四面楚歌

 雑賀の十ヶ郷に帰還した孫市は、隠居に事の次第を報告していた。


「本願寺勢は、敗れたか。また、三緘衆が騒ぎ出しそうじゃな」


 隠居はそう言って、ため息をつく。

 戦の敗北は、顕如にあるはずの仏の加護を疑わせることになる。以前の訪問で繋ぎ止めた石山本願寺への忠誠心は、揺らぐことになるだろう。


「勝負は時の運だ。勝つ時もあれば、負ける時もある。それで離れるのなら、放っておけばよい」


「そうもいくまい。雑賀の結束に乱れが生じれば、信長の矛先がこの雑賀に向かってくるかもしれぬ。雑賀荘と十ヶ郷だけでは、危うかろうぞ」


 隠居はそう言って、白い髭をなでる。いかに地の利があるとはいえ、織田方の大軍をこの雑賀の地で迎え撃つことは、かなり厳しい戦いになるだろう。


「しかし、驚いたのう。あの刑部卿殿の甥御とやらが、成り代わった間者であったとはな」


 孫市は、すべてを包み隠さず、隠居に報告していた。


「まったくだ。俺も、気づかなかった」


「……本当か?おぬしには昔から、悪い癖があるからのう」


 隠居はさすがに、息子のことを理解していた。

 あらかた報告も終わり、退出しようとした孫市に、隠居は声をかける。


「それで……その偽坊主は、そのままでよいのか?」


 その問いに孫市は答えない。隠居が言わんとしていることは、その言葉だけで伝わっていた。


「おぬしは、その男に見られすぎた。射撃のことも、眼のことも。実際十ヶ郷にも入られ、見られている。そしてその男は、織田方へ帰っている。信長との戦は、まだまだ続くのだ。ことは、雑賀の命運にかかわっておる。すべては、おぬしの責任じゃ。孫市として、始末をつけねばならぬ」


「……わかっている」


 孫市は静かにそう答え、屋敷を出た。



 屋敷を出ると、外には、いつもの鈴木党の面々が集まっていた。

 小雀や月の翁もいる。


「お頭……苑也様を撃つのですか?」


 蛍は、まっすぐに孫市を見つめながら尋ねる。


「あれは、苑也ではない。何度言ったらわかる」


 孫市は、苛立たし気にそう答えた。


「……しかし、撃つといってもどこにおるか、わからんでしょう」


 蛍のとなりで、巨体を屈めて座る但中がそう言う。


「おそらく、京にいる。俺と刑部卿殿の首を、確認するためにな」


「……なるほど」


 但中は、浮かない顔で納得した。


「……気に入ってるんでしょ、あの人のこと」


 蛍は、思い切って孫市に言葉を投げた。

 そのとなりに立つ鶴は、無言で二人を見つめている。その細い腰にしがみつく小雀も、少し怯えた表情で、二人の顔を交互に見つめていた。


「くだらんことを言うな。俺は孫市として、やるべきことをやる。それだけだ」


「おお、そうだぜ、頭。あんな奴、とっとと撃ち殺そうぜ!」


 口を出す間をはかっていた発中は、かぶせ気味にそう叫ぶ。


「あんたは、黙ってなさい」


「大体、のんびりしてる暇はねえはずだろ。この前の戦で火薬だってなくなって、早く次を作らんと困るんだろうが。やることやって、早く次やろうぜ」


 口を尖らす蛍に、発中は珍しく正論を言う。


「お頭、偽坊主のことはともかく……発のいうように、弾薬のことは急がねばなりますまい」


 蛍が、発中に言い返そうとするのを遮って、無二が進言する。


「そうだぜ。はやく天王寺屋に言って、硝石をたんまり持ってこさせようぜ」


「……ほう、天王寺屋ですか」


 それまで黙っていた月の翁が、不意に口を開いた。その顔には、正に翁の面のような笑顔が、張り付いている。


「しかし、あの偽坊主も大変ですな。羽柴秀吉の間者に命を狙われ、今また、雑賀孫市にも命を狙われる。おそらく、鳥居らの殺しにも関係していると目されて、会合衆にも狙われておりましょう。いやはやこれは、生きてはおれますまい」


「……翁?」


 あきらかに様子の変わった翁に、蛍が怯えた表情を見せる。


「そうか、お前の目的は、硝石の出処か」


 そう言った孫市が、無二が腰に差す刀を抜いて、翁の銅を振り抜くのと、翁が宙に飛び上がるのは、ほぼ同時であった。

 しかしわずかに翁が速く、刀は空を斬る。


「ほっほっほ。速いのう。しかし、銃のようにはいかんかな」


 そう笑う翁の動きは、老人のそれではない。


「何者!」


 鶴がそう叫んで、腰に抱きついていた小雀をかばう。


「何者か、じゃと?……うむ、しいて言えば、儂も信長の間者になるのかのう」


 翁は、首を傾げながらつぶやく。


「……他人に使われるような人間には見えんな。本当のことを言え」


 孫市は、怒気をはらんだ声で詰め寄る。すぐに四方から、無二や但中、発中も包囲し、距離を詰める。


「本当だとも。信長の配下になってやろうと思って、会いに行ったのだが、儂のことをまったく信用せんでな。配下になりたいのなら、雑賀に行って、硝石がどこから入ってきているか、調べてみろという。まるで、雑賀に潜入などできようはずがない、と言わんばかりにな。

 だから、潜入してやったのじゃ。硝石の出処を探るためにな。しかし、まさかあの天王寺屋が横流ししておるとはのう……」


 雑賀衆の組み撃ちのような運用には、大量の火薬、つまりその原料となる硝石が必要になる。信長の傘下に入った堺が、雑賀への輸出量を絞っているのなら、必ず別の道があるはずなのだ。

 信長が、どの程度この翁を信用していたかは謎だが、硝石の出処を知りたいというのは、事実であろう。

 孫市らは、じりじりと包囲を狭めていく。彼らの刀は、いつでも翁を捉えることができる間合いに入った。


「翁……最後に名を聞いておこうか」


「……果心居士」


 にやりと笑って翁がそう言った瞬間、その四方の地面から土が舞い上がった。

 その土は、まるで生き物のように孫市らに襲いかかる。一番近くにいた但中は、何度か刀を振るうが、その土の向こうで翁は幻影のように小さくなり、やがて見えなくなった。


 舞い上がる土が、すべて地面に落ちる頃、果心居士と名乗った男の姿は、完全に消えていたのである。


「おい、お頭。消えたぞ!どうなってんだ。これもあれか、仏の何とやらか!」


「阿呆、地面を見ろ」


 騒ぐ発中に、孫市は、顎で地面を指し示す。そこには、奥に向かって力強い足跡が続いていた。


「走って逃げただけかよ!」


 発中は、その場で地団駄を踏む。


「どうします、お頭。追いますか?」


「あれは、一年もここにいたんだぞ。逃げ道も確保しておろう。あの足で逃げられては、追いつけん」


 孫市は、特に怒るでもなく無二にそう言って、地面に手を突っ込む。その手に掴まれた綱を引っ張ると、蜘蛛の巣のように広がった綱が、土を舞い上げながら出てくる。


「……いつの間に、こんなものを」


 それを見て、鶴は心底あきれた表情を浮かべた。


「果心居士の名は、聞いたことがございます。何でも、幻術を使って人々を驚かせておるとか。幻術だか奇術だかわかりませんが、何とも喰えぬ爺ですな」


 孫市が引き上げた綱を巻き取りながら、無二がつぶやく。

 その名は、孫市も聞いたことがあった。天下を騒がす人物の一人である。


「おい、発。どうしてくれる。お前がいらんことを言うから、硝石の出処がばれたではないか」


 孫市は、急に真剣な顔になって、発中に詰め寄る。


「おお、そうだ。しまった!俺の所為だ。やっちまったあ!」


 そう言って地面に何度も頭を打ちつける発中を、孫市は表情を変えて、にやにや笑いながら眺める。


「……お頭、ほっといたらこいつ、額がかち割れますぜ」


 その但中の言葉に、孫市は仕方なく腰をかがめ、ささやくようにつぶやく。


「心配するな。天王寺屋から、硝石は入ってきておらん」


「な、なにぃ!」


 額からうっすらと血を流す発中は、顔をあげる。


「お前は、馬鹿だからな。しかし、今回は助かったぞ」


 孫市は、発中の肩を軽くたたく。


「おい、一体、どういうことだよ!」


「お頭は、初めから翁を疑っていたのよ。だからみんな、翁の前で硝石の話はしなかったの。あんたは馬鹿だから、必ずどっかで口を滑らす。だから、あんたには、天王寺屋からって言ってたのよ」


 蛍が、腰に手を当てて、発中を見下ろす。

 硝石のことは、雑賀にとって秘中の秘であった。


「さて、天王寺屋は、信長に何と言われるかな。まあ、いずれはばれるだろうが、しばらくは俺達のために泥をかぶってもらう。ざまあみろだ」


 孫市の、意地の悪い笑い声が響く。


「じゃあ俺達は、どっから硝石を……」


「あんた、まだ気づいてないの?……異国から入らない、堺からは絞られる。なら自分達で造るしかないじゃない」


「はあ!?造ってんのかよ!」

 発中は、驚きで立ち上がる。

 これこそが、雑賀の、いや十ヶ郷の秘中の秘であった。鈴木党が、雑賀でもっとも力があるのは、この自前の硝石のおかげに他ならない。

 孫市の正体や、その集団による鉄砲の運用法など、いくら知られても問題にならない。製鉄をしているように見せかけた、その施設の奥にある硝石の土壌こそ、もっとも重要なものであった。


「じゃあなんで、あのあやしい爺をほったらかしにしといたんだよ。ばれるとまずいんだろ」


 発中は、何とか反撃の糸口をつかもうと、思いついたことを口走る。

 それに、孫市は答えなかった。そんな頭目に、我慢できなくなった但中が口を挟む。


「お頭……いい加減、間者を泳がして楽しむの、やめましょうよ……」


「あのな、おれは遊んでいるわけではないぞ。泳がしておけば、必ずもっとも知りたいものに近づいてくる。そうすれば、敵方のもっとも欲しているものが何か、わかるだろう。面白半分でやっているわけではないのだ」


 孫市はそう胸を張ったが、説得力はない。


「で、いかがなさるのですか。その泳がしていた、もう一人の偽坊主は?」


 その無二の問いに、孫市は、小雀の抱えている火縄銃を奪い取る。


「京に行く……始末は、つける」


 孫市はそう言って、何か言いかける蛍をにらみつけ、何も言わせなかった。

 腹は、決まっていたのである。

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