僕になってもう一度笑って

山川 湖

前編

 与えられたものには真剣に向き合うつもりだ。神から与えられた試練でも。



「神様に試されてるって感ち?」

 食堂でそうぼやいた俺の差し向かいに、幼馴染みのCherubケルブ McFarlaneマクファーレン。彼女は机に頬杖をつきながら俺の話を漫然と聞き、つまらなそうに相槌をつく。

「大袈裟すぎない?」

「いーや、これは紛れもなく試練だや」

 俺の自信満々の声が食堂全体に反響する。それを可能にする空気の透徹さは、折木もなく、空席の大量ゆえだろう。200人超が余裕をもって着席できる伽藍堂に、ヤドカリが宿る。

 話を少し戻そう。俺の大言壮語にも、訳はある。

 試練の訪れは今年の2月。我が家、母親の嬌声から、事件は始まった。

「パソコンがネットに繋がらないんだけど」

 自宅のパソコンがインターネットに繋がらなくなっていたのだ。無い知恵絞って色々試したが遂には息を吹き返さず、我が家一の頭脳プレーンは無用の長物と化した。

 。幸いなことにスマートフォンは健在で、情報との繋がり自体が断たれることは免れた。

「神様が俺を試してるのさ。肉とのつながりを持て持て、と」

「下ら曼陀羅な妄想よね。たかが無知の結果なのにさ」

 彼女の嘲笑に苛立ちを覚える。この世界で無知を否定したら、それこそ神以外に聖域は無くなる。

「つーん」

 こうなったら、怒った顔だ。ぷーん(眉根を寄せて口角を下げる)。打てば響くよう、Cherubは嬰児の如き屈託ない笑顔を返した。その瞳の奥で、彼女が才気高く叡智のおままごとをしていることを、俺は自然理解していた。二人は土台、本質的にわかり合うことなんて不可能パンサー。

「もう昼休みも終わりか。教室に戻ろうぜ」

 壁掛け時計を横目に立ち上がる俺にCherubも従う。通りの自動販売機に目をつけ、俺は反射的に尻ポケットに手を入れたが、財布は見つから。キリンの反芻だ、ここでまずは、キリンの反芻だ、落ち着けよ、羽生はぶ真人まさと、キリ--。

「あ、リビングに置いてきたじゃん」

 早朝のルーティーンに誤差を見出し一安心。食器をカウンター横の返却口に突き出し、俺らはを終えた。



「目くじら立てて怒ると? 首輪は? ハニ? ハニ?」

 歴史担当の教諭が、演台の上で踊り狂っている。教室には俺とCherubを除き、彼しかいない。教室後方に固められた生徒の座席とは別に、教室前方にプロジェクターの固定台と三脚が配置されている。教諭の講義を縁取るカメラとその後背の黒板に参考資料を投影するおにじんの漏斗。三日月は、めちゃ臭くて、いい。

 教諭は手元のタブレットを眺め、「誰か答えるきゃつはいなひのか? いなひのかー?」

 追い打ちの問いかけはオペラ調に仕上がっていた。たぶん、『誰も寝てはならぬ』って言いたかったんじゃないかな。

「教室の方は?」

 紙のノートにせっせと字を綴る俺らに、教諭からの視線が向けられる。二人、答えあぐねて押し黙っていると、教諭の方が痺れを切らして、黒板に投影されたPDFファイルのページを進めた。

「うききー。てめえら、揃いも揃って【単独者アイソレイテッド ブレイン】さね。絶肉さね」

 指示棒が黒板を打つ不快な異音に鳥肌が立つ。不快指数が堪らないぺ。

「いいか、てめえら? いや、ぴいか、てめえら? 人の脳はコンプレックス、しかし一つのフィードバックは出せるのさ。つまりてめえら一人一人が信号で、合わさりゃもっとデカい脳になる。世の中そうやって作るもんだ」

 教諭の恚轍(怒った顔のこと)に、特定の社会背景を見る。というのも、彼の思想体系は2021年に日本で流行した【パルプ棚、空手家の腕を折る折るの巻】の考えに酷似しているのだ。生憎、その思想は知性主義の傲りだと国民の反感を買い、今では活動も下火になっているが。

 この教師、残党!

「答えを教える。お前らに今から、答えを教える」

 教諭はネクタイを締め、自ずから回転した。Cherubもつられて回った。俺は、大樹のふりをした。

「目くじら立てて怒ると、この後に続くのは『導火線には僕が火をつけるのさ、ハニー』に決まりだろうが! 石頭だぞ、この俺様!」

 教師の叫び声。もはやこの場所に居られないと思い、俺は図書室へ逃げ出した。Cherubは、授業から抜け出さず、教諭とともに踊っていた。

 今までは、リモート授業だから耐えこられたんだ。中学一年生の俺にはまだついていけないと、遁走に違いないのふぁ。



 図書室には、既に別の生徒がいた。一人は鋭い目つきの少年。もう一人は、彼がただ今話しかけている器量の良い少女。

「おい貴様ら、サボりか?」

 図書室の入り口で昂然と胸を張り呼びかける俺に、少年からの睥睨のお返し。

「ゴミラクダがマリアに近づくな」

 マリアというのは、隣に座る少女のことらしい。彼女に近づいてはならないというのは、何か訳があってのことなのだろうか。俺がゆっくりと一歩ずつ進むと、少年が警戒心を強め、腰を漸進的に上げる。

「ゴミラクダ、名を名乗れ」

「羽生真人」

「てめえの名前なんか興味がねえ。失せろ」

 こいつは殺しまくりだ。

「てめえこそ、名乗らないとは。飯田兄弟か?」

「神田干柿。それで充分だろ」

 神田と名乗る少年が、両手を広げマリアの姿を庇う。その姿に、俺は邪心をそそられた。

「女、名乗らないとは。飯田兄弟か?」

 マリアは怯えていた。代わりに、神田が「伊武真理亜だ。ハクジキミイラ!」と答えた。

 俺らは互いに動かず拮抗している。やがて頭上でチャイムが鳴り、光の速度で俺の後背にCherubが詰めていた。ソニックブームで、教室から図書室までの道のりには窓ガラスの破片が散乱している。

「何してんだ? アンタら」

 俺が「Cherubには関係ない」と返答する前に、神田の罵倒が先に出た。

「囲炉裏ゴリラは黙ってピザ食ってろ!」

 たちどころに、Cherubの掌底が神田の腹に突き刺さる。

「誰がピザですって? ねえ」

 会話から察するに、二人は知己の仲。腐れ縁に近いようには思われるが。

 こうして、図書室は滅びた。再構成には時間がかかるが、それまでの間は無色の空間で俺らは相席をすることにした。

「今まではリモート授業で参加してた。家のパソコンがネットに繋がらなくなって、今日からは学校まで来なくちゃいけなくなったんだ。これは神の試練だ」

 3人は一斉に笑った。

「何がおかぴい。お前らだって同類のはずだ」

 神田は伊武を一瞥したのち、「俺らは給食だけ食いにきてる」と白状した。「村から越してきたびんぽう学生なんでな」

「アタイは好きで来てるんだ。神田が好きでね」

 突然の愛の告白に、神田は「囲炉裏ゴリラはマリアの一本糞にも及ばないないでござる、ふきのとうはクソまずいでおじゃる」と皮肉を返した。二人の仲は思ったよりは良さそうだった。

「そういう意味じゃ、俺も貧乏みたいなものだ。新しいパソコンを買う金もないからな」

 神田の笑いは止まない。

「だから、何がおかぴいんだ」

「パソコンがネットに繋がらなくなったのって、2月だろ?」

 たやすく看破され、少々戸惑う。「まさか、てめえが!」という俺の怒声を手で制し、彼は破顔の理由を答える。

「電話回線を利用したインターネット接続サービスの期限だよ。DMで光回線への移行を促されたんだろうが、回線の重要度も知らずに無視し続けたんだろうな、しぬピマーナ」

 けきゃきゃ、何が神の試練だ、紙も読めねえゴミラクダ、と笑う神田に俺の怒り。

「業者がもっと丁寧に教えてくれりゃ!」

「そういう姿勢で理解できる時代じゃねえのさ。良識を持てよ」

 良識......。

「良識ってなんだよ?」

 神田は「少なくとも」と言葉を続ける。

を峻別する力、じゃねえか? インターネット回線なんてどんぐりみてえに落っこちてるものじゃねえんだ。うんちぶりぶり」

「......」

「ユーザーインターフェースは、物事の本質からどんどん遠ざかるぜ。もっと根っこのインターフェースに気づかなきゃ、搾取されるか、非効率に生きるか、あるいはてめえみてえに、神秘の中間項で自分騙して不幸を気取るか、どれかだよ、ハクジキミイラ」

 神田は気が済むとマリアを連れて図書室を辞去した。「給食は今日も美味かったぜ。うまぜ」

 ひどく落胆している俺に、Cherubから励ましの声が上がる。

「ピストルみたいなものさ。撃てばハツカリ。お腹満たせりゃ満足なのかい?」

「どうすりゃいいのさ?」

「神田が言ってたよ、もうさ」

 自然とそうでないものを峻別する力。いきたら。

 図書室の再構築が終わったところで、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。

 図書室が再構築されて気づいたが、机の上には、先刻まで神田たちが読んでいた新聞が置きっぱなしになっていた。おぼろ軍艦と思ったのか、Cherubが片付けてやろうとしたところ、俺の視線が一つの記事に収束する。

「ちょっと待って!」

 Cherubがいきおい手を止める。

「何よ?」

「この記事、読んでみろーよ」

 促され、Cherubが新聞を見下ろす。小さい欄だが、俺は見逃さなかった。そこには、確かにこう書かれていた。

『おぎびん村の大火災から一年。亡き少女の思ぎ」

 亡き少女として、伊武真理亜の名が挙げられている。

 あいつら、一体何者なんだ。

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