天王寺の銃撃
天王寺砦の近く、石山本願寺勢を視認できる頃には、織田勢はすでに突撃体制で突き進んでいた。
織田勢の陣立ては三段で、一益は羽柴秀吉らと共に、二番手にいた。信長は自らの馬廻と共に、三番手にいる。
天王寺砦を包囲する本願寺勢一万五千は、三千に満たない織田軍が突撃してくるとは、まったく思っていなかった。
その軍勢は押し寄せる波のように現れ、門徒衆が気づいた時には、織田勢はあっという間に本願寺勢の横っ腹に突撃していた。
織田勢の正面からの奇襲に、本願寺勢は一気に恐慌状態に陥った。
雑賀衆の中でも、孫市の配下である鈴木党や、一部雑賀衆はすでに軍勢を離れていた。
それでも、残った雑賀衆や門徒衆の鉄砲隊が、すぐさま反撃を開始したが、突然の奇襲に、散発的な銃声が響くのみであった。前回とは逆に、今度は織田勢から本願寺勢が逃げ惑う。
しかし、織田勢の第一目的は本願寺勢を叩くことではなく、天王寺砦の軍勢との合流であった。
砦を包囲する本願寺勢は、その突撃によって徐々に隊列を割かれつつあった。天王寺砦への道が、わずかに開いて来る。
しかし、徐々に体制を整えつつあった本願寺勢の銃撃は、激しさを増してきた。
主君の身を案じる一益は、自らの軍勢の指揮を家臣に任せ、信長を探した。
幸い信長は、近くで足軽に交じり、指揮をとっていた。やがて数騎の騎馬隊が合流し、信長は再び駆け始める。
その時、主人を振り落としたのか、人影のない馬が信長に近づいてきた。やがてその馬は、信長と並走を始めた。
少し離れた後方から、それを見ていた一益も、特に違和感を感じなかった。
しかし次の瞬間、一益は戦慄した。
並走する馬の腹から、一人の大男が姿を現わす。しかもその男は、腕の中に小さな人影を抱え込んでいた。
すっかり馬上に上がったその男は、ゆっくりと銃を信長に向ける。
「上様!」
その光景を見た一益は、凄まじい馬沓の音に負けない大音声で叫んだ。
(おお怖い。なんと怖い顔じゃ)
銃を構え、信長と対峙する孫市は、その射るような眼差しに恐怖した。
しかし、それは不愉快なものではない。心地よい震えでもあった。
孫市の腕の中にいる小雀は、装填済みの火縄銃をもう一丁抱えながら、気丈にも孫市同じように、信長を見つめている。馬上で激しく揺れながらも、その視線をそらすことはなかった。
孫市は尚、引き金を引かない。
信長は、初めに一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに孫市を睨みつけ、動揺を見せなかった。
(善住坊も、この眼を見たか)
孫市は、かつて信長の狙撃に失敗した男のことを思い出した。
どうやら信長は、孫市と呼吸を合わせようとしているようであった。おそらく、引き金を引きそうな気配を読んで、身を伏せようとしているのだろう。
(いいぞ、それでいい。それでこそ、信長じゃ)
孫市は、喜びでわずかにほほ笑んだ。しかし、時は迫っている。
(偽坊主は、来なかったか……まあいい。これも天命であろう)
ついに孫市は、息を吐いて指先に力を込めた。信長の目にも、緊張が走る。
その時、孫市の目の端に、一つの影が躍り出た。
その影が孫市に絡みつくのと、引き金を引くのは、ほぼ同時であった。凄まじい轟音が鳴り響く。
孫市は影の頭を押さえながら、ぶれた轟音の先を追う。
絡みついた影の動きは、確実に孫市の手元を狂わせたのである。
馬上で体勢を崩した信長は、大腿部を押さえて一度屈んだが、すぐに顔を上げ、再び孫市を睨みつけた。その大腿部に、わずかながら赤い鮮血が見える。
(掠っただけか……)
孫市は、複雑な心境でそれを確認した後、馬の腹を蹴った。孫市と小雀、そして孫市に掴みかかっている三郎を乗せた馬は、道をそれて離れていく。
後方から追いついた一益は、周りの家臣に追撃を命じようとした。
「一益、捨て置け!」
信長はそう言って一益を制し、前方を指さす。
織田勢の突撃に耐えかねた本願寺勢は、砦前から蹴散らされ、道を開いていた。
「全軍、天王寺砦に入るぞ!」
信長とその家臣団は、さらに馬の尻を叩き、天王寺砦に突き進んだ。
「三郎、ようやった……」
消えゆく三郎の姿を見つめながら、一益はその姿に一礼した。
信長は、最大の危機を脱したのである。
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