第2話 夢のまた夢?

 次に目を開けたあたしが見たのは、見覚えのある大樹の枝葉だった。いつもの山のてっぺんだ。これは、さっきの夢の続きだろうか。

 寝転んだままぼんやりと、風で枝が揺れるのを見ていると、


「無事に転移できたようだな、椎名紗希」


 その声で、ガバッとあたしは身体を起こす。手で押し込む土や草の感覚が、夢よりも生々しい。

 すぐそこには、一人、少年が立っていた。見た目的には、多分同い年くらい。


「あなたが、神様、ですか……?」


「一応、そうだな」


 ……そんな、根に持たなくてもいいじゃない。

 やりづらいなぁ、と思いつつ、気になることが一つある。


「何でそんな格好なんですか?」


 神様はピンクのパジャマを着ている。なんとなく、なんとなくだけどあたしが今着ているのにそっくりだ。


「同じ格好の方が親近感が湧くだろう?」


 親近感よりも嫌悪感の方が湧いてきそうなんですけど。


 超常的な力を見せつけられた今、そんなことは口が裂けても言えないので、黙り込んでスルーすることにする。


 あたしの胸の内の困惑を知ってか知らずか、わざわざ神様は近づいてきて、蹲み込んだ。

 うーむ。見れば見るほど全く一緒だこれ。整った顔をしているから、よくよく見たら女の子にも見えなくもないかもしれないけど……やっぱりちょっとキモい。


「…………」


 そっと後ずさりをしてみるが、樹の根に阻まれて、すぐに止まってしまった。


「そう怖がらなくてもいいぞ」


「は、はぁ……」


 曖昧に笑ってあたしは誤魔化した。


 よくよく周りを見てみると、さっきまでの風景とは違っている。手入れされて整然としていた木々は自由に生茂り、整備された道も見えない。別世界に来たという実感はまだ湧かないが、薄気味の悪さにゾクッとした。


「強引だったが、間に合わなくなっては困るからな」


「間に合わなくなるって……何にですか?」


「椎名紗希、お前が飼っていたペットはどれくらいいたか覚えているか?」


 その神様の問いかけはノータイムで答えることができる。


「ハクロー、ミケ、ピヨ、ルビー、コーちん、リク、キョウスケ、のことですよね」


「ああ。名前はよく知らんが、そいつらだな」


「みんなこっちの世界に、その……転生? しちゃってるんでしょうか?」


「そうだ。そして、犬と猫以外は既に誰かの手に落ちているか、凶暴性を増して環境を荒らしている」


 お前の夢に見せていた動物たちが消えていたのはそういうことだ。

 そう言って、神様は肩を落とした。


「お前の世界にいた動物たちの変性という災厄を防ぐことは、この私にもできないのだ。たとえこの世界を司る私と言えどな」


 悔しさが滲む声だった。神様にも不可能があるのか、と意外に思う。


「でも、神様にもできないようなことが、どうしてあたしにできるんですか?」


「あの白い犬のことを強く思い浮かべてみるといい」


 ハクローのことはいつだってすぐに思い出せる。スマホの待ち受けにもしているんだ。

 言われるがまま、あたしはハクローを頭に描き出す。


「えっ、何これ!?」


 右手の人差し指の先から赤い糸のような物が出た。ブンブン振ってみると、ゆらゆら揺れる。蛍のように輝きながら、温かさも感じるそれは、ちょっと不気味だった。


「それがお前と白い犬の縁だ。縁糸えんしという」


「あたしと、ハクローの縁……」


「それさえ繋がっていれば、変性獣オルタードビーストと言えど主従が結ばれることになる」


 ふよふよと空中に漂うそれは、風に流されるようにどこかに流れていっている。右前にずっと伸びていっている。その先がどうなっているかはわからない。


「悪人が使役する変性獣に対抗できる力を持つ者は、決して多くない。だが、変性獣たちとの縁が一番強いお前ならば。たとえ使役されていても、暴走していても、変性獣たちを取り戻すことができるはずだ」


「もし、あたしがみんなを取り戻すことができたら、どうなるんでしょうか?」


「変性獣たちを全て従えることができたら――あるいは無力化することができたら、お前を元の世界に返すことを約束しよう」


 真剣な顔をして、神様はあたしに宣言した。あたしは、その場に座り直してちょっと悩む。


 まだ想像もつかないけれど、もしみんなが迷惑をかけているとしたら、それは止めてあげたい。クソ親父の代わりにってわけじゃなくて、みんなのことが好きだから。


「……わかりました。でも、条件があります」


「何でも言ってみるといい」


「――元の世界での資金援助、よろしくお願いします!!」


 勢いよく頭を下げて神さまに手を伸ばした。

言ってやった! もしうまくいけば、進学や生活の為にバイトをする必要もなくなるし、母さんも楽できる!


 チラッと神様をみると、そんなことならばお安い御用だ、とあたしの手を取った。交渉成立!


 安心したように神様は微笑んだ。そして立ち上がり、グイっとあたしは引きおこされた。


「旅立つ前に、これを身につけておけ」


 神様が差し出したのは、青い宝石のような物がついたペンダントだった。


「これは何でしょうか」


「これを首に掛けていれば、お前はこの世界で言語の壁に阻まれることはない」


「……なんとかトーク的な?」


「なんとかコンニャク的なものだ」


 未来感半端ねー。

 それにしてもこのペンダットトップは煌めいて綺麗だなと、宝石を手に取って眺めていると、


「貴重な魔石だ。金に困っても絶対に売るなよ」


 神様に釘を刺された。そんなに意地汚く見えますかねぇ。


「う、売りませんよー」


 ちょっとムッとした物言いになってしまったが、もらったものはそのまま素直に身につけるあたしであった。魔石といっても、重さはあまり感じず、ずっと掛けていても大丈夫そうだ。何か変わったという気はしないが、神様はうんうん頷いているのでこれでいいのだろう。便利なものがあるんだなぁ。


「他には何かないんでしょうか? そういうお役立ちグッズとか」


 あと、先立つものとか。やっぱりあたしは意地汚いかな?


 神様は苦笑いをしながら、そうだなと言った。


「今のわたしがお前に託せるものは――」


 その時、激しい遠吠えが聞こえた。神様もあたしも、その方を見る。赤い糸が伸びていた方向だ。この声は、


「――?」


「ハクロー!?」


「ヴォオオオオオオオン!!」


 遠くの空に白い姿が見えた瞬間、思わず目を閉じてしまった。ブワッと風がやってきて髪が乱れる。そして、いい匂いとは言えない獣の臭い。でも、それは懐かしい。


 ゆっくりと目を開ける。そこには、白い毛の壁があった。


「ハク、ロー……?」


 そこにいたのはハクローであって、ハクローではなかった。あたしの知っているハクローは、こんな、クジラのようには大きくない!


「久しぶりだな……大丈夫か、サキ」


 優しい声が頭の中で響いた。


「ハクローなの?」


「ああ」


 目の前の白壁が動き、ハクローの顔があたしの方に向いた。大きい頭だった。あたしくらいなら丸呑みできてしまいそうだ。


 それでもあたしが逃げ出さずにいられたのは、ハクローの名残を確かに感じたからだ。


 ミケとのケンカで少し欠けてしまっている右耳、眉間にある三つの黒点や、まん丸な青い瞳。そしてクルッと丸まった尻尾。ブンブンと嬉しそうに振られている。


 見てくれは大きく変わってしまっているが、これがハクローだと、ようやく思うことができた。


「ハクロー?」


「どうした?」


「何で、あたしたち会話ができているの? ペンダントの力?」


「いや、サキと俺が深く繋がっているからだ」


 そういうハクローは、あたしと繋がっている赤い糸を鼻で示した。縁糸ってすごい……。


「神様、縁糸って」


 あれ、神様がいない。ハクローの脇から顔を覗かせて見回してみるが、誰もいない。


「ここにいた人――って言うか神様知らない?」


 あたしがそう言うと、ハクローの眉が少し下がり、尻尾も元気を失った。おや、この感じは、あたしに叱られるかもしれないと怖がっているのか?


「その少年なら……喰った」


 えっ? 食べた?


「一応、彼、神様だったんだけど」


「そうなのか? 気がつかなかった」


「何食べられちゃってるんだ神様ー! あたしを元の世界に戻すって約束はどうなるの!?」


「そ、そんな約束をしていたのか」


「ハクローもハクローだよ! 道に落ちてる物を食べちゃダメってあんだけ言ってたじゃーん。何やってんのよもー!」


「ごめんなさい」


 でかい図体でシュンとするハクローを見ると、さすがに冷静になってくる。これ以上責めても仕方がない。


 あたしがとため息をついたのを見たハクローは申し訳なさそうにしている。


「てっきり、サキが悪い人に何かされるのかと思って」


 そっか、あたしを守ろうとしてくれたんだ。


 家で留守番をしている時に来た変な人を、吠えて威嚇していたことを思い出す。

変わらないハクローの思いやりに、ちょっと嬉しくなる。でも。


「一回ペッてしてみて、ハクロー」


 あたしの言葉に従って、ハクローはモゾモゾと身体を動かした。

 食べたばっかりだったら、まだ間に合うかもしれない。


「……で、できない」


「えー?」


「喰った……と思ったんだが。よくわからない」


 よくわからない?


「腹の中にソイツがいるか、感覚がないんだ」


「じゃあ、神様は食べられてないってことなのかな?」


「この世を司る神がいなければ世界は成り立たない。この世界が崩壊していないというのは、まだ神様が存在しているということだろう」


 拾い食いをしたばかりのくせに、ハクローは賢そうなことを言っている。


「じゃああの約束ってまだ大丈夫なのかな」


「多分」


 多分、ね。

 

 でもあたしはそれを信じるしかない。何も知らない世界に飛ばされて、どうすればいいのかわからない今、すがれるのは神様の遺したその約束だけだった。


『お前の世界にいた動物たちの変性という災厄を防ぐことは、この私にもできないのだ。たとえこの世界を司る私と言えどな』


 確かに、こんな感じじゃあ無理だったんだろうなぁ。

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