第18話 (お母さん・クマさん)


 (お母さん・クマさん)


「ただいま。女子を家に呼ぶのが初めてだからあんま分かんないけど。んか気に障ることしたらごめん。先に謝っとく」

「大丈夫。私も始めて男子の家に上がるから。お邪魔します」


 雪葉を框に上げる瞬間、ふと思い出した。

 ……っ、そう言えばリビング掃除したの何日前だっけ…。

 家に呼ぶ奴が男ならそんなこと気にはしないけど、相手が雪葉なら話は別。

 汚い家は見せたくない。


「ちょっ、ちょっと待った! リビング片付けてくるから!」

「分かった。いいよ、待ってる」


 雪葉が頷いたのを見て、リビングに駆け込む。

 食卓に目を向けると、なんかのコードやらハンガーやら書類やらでぐちゃぐちゃになっていた。


 朝飯食べるときは気付かなかったんだよな。

 雪葉と出かけるのが楽しみで、気にもしなかった――訳ではない。そんなわけない!

 と、とにかく、1カ所に纏めるか。

 手を付けてみると、ドコに置けばいいのか迷うモノばっかりが発掘される。

 ホント、前に掃除したのいつだっけ?


「っと、なんだよこの雑誌。ビールの空き缶はちゃんと捨てろって言ったよな。母さん、なんで4本も空き缶があるんだ?

 チッ……兄さんも靴下は脱ぎ散らかすな! しかも食卓の上に!」


 家事洗濯はバイト以外で働いてない俺の仕事。

 いつものことでも悪態が漏れる。とりあえずゴミを捨てて、部屋の一角に机の上のモノを全て移動させる。

 テキトウに掃除機をかけて――気付けば10分ぐらい経ってた。


 やっべぇっ! 雪葉が来てること忘れてた!

 掃除機をもどしてソファーの上のものをいよいよ全部、物置部屋にぶちこむ。

 そして慌てて玄関に駆け込むと……雪葉は框に座って肩をふるわせていた。


「すまんっ、部屋が汚すぎて掃除に時間がかかった……んだけど、どうした?」

「ふふふっ、ハハッ、あはははっ! 変なの」


 雪葉がお腹を押さえてうずくまって笑っていたのだ。その無邪気で新鮮で意外な一面に見惚れる。綺麗だ、と。

 そう言えば雪葉の笑い声を聞くのは初めてだな。普通にわらうんだな。


「悠人。っ、なんかお母さんみたい……あははっ」

「そ、そうか」


 反応の仕方が分かんない。なんて反応すればいいんだ? お母さんみたいってなんだよ。

 俺は雪葉のお父さんって呼ばれるんだぞっ。……やっぱ恥ずかしいから今のなし。


「自分で言うのもなんだがこんな叫びながら家事する人見たことがないぞ? 家事する人をそもそもあまり見ないが」

「そ」


 雪葉は笑うのをやめて真顔になり、格好にふさわしく肩をすくめた。少しボーイッシュな感じもしてイイ。


「で? 何時までもここにいるの辛いんだど」

「あ、すまん。えっと、いらっしゃいませ」

「うん、お邪魔します」


 雪葉は帽子を外しつて、框に上がる前に一礼する。そして廊下や扉を見回して独り言のように呟いた。


「へぇ、私の家と似たようなレイアウト」

「そうなのか? スペース活用の効率が一番いいから同じだったり? っと、そこのソファー座ってて。

 飲み物何にする? ジュースあんまり無いんだけど」

「水道水でいい。ありがと」

「あ、そう? じゃあちょっと待って」


 悠人がリビングから離れた。

 言われたとおり、テレビの前のソファーに座る、と、柔らかいクッションが反発した。

 そのクッションを身体の前に持ってくる。もちもちのクマのぬいぐるみだった。正直、ぬいぐるみよりクッションの方が近いけど。

 図体がおおきく、押すとよく沈んで手を包む。結構気持ちいい。

 私はそのままその熊を抱きかかえる……と鼻から脳へ、刺激信号が送られてきた。


「ふぁっ……。ぁゎゎ///」


 この匂い、悠人の匂いだ。クマさんを持ち上げてタグを見ると、やはり片仮名でユウト、と書かれている。

 悠人のものなんだと確証を得た瞬間、心臓が強く跳ね出す。頭がクラクラして、深い闇に堕ちていきそうな感覚。

 気付いたらクマさんに顔を埋めていた。


「ぇ……?」


 氷水とコップを用意して戻ってきたら、雪葉が俺のクマさんに顔を埋めていた。

 ワオ。


 クマのぬいぐるみ、仕舞うの忘れてたぁぁぁっ! いや、もちもちで気持ちいいからいつも抱きかかえて寝てるだけだ!

 んでもってリビングに置いてるのは寝ぼけてると抱きかかえたまま起きてしまうだけだから!

 別に俺はぬいぐるみ大好き男子じゃねぇ! そんなのっ、雪葉に侮蔑されちまうかもしれない!


「……って違うだろ」


 冷静に考えると、うん、問題点はそこじゃなかった。

 問題は雪葉が熊さんに顔を埋めている事だ。

 あとスーハースーハーって荒い呼吸音が聞こえる事も。

 期待も兼ねたちょっとした予想が浮かんだけど、多分それは間違っている。多分、寝ちゃったんだと思う。


「あの、雪葉さん? 何をしてらっしゃいますか?」


 声を掛けると、悲鳴を上げつつバッと俺を見て、慌てて首を横に振る。

 そして後じさって、ソファーの肘掛けに手をつきながら、弁明のようなものを始めた。


「こ、これは違うっ。違うからっ。その……違うから/// ギュゥ……」


 ブンブンと、そして最後は俯いて、力なく首を振る。

 でも俺のクマさんを手放す気はないようで、逆に更に顔を埋めてキツく抱きしめた。クマさんの顔がいつも俺が抱きしめたときのように潰れる。


「えっと何が違うんだ?」

「……///」

「いや、マジで分からん」


 クマのぬいぐるみを抱きしめる美少女にイジワルしたくなった気持ちが無い訳でもない。でも、本気で何が違うのかわからない。

 先ほどの、ほぼ期待で構成された可能性のある一択が浮かぶ。

 まさかだけど、俺の匂いがよすぎでハマったとか?


 いや、ないか。別に気持ちいいから抱きしめたくなるのも分かるけど、何故顔を埋めて荒く呼吸する?

 もしかして息を止める練習とか?


「いじわる。その、クマさんが気持ちよくて抱きしめてただけで。悠人のだって知らなかったし、寝かかってただけで。

 その、悠人のだって知って、知っててやってるわけじゃないもん、ないったらないもん」


 そう言い続けてる割にもっと俺のクマさんを抱きしめるし、否定する雪葉の声は弱い。

 ま、まぁ寝かかってただけか。うん、まさか雪葉がその熊に染みついた俺の匂いを吸ってた訳じゃないよな。しょぼん。

 そう、思い込むことにした。雪葉の言葉が嘘だとしたら、俺の心がドキドキに耐えきれなくなる。


「はい。隣、座っていいか?」

「ん、当然」


 前の机にコップと氷水の入ったポットを置いて、横に座る。当たり前だけど、雪葉が凄く近く感じられる。

 服が擦れただけでドキッとして、少し距離をはなした。――はずだが、いつの間にか雪葉とまた服が擦れ合っていて、n回この操作を繰り返した時、俺はソファーの肘掛けにまで追い詰められていた。

 数分の沈黙、気まずくなって口を開いた。


「そ、そのっ、何する? ゲームはあんまり無いんだけど」

「もう少しだけこのままが、ぃぃ……なんて思ってる」


 俺も、このままがよかったりします。

 クマさんから片目だけ出して俺を上目遣いで見つめる雪葉。

 頷くと、嬉しそうに目を細めて、再び熊に顔を埋めた。


 雪葉の息づかいが凄く大きく感じられたけど、それはここが静閑な住宅街だからなだけで、きっと雪葉の息づかいが大きいわけじゃないんだろう。



 向かいの家の工事の音が聞こえてきた。




 そして、頷いたことを後悔した。雪葉が俺の肩にもたれ掛かってきて、思わず吐血してしまったから。





【おまけ】


 スーハースーハー、いい匂い。クマさん欲しい。

 はっ……。まだ悠人来てないよね? うん、まだ来てない。よしっ。

 スーハースーハー。



 

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