とある日の彼女
第7話 (リップクリーム・合理性)
(リップクリーム・合理性)
どんなに逃げたって学校では顔を合わさなければいけない。
気まずい。あの反応だと多分間接キスに気付いてる。
何て弁明すればいいんだろうか。雪葉ならキモいとか言ってきそうだ。クソ、またしても俺のメンタルが崩れちまう。
俺が机に突っ伏してあーだこーだ昨日の失態に唸っていると、恥ずかしそうな声が聞こえた。
「お、おはよ……」
顔を上げると雪葉がいた。いつもと同じ冷めた顔の雪葉がいた。愛しい彼女がいた。目が合うと逸らして顔を染めるのが可愛い! って違う。
「おっ……ぉぉぉおお! お、おはようっ!」
思わず素っ頓狂な声が漏れて、教室に響く。が、雪葉からのレスポンスはなく、教室の空気は冷えて固まった。数秒の沈黙の後、俺は口を開いた。
「ゆ、雪葉、昨日は」
「ドキドキしなかったの?」
「へ?」
「……その、私は全く、キスとか気にしてないから。でも、ドキドキしなかったんだ。そっか……ま、まぁどうでもいいけど」
顔が違う! 表情が『どうでもいい』のそれじゃない! 完全に悲しがってるような悔しがってるような顔じゃないか!
「お、俺は気付いていなかっただけで、そんなやましい気持ちは抱いてなくて!」
「朝からお熱なことだな! いいよな! リア充は、なぁ悠人!」
「「五月蠅い黙れ」」
「二人揃って言うことじゃないだろ……」
悲しそうに肩を落としたそいつ。だが、俺は悪くない。
冷やかされたことで雪葉の口調が少しつっけんどんになった。
「で……どっちなの?悠人」
その『どっち』の真意は分かっている。ドキドキしたか否か。そりゃ勿論、答えは決まってる。
「その……すっげぇドキドキした。ただの粘膜接触以下の行為にアホみたいにドキドキした」
「……」
「みょ、妙に着いてるリップクリームの艶がすげぇ艶めかしくてな、あれはもう天使の潤いだな。やっぱ聖なるものが触れた物には聖力が宿るというか、お陰様で俺の精力も全開フルスロットルで捗ったけどやはり何といっても――
「もういい、言わないで! 気持ち悪いっ……」
悠人の言葉を思わず遮ってしまう。仕方ない、内容はイロイロとイロイロだが、実のところ私もイロイロしてしまったし、それを聞いて今日のイロイロもイロイロと捗りそうだとか、嬉しいとか思ったし、そうなるとやはり恥ずかしくて――というかイロイロとイロイロな話を教室でするのはイロイロと問題があるので切って捨てた。
別に内心で『もっと初めての間接キスについて喋りたい』なんて思ってないけど、悠人の言葉を遮ったことを後悔した。イロイロとイロイロなことを聞くのも、私のイロイロな事のためにも使えるのだ。
……イロイロが多すぎてなに考えてるのか自分でも分からなくなった。
――でも、甘酸っぱいようなドキドキ感で胸が満たされていて、幸せだったことは否定しない。
「しゃっ! お前ら出席番号順の席とか飽きてるだろ! と言うことで、だ! 席替えするぞ!」
「オォォォオオ!」
席替え、それは誰が隣になるかドキドキして、その一瞬だけ神を信じ、験を担ぎ、そして勝つか負けるかと、心躍る行事である。
なんて、ラノベでは紹介されてるけど別にそこまで心躍る行事じゃない。……なったらない。
窓側は寝たり遊んだり、廊下側は学食ダッシュや授業をサボるのに向いてる。
もちろん、俺は窓側希望。窓側はボーッと出来ていいもんな。
別に窓際かつ、雪葉の近くがいいなんて思ってない。
今の席は雪葉からかなり離れている。せめて斜めで隣になりてぇな。
スッと雪葉の方を向くと、雪葉もこっちを見ていたようで目が合った。雪葉がすぐに目を逸らしたがもう遅い。
立ち上がって歓声をあげる奴らに紛れ、俺は雪葉に近づく。
「よ、雪葉」
「悠人、何? 別に目なんて合ってないのになんで来たの?」
「合わないと来ちゃダメなのか?」
「……好きにすれば?」
「おうよ。んで、席替えだな。雪葉はどこがいいんだ?」
「連絡とかお弁当とか合理的な隣がいい」
ポタリ、とYシャツに赤い何かが垂れた。
直接的だ。窓側とか廊下側そういうことを聞いたのに、なんと雪葉は俺の隣をご指名だ。
な、なんて素晴らしいんだ! あぁ、雪葉が愛らしすぎる! うちの雪葉は誰にも渡さないぞ! 雪葉との結婚なんて誰だろうと蹴っ飛ばしてやる! 俺が雪葉を守るんだ!
「悠人? 鼻血……」
「あ……ホントだ。テッシュ持ってるか?」
「拭くから立ち上がって椅子を蹴っ飛ばすのを止めて。迷惑だし、なんか今の悠人お父さんに似ててちょっとイヤ」
さすがJK、ポケットテッシュを常備しているようだ。ちなみに彼女の言葉は全スルーすることにした。だって傷つくもの。
結果、何も聞いていなかったので、俺にとっては突然に雪葉が急接近して、俺の鼻から垂れる血と、Yシャツについた血と、俺のハートを奪い去っていたように思われたのである。
「うん、オッケー……だいじょうっ……!///」
顔が接近したことに今頃気付いたのか。口に手を当てて顔を真っ赤にし、半歩下がる雪葉。
ちなみに俺は恥ずかしさと興奮で頭がショーとして、思考は一分前の会話に立ち戻っていた。
連絡=おしゃべり。お弁当=お弁当を一緒に食べる。それが合理的にできる隣? ツンデレのくせにデレがまったく隠れてない。
「雪葉、隣になりたいな」
「っ、別にイヤでも嬉しくも……どっちでもないけど。土下座するなら隣でもいいよ」
あやうく、本日二度目の出血をする所だった。
主に土下座して頭に血が上るせいで。
なんで俺はこんなにも籤運がないんだ。
「あ"~……」
前と同じぐらい、いや前より遠くなってしまった雪葉の悲しそうな顔が遠くに見える。あぁ、日本とブラジル以上の距離だ。地球の裏より遠い距離のアダムとイヴになった気分だ。
「ざまぁみろリア充」
ちなみに俺の横は告白罰ゲームの対象を雪葉に決めた、いわば俺と雪葉の恋のキューピッド。愛称はザキヤマ。
だが、俺が付き合い始めた途端罵ってくる厄介者と変わった。
ほら、今みたいに。
「へへっ、お前を非リアのどん底に引きずり下ろしてやるよ、前みたいによぉ」
「あっ、ザキヤマ~あんた席変わってくんない?窓側の空気が吸いたくてさ~」
確か雪葉の友達の……誰だっけ? ハナサキかな? が、わざわざザキヤマ指定で席交換を持ちかけてきた。
ザキヤマはいそいそと髪の毛を整え、わざわざ整えた長くもない前髪をカッコつけて払い、足を組んだ。
「ん? いいさ、どこの席だい? マイハニー」
お前のハニーではないけどな?
ただ話しかけられただけだぞ?
ふっ、妄想の激しい非リアめ。これだから童貞は……俺もだった。
「あそこの廊下側の席。いいかな?」
「あぁ、いいさ。僕は紳士だからね」
「ホント~!? ザキヤマめっちゃいい奴~感謝感謝~チョベリマ~」
感謝を全くしていない冷めた顔でそう言ってるのもなんだと思うが……外の空気吸いたいのになんでザキヤマに最初に聞いたんだ?
「なぁ……え?」
声を掛けようと横を見たら、ここにいるはずのない人がいた。
俺も童貞だから幻想が見えてるのか?
「雪、葉?」
「ハナちゃんがやっぱ廊下側の方が合理的って言って交換させてく……した。させられた」
今『させてくれた』って言いかけましたね?可愛いなぁオイ。
「マジか。後で感謝しないといけないな」
「なんで?」
「それは……」
スラスラと言いかけて、止まる。
ちなみに俺は恥ずかしがり屋じゃない。ついでに、ツンデレでもない。
「雪葉が嬉しそうだから」
決して『雪葉の隣がよかったから』と言えない訳ではない。
今の言葉にはきっと『雪葉の喜びが俺の喜びだ』っていう暗示があるんだ。俺は、俺はツンデレじゃない。
【おまけ】
引き出しの中の鍵付きの宝箱にティッシュを入れて、眺める。それだけで満足感が溢れてきた。
幸せがこもったため息が溢れる。頭の中にこんな文字列が浮かんだ。
今日の戦利品……悠人の鼻血を拭いたティッシュ。
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