another story 1-1 赤いブルーベリーチョコレートの作り方

END ROLLまで読了者様向け



 スイッチを入れる。

  ベッド下からノートパソコンを引きずり出し、温まり始めたろうこたつへ乗せた。よっこらしょ、は年齢に合わなくとも出るのだから仕方ない。ままに百々未来は背さえ丸め、やぐらの中へ足を滑り込ませた。その大きさは抱え込めるほどか。言わずもがな独り暮らしの田所に、そうも大きな物こそ必要なかった。

 つまりここは八畳あまりが手頃か手狭か、田所の部屋である。教えてもらった場所から鍵を探って上がり込むのも慣れつつある、アパートの一角だった。

 ゆえに玄関を入ってすぐのところにトイレと一体化したユニットバスはあり、その向かいには一口こっきりの電気コンロと、コインロッカーかと思しきサイズの冷蔵庫がある。上には所狭しと皿が並べ置かれ、言うまでもなくそれらはこうして上がり込んだ百々が持参したものなら、いや正確にはずいぶん母の手を借りて作り上げたものなら、これから二人で食べるための晩御飯で間違いなかった。

「八時前か。よし、あと三十分したら温めようっと。それまでの間に、と」

 おかげさまでの仕上がりに、見上げた壁時計から視線を戻す。十九時半あがりの田所はおそらくそれくらいのタイミングで帰ってくるはずで、よし、とパソコンの電源を入れた。ほどなく立ち上がった画面へ、共有にして以来、設定した自分のパスワードを放り込む。ユーザを切り替え、鼻歌交じりでブラウザを開いた。

 その検索欄へ打ち込む文字はもう決まっている。

 「チョコレート」だ。

 そう、彼の有名なイベント、バレンタインデーは早くも来週に迫ると世間は戦々恐々、賑わいを見せている。だというのにすっかり出遅れた百々は買うのか、それとも作るのかさえ決めていない有様だった。

 とにもかくにも付き合うことになってから初めて迎えるバレンタインデーである。ぞんざいになど過ごせるはずもなく、百々は気合もろとも文字を打ち込んでいった。弾くリターンキーで吹き上がって来た国内外の、百貨店から巷の洋菓子店に超高級から数十円までの情報と睨みあう。何ら目ぼしいものが見当たらなければ検索欄へ「手作り」の文字を加え、再び目を這わせていった。やはり興味がわかなければ、引いた体でしばし「うーん」と唸って眉を詰める。

 納得できない。

 なにかこう、二人だけの特別な思い出になるものはないか。

 思案すればするほどだ。こだわりばかりが強くなる。

 と、その時だ。


 「赤いブルーベリーチョコレートの作り方」


 文字は目へ飛び込んできていた。

 そう「赤いブルーベリーチョコレートの作り方」とは、「20世紀CINEMA」で絶賛上映中の作品名だ。もちろんこの上映が決定したのはタイトルが季節にちょうどということもひとつ、それ以上、濃密なサスペンスが珠玉の名作と水谷の目に止まったためで、遠くはチリから取り寄せた作品でもあった。ゆえにフィルムは日本にたった一本だけ。取り寄せた「20世紀CINEMA」を皮切りに、地方を回る「20世紀CINEMA」イチオシの作品だったのである。

 繋がりそうなほどに寄っていた眉はおかげで弾け飛び、ためらう必要などありはしない。百々は文字の上へカーソルをあてがった。きっと鑑賞したお客さんの書いたレビューに違いない。 なら見たくてたまらず、抱く期待のままクリックした。

 が寄せた目は、そこで点へと縮みあがる。なにしろお待ちかねのテキストが見当たらないのだ。あったのは動画の窓だけで、そこには見覚えどころか連日スクリーンで見ているとおりの作品タイトルが載っていた。のみならずその上には「投稿日」が、下には上映時間とほぼ同時刻の「再生時間」が書き込まれていたりする。

「……え?」

 こぼさずにはおれない。共に過るのはよもや、の事態だろう。それは信じられないからこそ確かめなければならないもので、恐る恐るだ、百々は動画の窓をクリックした。合図に窓の中で動き出した画像はあろうことか、日本語字幕さえちらつかせて「赤いブルーベリーチョコレートの作り方」の上映なんぞを始め出す。

「うそぉ……」

 吐けば食いつかんばかり乗り出していた体から力は抜けていた。

 盗撮で間違いない。

「しかもこれ……、ウチで撮られてるよぉっ!」

 なにしろ日本で上映しているのは今、「20世紀CINEMA」しかないのだ。

 もう見ていられなかった。電光石火で動画を止める。止まっていた息のせいだ。わずか早くなっていた呼吸に気づき、百々は自ら己へ「落ち着け」と語りかけた。やがてその調子が誰かに似ているな、と過ってようやく、真の落ち着きを取り戻す。

 その目で隅から隅まで動画の貼り付けられたページを見回していった。下に用意された投稿ゼロのコメント欄を、それはそれで落ち込むような乏しい再生回数を確かめる。さらにその下、いくらかスクロールした場所に記された投稿者のハンドルネームを読み上げていった。

「……映画泥棒」

 思わず大きく息を吸い上げる。

「はぁぁっ?」

 全て吐き出し心底、画面へ唸った。もう繰り出すのは鉄拳制裁そのものだ。その名めがけて左クリックを連発させる。すかさず画面が張られていたリンク先へ飛んだなら、投稿者の自己紹介ページへ目を這わせた。そら真っ白だろうと何ら驚きはない。相手は悪事を働いているのだ。匿名中の匿名などと想定済で、すっ飛ばしてさらに下、まだあるらしい公開動画一覧を確認してゆく。百々はそこで再び唖然とさせられていた。そもそも上映ラインナップが特殊なのだから見間違えようがない。全て「20世紀CINEMA」のものだ。上映されていた作品はそこにずらり、公開されていた。

「こ、これ……」

 動揺をなけなしの気力でなだめすかし、公開中の一覧を最後まで辿っていった。つまり最初の投稿が去年の六月に行われていることを、盗撮はもう半年も続けられていることを確認する。

 なら遠のいてゆくのは「意識」という、劇画タッチの代物だと思う。なんとか引き戻せたなら、デスクトップのカレンダーを開いていた。そこには田所とスケジュールを共有すべく、アルバイトのシフトや上映スケジュールが保存されている。動画を違法にアップした何某が誰なのか。これだけ足繁く「20世紀CINEMA」へ通っていたなら、シフトを辿れば思い出すことはあるのではないか。思うままに急ぎ手繰った。やがて成果はひとつ法則として、百々の前に浮き上がってくる。

 動画投稿日だ。

 全ては上映初日に行われていた。つまり相手は判を押したように必ず初日に現れ、盗撮を行っていたというのである。

 ならばそんな行動を取る人物こそ限られているだろう。百々も顔を覚え始めた常連客だと思う。その中の誰かがこの「映画泥棒」で間違いなかった。

「ひ、どい……」

 おかげでずいぶん温まってきたはずのこたつの温もりも、いまちち伝わってこなくなる。それはけたたましい音を立てて開いた玄関の音もまた、だった。

「うほー。寒っ、みー」

 ワントーン高い田所の声は投げ込まれて、バイク通勤ゆえ脱ぎ始めた手袋にマフラー、カシャカシャうるさいウインドブレーカーの音が重なる。同時にかかとを抜き去る靴音も固く響いて、狭いそこから部屋へ上がり込んでくる田所の足音は近づいてきた。

「俺、鼻水でて……」

 などとそのとき田所は「ね?」と、聞きたかったに違いない。だが百々に遠慮はなかった。鼻水が垂れているかもしれない田所を睨みつける。開口一番、その口をこう開いていた。

「それどころじゃないよ、タドコロっ! 事件だよっ、大事件だってばっ!」

 食らった田所の顔は素っ頓狂だ。

「ってそれ、おま……。またテロリスト、か?」

 悲しいかな経験が田所に言わせていた。


 おかげですっかり晩御飯の準備を忘れ去る。

 だがレンジをチンチン鳴らす時間はもってこいで、使って百々は今しがたの話を田所へとまくし立てていった。

 だからして一部始終を聞いた田所も、こたつに広げたパソコンで動画の確認にとりかかると挙句、唸り声をあげている。

「うお、マジかよッ」

「だよ。もうさ、見つけた時は腰が抜けそうになっちゃったんだから。それ、あした速攻、支配人に連絡だよね」

 憤るまま返して百々は、鈍い音を立てて回転するレンジの中をのぞき込んだ。自分の白飯はそこでツヤツヤと、マイクロウェーブ浴びて光り輝いている。

「だな」

 時間を確かめて田所は返し、神妙な面持ちへ輪をかけ再び画面と睨み合った。

「でもさ、常連さんの中の誰かが犯人だなんてさ、すごいショックだよ。有り難いなって思ってたのに。これじゃ来る人来る人、盗撮犯に見えてきそうになっちゃうし」

 百々はそんな田所の顔へ眉をへこませる。

「まあ、世の中すべてイイヒトってわけもないし、そう言う人もいるって勉強したとでも思うしかないんじゃね?」

 発言は悟ったかのようで、そこでレンジも座布団一枚といわんばかりチン、と音を鳴らしてみせた。

「あ、あたしのごはん、ごはん」

 腹が空いては戦はできぬだ。取り出し、とにもかくにもすでに大皿、小皿の並ぶこたつへ向かう。見て取った田所も食う体制を整えて、パソコンを脇へ追いやった。ままにこたつへもぐり込みなおせば、加わった百々と共に足の置場を確保し合う。整ったところで二人して「いただきます」の声を上げた。

 経て見回す今夜のメニューは小山と盛られた鳥の唐揚げに油アゲと菜っ葉を炊いたもの、リンゴの入ったポテトサラダに、インスタントながらもワカメの味噌汁だ。その中でも好物から手をつける田所は案の定、真っ先に唐揚げへ箸を伸ばしていた。だからして菜っ葉はきっと最後になるはずで、今日も横目にしながら百々も箸を伸ばしてゆく。

「冷めちゃう前に、お野菜も食べてね」

 さりげなく促せば、鼻で「うん」と返す田所は、そんな時間さえ惜しむように唐揚げを頬ばった。上から白飯でフタをして、ズズズと味噌汁もまた流し込む。それからようやく言われたとおり、菜っ葉へと手をつけた。そのさい目配せと共に送られた「ありがとな」の言葉はごく自然で、見たかったのがその食べっぷりなら百々も「うん」とだけ答えて返す。

 まるでおすそ分けをもらうような気分だった。から揚げは早くも二つ減っていて、遅ればせながら百々もそこへ箸をつける。


 翌日、左右シアターの入れ替えもすんだがらんどうのフロアを前に 「20世紀CINEMA」支配人、水谷は珍しくも渋い顔を見せていた。やむを得ない。カウンターに置いたノートパソコンであの盗撮動画を確認したところなら、むしろまだ冷静な方だと言っても過言ではないだろう。

「どれも公開初日にやられてます」

 田所が付け加える。隣で百々もその通り、と水谷へ熱い眼差しを送った。

 だがそれきりだ。水谷の渋面はそこでほどなく解かれていった。

「そうですか。これは困った人がいたものですねぇ」

 他人事と上げた手で、頭すら掻いてみせる。

「支配人っ、そうじゃなくて警察に通報してください。今すぐ捕まえてもらわなきゃ、こんなの著作権侵害の営業妨害ですっ!」

 言わずにおれないのは百々こそが第一発見者だからだろう。だがここでも「そうですねぇ」と語尾を伸ばす水谷に、百々の思いが伝わった様子はなかった。

「百々君」

「はい」

 呼び掛けがすでに、用意されている結論をにおわせている。

「著作権を侵害されているのはウチではなく、映画の製作会社になることは分かりますか?」

「……あ」

「ですからまず連絡するなら警察ではなく製作元へ、ということになりますね。従って後のことは製作会社が判断することになります。ウチが差し当たってしなければならないのは、今後の防止の徹底でしょうね。そんなこちら側が犯人逮捕を訴えるのは少々筋違いの話になるんです」

 それはもっとも過ぎる説明で、ぐうの音も掠れて百々は当初の勢いさえ削がれてうなだれる。

「はぁ……」

「まあ、とはいえ」

 と、視線を宙へ持ち上げたのは水谷だった。

「製作会社も結局のとろころは、警察へ被害届を出すはずなんですけれどね……」

「だったら、そちらから犯人を見つけ出してもらえますよね」

 つい、念押ししてしまう。だが水谷はここでも「うーん」と唸ってみせただけだった。

「そうですねぇ。捕まえる、というよりサイトの管理人へ連絡して、動画の削除を求めるくらいが関の山じゃないかなぁ」

 顛末には、「ええええ」とのけ反るしかない。

「事実、似たような動画はインターネット上にあふれていますが、アップロードした人物が逮捕されたという話は滅多に聞きませんし」

 言われてみれば確かにそうで、そして行われている盗撮が今、直面している一件のみとは考えられなかった。つまり似た結末は巷で数多、繰り返されており、隣で田所も口をアヒルと尖らせ「そうですね」と同意している。

 泣き寝入りなのか。

 なら常連ゆえこのあとも「映画泥棒」はのうのうと劇場へ足を運ぶ図は浮かぶ。ふてぶてしさに悔しさはこみ上げ、百々の不満は募りに募った。

 が、その時だ。水谷は不敵に頬を持ち上げる。ままに「ですが」と言葉をつないでみせた。

「例外は、あります」

「れい、がい?」

 その笑みが醸し出す迫力にこそ百々は押される。

「ええ、盗撮しているところを捕まえるんです」

 言い切った水谷の漂わせる気合いはすでに、相当だ。

「何しろ相手は半年余り、欠かさず初日に盗撮を試みている人物ですから、次の初日も間違いなく現れると思いますよ。なら私達にも取り押さえるチャンスはあります。現場を押さえれば警察もきっちり対応してくれるでしょう。ということで次の初日は、あさってですよ!」

 などと打ち合わせた手は、何をや待ち切れずすでに忙しくこすり合わされている。そう水谷は、百々がオフィスに通っている時からこの手の話に目がなかったのではなかったか。

「ここは皆さんに休日を返上してもらって、張り込みをお願いしようと考えています。もちろん私も加わりますからね。ええ、ええ、題して!」

 そうして張り上げられた声に、展開は案の定の流れとなった。

「20世紀CINEMA大包囲網です!」

 おかげでいっとき空気も白む。

「し、支配人それ、ちょっと恥ずかしいんですけれど」

 などと言う百々こそ「ジラフアタック」と叫んだ張本人ではなかったか。

「あ、ですが支配人。俺たち顔を覚えられませんか?」

 有難いほど冷静な田所が、白んだ話へ色を取り戻させていた。

「張り込んだところで気づかれてしまえば、盗撮も見送られるんじゃないかと思います。それにもし相手が逆上して暴力をふるったり、騒ぎになってしまえば上映中です。他のお客様のご迷惑にもなりかねません」

「す、鋭いですねぇ。田所君」

 水谷は絞り出し、つまりあれもこれもが水の泡と消え去りもする。

「仕方ないとしても支配人、お客さんの中にそんな人が混じってるかもって思いながら仕事するのは落ち着けません」

 カウンター業務がメインの百々だった。前においた水谷の反応もそこでようやく的を射る。

「そこなんです。結局、ウチが受ける被害はそこなんですよねぇ。盗撮可能な劇場、なんてレッテルを張られるのはまずい。捕まえるならそのためにも、なんですが……」

 それきり深く腕組みすると、語尾を濁して床へ視線を落としていった。

「つまりウチ以外の……、そうした場面に慣れた誰かにお願いする、ということですか」

 やがてぼそり、結論を弾き出す。

「心当たり、あるんですか?」

 確かめる田所の眼差しは真剣だ。聞えて水谷も顔を上げる。

「あればいいんですがね」

 そこにいつもの笑みは、あっけらかんと浮かんでいた。

「まあそれは、これから探すとして」

 どうやらこの話はこれ以上、続けたところで無意味だ、と判断されたらしい。組んでいた腕も解かれてゆく。

「このことも含めてわたしから製作会社へは、連絡しておくことにしま……」

 だが言葉はそこで切れていた。

 人影だ。

 正面扉の窓に映りこんでいるのを、百々に田所もまた目にする。なら扉はすかさず開けられ、客は一人「20世紀CINEMA」へ姿を現していた。

 とたん言い合わせたかのごとくだ。三人の顔はキラキラ輝き始める。そう、現れたその人物こそ「20世紀CINEMA」外部の人間であり、それら現場にうってつけの経歴の持ち主だった。セクションCT職員、レフ・アーベンは今まさに、適材適所とフロアを横切りカウンターへ近づいてくる。

 だからしてカウンターへ辿り着いたときレフが、自分の顔に何かついているのか、とうがったことは言うまでもない。それほどまでに強い眼差しを向ける三人へ、ついに不気味ささえ感じてこう口を開いていた。

「……一体、なんだ」と。

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