第6話 君と私の世界

私は退院した。すっかり元気になった。身体は。心は元気ではない。またあの家族の元へ帰らなければならない。また地獄が始まる。憂鬱だ。あの楽しかった時間から一転地獄の時間が始まる。幸せと苦しみは半分こなんてよく言ったものだ。釣り合ってない。天秤にかけたら間違いなく地獄の方が重い。まあしょうがないか。私は今日も生きる。いきる。

家に着いた。親は迎えになど来てくれず歩いて自分の家へ帰る。どこにこんな親がいるのだろうか。自分の子どもが自殺未遂をして病院にいるっていうのにお見舞いにも来ず退院するのにお迎えすらない。本当に人間なのかこの人たちは。、と、疑いたくなる。残念ながら人間だ。呼吸をしていれば心臓も動いてる。将来こういう大人にはなりたくないと心底思った。誓った。

「ただいま…」

恐る恐る言った。すると奥から

「生きてたの?死んだかと思ったのに」

「どうして帰ってきた?死にたいんだろ?早く死ににいけよ」

と言葉が聞こえた。明らかに私に向けての言葉だ。その言葉が心臓を刺す。まるで底の見えない海のように。深く、ふかく、針は私の心臓を突き刺していく。痛い。苦しい。逃げ出したい。そういう感情が込み上げてくる。でも逃げられない。私は逃げられるほど大人じゃない。出口のない迷路だ。人生を迷路とするならば。入口は生まれた瞬間。なら出口は死ぬ瞬間?いつまで?あとどのくらい歩けば出口までたどり着ける?誰も教えてくれない迷路だ。言葉が人を傷つけるなら、言葉が人を救うのだろうか。救われたとしてそれは本当に救いなのか。分からない。

「ごめんなさい。生きててごめんなさい。」

私は親にこう言った。恐らく間違いだ。でもこの言葉しか出てこない。私はこの言葉しか思いつかなかった。

「そう思うなら早く死ねよ」

「生きてるだけで迷惑って知らないの?」

そう言う。どうしたいのだろうか。早く死んでほしいのだろうか。なら望み通り殺して欲しい。捕まらなくていい。罪を背負わなくていい。私に救いの死をください-。


「ねえ。私は君が生きてるこの世界が好きだよ」


私が生まれてから何年が経つだろう。私という存在が生まれてから十一年が経つ。もう一人の私が生まれて六年が経つ。十一年か。長いようで短いな。十一年で何かが変わっただろうか。いいや。なにも変わらない。むしろ状況は悪化する一方だ。

簡単に説明しようか。十歳の時 母がお酒で酔っ払い包丁で私の腹を刺した。深くは刺さらなかったが出血が凄かった。父はそれを見て笑っていた。狂っている。この家族は。自分の子を刺して笑っているのだ。可笑しい。なぜ可笑しいと思わないのだろうか。それが十歳の時に起きた出来事だ。

十一歳になった。私は二度目の自殺をする。耐えられなかった。もう限界だった。心が砕ける音がした。何かが無くなる音がした。無くしたのはなんだろう。心か。人間か。いや。自分自身だった。辛うじてあった自分という存在を私は消した。消えた。跡形もなく。粉々に。そして私は勢いよく走るトラックに衝突しに行く。ぶつかった瞬間の記憶はない。ただ覚えている。痛くなかった。痛みを感じなかった。運転手のおじさんが慌てて私に声をかけたのを覚えている。気持ち悪かった。あの目が。心配とは違う。おじさんが心配しているのは自分の未来のことだ。瞬時に分かった私は立ち上がり歩き始めた。腕から血が垂れている。あちこちから。血が出ている。私にもまだ血が流れてる事に少し嫌気がさした。この血は私を捨てた親と同じだと思うと吐き気がしてきた。おじさんが声をかけるが私は聞きはしなかった。そんなことよりも私は死ねてない。二度目の自殺でも。分からなくなった。もう死ねないんじゃないかと思うようになった。止まらない血を見つめながら私は家へと帰る。そして眠りについた。


夢を見た。知らない女の子が私の名前を呼んでいる。姿は見えない。でも、確かに呼んでいた。私は必死に答える。

「ここだよ」と

それでも届かない声。夢はそこで終わった。


私は完璧に壊れてしまったのか。何にも関心を持たなくなった。感情を失った。まるでロボットのように。親の言うことを聞き 殴られ蹴られ また繰り返す。もうどうでも良かった、自分の身体がどうなろうと。興味がなかった。いくら血を流そうが泣きもしない。声も出さない。ただ、ひたすら暴力に従うだけ。ああ。終わりだ。私は。さようなら。


十一歳の九月 私が通う学校に転校生が来た。女の子だった。髪が長く身体は細い。声は小さく、自己紹介の時に聞こえないと皆に言われていた。私は彼女を見つめた。なんで見つめたかは分からない。でも惹かれた。彼女に。彼女の存在に。私の中の何かがそう言っている。時が止まったような感覚がした。どのくらい見つめていたのかは分からない。一生分見つめていた気がした。

彼女と目が合う。私は逸らすことが出来なかった。だって。あの目。あの目は私と同じだ。この世界を憎み、この世界に悲しみ、自分という存在に興味が無い目。きっとこの世界では私と彼女しか分からない目。だからこそ逸らすことが出来なかった。いや。逸らしたくなかった。呼んでいる気がした。呼ばれている気がした。同じ世界で生きる者同士。共鳴という言葉が本当に存在するなら私と彼女は共鳴したのだろうか。ただただ見つめ合っていた。

そして私の世界は変わる。たった一人の存在に。世界が廻り続ける今 私の世界は幕を閉じ、新しい世界へと変わる。そんな気がした。気がしたんだ。間違いじゃない。


だって君は

私の夢の中で出会った人。

私の名前を呼んでくれた人。

私と同じ世界で生きている人。


だから。

やっと出会えた。夢なら醒めないでくれ。

醒めなければ夢と呼ばないだろう。今だけは夢のままでいい。君との出会いに。名前をつけよう。

ありがとう


と。

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