第22話 (太陽・餞別)



「そろそろ時間だよな」

「ん」


 夕日が落ち始めている。暗くなる前に雪葉を返さないと、流石に家の人が心配するはずだ。

 分かってる。分かってるのはずなのに。


「このやりとり、34回目だな」

「んん、35回目。あと5回はしよ?」


 (太陽・餞別)


 身支度を終えたのだろう、雪葉がソファーを転がるクマさんを持ち上げ、頬ずりを始めた。

 俺がトイレから戻ってきたときのことだ。

 声を掛けにくい雰囲気に固まってしまう。

 その間にも、お別れを名残惜しむかのように、ブンブンと身体を振って、クマさんに強く顔を埋めた。


 幸せそうだから、あと見てて可愛いから話しかけるのを躊躇する。


 そして数秒後、チラリと顔を上げた雪葉と目が合った。その瞬間雪葉は、クマさんをソファーに突き放して腕をワタワタと振る。

 可愛い、ペンギンみたい。


「っ!? い、いつからっ!?」

「最初から。クマさん抱き上げたときから可愛かったぜ」

「っ! わ、忘れてくれない?」

「ごめん、無理な要求だ。目に焼き付いて離れねぇぜ。ぐへへ」

「こないでっ、顔が怖い! 汚い!」


 近づこうとすると、怯えたように身体を引かれたので、仕方なく壁に背を付ける。

 赤かった顔が一瞬で怯え顔に変わったんだから心が傷つく。あと汚いはないだろう。そんな言い方はとても傷つく。


「ごめん。今貞操の危機を感じたから、キツいこといっちゃった」


 自分の腕を掴んで守るように身を引いた雪葉に、余計に心が傷つく。そんなに俺悪い笑みを浮かべたか? 貞操の危機? そんなに?

 悲しみに顔を押さえてると、雪葉が近づく気配を感じた。手を離す。俺を心配そうに見上げる雪葉。


「ごめん」

「いや、俺が悪かったしいいよ。流石にそろそろ帰らなきゃな。送ってくぜ!」


 雪葉の申し訳なさそうな顔が可愛かったから心の傷が癒えた俺のことを、単純な男と言うのだろうか。




「ぬいぐるみ好きか?」

「か、関係ない/// きゃっ!」


 図星な様で、視線を逸らして赤い顔でそう漏らした雪葉が先に玄関を出る。そして悲鳴が聞こえた。

 可愛らしい悲鳴ににやっと口角が上がる。扉を開けると、眩しすぎる光が目を刺した。


「めっちゃ綺麗だろ?」


 西日がとても大きく見える。黄金の太陽とはコレのことだろう。

 特に今日は高層マンションの窓ガラスで乱反射した光が多く、とても眩しかった。


「ん、綺麗。眩しすぎるけど」

「だな。眩しすぎてここで死んだ人が居るんだぜ」

「ホント?」

「この夕日が好きで好きで散歩してて、衝突事故。今でもその亡霊が」

「こ、怖いこと言わないでっ……」


 耳を塞ぐ雪葉。目をバッテンにしてて可愛い。


「ふぅ、今日はありがとな。楽しかった」

「私は。い、今も楽しい、から……。あ、ありがと」


 指を組んで、親指をすりあわせる。チラリとこちらを見上げて再び伏し目に戻る。


「訂正する。俺も今も楽しいですっ! はい!」

「バカ……はしゃぎすぎ」

「なんだよバカって。それなら雪葉もバカになっちゃうぞ?」

「私はバカじゃないっ」

「いやバカだ。やーいバカバーカ」

「い、イジワル。き、嫌いっ!」


 雪葉がそう吐き捨てて俺から離れる。

 雪葉の言葉に身体がよろめく。けど、聞こえてきた車の音に視覚が切り変わった。

 後ろから車の音が聞こえているのに。このままじゃ。


「雪葉!」


 時間が止まった気がした。悠人の叫ぶ声が聞こえる。車がゆっくり私に迫ってくる。

 見てる世界はゆっくりなのに、私の足も同じようにゆっくりしか動かない。動けない。

 クラクションが大きく響く。


「ここで死ぬのは父さんだけで十分なんだよっ!」


 腕を摘まれた瞬間、時間が元に戻る。

 引き寄せられて、その目の前スレスレを車が走り去った。

 震えが止まらない、怖い、もしあのままだったら……きっと死んでた。もし悠人が助けてくれなければ――想像するだけで冷や汗が垂れる。

 心臓が嫌に早鐘をならしていた。警鐘が遅い。スマホの地震警報並みに――冗談を言っても、怖いのは変わらなかった。


「雪葉」

「ごめん」

「いや、からかいすぎた俺が悪い。それにクサい台詞だけど、ごめんより――」

「ありがと……ぁ、ありがとっ……ぅわぁぁぁ!」


 そして、突然泣き出したこの少女は、俺になんの遠慮もなく、俺の服で顔を拭きやがった。お陰で服が鼻水でベットベトだ。




「悠人」

「ん?どうした?」

「その……次! 次は、機会があれば」


 結局、雪葉の家に着いたのは日が落ちたころ。泣いたことはなかったことになった。まぁ、忘れられる訳がないけど。

 手をすりあわせて、遠慮がちに雪葉が口を開いた。


「オムライス作るから、家、来て……///」

「わ、わかった!」

「んっ、じゃ、じゃあ」


 一瞬こちらに顔を向けて破顔する。そしてスッと顔を逸らし、マンションのエントランスに入っていった。

 幸せを感じながらため息を吐いて数秒、外に出ると、外廊下を歩く雪葉と目が合った。

 手を振ると、小さく振り返される。

 背を向けて歩く……最後にチラッと振り向いたとき、再び雪葉と目が合った。



 目があったことで嬉しくなってしまう。

 最後の最後、振り返ってくれないかな〜なんて期待してた私は、動悸が早くなるのを感じながら、優しい笑みを浮かべる悠人に手を振った。




「これ、お前使い方は分かるよな?」

「兄貴、まさか使い方知らないからって、兄貴が俺に教えるフリして自分が習おうとしてるんじゃないか?」

「違ぇよバカ! 俺からの餞別だ。財布には入れるなよ?」


 家に帰ると早退けしてきたらしい、兄貴が部屋でゴロゴロしていた。そして俺を見た途端、絶対にヤブレナーイXを突き出してきた。

 言わずもがな、避妊具だ。


「使う予定はないけど。いきなりどうして?」

「童卒ぶるな童貞野郎。俺は渡したからな? どうなっても俺は責任とらんからな?」

「よく分かんないけどもらっとくぜ。それより兄貴、夕飯はまだだろ?」

「あぁ、でもカップ麺で済ませるから」

「今日はパスタにする気だったんだ。折角だから――」


 廊下の戸棚からカップ麺をとろうとした兄貴を止めて、キッチンに向かう。そのとき、後ろの玄関が勢いよく開いた。


「悠人! 彼女出来たのね! さっき送ってるのを見たわ!」

「うわっ!? 母さんおかえり! 夜勤じゃなかったのか!?」

「おぉ悠人、お前ちゃんと彼女を家まで送ったのか。流石だな」

「別の人が変わりにしてくれたのよ! それよりコレ! 餞別よ!」


 いつも以上にハイテンションな母さんが、靴も脱がずにコンビニ袋から取り出したソレは――。


「えぇ?」

「母さん、俺が悠人にもう渡した」


 絶対にヤブレナーイXだった。兄が弟の性事情に踏み込むのはまだしも、親ってのは――気まずい。

 俺は兄貴から貰った分も一緒に、袋にいれて縛って、家の外へと放り投げた。






 

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