包囲網完成
石山本願寺とその周辺は、にわかに騒がしくなっていた。
先月顕如が檄文を発して以来、石山本願寺とその支城には門徒が押し寄せ、その数は、五万人を超えるまでなっていた。
孫市ら鈴木一党の雑賀衆が、南部の出城に入りこれを改修したように、他の雑賀衆や門徒衆も、各々寺内町や支城に入り、これらを本山の強固な防衛網に加えつつあった。
もちろんそれら支城には、大量の兵糧物資が送り届けられ、長期の籠城戦に耐えうる体制も整いつつあった。
そのもっとも重要な補給線は、石山本願寺の西に位置する大坂湾である。
この西方の水路は、石山本願寺にとって、毛利や雑賀と結ぶ最も重要な地域であり、死守しなければならない要衝であった。木津方面の海岸線にある砦群は、この難波口の水路を守るために築かれたものであり、門徒衆は当然、この砦郡にも大規模な手を加えつつあった。
特に木津砦と楼の岸砦、そしてその間に位置する三津寺砦は、その防衛網の要であった。
信長の分国に囲まれた大坂は、巨大な要塞として完成しつつあった。
「随分と暖かくなってきましたね」
この日、三郎は二助と共に、寺内町外堀の石垣の修繕を手伝っていた。
「……苑也様?」
三郎が上の空でいるのを見て、二助は首をかしげた。
「ん……ああ、すまん。どうした?」
「いえ……たいした話ではありません。しかし、苑也様。少しお疲れなのではありませんか?近頃、なんと言うかその……ぼんやりなさっていることが多いように思いますが」
二助は少し遠慮がちにそう言った。
「……確かに、疲れておるのかもしれん。いや、すまんな。これからという時に」
三郎は、そう言って額ににじむ汗を拭い、尖った石片を石垣の間に打ち込む。
そんな二人の周りでは、多くの門徒衆が同じように石垣の修繕に勤しみ、汗を流していた。
少し離れた橋のたもとでは、女たちが竹を縛って、鉄砲の盾となる竹束を大量に作っており、完成した円柱の竹束を道に並べている。
(……これではいかん。二助からもぼんやりして見えるなど)
三郎は雑念を振り切るように掛け声をかけ、ひたすらに石片をたたく。
心ここにあらずといった三郎の懸念は、やはり先日の一件に端を発する。
結局あの間者がどうなったか、その後何も聞こえてはこなかった。公にはもちろん、噂話でも鋸挽きや処刑の話はない。
ただ残ったのは、三郎の恐怖心のみであった。
それによって彼は、屋敷でも頼廉を避けることが多くなっていた。まともに頼廉の目を見ることもできず、うつむきがちでぼんやりした日々が増えていたのだ。
その変化は、先程二助にすら指摘されるほどであったから、頼廉も口には出さないものの、当然気づいているだろう。
しかし時が経つにつれ、その恐怖心も徐々に違う感情に変わりつつあった。
それは、頼廉に許しを請いたいという感情であった。
だからといって、滝川家のために苑也を殺したことに後悔はない。そこにあるのは、念仏を唱えれば悪行ですらすべて仏が許し、救済してくれるという、一向宗の教えにすがりたい自分勝手な感情があった。
(……私は、ここに長く居すぎたのかもしれない)
しかし三郎は、孫市の決定的な射撃の間合いを掴んではいない。結局、彼の忠誠心は、石山本願寺からの脱出も許さなかった。
その当の孫市にも、近頃は会う機会が減っており、それ以上探ることもままならずにいた。
孫市は、石山本願寺勢の中心人物の一人であり、多忙を極めている。もはや孫市の射撃を見るのは、実戦を待つより他ないのかもしれない。
(……何かしなければならぬ、何か。しかし、何をすべきなのか……このままではただ、途方に暮れてしまうな)
この日の夜、三郎はなんとなく、筆を手に取った。
初め経を書いていたその筆は、やがて頼廉への文へと変わっていった。
自分がどのように生まれどう育ったか、なぜ石山本願寺へ来ることになったか、なぜ本物の苑也を殺すことになったのか、どうやって殺したか、自らの主君のため苑也を殺したことに後悔のないこと、しかし、頼廉に申し訳のない気持ちがあること、下間屋敷の生活が苦痛ではなかったことなど、取り留めもなく書いた。
(このようなことを書いて……何になるのか)
三郎はそう思い、一度はそれを破り捨てようとしたが、結局それを懐にしまい込み、立ち上がる。夜の冷気を吸い込もうと戸を開けると、遠く本山近くに松明が揺れているのが見えた。
また番衆が、捕り物をしているようであった。
石山本願寺に集結する門徒はさらにその数を増している。
満を持した石山本願寺の挙兵に危機感を強めた信長は、ついに決意を固め、原田直政、佐久間信盛、明智光秀、細川藤孝、荒木村重ら重臣に、摂津石山本願寺方面への出兵を命じた。
それにともない信長は、着陣した諸将に刈畠を命じ、石山本願寺周辺の麦を、麦秋前に全て刈り取らせた。
また、門徒の結束の分断を計ろうと、籠城する一般の門徒男女は赦免するので、早々に退去するようにと促す立札を周辺に立てさせた。
ただし僧侶に関しては、赦免の不可を厳命しており、退去しだい殺せと命じていたが、石山本願寺の結束は固く、僧侶も門徒も、まず出てくる者は現れなかった。
さらに信長は、大規模な野戦築城を始めた。
四月中旬、荒木村重には本願寺の北に位置する野田に三か所、明智光秀、細川藤孝には東側の守口、森河内の二箇所、そして南の天王寺には、原田直政にそれぞれ砦を築かせ、それぞれに大軍を入れて、石山本願寺を包囲させた。
本願寺方としては兵を繰り出し、その築城を妨害したい所であったが、門徒を中心とした混成部隊である本願寺方が、専業的武士団である織田方と野戦を戦うことは圧倒的不利であり、悠然と行う築城を黙ってみている他なかった。これにより織田方は、石山本願寺方を大きく侮ることになる。
彼らは、本願寺の中の異端者、戦闘集団雑賀衆の恐ろしさを忘れていたのである。
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