第12話 (ハッシュタグ・"関節")


 (ハッシュタグ・"関節")


「数学クラスならこれぐらい出来て当然だな!」

「そうっすね! そこのXの値3√7っすね!」

「よしっ分かってるようだな、じゃあ次の問題行くぞ~!」


 ザキヤマは数学が得意だ。学年において、ずば抜けて得意だ。


 数学クラス、それは学校が編み出した革新的なクラス分け。得意科目によってクラスの編成を行い、授業を効率的に進める。

 数学が得意な俺は授業が早く進んでくれる、と入学当初かなり喜んでいた――が。


 早すぎる。原因は言わずも知れた、ザキヤマである。


「え~この問題は……」

「X≠0の実数って注意書きを入れつつ解かないと一点減点ですね!」

「オォ、よく分かってるな! じゃあ解説もいらないな! それじゃあ次のやつも簡単か! 飛ばすぞ!」


 ほとんどザキヤマと教師がお喋りをしているような感じだ。


 そう、ザキヤマのレベルが高すぎるせいで授業の内容が俺には全く理解できないのだ。

 理解しようとしても、ザキヤマが理解してるなら解説は必要ないな、と教師が授業を自己完結。

 そして自習、と一言短く言って教室を去る。今日もいつもと同じ流れ。まだ授業が始まって二十分も経っていない。


「ザキヤマ~今年もよろしくな~!」

「え? 何を?」

「惚けるなって~試験必殺のプリントだよ!」

「へへっ、期待して待ってろよ!」


 クラスメイトとザキヤマの会話を盗み聞きした俺は、ホッと胸をなで下ろした。


 ザキヤマは授業妨害をしている自覚があるのか無いのか、試験前に俺たちへザキヤマ特製数学ノート、ってのを配ってくれる。


「悠人……?」


 授業以上に分かりやすい解説、途中式で書かなければいけない注意ポイント、八割は当たる予想問題。

 性格の割にかなり綺麗な字で書かれたノートで、しっかり勉強すれば数学の試験は怖くもなんともない。


「悠人? 大丈夫?」

「雪ちゃん、こいつ今頭の中がぶっ壊れてるわ。こんな時はね」


 まぁ、ザキヤマのノートが凄すぎるせいで成績が向上して、余計に俺たちは"数学が出来る生徒"と認定されて授業が雑になっていくんが。

 授業のおかげで成績がいいんじゃなくてザキヤマノートのおかげんだけどな。


「こうするのよっ!」

「うぎょぉっ!?」


 背中から衝撃が走り、息が詰まる。ジンジンと悲鳴を上げる背中に悲鳴を堪える為、歯を食いしばる。

 振り向くと呆れた目を俺に向けたハナサキと、ハナサキに少し怒った目を向ける雪葉がいた。


「何その#負け犬が牙剥いてみました、見たいな顔」

「何がハッシュタグだよこの野郎! いてぇよ! 何すんだ!」

「さっきから雪ちゃんが呼んでるのに? 反応しないあんたが悪いわ」

「別にそれはいいからっ。ハナちゃん、悠人のこと殴ったら、めっ。私が許さない」


 可愛い。

 痛みが一瞬で引いた。愛の力ってすげぇ。


 そう思えるのは、雪葉の怒りの対象が俺じゃないからであって、怒られてるハナサキの方はかなりしょげたような顔をしている。

 あと、俺の為に『許さない……っ❤』ってのは可愛すギルティだ。

 俺のため、か。心が暖まるぜ。


 そんな事を考えていると、雪葉も頭ん中で『ゆるさない……っ』が『悠人大好き❤』というワードに繋がったのか、顔を真っ赤に染めて焦ったように口をパクパクさせた。


「そのっ、許さないのは悠人が大事だからとかじゃなくて。ほ、ほらっ、そこらへんの犬ころを私が大事って思う訳ないでしょっ!?

 人道的に、動物なぐったら……愛護団体に怒られちゃうハナちゃんが心配で。ねっ、悠人?」


 備考:雪葉は焦ると饒舌。

 意外とハナサキは単純だ。特に雪葉の言葉に対しては。

 雪葉が同意を求めてきたので頷く、とハナサキが嬉しそうに雪葉に抱きついた。


「雪ちゃ~ん。大好きっ!」

「あっ。ハナちゃん……///」


 ハナサキに抱きしめられた雪葉が赤い顔をしつつも、あまりハナサキを拒まない。

 そしてようやく、俺は雪葉の言葉を理解する。

 犬ころ? 俺が?


「わんわん!」

「きもっ!」

「ごめん悠人。引いた」


 折角犬の真似をしたのに、ドン引きされる。抱き合う2人が俺をディスる光景は結構心に効いた。

 #百合最高。

 そう、誰かの雄叫びが聞こえた。




 数十分後、いつもの通り、数学の授業が僅か20分で自習に切り替わったので、俺は今日進んだ授業の分の問題集を解いていた。


 ノートを纏めていた雪葉が俺の椅子をずらして、俺の隣に座る。

 そして小声で、犬ころって言ってごめん、と少し不安げに謝ってきたのが可愛かったからすぐに許した。


 その後、雪葉は頬杖を突き、俺のノートを遠目に見て、時々俺のケアレスミスを訂正してくれる。


「雪葉って数学めちゃくちゃできるんだな。あの授業で理解できるのか?」


 計算する手を止めずに雪葉に話しかける。


「ん。まぁお母さんが数学者だったし論理の飛躍は慣れてる。あと子供の頃から数学に触れてたアドバンテージがあるだけ」

「す、数学者……? なにそれチートじゃん」

「ん。まぁ、もういないけど」


 一瞬、その言葉で空気が変わったように見えた。

 俺はこの空気を知っている。母子家庭なんだ、って言ったときによく感じる空気だ。

 なんて返せばいいか俺は少し考えて、口を開いた。


「へぇ、俺と一緒じゃん」

「え?」

「俺の家は母子家庭だからさ。」

「そ、一緒ね。……っ! べ、別に関係ないしっ/// そ、それよりそこの計算間違ってる」


 突然、雪葉が顔を赤くして焦ったように声を出した。

 ? 今恥ずかしがるような事があったか?


「あ、ホントだ。ありがと」


 もしかして『俺と同じで1人親家族』って言うのに運命を感じたとか? ってそんな訳無いか。妄想は大概にしよう。




 授業終わりのチャイムが鳴って、我に返った。目の前に悠人の顔がある。

 悠人に問題の解法を教えるために身体が凄く近かくなっていたのに今更気づいて、ドキドキする、けど。

 悠人はなんてことないように立ち上がって伸びをした。それが少し癪だった。


 ドキドキしないのかな? 私はしたのに。


「ん~! 疲れた、教えてくれてありがと。

 アイツの授業マジ嫌いなんだよな~。早く教師替わってくんね~かな~?」


 私は、なんでこの『嫌い』って言葉に反応したんだろうか。

 今の悠人の『嫌い』は私と全く関係の無いもの。なのにこの言葉に反応してしまったのは何故だろうか。

 さっき、私だけドキドキした事を癪に感じたのも引き金だと思う。

 勝手に口が動いていた。


「悠人」

「ん?どうした?」


 言わなきゃって思った。

 いつも照れ隠しで悪口を言ってしまうから、その悪口を打ち消すために"ソレ"を言わなきゃ、と思った。


 恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。

 悠人を直視できなくなる。素直になれないときのクセで人差し指の第二関節の皮を軽く噛む。

 それでも口から"ソレ"は零れ出た。


「その、私は別に、す、す……嫌いって訳じゃなくて、そのぎゃ、逆だから」


 別に好き? 嫌いって訳じゃなくてその逆?


 それは結局『好き』って言ってるような物じゃないか。

 私は何を言ってるんだ?なんの脈絡もなくこんなことを言い出すなんて、しかも皆の前で。

 頭がオカシイに決まってる。変な風に思われたかな?


 チラリと上げた視線が悠人と交差する。その瞬間、心臓が破裂するほど跳ねた。

 悠人の顔が少し赤かったのだ。


 だがそれも一瞬。悠人が小さく咳払いをして、私をまっすぐに見つめた。


「雪葉、俺も好きだ」


 意識が遠のく程頭に血が上る。いや実際に意識が遠のく。これは悠人に交際を申し込まれたときと同じ感覚だ。

 さっきから募っていた恥ずかしさと、周りの冷やかすような声のせいで、私は素直になれなかった。


「っ! き、嫌いっ!」


 折角『嫌い』の言葉を打ち消すために『好き』の言葉が口から出たのに。

 遠のく意識の中、身体が勝手に悠人の頬を平手で殴る。

 そして次の授業のため、体操着を抱えて逃げるように更衣室へ走った。


「ばかばかばかばか」


 顔から火が噴く、とはまさにこのことなんだろう。

 まだ誰もいない更衣室に入り、その場で座り込んで胸に手を当てる。

 とくとく、と跳ねる心臓が最後の引き金になったのか、視界が遠くなった。




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