side story 2-3

「以降、万が一を考慮して、職員の相互監視を義務付ける。翌日の立ち寄り先等、スケジュールは必ず誰かに伝えておけ。後日、報告書として預かる。伴い、二週間後の撤退を決定。後はベガス署と連邦で引き継ぐ。ただし、この案件は我々が単独で担当したものだ。引き継ぐとは言え根幹までを譲ることはできない。捜査はこの二週間で引き渡せるよう、区切りをつけろ」

 仮オフィスは当局のはからいによりメイヤードのスイートルームから、今ではマッキャラン空港近くのベガス署、その一角に移動している。すでに馴染んで止まないチーフ百合草は今後を並べ立て、面々はうんざりしたような面持ちをその前に並べていた。

「まったく。結局、仕事を増やしやがる」

 吐いたハートがその勢いのまま、これからのスケジュールをハナへ預けていた。

 だがこちらはといえば、さすがに不気味さが先立って仕方ない。ホワイトボードに貼り出された写真から目は逸らせず、咄嗟に彼らが監視していたのはこの瞬間だけだったのか、過るままに考えを巡らせた。

 そもそも声明文の内容からその信憑性は疑われているが、この瞬間を写真におさめることが出来た以上スタンリー・ブラックの行動を把握していた何某がからんでいる可能性は否定できない。つまりあの時、スタンリー・ブラックがなそうとしていたことを知る相手であればこそ、一概にハッタリだと言ってのけるには危険があった。だからして相応の報復が用意されているとして、仕掛ける場所を探し、内勤で持て余した分、出歩いただけをつけ回されていたのならと振り返る。いただけないことにそこへ顔を出す誰かといえば常にバーバラだけだった。他にこの地に親しい誰かは、いない。

 まさかな、と内心、呟く。

 だが相手がターゲットに据えているのは、本気で警戒すれば手出しが困難な対テロ組織だ。効率的に成果を上げるのであれば、避けて脆弱な所へ攻撃を加えるソフトターゲットという言葉はちらつく。現に考慮して各家族への対応も話が済まされたところだった。

「それからレフ」

 百合草に呼び止められ、睨みつけていた一点から振り返る。

「期限付きになったせいで人手が足りない。今日から勤務時間はそのままで、外回りに戻ってもらうつもりだが異存は?」

 目がいくつかの意味で大丈夫だな、と問いかけていた。体調も、撃たれた直後の動揺も、今、見た写真のインパクトも許容範囲なら、ない、と答えて返す。

「なら後で曽我から指示を受けろ」

 しかしながらあてがわれるのは雑用らしい。文句は出かけたが、あぶれたストラヴィンスキーに見定められ己のスケジュールを切り出されていた。仕方なく頭へ、聞いたままを詰め込む。曽我から聞いたそれをストラヴィンスキーへ預けた。最後、帰ってから出歩く予定はないかと聞かれ、ない、と答える。

 バーバラは一人暮らしだとも言っていた。ともかくもう会わない方がいいだろうと結論づける。巻き添えに、などと考えるのは気が早すぎて笑い草だとしても、少なくともバーバラにとって関わらない方がいい人物に成り下がったことだけは確かだった。

 そう、バカンスへ出たら必ず家へは帰るものだ。どれほど居心地がよかろうと、勘違いはほどほどにすべきである。そして「勘違い」は誰にでもあることで、とりたて騒ぎ立てる必要などなかった。次いでそもそも女性と二人きりで過ごしたのは何年前か、とさかのぼり、まさかバーブシカとではないな、と一人「笑い」に紛らせる。


 その後、フロントからバーバラより電話が入ったという知らせは二度、あった。一度はいなかったことにしてくれと断り、一度だけ出ることにする。夜勤後の休みだから一日半、空いているけれどそちらはどうかと問われ、仕事が立て込んできたせいで無理だと断った。またそのうち、と受話器を置く。

 携帯電話の番号を明かしているせいだ。バーバラに疑うような素振りはない。おそらく何かあればそのうち電話がかかって来るだろう、くらいに思っているに違いなかった。

 ままに時は過ぎ、そういえばあの人はどうなったのだろう、と我に返る姿を思い描く。何しろ互いはただ話し、幾らか食事をしただけだった。病室では世話になったが、その礼は自ら用意したわけではないものの、わずかな花と共に退院時、述べている。そもそもこの事情すべてが話せない。黙って消えるべきだと思えてならなかった。

 それをさかいにフロントへは、バーバラからの電話をつながないよう断りを入れた。昼間は余計ごとを考えるヒマなくこき使われ、夜、同じ時間が来れば横になり目を閉じる。その忙しさと規則正しさに一週間は瞬く間と飛び去り、さらに一週間、フロントからバーバラから一度、電話があったことを知らされた。もう次はないだろうと、撤退を始めた仮オフィスの後始末にいそしむ。

 慌ただしさは急ぎ訪れた時にも増してと言うべきか。おかげで時にぽっかりと訪れる空白は際立つと、やおら遠く離れてやって来たはずのこの地を妙な親しみでもってして離れ難く惜しませた。

 何しろ色々あり過ぎた。

 誰にとっても感慨深いはずだと思えてならない。

 終わりと始まりが交錯する。

 冷ややかで熱っぽい、乾いた風が層を成して吹き抜ける。

 さらされた時間はその両端で刻む間合いを変えてゆき、引き伸ばされて出来た隙間の奇妙な日々。

 そういえばあの人は、と思い出すのはひと月後くらいが妥当か。それとも案外、そうも振り返ることなく消え去るものなのか。

 入院患者こそ絶えることはないだろう。

 妥協点が見つかるといいが。

 いやせめて、話せる誰かが見つかるといいが。

 ただ漠然と願ってみる。

「おい、今の角だぞ!」

 がなり立てるハートの声に、慌ててフロントガラスの向こうへ焦点を合わせていた。

 ロス経由で米国を発つ今日、マッキャラン空港発は十八時。ホテルは出勤時にチェックアウトを済ませており、大きな荷物もまた日本行きのオフィス最終便と共に午前中、空港へ送り出してしまっている。だからして借りていたベガス署の一角はもうがらんどうに等しく、詰める先のなくなった各自もまた時間までの自由行動を言い渡されていた。

 それでも気になる件があるらしい。ハートはベガスビッグビューイングへ向かえ、と人をこうして運転手代わりに使っている。そんな自分は無理をいって預かってもらった最後の手荷物を、ホテルのフロントへ取りに行く途中だった。

「ぼーっとしやがって。入院と内勤で錆びついたか。ミスター、スタンドプレー」

 確かに、通い慣れたベガスビッグビューイングへ出る裏道を曲がり損ねている。Uターンできる場所が見当たらない。この辺りをもう一周するしかなさそうだった。

「うるさい。ミスをするのが人間だろう」

 ふん、と鼻息を吹き出すハートは相変わらずのタンクトップ姿だ。隣で組んだ太い腕を見せつけていた。

「ソガが言っていたぞ」

 などと切り出された話は、初めて耳にするものである。

「頼んだはずが用件のひとつ、ふたつ、必ず抜けているとな。そんな具合で写真に取られて、お前だけ吹き飛ばされるな。いいか、そういうスタンドプレーこそ、いらん類だ」

 ついぞ知らされず、そのわけを感じ取ってむしろ舌打ちは自分へもれた。

「その時は五分あればわけないあんたを、信用している」

 悔し紛れと精一杯を吐けば、ハートはそいつはどうだかな、と続けてみせる。

「どうやら人間はミスをするものらしいからな。手が滑って吹き飛ばすかもしれん。いやその方がお前も目が覚めるか」

 今度こそ間違えないだろうな、と窓の景色を警戒した。

 あの世で覚めてどうする。頭の中で呟き返せばハートは言う。

「らしくないぞ、どうした」

 つまりパパに話せ、とでもいうつもりか。

「どうもしない。あんたも撃たれてみればわかる」

 だがマイペースなおやじは、そら次は間違えるな俺たちはハツカネズミじゃないぞ、と突き出したアゴで角を指し示す。確かにやり過ごしたポイントは近づいており、腹立ちまぎれだ、ウインカーを跳ね上げた。見届けハートは安心したらしい。

「バカを言うな。家族を泣かせるのは俺のポリシーに反する。危ない橋を渡るのは、お前と仕事をしているだけで十分だ。いいか、その家族のためにもとばっちりを受けんよう、話くらいなら聞いてやる。嫌なら帰って、とっととカウンセラーにでもかかれ」

 そうまで言われて誰が素直に従うのか不思議でならない。

「ああ、あんただけには死んでも相談はしない、安心しろ。だがカウンセラーの必要もない」

 言っていた。

 口ぶりは過ぎたか、ハートが怪訝な顔を向けている。

 まわすハンドルで払いのけた。

「女か?」

 とたん問われる。驚きより先に恐怖を感じて、単純に心臓は跳ね上がっていた。医者のお墨付きとはいえ殺す気かと思い、ついで何を根拠に言っているのかと恐る恐るハートへ視線を流す。ならハートは言っていた。

「まったく、ばあさんのことはどうにもならない。いい加減、決着をつけろ。ごついくせにハリボテだ。女々しいくせして白い面でしれっ、とすましてやがる。気に食わん。一緒に仕事をしている自分の忍耐に、ほとほと感心する」

 女は女でも違ったらしい。

 同業者はこれだからやっかいだ。その勘をただ嫌った。

 だから相談しないんだ、とだけ返して、ようやくたどり着いたベガスビッグビューイング前でブレーキを踏む。事故るな、と指を突きつけるハートとはそこで別れた。

 確かにカマをほりそうで、気分の入れ替えは必要に思える。だからして荷物を拾った後、どこで昼を食うかを考えた。その頃にはもう署には誰も残っていないはずだ。車を返すついでに引き継ぎの取りこぼしとして、バーバラの自宅付近警戒を頼んでおく段取りを頭の中でつける。

 ままに車を置いた地下駐車場から、ホテルのロビーへ足を踏み入れた。

 とたん足は床に貼りつき動かなくなる。

 いや、教えていたのだからつじつまは合っていた。

 フロントマンとバーバラは、そこで何やら話し込んでいる。しかも話題に上がっているだろう人物が戻ってきたせいだ。フロントマンがバーバラから視線を逸らした。なぞりバーバラもまた、振り返る。目と目は合い、我ながら呆れる結末を聞かされていた。


 電話をかければ、今朝、チェックアウトしたと教えられた。

 バーバラがホテルを訪れたわけは、あまりに単純だ。

「今日っ?」

 挙句、声を裏返される。

「今日って、今日、帰るのに黙っていたの? もう昼だわ。携帯電話の留守録にでも入れておいてくれればよかったのに。休みだからフロントに伝言を頼もうと思ってよかった。で、どこまで?」

 避けた人目は一般市民もこみだ。地下の駐車場に停めた車の助手席でバーバラはたたみかける。言わざるを得ない。口を開いた。

「日本だ」

 返答は、丸かったバーバラの目をなお丸くさせる。

「日本っ。そんなに遠いの? なのに一言もないって。わたしたちまた話せるわよね?」

 質問は矢継ぎ早で、どれも間違っていなかった。だからしてその全てに答えることにする。

「本来オフィスは日本にある。こっちでの仕事には昨日、区切りがついた。ついで俺は今、あまり人とかかわりたくない。だからこちらから連絡を取るつもりもなかった。本当はこうしている間も、あまり落ち着けていない。つまり日本の連絡先を教えるつもりも、ない」

 バーバラの瞬きは止まっている。言っている意味がよく分からないのだけど。呟くようにたずねていた。

「つまり、付きまとわれると困る、そういうこと?」

 おおむねあっているので、口は挟まない。挟まないことでそうだ、と理解したバーバラは落ち着け、と自分に言い聞かせている様子だった。

「ええ、あなたが警察関係者だっていうのは、保険の請求先を知っているから疑ってない。けれど何か私へ言えないようなことがある。そのせいで、かかわりたくなくなった。どうせならなかったことにしたい。そのためにも黙って帰る」

 だからして話は破綻しておらず、まったくの的外れというわけでもない範疇におさまっている。訂正のしようがなく、黙って返せばバーバラは眉をひそめてこうつけ足しもした。

「そのうち忘れるだろう、とでも?」

 目が、恨めしげとこちらを見ている。図星だっただけでなく、覚えたうしろめたさに鼻からため息のような唸り声はもれていた。

「その方がよっぽど、いやらしいわ。なによ、私たちはただの友達でしょ? やましいことなんてなにもないじゃない」

 すくめた肩で投げつけられる。

「知られてどこが都合、悪いの?」

 問われ誰に、と勘繰り、気づかされて慌てた。どうやらで二股をかけようとしていた男だ、と結論づけられたらしい。それは違う、と遮った。

「話せないのは仕事上だ。人と関わりたくない理由もそこにある。かかわりたくない、話せないなら会う理由がない。黙って帰った方がいいと考えたのは、そのせいだ。余計な問題を起こしたくない」

 言う顔さえバーバラは吟味している。その眼は鋭く、やがて口にした質問はそのせいでか、ここでも的を射ていた。

「……仕事の問題って、また防弾ジョッキを二枚、着こむつもりでいるの? あなた」

 察しのよさに助けられ、だからして意味が伝わればと、握るハンドルの手触りを確かめつつ返す。

「それは必要があればだ。ただ重いうえに暑い。ひとには勧められない」

 あいた間は、ぎこちなかった。

「だから会わないなんて。そんなの、連絡先を教えてもらうだけ、でも?」

 口調は、一言一言を確かめるようだ。

 だが折れて教えるに相手は、政府機関のサーバーをハッキングした過去歴を持っており、その気になれば数多ある一般回線だろうとなんだろうと、連絡を取り続けていれば拾い上げてみせるだろう輩だった。加えて広域をインターネットでカバーし、湧いて出るかのごとく徒党を組んで行動する組織ときている。そんな彼らには距離がなく、万が一を考えれば考えるほど「それくらいならかまわないだろう」が言えなかった。

 そして言えないことはすなわち、連絡先を教えることで増すだろう親密さが互いの間でもう、必然であることを知らしめ、顕在化すればそちらの方こそ厄介で、厄介だというわけこそ明かせず言葉は詰まる。

 様子を眺めるうちにもバーバラは、それなりの深刻さを察した様子だ。吊り上げていた肩を落としていった。

「……嘘みたいな話、しないでよ」

 前へ向きなおりただこぼす。

「嘘はついていない」

 せめて写真に写っていなければ、もう少し大きく構えられたはずだと思う。だが、でないからこそ、こうも落ち着くことができないでいた。

「関わるな。それが最善だ。だからしてこの後も、家まで送るつもりはない」

 ほかに言いようがなく、ならバーバラはあのね、と静かに口を開いてゆく。座席の上で向きなおった。

「失えば、二度と戻っては来ないの」

 投げ込まれた言葉にフロントガラスから振り返る。

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