第8話 (教科書2・桜)


 (教科書2・桜)


「お前ら教科書23ページ開け~」


 その言葉でハッと鞄を漁り出す雪葉。そして数秒後、鞄を漁る手を止め、顔を青ざめさせた。


 この国語教師は教科書忘れの生徒にめっちゃ面倒で悪評をかっている。

 ねちねちねちねち文句を言ってくるのだ。

 授業受ける気が無いのか? とか、教科書を忘れるヤツに授業を受ける資格はない! とか。


 雪葉は諦めたように教科書忘れを報告する為、手を上げかけた。

 仕方ねぇな。

 そんなラノベちっくなセリフを吐いて、俺は雪葉の机に教科書を投げる。


「ひゃっ……」


 その驚いたかわいらしい声を隠すために俺は口を開いた。他のヤツにこんな可愛い声を聞かせる訳にはいかん!

 手段と目的が逆転している気もしたが、気にしないことにする。


「せんせ~。すんませ~ん。教科書忘れましたぁ! いやぁ、昨日夜遅くまで予習してたらそのまま寝落ちしてしまったみたいで。ごめんなさい」

「そうか。予習をして忘れたのか。予習もいいが授業が最重要だからな。

 予習をしたことは誉めるが授業に教科書を忘れるのは一番駄目だ。誰かに見せてもらえ」


 だが、この教師には必勝法がある。この教師古めかしい分、予習復習の言葉に弱い。

 『蛍と雪の光で勉強した』なんて感動して泣き出すだろう。


「悠人……」

「どうした?」


 雪葉の顔が何故か真っ赤だ。可愛いけど、今恥ずかしがるようなことあったか?



 言えない、絶対に言えない。こんなこと言える訳がない。

 悠人のでたらめが私の教科書を忘れた理由をピッタリ当てていて、それが運命だ、とか思ってしまったなんて死んでも言えない。

 あと私の彼氏はやはり格好いいとか思ったなんて言えやしない。


「ぁ、ありがと。た、頼んでもないのに……」


 そして、私の惚れた男は凄く優しい。優しすぎる。

 私のイケメン彼氏が優しすぎる件、とかでブログ書いたら売れる。確信を得た。


「まぁな。どういたしまして」

「その、はい……」


 雪葉が机を持って俺の机に寄せる。

 なんかその動きだと俺が雪葉に教科書を貸す感じになるんですけど……いや、その通りか。

 少し空いた机の隙間が可愛すぎて悪戯したくなった。


「なんで少し隙間が空いてるんだ?」

「っ……」


 雪葉がピクリと跳ねた。そして足で机をそろりと寄せる。あたかも最初からくっついていたかのように。ちょっと寄せきるのを忘れていたかのように。


「恥ずかしいのか?」

「っ……イジワル。別に、恥ずかしくて近づけなかった訳じゃない。自意識過剰、自惚れ」


 目の下を真っ赤にして少し潤んだ目をむけられる。

 『俺のツンデレ彼女が可愛すぎる件』ってブログに作ったら殺されるな。妬まれ過ぎて殺されるな。

 罪悪感が沸いてきたので俺は椅子ごと雪葉に、身体を寄せた。


「ありがとうな」

「教科書、悠人が貸してくれた……からオカシイ」

「さぁ? なんの話だ?」


 建前は俺が雪葉に教科書を借りている側だ。知らんふりしておこう。

 教師ののんびりとした解説を聞きつつ、窓の外を眺める。

 桜の花は完全に散り、青葉が生き生きと開いている。


 瞬間、周りの雑音が消えた。ブワッと風が吹き、雪葉の髪が舞い上がる。

 教科書にシャーペンを当て、授業を聞いている雪葉の横顔が綺麗だ。風に対して少し、目を細めるその顔が綺麗だ。


 雪葉は少しだけうざったそうに髪を押さえつけ、ポケットからゴムを取り出した。

 そのゴムを口にくわえ、髪を結わえる。最初はアンダーテールにしようとしていたのだろうか、俺の方を見る。

 俺の顔が赤いのが自分でも分かった。雪葉がふふっと笑う。

 そして髪型をポニーテールに変えた。


 ドキッとしてしまう。そう、雪葉は高1の頃の、巫山戯た俺の自己紹介を覚えていたのかもしれない。

 『好きな髪型はセミロングのポニーテールなんで、女子の皆さんよろしくぅっ!』

 って、下らなさすぎる自己紹介。最初の数日はみんながノッてくれてポニーテール祭りだったがGW明けには誰もしなくなった。

 あのときはモテ期かと思ったが、みんなノリが良いだけであったと知って、涙がちょちょぎれたのは余談である。

 女子いわく、首が疲れるそうだ。


 ……香り。香り香り香りっ!

 周りの雑音が戻り、現実に引きもどされた。

 フローラルな香り。フレグランス、芳香! 女子の匂いはヤバい。胸が満たされるっ!

 ドキドキするっ! こんなにいい匂いがすんのか!?


 髪の毛が撒き散らす雪葉の香りは、いい意味で公害条例を違反していた。いや、公害じゃなくて俺害だ。雪葉の匂いを他の奴らに嗅がせるわけにはいかねぇ!


「じゃあ折角予習したんだ。悠人、この主人公の発言の真意を見せてる説明文は何行目だ?」


 教師に当てられる。なんてこったパンナコッタ。嘘は身を滅ぼす。

 勿論、予習なんてやっていない。そこの部分の予習はやってないって言うべきか?

 いや、そしたら『他の所は予習したのか?』って当てられるだけか。どうすれば――。


「悠人……」


 雪葉が俺を突いて、文をシャーペンでなぞる。

 そこが答えなのかっ!? 38行目!

 あまりよく見ずに答える。


「38行目ですか?」

「おぉ、正解だ。少し疑っていたんだが、しっかり予習しているようだな。お前ら38行目の…」


 ほっ……た、助かった。雪葉は予習してたのか? ふとそこである考えが頭に浮かんで、慌てて掻き消した。

 馬鹿だ、俺は何を考えているんだ。


 クセで人差し指の第2関節の皮を軽く噛む。

 『俺の嘘が、雪葉が教科書を忘れた理由と同じなら運命だ』とか思ってしまった。思考がおとぎ話すぎる。


「あ、ありがとう」

「守ってくれたから、借りは返すだけ」


 窓から春風が吹いてくる。少し湿った暖かい空気が雪葉の髪を揺らして、雪葉の匂いを巻き上げた。



 私が息を強く吸い込んだのは決して、悠人の香りを吸いたかった訳ではない……筈だ。



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