歌う鳥 ―『飛鳥』番外編

石燈 梓

歌う鳥(1)


          1



「それで。お前ら、いったいいつ結婚するんだ?」


 単刀直入に問われたオダは、あやうく乳茶スーチーを吹きこぼすところだった。訊いたわしは、平然としている。

 夕食用の茹でた肉饅頭ボーズ炒め飯プロフを用意していたたかは、やんわりとたしなめた。


「あなた……」

「だってなあ。誰がどう観たってなのに、いつまで迷っているんだと」

「…………」


 オダは、唇についたお茶を手の甲でぬぐい、苦笑した。



 夏。オダとはとを含むニーナイ国の商人たちは、トグリーニ部族の本営オルドゥを訪ねていた。目当ては、〈草原の民〉の夏祭り『ナーダム』だ。遊牧民はもちろん、キイ帝国側の商人や、〈黒の山〉の巡礼者たちもやってきて、それは賑やかな市が立つ。

 鳩はミトラと他の女達とともに、氏族長と長老たちへあいさつに行き、オダだけ先に鷲のユルテ(移動式住居)を訪問していた。


 そこで、冒頭の質問になったのだ。


 赤毛の青年は、今年二十四歳になる。彼の国の常識では、とうに妻を迎えて子の一人や二人はいてもおかしくない。鳩も、きおくれと揶揄やゆされかねない年齢だ。

 鳩は鷲の前妻・とび(ユアン)の妹なので、鷲にとっては義理の妹。鷲は彼女の兄であり、育ての親でもある。行く末が気になるのは当然だ。

 オダは、何と説明しようかと迷った。


「考えていないわけではないのですが……。鳩の気持ちを考えると、どうかな、と」


 この返事に、鷲は「ふむ」と鼻を鳴らして腕を組み、鷹は慎重に訊いた。


「鳩ちゃんは……他に好きな人がいるの?」

「そうではありません。すごく、楽しそうなんです」


 〈草原の民〉とニーナイ国が和解し、ミナスティア国の内乱が終息すると、鷲は鷹と娘の鳶を連れて、ここ本営オルドゥへ移り住んだ。その際、鳩はオダのいるニーナイ国のシェル城下に留まった。

 若い娘が独居というわけにはいかないので、鳩は、ミトラとほか数人の寡婦たちが暮らす〈女たちの家〉に身を寄せた。娼館などではない。戦乱で家族や夫を亡くしたミトラたちが自立して生計を営めるよう、トグルが支援して創らせたのだ。


 ミトラたちは畑を耕し、葡萄を育て、皿を焼き、絨毯を織ったり刺繍をしたりして商売を始めた。トグルはその活動を保護し、キイ帝国産の茶や生糸や草原の羊毛を安く提供する一方(無償はミトラたちの方で固辞した)、彼女たちの作るものを購入して〈草原の民〉の間で流通させた。鷲も、陶製の皿の絵付けなどを指導した。

 六年が経過した今、彼女たちの販路はミナスティア国やナカツイ王国まで拡がり(運ぶのは、ナカツイ王国の商人エツイン=ゴルだ)、ちょっとした豪商になっている。そろそろトグルの支援からも独立できそうだった。


 鳩はミトラたちの事業に参加し、今ではそれが楽しくて仕方ないらしい。――と、オダには観えた。各国を忙しく駆け回っているオダと結婚すれば、仕事を続けられなくなるかもしれない。それは、鳩にとって幸福だろうか。


 鷹は青年の考えを聴くと黙って微笑み、乳茶のおかわりを注いだ。

 鷲は、ふうん、とうなずき、思案気に顎鬚あごひげをこすった。


「俺は、てっきりお前はまだはやぶさを諦めていないのかと」

「いやだなあ、何年前の話ですか」


 オダは頬を赤らめた。かの女性ひとへの憧れは、青年の心に宿り続けている

 まだ少年だった彼の前に颯爽と現れた白銀のひと――隼は、少年のような体躯に玲瓏とした美貌をもつ、氷河の精霊のような女性だ。剣技も意志のつよさも、並みの男性はかなわない。しかし、実は情にもろく、他人の心情に流される弱点を持っている。

 彼女はトグルを愛し、トグルも彼女を愛した。オダは自分の気持ちを告げることさえなかったわけだが、この二人は彼のうちで神格化され、憧れは崇拝めいたものに変わっていた。


 隼はオダにとって、手の届かない高みに在る女神だが、鳩は違う。

 鷹は、乳茶をひとくち飲んで微笑んだ。


「結婚したからって、事業に参加できないわけではないでしょう。ミトラさんたちが区別するとも思えないわ」

「それはそうなんですが……条件を出されたんです」

「条件?」


 話はそこまで進んでいるのか。鷹と鷲は顔を見合わせた。

 オダはうなずき、乳茶を飲んできり出した。


「デルタ伯母と、ミトラさんの両方に。出来るだけ、盛大な式を挙げてくれって」

「結婚式?」

「どういうことだ?」


 鷲は再び胸のまえで腕を組み、片方の眉を跳ね上げた。青年は、困った風にうなじを掻いた。


「オレは――僕は。俺は、もちろん鳩を大事にするつもりです。でも、伯母が言うには、きちんと鷲さんに許可を貰うようにと……。ミトラさんが仰るには、周囲にあなどられないよう、出来るだけ盛大な結婚式を挙げて欲しいと。そういうものなんでしょうか?」


 大きく首肯する鷹の隣で、鷲は、わかったようなわからないような呈で首を傾げた。鷹は、ややしんみりと言った。


「ニーナイ国もミナスティア国も、娘を売り買いする風習のあったところだから……。ミトラさんが言う意味が解るわ。結婚式を盛大にするのはね、世間と新婦側の親族に、彼女を大切にしていると示すためよ。デルタ伯母さんが言うのは、父親に認められた婚姻だと証明するためね。鷲さん、行かないと駄目よ」

「えっ? 俺?」

「そういえば、お二人は、どんな結婚式だったんです?」


 オダは二人の顔を見比べた。鷲は、うぐっと喉を鳴らした。


「〈黒の山〉におられた頃ですよね? 俺は知らなかったんですけど」

「ちゃんと挙げたわよ。ルツさんとマナさんが、手伝ってくれたわ」


 照れているのか、鷲はお茶を口に運んで目を逸らしたが、鷹はにっこり笑って答えた。


「あの辺りではね、新婦は飾った毛長牛ヤクに乗せられて村をめぐるの。新郎が手綱をひいてね。子どもたちと村の人たちが、花やお米をふりかけてくれるの。それからご馳走。わたし達は、神殿の周りを歩いただけだったけれど」

「へえ~、そうだったんですか」

「鳩ちゃんは一緒にいたから、知っているわ。雉さんもいたわね。隼は、トグルのところだったけれど……」


「隼は捕虜だったわけだから、参考にならんなあ」


 鷲はユルテの天窓を見上げ、口髭を揺らして呟いた。当時敵対していたトグリーニ族に隼は捕らわれ、リー女将軍との停戦をとりつける頃には、隼は既にトグルといた。

 オダはなるほどと頷き、夕焼け色の髪を掻いた。


「街を練り歩くとは、ミトラさんから聴いています。行列を仕立てて、楽団を呼んで、神殿におまいりして、それから宴会……。うわあ、これ、本当にやるんですか?」

「がんばれ」

「タオに手伝ってもらえないか、頼んでみるわ」


 鷲は他人事のようにうそぶいたが、鷹はたのしげに微笑んだ。


「トグルと隼にも。鳩ちゃんは、わたし達の大切な妹なんだから、がっかりさせるようなことはしないわよ」

「よろしくお願いします……」

「夕飯を喰っていけよ、オダ。どれ、俺は鳶を迎えに行ってこよう」


 俄然がぜんはりきる鷹の隣で、鷲はやや釈然としない表情をしていたが、こう言いおいてユルテを出た。


               *


 鳶(鷲と鷹の娘)は、トグルと隼のユルテで、ラディースレンと遊んでいた。

 彼女はラディースレンより少し年上なので、彼が赤ん坊のころからお姉さん風を吹かし、世話を焼いたり遊びにつきあわせたりした。ラディースレンはおっとりとした男児で、泣きはしないがよく笑い、彼女についてまわった。春は産まれて間もない仔羊を抱いて遊び、親羊の毛を編んでいたずらをし、夏は出来たての干酪チーズを捏ね、馬にる練習をし、秋は干し草の山に跳びこんで虫に刺され、冬はユルテの中で刺繍やすごろくをして遊んだ。――ほんとうの姉弟のように。

 その日も、カシム(シルカス・アラルの息子)と乗馬の稽古をした後、陽が暮れてからは絨毯の上に並んで坐り、摘んできた花を羊毛に編みこんで首飾りを作ったり、シャガイ(羊のくるぶしの骨)でおはじき遊びをしたりしていた。


 隼は、子ども達の様子を眺めながらお茶を飲んでいた。


「いらっしゃい、鷲。トグルはまだ帰っていないよ」


 鷲がユルテに入ると、とたんに子ども達は玩具を放りだし、歓声をあげて彼にとびついた。鷲は、娘とラディースレンを交互に抱き上げてあしらい、かぶりを振った。


「ああ、ナーダム前の民会だろ? 鳩たちがこっちへ来なかったか?」

「来たけれど、長老たちに挨拶をしに行ったよ。タオとジョルメ(若長老)が一緒だから、泊まるユルテの準備をしているんじゃないか」

「すれ違ったか……」


 鷲は片方の腕にラディースレンをぶら下げてひとしきり遊んだ。きゃっきゃとはしゃぐ子ども達を下ろし、腕をもむ。二人は終わりの合図を察して玩具に戻った。

 鷲がオダの話の内容を告げると、隼は眼をまるく見開いた。


「鳩とオダが? そんな話、ミトラはしていなかったよ」

「オダが先に打診してきたんだろう。俺と鷹は行くつもりだ……。鳩側の親族の少なさを、心配しているんじゃないか?」


 ふうん? と、隼は首をかしげた。鳶は目を輝かせた。


「鳩お姉ちゃんが? 結婚式? 観たいっ!」

「ああ、お前は母さんと一緒に来い。隼とラディーはどうだ? タオに頼めるかな?」

「時期によると思うよ。ナーダムの間は、こっちにいるんだろう。祭のあとなら大丈夫。訊いてみるよ」

「頼むよ。『出来るだけ盛大にしてやれ』って、ミトラとデルタさん達にせっつかれたらしい」

「……そういうものなのか?」


 鷲同様、世間などというものから離れて生きて来た隼には、いまひとつ分からない。鷲は、きまり悪そうに頭を掻いた。


「俺たちはそれで構わなかったが、オダと鳩はあそこで暮らすんだ。流儀に従うのが筋だろう……。ミトラさん達には世話になっている。俺も挨拶しておこうと思う」

「承知した。トグルとタオに話してみるよ。明日でいいか?」

「いいよ、急ぐわけじゃない。じゃあ、鳶、俺たちは帰ろう。夕飯だ。ラディー、隼、おやすみ」

「また明日ね、ラディー」

「おやすみ、二人とも」


 ラディースレンは絨毯に坐って手を振り、またシャガイ遊びに戻った。

 隼は、父娘が夏の宵のなかへ帰って行くのを、戸口で見送った。





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