another story 1-3
「おっつかれ様っ!」
部屋は、かつて巨匠だったスタンリーブラックが控え室として使っていたあの部屋だ。そこへ盆を掲げ、あの時と同じく百々は茶と菓子を運び入れる。
上映開始からおよそ三十分足らず。見事、場内から盗撮犯をつまみ出したレフは駆けつけた警察へ事情を説明し、身分を明かすことなく盗撮犯を引き渡していた。
そのさい盗み撮りされていたろう画像は確かめていない。なぜなら盗撮犯はレフが笑いかけたとたんすんなり「すみませんでした」と白状してしまったからだった。あまりのあっけなさにレフはどこか腑に落ちない様子だったが、百々にはもちろんレフの放った笑みに盗撮犯が、心底、縮みあがったせいだと理解している。
そんな犯人はやはり百々もよく知る常連の一人だ。
水谷はそんなこんなで事後処理のため警察へ出向き、終わったからといってそそくさ帰ってもらうわけにもゆかないレフにはこうして、応接室に立ち寄ってもらっていた。
「早く解決してよかったよ。頼んだところでやっぱりさ、休みの日に来てもらってるって気が引けてたんだよね」
あれほど期待の目を向けておいて言う、それは言葉か。臆せず百々は投げ、レフの前へコーヒーと菓子を差し出した。
「本日は大変お世話になりました。殺風景なうえに粗茶ですが、どうぞ遠慮なく召し上がって下さい」
言葉を添えて頭を下げる。なら「ん」とだけ答えたレフは早速、コーヒーへ体を倒していった。その手がカップに触れたかどうかというところだ。預かっていたものを思い出して百々は、「それから」とつけ加えて胸ポケットから抜き出した封筒もまた、レフへと差し出した。
「これ、支配人からでした」
言葉に動きを止めたレフは、そこから視線を持ち上げている。倒していた体を改め百々へ起こすと、差しだされた封筒を手に取った。その裏表を確かめる顔は危険物でも扱っているかのようでならない。果てに「なんだ」と、開いた口で確かめもした。
「うん、ウチの作品がタダで見られる特注、特別招待券。使って下さいって。あ、もちろん通報のお礼としてね」
何しろ報酬です、などといえばオフィスの業務規則に反するはずで、それは受け取ってもらうには言っておかねばならない建前だった。なら気遣いは功を奏したか、聞いたレフはそすぐにもその場で封を解く。中から昨日パソコンでしつらえたチケットを六枚、つまみ出してみせた。瞬間レフの頬がゆるんだことを、百々は決して見逃していない。
「どこかみたいにずっと割引は出来ないけどね」
だからこそ言っていた。
「いや、相手が貧弱で腰砕けだ。十分過ぎる」
「って、暴れるつもりで来てたんですかっ」
などと百々が歯を剥き出したところでレフは、鼻でかすかと笑っただけだ。傾けた体で封筒を尻ポケットへしまい込む。
「ま、言ったところで大事なお休みを使わせてしまったわけだし」
つまり冗談だということらしい。
「今日の埋め合わせにバービーさんとまた来てよ。そのときは支配人に交渉してさ、出血大サービス。パンフにポップコーンもつけちゃうから」
そう、式を挙げてから半年後の去年の冬だ。アメリカでの仕事を終えたバービーことバーバラ・ウィンストン・アーベンは、ついに日本へやって来ていた。
「それは遠慮しておく」
だが返事はつれない。
「どうして?」
「余分につかまされた挙句、次はこれをやれ、あれをやれと言われても困るからな」
「あのねっ、ウチはそこまでセコくないですってば」
結局、吠え返す始末だ。だとしてまったくもって涼しい顔でコーヒーをすすったレフは、もう並べ置かれた菓子へ手を伸ばしている。
「あ、それね」
だからして百々も急ぎ口を開いていた。
「早めのバレンタインデー。あたしの手作りチョコケーキだよ。ほら、さっきやってた映画。タイトルにもなってるやつ。主人公が店で出してたブルーベリーチョコレートだよ。パウンドケーキみたいな見た目がそっくりでしょ。映画のホームページにレシピがあったから挑戦してみたんだ」
この一大事を発見することになった、それこそが当初の目的だろう。
聞かされて、つまみ上げた指先の菓子をレフはしげしげ眺める。やがて疑問に思ったらしい。
「赤くないぞ」
問うた。
「赤は違うよ。殺人事件、って映画のイメージじゃん。で謎解きのキーワードがブルーベリーチョコだったでしょ。ほら、ココアスポンジの間に挟まってるそれ、生チョコとブルーベリージャム。それもちゃんと作ったんだからね」
それがもどかしいほどの愚問なら、指さし百々は説明していた。
「そうか」
律儀に耳を傾けるレフはなおさら菓子を睨みつけるが、始まってすぐ場内を後にしたのだから劇中、菓子が登場するなど知る由もない。
「もうさ、スポンジ生地の泡立てとか、チョコの温度管理とか、このサンドイッチみたいな三層構造の成形とか、大変でさ」
かまわずまくし立てる百々に認識はなく、話が単なる愚痴へと変わり始めたところで我に返った。
「ま、とにかく食べてみてよ」
切り上げ促し、矢継ぎ早にレフへうんうん、うなずきかける。無論、そ腹の内は早く食って感想を教えろ、だが、物は言いようだ。だからして互いの間に期待という名の緊張は高まり、感じ取らざるを得ぬままレフは菓子を口へ運んゆく。恐る恐る、は一方的な百々の被害妄想か。見守る前で一口、菓子へとかぶりついた。ままにスポンジ生地についた己の歯形なんぞ睨みつけながら、しばし黙々、食み続ける。
あいだ三回、繰り返された瞬きは何の兆候か。そのたび表情は微妙に変わると、やがて開いた眉間で意外そうな面持をそこに浮かべていった。
「……うまい」
「ほん、と?」
「うまい」
繰り返すレフがお世辞を言えるようなタイプでないことくらい、百も承知の仲である。
「イエスっ!」
握った拳を脇へ引き付けた。
見向きもせず菓子を平らげたレフはコーヒーをすすり上げ、早くも次へ手をつけている。様子はもう躊躇しているようには見えず、加えてこうも百々へ言っていた。
「まだあるのか?」
「あ、持って来るよ」
残りは休憩室の冷蔵庫だ。百々は即座にきびすを返す。
「いや、バーバラにも持って帰ってやりたい」
言葉に止めた足で、なるほど、と浮かべた笑みのまま部屋を抜け出す。
戻ってケーキ屋のロゴが入ったありあわせの紙袋を差し出せば、中をのぞいたレフは「こんなにいいのか」と驚いた風だ。だが残りは持ち帰るつもりでいただけに、欲しいといわれて渋る理由こそなかった。
「いいよ、いいよ。気にせず全部、持って帰って」
百々は顔の前で勢いよく手を振って返す。
「これで田所にも作ってあげられる、って分かったしね」
などと満足したはずが、妙な違和感を覚えてみる。
俺はモルモットか。
のぞいていた紙袋から顔を上げたレフがそんな視線を向けたとして、口に出すことこそない。
「この調子でやれ」
至って真面目に応援してくれる。つまり「あはあは」笑うのはいつものことで、百々は放つ渾身の敬礼で、レフのエールへ応えて返した。
道すがら、幾度も紙袋の中身をのぞき込むレフは、よほどケーキが気に入ったらしい。定時の掃除もすませるつもりで百々は、ほうきとチリ取りを手にそんなレフを表まで見送りに出る。
「今日は本当にありがとうございました」
席を外している水谷に代わり、通りで改め頭を下げた。
「大したことはしていない」
レフは言い、
「ならなくてよかったしね」
百々も微笑み返す。
それにも「ん」とだけ答えたレフは「また来る」と返していた。だからして放った「またのご来場、お待ちしております」は常套句のようなもので、じゃあ、といわんばかりレフも手を持ち上げる。それきり大きな体をひるがえすと、駅へ向かい歩き出した。
後ろ姿は提げた紙袋が小さすぎてどうにも可笑しい。思わず笑い出しそうになるのを堪えて百々は、しばしレフを見送り続ける。やがて思い出した仕事に前屈みと、路面へチリ取りを沿わせていった。
はずが、動きはそこで止まる。
なにしろ「そういえば」と言うしかないのだ。そういえば呼ばずとも現れたあの日一体、何の目的でレフは「20世紀CINEMA」を訪れていたのか。結局この件を依頼したあの日も今日も、映画すら見ずにこうしてレフは菓子を片手に帰っていた。
屈めていた身を起こしてゆく。
ままに再び通りへ視線を投げた。
だが角を曲がってしまったレフの姿はもう見えない。
ただ背後から急ぎ足で帰って来る水谷の靴音だけが聞こえていた。
『SO WHAT ?!』another story
『赤いブルーベリーチョコレートの作り方』
終劇
※本編中の眼鏡は架空のものです。
実在する類似の眼鏡とは何の関係もありません。
盗撮における劇場の対応も異なる場合があります。
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