が居ねえな」

「余計なお世話だ馬鹿たれ。もうほとんど店じまいの時間に来る奴があるか」

「そりゃあイツキだって同じだろうがよ」


 子供のように口を尖らせるこの男の名は、グレイ・バレット。斎と同じ警備会社インペリアルアームズに勤務する彼の同僚であり、最前線で刀を振るう斎を直接サポートする狙撃手でもある。斎がインペリアルアームズに入社するよりも前に社内に籍を置いていた男で、所謂彼の先輩社員にあたる人物であるが二人の間に年上年下などという概念は存在していなかった。


「おうイツキ、お疲れさん。相変わらず強ぇ酒飲んでんな」

「……性分だ。それよりも遅いぞ、10分遅刻だ」

「お前が帰るの早すぎるんだっての。仕事の後にシャワーも浴びねぇなんて女のコから嫌われちまうぜ? 」

「ハナから有象無象に興味は無い」


 そう吐き捨て、斎は新たに注がれたモルトウィスキーの液体を口に含む。隣ではグレイがロニにビールを注文しており、ほどなくして金色の炭酸が注がれたジョッキをグレイは斎に向けた。


「ほんじゃ、今日も一日お疲れさん、って事で。明日は人類皆が待ち望んでる休日だ」

「だからと言って羽目を外すなよ。この前みたいに俺のソファで吐かれるのは勘弁してくれ」


 面目ない、と申し訳なさを微塵も感じていない笑みを浮かべつつグレイはジョッキの縁で斎のグラスを優しく叩く。甲高い音が響き渡り、二人は同じ動作で酒を口に含んだ。


「ぷはぁーっ! やっぱり酒は仕事後に限るなぁ! なあロニ、ついでに良い飯でも見繕ってくれよ」

「ラストオーダーはとっくに過ぎてるぜ、お客様。それ呑んで煙草の一本でも吸ったらとっとと帰んな」

「ちぇーっ、つれねえおっさんだなぁ。だからその歳になっても女が寄って来ねぇのさ」

「次それ言ったら出禁すんぞ、グレイ」


 バーカウンターの奥へと消えていくロニに肩を竦め、グレイはジョッキを傾けビールを喉の奥に注ぎ込む。二人の様子を見ていた斎は小さく笑みを浮かべ、同じようにウィスキーを再び飲み始めた。


「しかし最近、チンピラ連中もいいモン使うようになって来やがった。この前までは機甲兵に対抗する手段すら持ってなかったのによ」

「それだけ、何処かで武器や弾薬を横流ししている連中がいるという事だ。自分達が創り出したモノにすら反抗されるとはな。皮肉なものだ」

「随分とお喋りじゃねえか。嫌な事でもあったか? 良ければお兄さんが何でも聞いてあげちゃうぞ? 」

「目の前の気持ち悪い兄貴ぶった男が、主な原因だな」

「あらま、お気に召さなかった? 」


 おどけた様子で笑みを崩さず、グレイはジョッキの中に余っていたビールを全て飲み干す。程なくして二つ皿を手にしたロニがカウンターに舞い戻り、二人の前に置いた。白い皿の上には金色に輝くピラフが置かれ、玉ねぎの香ばしい匂いが彼らの嗅覚を刺激する。


「今日あるもんで作った飯だ、とりあえず食え」

「うっひょお、今日はツイてるなぁ。サンキューロニ、また良い女のコ紹介してやるよ」

「遠慮しとく。お前からのツテは大体長く持たねえんだよ」

「まずグレイの人間性に問題があるからな」

「ひっでえ、本人にそれ言うか普通」


 油でコーティングされた米粒の集合体を口へ運んだ。四肢は失えど、味覚などが生きているのは斎にとっては有難い事だ。まだ、自分が人間の枠組みに留められていると理解出来るから。


「当たり前だ。唯でさえ人が少ないのに、装弾数が少ない回転式拳銃(リボルバー)を使うなんてパートナーを気遣えない証拠だな」

「馬鹿言え。こっちだって作戦無視してぶった斬りまくる奴に言われたかねぇよ、俺の負担どんなもんか考えた事あんのか? 」

「その負担を減らす為に銃を変えろと言っている。今時リボルバーを使っている奴などほとんどいないぞ」


 斎の言葉に感化され、グレイはショルダーホルスターに収納されていた愛銃S&W М686を引き抜いてカウンターの上に置いた。思わずロニが身構えるが、気にせず彼は斎に向けて米粒のかけらを飛ばし始める。


「天下のS&Wが作り上げた名銃をそこまで言われちゃあ黙る訳にゃいかねえ。いいかイツキ、この銃は俺たちの先祖がこの国を作り上げる為に作った銃だ。魂が、歴史が一つ一つに籠ってる。それを侮辱するなんてお前はこの国を馬鹿にしてるようなもんだぜ? 」


 ほれ見ろ、とグレイは斎の顔をМ686の銃身に近づけた。


「この美しくも武骨なフォルムの良さが分かんねえのか? 近頃はやれ自動拳銃オートマチックだ、やれ対機甲兵だなんざ言ってるがな、そんなもん故障しちまえばお陀仏だ。テメェが命預けたおんなに裏切られて死ぬ奴なんざ俺はごまんと見てきた。だがコイツは違う。決して俺を裏切らないし、俺もコイツを裏切るつもりもねえのさ」

「その台詞を吐く相手を間違えてるぞ、お前は。ミカエラかリンにでも言ってやれ」

「何をぉ~!? やるかこのぉ! 」


 グレイが席から立ち上がって斎に掴みかかろうとした瞬間、カウンターの前にいたロニがテーブルを叩く。胸倉を掴み合っていた二人は恐る恐る彼に視線を向け、ぎこちない笑みを浮かべた。


「あとはお前らの家でやんな。もう店じまいだ」


 二人よりも遥かに筋骨隆々な両腕を駆使し、ロニは首根っこを掴んで店の外に追い出す。直後ドアの窓にⅭⅬOSEⅮと描かれた看板を置かれ、夜風が二人の熱を冷まし始めた。


「おやすみ、二人とも。二日酔いになるなよ」


 それだけ言い残して、ロニは店の奥へと消えていく。直後グレイの愛銃もドアの外に放り出され、慌てて彼はそれをキャッチした。


「……やれやれ。お前のせいだからな、グレイ」

「はぁーっ……。なんかすんげー馬鹿馬鹿しく思えてきた。イツキ、とりあえず火くれ」


 銀色のジッポライターを差し出し、グレイは咥えたラッキーストライクに火を点ける。斎も同じようにして愛吸の銘柄であるポールモールのフィルターを咥えた。二つの香ばしい紫煙が、再びロスの夜空に消えていく。白熱していた二人の議論さえも覚ます、冷たい風。頭を冷やすように斎は煙を吐き出した。


「……この後、俺の家でもう一杯飲むか? 」

「珍しいねぇ、どんな風の吹き回しだ? 悪くねえな」


 顔にこびりついた不敵な笑みを浮かべ、グレイは空を仰ぐ。


「じゃあ行くか。あ、ついでに飯も作ってくれ。あれじゃ足りねえ」

「……全くどこまでも厚かましい奴だな……」


 呆れながらも斎はグレイと並んで夜のロサンゼルスへ向けて歩き始める。やがて二人は、深い闇の奥へと消えていった。

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