第44話 (手・ノート)


 (手・ノート)


「えっ…?」

「お前も昨日の短距離走練、サボりだ」

「…いやいや!俺って短距離走選手なの!?」

「…ざまぁない…」

「っ!…おい雪葉!サボりのおまっ…モガッ…」


 例えば、隣の彼女から漏れた言葉がコレだったとしよう。

 ストレートな悪口すぎんだろ!

 あとお前も十分サボりだろ!俺は自分が選手だって知らなかったからだけどっ、雪葉は確信犯だろ!

 そう叫ぼうとした瞬間、雪葉に口を塞がれる。

 雪葉の手だ…。俺はおしゃぶりをもらった赤ん坊のようにおとなしくなった。


「ヘンなこと言わないで黙って。先輩、ごめんなさい。私に免じて許してあげてください…」

「…今日の放課後からちゃんとこいよ!いいな!」

「はい、しっかりと言い聞かせておきます…」


 …もう何も言わない。そう心に決めた。

 なんか勝手に俺だけ怒られて、雪葉はそれに付き添ってあげてるイイヤツ、みたいになってるけど!

 そこをいちいち言うのは男じゃないって言うか?まぁ…そんな感じ。


 雪葉が一礼すると、先輩は雄叫びを上げてどこかに行った。

 この校庭に響き渡る謎の『わっしょい』という叫び声、熱血系は皆、いや、熱血でないやつらも叫んでいたりする。

 頭がオカシイ、と言うには俺たちが少数派すぎた。


 せめてもの救いとして、フウヤだけは俺と同意見なこと。あぁ、ザキヤマとクロスケはすでに洗脳されていて、意味もなく叫んでいた。


 そんなこと考えていると、ようやく雪葉の手が口から離れた。

 名残惜しい、と思ってしまうのは男の性。


「っ!いつまでヘンなことさせてるのっ…変態!」

「いや塞いでたのは雪葉だろっ!」

「私が助けて上げたんだから感謝してっ…」

「…図々しいこと限りない、と言わせてもらおう」

「っ…!ごっ…ごめっ…」

「ま、今日も昨日みたいに、帰りにこけて手、繋がせてくれるなら別にいいけどな」

「?……っ、ばかっ!」


 こける=手を繋ぐ、であるという含みは雪葉も理解したようでなによりだ。

 赤い耳をチラつかせながら雪葉が長距離練の集団に走って行く。その背中を見送って、俺も短距離練の集団に向かった。




「じゃあみんなスタート!」


 前の人が走り出して我に返る。慌ててスタートを切ること数秒、目は自然と下、私の手の平におちていた。

 さっき悠人の口を塞いだ手だ。つまり、この手には悠人の唇がある。

 ……じーっと眺めていると、息が苦しくなってきた。

 前を向いて大きく息を吐き、もう一度見下ろす…と悪魔がささいてきた。欲望という悪魔が。


『手のひらに唇を当てるだけで息が楽になる…』


 当然、天使もやってきてささやく。


『これは長距離走でよい記録を出すためのおまじない…』

『だから何も悪くない…』

『迷わずに唇を当てて…どんどん薄れちゃうから…』


 何が天使だこの野郎。悪魔と同じことしか言ってないじゃないか。

 そう悪態をつきつつも、欲望には忠実に、手のひらに唇を落とした。疲れが一気に吹き飛んだ。


 その結果……。


「すごい!測定より一分も記録縮まったんだね!えと~雪葉ちゃん?この調子でがんばろっ!」

「…はい…」

「うわ~それにしても私と同レベルだ~。いいな〜これぐらい私も記録伸ばしたいわ〜。ね、陸上部はいらない?」


 飛躍的に記録を伸ばしたいのなら胸にある大きな脂肪の塊を削ぎ落としてあげます。

 そんな嫉妬から出かけた悪態を飲み込む。


「…勝手に私の荷物を持って、その荷物を人質に一緒に下校しようとする男がいるのでお断りします…」

「ん~?よくわかんないけど…帰宅部ってことかな?そっかぁそれじゃあ仕方ないなぁ~」

「じゃあお先に失礼します…」

「あっ、うん!引き留めてごめんね~」


 一礼して更衣室を飛び出し、悠人の待ってる校庭の門まで走る。

 …走っている途中で気づいた。ここは女の子走りの方がよかったかな…?って。

 いや別に悠人が喜ぶかなって思っただけでっ…あっ…///…よ、喜んだら悠人って単純になるから扱いやすいと思って!

 そのために喜ばせたいだけっ!


「おまたせ…」

「別に走らなくてもいいんだぜ?」

「…ん…」


 こくりと頷くいたのを見て足を出して…戻した。

 雪葉が歩こうとしないのだ。首をかしげると、顔を赤くして言った。


「さっき…転んだ…///」

「…っ!そ、そうか…」

「だ、だだだからっ…つ、連れて…///」


 顔を背けてそう言った雪葉の手をとる。

 みるみるうちに元から赤い顔にさらに赤みが増した。


「じゃあ行くか」

「…んっ…///」


 握り合う手は、昨日よりも固く、優しかった。






「けんせいらいんはるとのみちびきにより、わたしは…」

「はっ!?」

「…?えと…われはせかいをささえるしじんの…」

「雪葉どうした!?救急車って177番!?」

「119番…177は天気…これ、なんのこと?…神の世界の日記って…?」


 朝、登校。

 雪葉がバッグから出したのはB5サイズのノート、表紙には…『神界日記』…と。

 名前のところは…塗りつぶされてよくわからなかった。

 明らかに厨二病満載のノートの中は、予想通りイタいことばかり。


「…これをどこで?」

「昨日バッグに入ってた…多分だれかのが間違って入っちゃってたんだとおもうけど…。

 ね、悠人、神様って日本語使うの…?」


 全世界の人が突っ込んだと思う。そこ?

 雪葉らしい疑問だけど、このノートの制作者の世界観を言語という根底から覆すのはかわいそうだから否定しておく。


「たぶん日本語に翻訳したものじゃないのか?それ」

「あぁ…そっか…。でもこれすごいねっ…神様の日記なんだ…」

「しんっ…!」


 ――じちゃってるぅぅぅ!?こんな厨二病のノートを信じてる!?純粋すぎかよこの彼女!可愛すぎかよ!

 雪葉は首をかしげた後、大事そうにその日記を抱える。


「…?しん…どうしたの…?」

「え…あ~…」


 ここで厨二病がどうのとか、説明するのはもったいない。あとこの雪葉は、ハナサキとユユギハラに教えてあげてもいいが、せっかくなので独り占めすることにした。

 嘘も方便とはこのことである。


「神界日記…ってぐらいなんだからさ、人に見せちゃやばいもんじゃないのか?俺らだけの秘密にしようぜ?」

「…っ…そっかっ…!大事もの…!私たちだけの…!?っ…わ、私たちだけのっ…///…ふ、二人きりの…秘密…って言って…?」


 例えば、彼女が少女漫画チックな台詞にときめいたとしよう。

 それに気づけないのはきっと天罰が下ったときだ。そう、今のように。


「あぁ、二人きりの秘密にしようぜっ!」

「っ…っ~!…んっ…ん!…ふたりきりの…秘密っ…///」


 テレデレしだした雪葉を眺めると、心がほかほかしてきた。







【おまけ】


「ぬぉぉぉ!ない!ない!ないぃぃぃ!」

「おはよ、悠人」


 教室に入るとすぐ、ザキヤマの雄叫びが聞こえた。


「あぁ、おはよ。フウヤ、ザキヤマは何をやってるんだ?」

「昨日間違えて黒歴史のノートを持ってきてなくしちゃったらしいんだ。すっごく僕はみたいな〜って思う。そう思わないかい?悠人」


 そう言いつつ、ほくそ笑んだフウヤは俺に手を突き出した。


「僕にも見せてくれるかい?ノート」


 この男、非常に小賢しい悪魔であることを、ここに記しておく。


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