another story 2 SW Peace & Bluce
END ROLLまで読了者様向け
「はいはい、買ってきましたよ」
「イエスッ」
ストラヴィンスキーがオペレーションルームへ飛び込めば、椅子ごとハナは振り返る。
本来そこはカウンターテロチーム、通称CCT専属オペレーターの特等席だが、クリスマスに年末年始が迫る今日この頃である。有給消化は今日しかない、と休みを申請したオペレーターたちへ譲ったシフトが、そこにハナを座らせていた。
「もうこっちで食べちゃわない?」
十二月二十八日、二十三時四十七分。
地上は師走を味わうに十分な寒風が吹きすさみ、しかしながら人気の失せた地下のオフィスは異次元そのもの、色味はおろか空調も完璧と季節感ゼロで広がる夜更け。
「またハナさんはそんなことを言う。そっちは飲食厳禁じゃないですか」
マフラーを解いてストラヴィンスキーは、ダッフルコートの前も開き丸テーブルへ向かう。重みを感じさせるレジ袋をよっこいせ、で乗せた。
「こぼして電子機器に何かあったらどうするんですか。それに」
今さらの忠告もどうだろうか。天井を指さす。
「映ってますよ」
監視カメラだ。万が一に備えて仮眠室と手洗い以外は、いまだ二十四時間体制での録画が続けられている。
「そんなの何も起きないんだから、誰も見ないに決まってるわよ。それにあたし、お行儀はいい方よ」
「まぁ、それはそうなんですけど」
確かにナイロンデッカードことジット・ブラックを確保して以来、オフィスの主たる業務は SO WHAT 予備軍の発見と監視に終始していた。おかげでかつての激務に比べれば日々は開店休業に等しい有様で、言うまでもなく休業であればあるほどオフィスの存在意義は証明される構図なのだから、全うするほどハナの言分が正しいことに間違いはない。だが、だからといってどんな些細な規則だろうと破っていいほど緩んでいいはずもなかった。
「仕方ないわねぇ」
折れたハナがため息を吐く。これでもかとつけた反動で埋もれていた椅子から尻を持ち上げ、その背を押して歩み寄ってきた。
「ていうかぼく、いつからハナさんのパシリになったんですか?」
レジ袋の中身はまだ辛うじて暖かかい様子だ。触れて確かめ、ストラヴィンスキーは口を尖らせた。脱いだコートとマフラーを邪魔にならない場所へ押しやる。
「なんていうのかしら。雰囲気が弟と似てるせいね」
「いやそもそも弟はパシリじゃないと思いますけれど」
「あら、うちだけだったのかしら」
「弟さんの心中、心よりお察し申し上げます」
あいだにも丸テーブルの前へ椅子を据え直したハナは、ずっしりしたレジ袋を見つめて前のめりと腰掛けなおしている。
「とにかく期待してるわよ。内容によっては年明けの泊勤務、一日交代してあげるわ」
今日一番とその瞳を輝かせた。
「あ、その約束、忘れないで下さいよ」
「なに? そっちこそあたしの条件、覚えてるわよね」
提案には念押しせずにおれず、返されてストラヴィンスキーは上等です、と軽く何度もうなずき返す。ままにレジ袋へ手を差し入れた。どうやら出来る限り冷めないよう気をつかってくれたらしい。紙袋は二重になっていて、こもる蒸気に気持ち丸く膨れた紙袋の、丸められた口を解いていていった。そこからもわん、と匂いに温もりが鼻先まで立ち昇る。これまた断熱材代わりか、いつもより多めに詰められた紙ナプキンをかき分けてようやく、見つけだせた蓋付の紙コップを引き上げていった。
「ハナさんはミルクのみでしたよね」
前へ滑らせ、次に取り出したソフトボールくらいはあるだろう丸々とした包み紙をその隣へ並べ置く。
「……これ、もしかして」
目にしたハナの動きはそこで完全に止まっていた。
「ハン、バーガー?」
いや、疑うまでもなく漂う匂いがすでにそうだと言っている。
「はい。それもご期待に沿える歳末外田スペシャルです」
ストラヴィンスキーは「ニ」と唇の端を伸ばし、おっつけ自分の分も取り出していった。最後、大量の紙ナプキンを手にしたところで気づいてハナへ振り返る。
「あれ、どうしました?」
言わずにおれない。なにしろそこにはぴしゃり、己が額を叩いて伸びるハナがいる。
「どうしましたか……って、あなた。あたしたちクリスマスもお正月もないからせめて今日くらいはそんな気分で、って話したわよね」
訴えると、額にあった手をこれでもか、と天へ向けて広げてみせた。
「浮かれた世間の足元で文字とおり、支えて地味ぃに頑張っているあたしたちも、そんな気分くらい味わってもいいはずよね、って言ったはずよね。ええ、クリスマスにお正月。お正月にクリスマスよ!」
などと単語を入れ替えてまで連呼した意味は謎でしかない。だがさすがに十一時ともなればオフィスの食堂は営業時間外で、出前は場所が場所だけに頼めやしなかった。だからしてずいぶと遅い夕食として、どちらが何を買いに行くかは重要案件となり、話すうちにそんな具合に盛り上がっていったのだ。
「なのにハンバーガーって……」
あげたひと声がオペレーションルームへ響いて消える。
果てに振り上げられていた手もまた力なく投げ出されていった。
「……ハンバーガー、って」
「いや、そこまで」
ショックなことなのか。
なら果たして如何なる一品を期待していたのか。そもそもこの時間である。おせちに豪華な洋食など望んだところで、おいているような店こそ開いているはずがなかった。だのにそれら現実を踏み倒してまで膨らんだ妄想があるとするなら全てはフラストレーションのせいで、眼鏡のブリッジを押し上げるついでだ、ストラヴィンスキーはやれやれ、と額を掻く。
「現場での先入観は禁物だ、って習いませんでしたか? とにかく苦情は事実関係の確認後。食べてからで」
「ええ、まさにここは現場ね」
これは事件よ。
気構えで、ハナは投げ出していた手を現場へ伸ばしていった。まず紙ナプキンをつまみ上げる。仕方なさげがいただけない。ちまちまとテーブルへ広げていった。そのいやいや加減を見ておれず、ストラヴィンスキーは再びレジ袋の中へ手を潜り込ませる。
「ほらほら、まだありますよ」
景気づけと原色の箱もまた勧めた。
「こっちがオススメのコンソメシーズニングのざく切りポテトフライ。ここのコンソメ、なめないで下さい。で、あ、まだあったかいじゃないですか」
大事そうに紙袋の底からまた別の包みも取り出した。
「こっちが本日の目玉。レフがいたら泣いて喜ぶ新商品。ロシア名物ブリンチュキです。いやぁ、まさかのラインナップでした」
「なにそれ? ブリトーじゃないの?」
問われるほどにこのブリンチュキ、薄焼きの生地で具を巻き込んだ外見がメキシコ料理のブリトーに似ている。だがトウモロコシが原料のそれとは違って生地の原料は小麦粉。包み込む具もスパイシーな味付けの惣菜からジャムやバターなどなど、スイーツとしても楽しめる一品だった。
説明すればへえ、とうなずくハナは納得したというより興味を失くしたらしい。興味の対象を会話の最初まで戻す。
「まっさか」
眉を跳ね上げた。
「泣いて喜んだりしないわよ。トイレとか布団の中で泣いちゃうタイプに決まってるじゃない。人に見られたらこの世の終わりくらいに思ってるわよ、あの人」
そうして検分でもするように、差し出されたばかりのポテトの箱をのぞき込んだ。一本、慎重に引き抜いてみせる。
「可哀想な人」
吐いた口へ差し込んだ。
すぐさま驚きの表情を浮かべてみせる。
まるで七面相だ。
だがそれも続かない。食みながら、散らかっていた表情を不景気そのもの、すぼませていった。
「でも考えてみたらその可哀想な人は、今ごろウチで美人の奥さんとまったりしてるのよねぇ」
つくづく嘆くのだから重症だろう。
「ええ、まだ新婚さんですから」
その通りと問題児で無愛想がトレードマークだったレフ・アーベンも、あろうことか結婚生活、丸二年目だ。
「ああ見えてハートも案外、子供好きですし。皆さん、ちゃんと休みは取ってもらわないと家庭崩壊されちゃ大変です」
なるべく気持ちよく食べたい。カラになったレジ袋を足元へ落としてから、ストラヴィンスキーは引き寄せた椅子へ腰かける。
「ホント、今頃サンタさん、道に迷って遅れた、遅れた。なんてあのチビッ子、相手にやってそうだわ」
想像すればハナの視線はは宙へ飛び、あべこべと目の前に並ぶ品へ、さあ、とストラヴィンスキーは手を擦り合せた。
「そうよ」
と、唐突にハナは断言する。突然「かーっ」と唸ってうなだれた。
「可哀想なのはこんな所にいて差し支えない私たちの方じゃない」
「わー、それ、ついに言っちゃいましたね」
苦笑いでストラヴィンスキーは紙コップのフタを開ける。ほどなくチェーン店のものとは思えない華やかな香りはオペレーションルームへ色を添え、思いきり吸い込んでから琥珀色した液体の上澄みをすすり上げた。
「乙部さんも内縁の奥さんがいるって小耳に」
「ウソ」
舌鼓を打つついでに、とっておきの小ネタもまた披露してやる。
「チーフも家族サービスとかするんでしょうかねぇ」
あちらもこちらも賑やかそうでなにより、としか言いようがない。
「やめて。どんどん気が滅入ってきたわ」
「はいはい。じゃあつまらない話はここまで。現実に打ち勝つためですよ。食べちゃいましょう」
促されてそうっだった、とうつろな目をテーブルへ向けるハナは思考も朦朧としている様子だ。
「なんだったかしら、これ。歳末、スペシャル?」
「ええ、歳末外田スペシャルです」
「この、一体どこが?」
確かにハンバーガーと思しき包みは普通サイズより一回り大きい。だがそれが煽り文句にかなうかといえば、そこまでピンとくるほどではなかった。なら今年を締めくくるにふさわしい勢いだ。姿勢を正してストラヴィンスキーは、眼鏡の前にひとさし指をビシリと立てる。
「よくぞ聞いてくださいました。このハンバーガー。実はメニューに載っていない裏メニューハンバーガーなんです」
とたん、は? とハナが首を突き出そうが、その指で得意げにブリッジもまたくいと押し上げ続けた。
「実はここの朝マフィンが美味しくてずっと通っているんですけれど、おかげで店員さんがいろいろ親切にしてくれるようになりまして。まぁ、ぼくの方は朝マフィンのチェダーチーズトリプルで、ハナさんの方はテリヤキビーフアンドチキンフィレオというワガママチョイスをお願いしてきました」
「わお」
二十三時で朝マフィンもさることながら、いつもどちらかで悩むテリヤキとチキンフィレオだ。きっちり好物を把握しているストラヴィンスキーにハナは素直に感心してみる。
「こっそり都合してもらったんですから、冷ますとバチが当りますよ」
促し自身が先陣を切ると、鼻歌混じりで包を解いていった。確かに、と思えばハナも追随するほかない。
ずっしり重い包の中にはテリヤキビーフパテとチキンフィレオが入っているせいだろう。崩さず解くのは至難の業で、座りのいい場所を探したうえでくしゃくしゃと折り込まれた紙の端をつまみ出してゆく。
「で、あなたはどうなのよ」
つないで切り出した。
「抜け駆け禁止の同盟、組んだことを忘れてないわよね。ここぞでその変装眼鏡、取ったりしたら反則よ。この隠れイケメン」
なるほどそうきたか、とストラヴィンスキーもまたボリューミーなチーズがはみ出でないよう細心の注意を払いつつ包を開く。
「ああ、ハナさん、それは取り下げてください。これ、ダテじゃないですから」
払いながらも聞き捨てならないと言われように、ハナへ真顔を向けた。
「だいたいこの業界で眼鏡なんて、フレームは邪魔で視界は狭いですし、気温差にも不利なうえに失くしたら見えなくなるってもう、何のメリットもないお荷物なんですから。まあ両眼、2.0のハナさんには想像できない世界でしょうけど」
口調にハナも気づいた様子だ。
「ごめん。それ知ってた。言い過ぎたわ。謝る。事故ったせいだって」
そう、あれはまだ刑事課にいた頃のことだ。規定通り周囲の安全を確保しつつ犯人を追跡していたはずも、ひょいと飛び出してきたスクーターを避けてブロック塀に激突。勢いはボンネットを潰し塀を崩すほどで、衝撃でエアバッグは満開になったもののどこをどう打ったのか記憶は飛ばず、なぜか視力だけが吹き飛んだのだった。
目が覚めて知った時、驚きを越えてパニックとなったことが忘れられない。原因を探って精密検査を繰り返したがてんで分からず、原因がわからないのだから治療方法も定まらないまま、それきり視力は戻らなくなっていた。
今も視力は、この状態で警察官の採用試験を受けていたなら身体検査で落とされるだろうレベルだ。事故後、配置変えとなったのもそのせいだと考えている。引き起こした不始末が原因ではない、と。
ここへの話が来たのはその後のことで、ゴリ押しで希望し受けたネゴシエイターの研修が終了した直後のことだった。タイミングからてっきりその知識が見込まれてのことだと思っていたが、実際はまるで出番がないのだから大笑いするしかない。
ただ騒々しい日々に毎日は以前へ戻ったようで、漠然とした不安こそ消えていた。でなければ窓際、なんだかんだでおそらく今頃、退職に追いやられていたとしか思えない。
人生は不思議だ。
物語なら繋がりそうもない出来事を、こうも容易くまとめ上げてしまう。その中をぼくたちは平然と生きてしまう。
ここにいる者たちは特に。
「ん?」
と、ハナが素っ頓狂な声を上げる。
「ストラヴィンスキー、コッチがマフィンぽいわよ」
「え?」
確かめるべく一気に包みを広げる音が、ガサゴソ鳴っていた。果てにハナは現れたマフィンではなく、別のところへ目を細めてゆく。
「……おそ、く、まで、お疲れさま、です。お仕事、がん、ばってください、ね。まほ。……ハート」
包の端に書き込まれていた文字を、記号も含め読み上げてみせた。
のちの沈黙には、何かしらが押し上がってくるようなうねりがある。
ままにハナの目玉はストラヴィンスキーへと裏返っていった。
「どういう、ことかしら?」
「おっ、お、や?」
ストラヴィンスキーの喉も詰まる。
ほどに事態は藪蛇。その出てきた蛇に睨まれて、目だけでひたすら訴え返した。
だが向かって下したハナの判決はこうだ。
「それ、ダテ眼鏡に決定ね」
「ちょ、こんなのただのお愛想じゃないですか」
「勤務中にいちゃつきに行ってるんじゃないわよ」
そんなハナの手がずい、とストラヴィンスキーの前へ伸びる。
「取り替えて。そっちがテリヤキチキンでしょ」
ぶんどられ、メッセージ付きのマフィンを押し付けられていた。
思い返せば渡された時の、いつもにも増してはにかんだあの笑みには違和感を感じていたのだ。なるほど。今さら納得するが屁のツッパリにもならない。ただ気の抜けたため息だけが漏れる。
だから人生は不思議なのだ。
物語なら繋がりそうもない出来事をこうも容易くまとめ上げてしまうのだから、いまさら伏線探しが大変でならない。
けれどその中をぼくたちは平然と生きてゆくのだとしたら。
有難いけれどけっこう厄介だな、とストラヴィンスキーは思ってみる。
「早く食べちゃいなさいよ。大事な愛情も冷めるわよ」
気づけば先に食らいついているハナがアゴで促していた。
「ついでにどんな子か説明すること。後で見に行くから」
言葉に、かぶりつきかけてストラヴィンスキーはぶっ、と吹き出す。
時刻はいつしか零時をまわっていた。
十二月二十九日。
今年もあとわずか。
平和はおそらく、これからが本番だ。
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終劇
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