第4話 告白

 大した会話もないまま歩いた二人は、ものの5分で駅前に着いた。ちょうど電車が定刻通り到着した後らしく、多くの人がロータリーに溢れかえっている。タクシーやバスが停まるロータリーでギターをかき鳴らすわけにもいかないので、二人は立ち止まらず広場へと向かった。そこは待ち合わせ場所にもよく利用されている開けた場所で、街灯が多く、夜でも明るい。いつもなら一組二組パフォーマーがいるのだが、幸い、今日は誰もいなかった。

「……よし、ここにしよう」

中川は広場の端の方のベンチに向かっていく。どうせならもっと人通りが多い場所にすればいいのにと野瀬は思うが、中川なりの考えがあってのことだろうと黙ってついていった。

 ベンチに腰を下ろした中川は、さっそくギターをケースから取り出す。相変わらずきれいに磨かれたボディが美しい。

「ケース、下に置いておけば?チップ入れてもらえるかもよ」

野瀬がそう提案すると、中川は素直に頷き、ケースを開いた状態にして地面に置いた。ギターの準備もできたし、これでロケーションは整った。あとは演奏をするだけだ。何故か野瀬は緊張してきた。対して中川はわりとリラックスしているのか、落ち着いた目で広場を眺めている。

「…じゃ、ぼちぼち始めるか」

中川はそう言うと、早速ギターを弾き始めた。曲のイントロを聞いただけで、野瀬は何の曲を演奏しているか分かった。最近流行っている歌手の曲だ。昨年末の歌合戦で披露して以来、随分話題になっていた。広場に居る人でも知っている人は多いらしく、何人かが立ち止まって中川の方を見ていた。野瀬はすかさずそちらに駆け寄ると、

「すみません。今から路上ライブするので、よかったら聞いていきませんか?」

そう声をかけて中川の方を指した。人のよさそうな女性は少し考えた後、「じゃあ、少しだけ」と中川の方に歩んでいく。

 同様に、演奏を聞いて少しでも反応した人が居れば、野瀬はそちらに行って演奏を聞いてくれるように声をかけていった。断る人もいたが、思いのほか頷いて聞きに来てくれる人が多かった。おかげで中川の周りには、いつの間にか人の輪ができていた。野瀬はその人の輪の外側から、そっと様子を窺う。

 中川は人に囲まれて流石に緊張してきたか、声が少し上擦ることがあった。しかしメロディは走ることもなく安定したスピードで奏でられており、ミスをすることもない。とても綺麗で丁寧な演奏だった。野瀬はそれを聞きながら、初めて中川の歌を聞いた日のことを思い出していた。衝撃と穏やかな喜びの同居は、今でも忘れていない。あんな歌を作れる中川は、本当にすごい人なのだと思った。

 やがて曲が終わる。人垣から拍手が溢れ、何人かの人はギターケースに小銭を入れていた。中川は律儀に頭を下げ、「ありがとうございます」と礼を言う。その姿勢も真摯で好感が持てた。その調子で何曲か歌手のカバー曲を披露していく中川。野瀬は人垣が減るタイミングで、最初と同じように広場の人に声をかけ、客寄せをしていった。


5,6曲カバー曲を演奏した頃に、中川は一息つくと、ペットボトルの水を飲む。そしてギターを抱え直し、人垣を見渡した。ぎこちない笑みを浮かべている。

「えと……次からは僕が作った曲を演奏しようと思います。よかったら聞いて行ってください。まずは…『早春』と言う曲です。」

ギターの穏やかな音色が広場の片隅に響く。中川は滔々と歌った。野瀬と出会ったあの川のせせらぎのように。嫋やかに流れていく雲のように。野瀬は初めて中川の歌を聞いた日と同じ感動を味わっていた。その曲もまたスローテンポながら明るい雰囲気の曲で、耳によく馴染む。早春という曲名がよく似合う曲だった。野瀬は一度聞いただけでその曲を好きになった。

 曲が終わると、人垣からカバー曲の時よりも大きい拍手が起こり、野瀬は嬉しくなった。野瀬自身も大きな拍手を送る。中川は何度も頭を下げ、小銭をギターケースに入れに来る客一人一人に礼を言っていた。その調子でオリジナルの曲も何曲か歌い、ライブを始めてから1時間くらいが経過した頃。既に何人もの客が中川の周りには集まっており、次の演奏を期待していた。中川はその人垣を見渡し、口を開く。

「次で、最後にしようと思います。…次の曲はつい最近作った曲で、自信作です。ぜひ聞いてください。曲名は、……『景』」

ついにあの曲が演奏され始める。イントロの時点で、野瀬は肩に力が入った。胸がどきどきと高鳴る。歌声が響くと、その高鳴りは息をひそめ、代わりにじんわりとした歓びが胸を占める。それは走りながら風の息吹や自然の呼吸を感じている時と同じ、高揚感とも多幸感とも違う歓びだ。

「どこか遠くへ、行きたい気持ちを、押し込めて―――♪」

僕は、生きている。気づけば野瀬は歌詞を口ずさんでいた。一度しか聞いていないのに、自然と歌詞は頭の中に入っていた。

 中川の歌は皆を惹きつけていた。客の表情を見れば分かる。皆穏やかな顔をして中川を見守っていた。野瀬は多少無理やりだったが中川を焚き付けて路上ライブを開いてよかったと思った。こんな風に中川が、見ず知らずの人々に受け入れられているのを見ていると、嬉しくなる。中には手を組んでうっとりと聞き入っている女性もいた。それを見た時、野瀬の胸の奥に引っかかりが生まれた。

(……―――ん?)

なんだろう、このささくれのような微かな痛みは。聞き入る女性を目でとらえたとき、一瞬だけ、中川が遠くに感じた。違う、どこか遠くへ行ってしまいそうな気がした。何故だろうか。野瀬はいつしか歌詞を口ずさむのを忘れ、中川を凝視していた。緊張が解れた爽やかな表情で、中川はラストスパートを歌い上げる。

「たおやかな風に乗せて、今、 届けたい―――♪」

……人の輪から大きな拍手が上がった。数々の人がギターケースにお金を入れていく。中には札を入れている人もいた。野瀬はぼんやりとその様子を眺めながら、先程感じた痛みが何なのか考えていた。

「いつもここで歌ってるんですか?」

一際聞き入っていた女性が中川に声をかけている。その頬は仄かに紅潮していた。中川はぎこちないが笑みを浮かべ、

「いえ、今日初めてここで歌ったんです。」

そう丁寧に答えている。

「えー、そんな感じ全然しなかったですー。またここに歌いに来ますか?それともライブハウスとかで歌ったりするんですか?」

「えっと…ライブハウスとかはまだ考えて無くて……でもここにはまた来るかもしれない、です。」

「本当?!じゃあまた聞きに来ますねー!」

女性は嬉しそうにそう言って帰っていった。中川は何度も頭を下げている。野瀬の胸の痛みは増していた。そうか、中川はまたここでライブをするつもりなのか。それは喜ぶべきことのはずだ。路上ライブを続けていたらファンがつくかもしれない。先程の女性のように。そしてゆくゆくはライブハウスで大勢の前で歌うようになるのかもしれない。本当に、喜ぶべきことなのに。野瀬は素直に喜べずにいた。

 そして、人垣が粗方去った時、野瀬はやっと気づいた。あの歌。自分を題材に歌われたあの歌が、皆のものになる。中川が皆のものになる。それに違和感を持っているのだと。


 野瀬はベンチに座っている中川の方に歩み寄った。顔を上げた中川の額には僅かに汗が浮かんでいる。歌いきった、そんな達成感が表情に現れており、野瀬は改めて路上ライブに誘ってよかったと思った。

「……すごい、思ったよりお金もらえちゃった。ほら、千円もある。」

中川はギターケースの中の小銭や札を野瀬に見せ、興奮した様子で告げた。

「半分は野瀬のだね」

「いや、いいよ。中川の歌が貰ったお金じゃん」

そんな会話をしながら、金は一度鞄の中にしまい、ギターをケースに片づける。

「じゃあ、せめて今度飯でも奢らせて。今日は野瀬のおかげでいい経験ができたから」

そう言う中川は達成感に満ち溢れており、普段のクールな様子とは違った印象を受けた。経験はここまで人を変えるのか。野瀬は新鮮な気持ちを抱きつつ、胸の奥の痛みが少し引くのを感じた。

 片付けを終えると二人はすぐに帰路についた。帰りしな、野瀬は中川に何か奢ってもらう約束をした。野瀬は学食でもいいと言ったが中川は聞かず、どこかいい店にしようと言った。

「この辺でいい店なんて、俺知らないよ。」

「じゃあ俺が調べとく。野瀬もどこか行きたいところあったら言って、遠慮しないで」

いつの間にか二人は、あの川べりに行きついていた。帰り道は必ずここを通らないといけないわけではないのだが、気づけば足が向いていたのだ。夜の川は昼間とまた雰囲気が違い、神秘的なイメージをもって二人を迎える。せせらぎの音が心地いい。

「はー………なんかちょっと、疲れた」

中川はそう言うと、いつものベンチに座った。野瀬もその隣に座る。狭い夜空を見上げながら、中川は本当に心地よさそうに目を細めた。その表情は達成感のほかにも高揚感が見られ、清々しい。その気持ちが野瀬にはよく分かる。心地よく走り終えたとき、野瀬も同じような気持ちになるからだ。

「また駅前で歌うの?さっき女の人に言ってたけど」

野瀬は中川に尋ねる。中川は「んー、」と少し考え、

「新しい曲ができたらやるかな。」

そんな風に答えた。やはり中川はまた路上ライブをやるつもりなのだ。野瀬は嬉しい反面、胸の痛みをまた感じた。自分が中川に対し抱いている気持ちを、こんな風に自覚するとは思わなかった。

 二人は暫く黙った。川辺は本当に静かで、川のせせらぎだけが確かに聞こえる。月の光を反射する水面は揺れ、風は心地よく吹く。


「でも今日は本当に、いい経験ができた。緊張もしたけど楽しかったし…野瀬のおかげだよ、ありがとう。」

中川は野瀬にそう礼を言うと、野瀬の顔を見る。月明かりに照らされる中川の表情は晴れ晴れしく、今までで一番自然な笑顔だった。野瀬はそれを見て、たまらない気持ちになった。ギターを弾いている時の中川の表情、しなやかに動く指。奏でられる音楽、紡いだ詩。全てが野瀬の中でひとつになり、はじけて、感情になる。

「そんな……俺は何もしてないよ。全部中川の才能だよ。」

「俺に才能なんてないよ。本当に、ただの趣味だし。俺一人だったら一生誰にも聞かせなかったと思う。……それに、野瀬が居なかったらあの曲もできなかった。」

あの曲。『景』と名付けられた曲は、中川にとっても特別なものらしい。それは野瀬にとっても特別であることを指す。

「中川、俺、中川の歌も演奏も本当にすごいと思う。俺を題材にして歌を作ったって聞いたときは正直驚いたけど、でも、うれしかった。」

野瀬は素直な今の気持ちを口にする。中川は神妙な面持ちで聞いていた。内心、勝手に知らない他人を題材にして曲を作ったことに不安を覚えていたのだ。こうして嬉しいと言われると安堵できる。野瀬は続けた。

「才能あるとかないとか、そんなのどうでもよくてさ。俺個人として、これからも中川を応援したい。何回も歌を聞きたいし、もっと色んな曲を聞いてみたい。」

気づけば身を乗り出していた。二人の距離はぐんと近くなり、中川は驚いて思わず身を引いていたが、野瀬は構わなかった。こんな気持ちは黙っておけない。しまっておけない。感情を、全てを、中川のように歌に乗せることができないなら言葉で伝えるしかない。


「ずっとそばで、見ていたいんだ……好きなんだよ、中川のこと」


 それは中川の歌う姿を見ていて実感した気持ちだった。恋という気持ち。野瀬が初めて感じた恋心は同性に対してのもので、受け入れられるはずがないと分かっていた。それでも伝えずにはいられなかった。気づけば心の奥底から飛び出していたその言葉を聞いて、中川は目を丸くする。あまりにも突然のことで、理解が追い付かない様子だ。たっぷりと間を置いて、漸く、

「え……えっと、好きってそれは……恋愛感情とか、そういう、こと?」

戸惑い気味にそう尋ねる。野瀬はこの時初めて自分が恥ずかしいことを口にしていたのだと悟り、顔が赤くなった。しかし明かした恋心に嘘偽りはないので、しっかりと頷き、

「中川のことが好きだ。恋愛感情って意味で……男にこんなこと言われても困ると思うけど、でも…黙っておけなかった。ごめん」

居た堪れなくなり、謝罪を口にする。

「謝る必要はないけど……びっくりしたぁ、いきなりだから……」

中川は驚きと戸惑いが同居した表情で目を泳がせている。どうしたらいいのか分からないのだろう。当たり前だ、今まで友人だと思っていた同性に突然告白されたのだから。野瀬はその戸惑いを大いに理解しながらも、沈黙するのが怖くて言葉を続けた。

「最初は中川の歌が好きなんだと思ってたんだけど、そうじゃなくて、歌ってる中川自身が好きなんだなって見てて思って…もっと傍にいたいって思うようになった、というか……」

「わ、わかった、ちょっと待って。あんまり色々言われると混乱する。」

中川は野瀬を手で制すると、困ったように眉を下げて笑う。

「そりゃそうだよな、ごめん……」

「だから謝る必要はないんだってば。」

野瀬は勢いづいて告白したはいいが、中川の気持ちをあまりにも考えていなかったと猛省し、肩を落とす。そのしょんぼりした様子はまるで恋に破れたかのようだ。実際、勝ち筋はほとんどないと思っているのだが。

 野瀬も中川も暫く黙っていた。遠くに川のせせらぎを感じる。しばらくすると、中川の方から口を開いた。

「…野瀬の気持ちはよく分かったよ、ありがとう。でも今すぐ返事はできない。理解するので精いっぱいだから…。」

「へ?」

野瀬は驚いて顔を上げた。てっきり今すぐ振られるものかと思っていたから、返事を保留にされたことが意外だった。

「ちょっと考える時間をくれる?必ず返事はするから。」

中川は黒く澄んだ瞳で野瀬を見つめる。ああそうだ、その瞳も好きなのだと野瀬は実感する。吸い込まれるような純粋色の瞳。野瀬は頷き、

「いつまでも待つよ。」

そう言った。中川は安堵のため息を吐くと、ギターを背負って立ち上がる。

「じゃ、俺、先に帰るから…あの、今日は本当にありがとう。感謝してる。」

しっかりした口調でそう言い残すと、ベンチに野瀬を残して去っていった。

 残された野瀬はベンチの背もたれに背を預け、思い切り深いため息を吐いた。自分は緊張していたのだ。そりゃそうだ、生まれて初めて告白したのだから、しかも同性に。まさか自分が同性を好きになり、その日のうちに告白をするとは思っていなかった。それだけ大きな感情なのだと思い知った。

(そうか、これが恋…。)

熱い頬を掌で擦りながら夜空を見上げる。そこには星が瞬いており、遠くの方には三日月が見えた。そのどれもこれもが綺麗に見えるのは、きっと自分が恋をしたからだろうと野瀬は思った。

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