伴天連

 船を待つ、三郎や頼廉の目の前では、接岸された商船から次々と積荷が降ろされていた。

 先程まで頭をなでながら孫市を見ていた頼廉の視線が、その積荷を整理している男の後ろ姿に止まる。

 その頼廉の目が、大きく見開かれた。


「パーデレ!」


 不意に叫んだ頼廉に、三郎や孫市も驚いてその様子をうかがった。

 見ると頼廉は、あっという間にその男の近くに駆け寄り、三郎らも、慌ててその後を追う。

 その男は、頼廉の顔を見ると驚愕した表情を浮かべ、額を擦り付けんばかりに平伏した。そんな二人の姿に、周囲の喧騒も一時、静まった。


「下間様、お久しゅうございます。私は、なんとお詫びしてよいか……」


「……面を上げよ、パーデレ。儂はおぬしらに対して、もはや怒りなど持ってはおらん」


 頼廉はそう言って平伏する男の手を取り、顔を上げさせた。その男の髪は燃える炎のような色をしており、瞳は浅瀬のように青い。

 その男は、南蛮人であった。


「私は、パーデレ、呼ばれる地位の人間ではありません。ただの一教徒でございます」


 そう返す男の言葉は、発音と調子に多少の違和感はあるものの、南蛮人としては流暢なもので、聞き苦しさはなかった。おそらく、長くこの国にいるのだろう。


「そうなのか?儂はデウスの教えを説く者は、皆パーデレだと思っていたのだが」


 男の言葉に、頼廉は少し困惑の表情を浮かべた。パーデレとは、キリスト教の神父のことである。


「パーデレと呼ばれる者は、一部の、地位の高い者のみでございます。本当の私たち、商人でございますので……しかし、本当に下間様には、なんとお詫びをしてよいかわかりません。妹様の苦しみを、取り除いてさしあげようと、我々の教えを説いたのが、過ちのもとでございました。しかもあの後、旅の途中で妹様と別れ、行方もわかりません。私は、もし下間様にお会いすることになれば、磔になっても仕方がないと思っておりました」


 南蛮人の男はそう言って、もう一度、頼廉に深く頭を下げた。

 どうやらこの南蛮人の商人は、かつて頼廉の妹、つまり苑也の母に、キリスト教を教えた商人の一人のようであった。

 下間家とゆかりのある商家に出入りしていたということもあり、頼廉とは顔見知りのようであったが、妹が姿を消して以来の邂逅のようで、かなりの動揺と、怯えが見られた。

 どうやらその後も、妹と行動を共にしていたようなので、なおさらなのであろう。


「過去を悔いても詮無きことじゃ。儂もおぬしらをうらんだこともあったが、もう昔のこと、儂は忘れた……おおそうじゃ、苑也、来るがよい」


 そう言って、頼廉は三郎を呼ぶ。


「……妹の子じゃ。名は苑也といってな、先頃ようやく消息が知れて、石山本願寺に引き取ったのだ。実は妹は、病でもう亡くなっておってな……これは、忘れ形見というわけじゃ」


「なんと、妹様はお亡くなりに……とても、残念なことでございます。しかし、苑也様、でしたか、子供いるのは、よいことでございます」


 南蛮人の男は、興奮のためか多少言葉づかいがたどたどしくなり、三郎の顔をうかがったが、しばらくして、少し困惑した表情を浮かべた。


(なんだ、なにが気になるのだ……まさか、苑也を知っておるのか?)


 三郎はその男の表情に、激しい胸騒ぎを感じた。まさか正体が、という思いが頭をよぎり、動悸が激しくなる。


「……どうした?」


 その南蛮商人の不可解な表情に気づいた頼廉は、男にそう尋ね、三郎の顔と交互に見る。


「……いえ、あの……おそれながら、申し上げます。苑也様は、私どもと同じ血を引いているわりにはその、髪も目も黒く、完全にこの国の方のようで……?」


 南蛮商人は、おそるおそるそう切り出した。

 三郎の背中を、はっきりとした冷や汗がつたう。


「ん……いや、いやいやまてまて。何を言っておる? なぜそうなるのだ。同じ血、じゃと?おぬしは、妹の消息を知らぬのではなかったか?それでは、苑也の父が誰かもわかるまい」


 珍しく困惑した表情の頼廉は、慌てて男に詰め寄った。


「確かに私は、妹様とは旅の途中で別れました。しかし、私と同郷の若い男が、妹様とともにいたはずなのです。二人はとても、仲、良かったので、私は彼が、苑也様の父親ではないかと思うのですが?」


 南蛮商人は、頼廉の顔色をうかがいながら、しかしはっきりと、彼自身の知る事実を述べた。


「むう……しかし、その南蛮人が父親とは限るまい。その後、その南蛮人と疎遠になって、普通の男と、子をなしたのかも知れぬ。いや、そうであろう」


 頼廉は少し顔をゆがめて、自らにそう言い聞かせるようにつぶやいた。


「下間様、苑也様という名前は、下間様が?」


「いや、儂ではないが……」


「妹様とともに行った若者は、私と同じ村の出でございました。とても小さな村でございますが、その村の一部の地域では、幸運のことを、エンヤ、と呼んでおりました。その国でも、その地域だけの呼び方でございます。

 妹様といた若者は、同郷の私にいつも、言っておりました。もし子供授かったなら、必ず、エンヤという名前をつける、と」

 頼廉はその話を聞いてから、わずかに唸ってから腕組みして、その目を閉じた。

 そんな二人のやりとりを聞く三郎は、五臓六腑から苦い汁が湧き出てくるような感覚に、吐き気をおさえるのがやっとであった。

 しばらく腕組みし、目をつぶっていた頼廉は、やがて目を開け、三郎の顔を見つめた。


「そうか、苑也は異国人の血を……しかし、そうは見えんがのう」


「私の目からも苑也様は、この国の方々に見えます。何か、行き違い?勘違い?ありますかもしれません」


 南蛮商人は、たどたどしい言葉をつなぎながら、三郎に視線を向けた。


「苑也よ、おぬし母親から、父親のことは聞いておらぬか?」


「……私は……父のことは、一度も聞いたことはございません」


 二人の視線を受けた三郎は、頼廉の言葉に平静を装い、そう答えるのが精一杯であった。

 それからしばらくは、誰もが沈黙したまま一言も発することができなかった。その短い時間は三郎には永遠のように長く感じられ、息苦しさでめまいを感じた。


「……刑部卿殿」


 そんな中、ついに口を開いたのは、少し離れたところで三人の様子を見ていた孫市であった。


「父親が南蛮人だからといって、それに似るとは限らんのではないか?」


「……ほう?」


 進み出てきた孫市の言葉に、頼廉は興味深げな視線を向けた。


「俺は前に、南蛮人との間に生まれた子を見たことがある。その子供らは兄弟で、兄の方は確かに髪は明るく、目も青かったが、弟の方は、髪も目も我々と同じ色をしていた。その血が入ることで、必ずしも、南蛮人の容姿に近づくとも限りますまい……そうではないか、南蛮商人よ」


「確かに、そうかもしれません。しかし、私は他の国でも同じような子供、見ております。その者たちは、皆、両親の間の姿、しておりました。苑也様、そうは見えません」


「それは、南蛮人とよその国の人間との話であろう、この国も同じという証にはならん。そもそもこの日本に、南蛮の血の混じった者など、そうそういるわけでもないし、実際に俺は、黒い瞳の南蛮人との子を見ておるのだぞ」


 孫市はそう言いながら、南蛮商人の正面に立つ。

 南蛮商人は、なおも何か言い続けようとしたが、目の前の孫市を見て、口をつぐんだ。しかし、やがて納得したのか、少しうなずきながら、再び口を開いた。


「……確かに、貴方様のおっしゃる通りかもしれません。私、南蛮人とこの国の人の子、たくさん見てはいませんでした。苑也様、私おかしなこと言いました、お許し下さい」


 男はそう言って、素直に頭を下げた。三郎は笑顔でうなずき、お気になさらず、と言ったが、激しい動悸はまだ治まっていなかった。


「……しかし困ったことですな、刑部卿殿。石山本願寺の坊官、政の中心にいる下間家に連なる者に、南蛮人の血が入っていようとはな。さて、いかがなさいますかな?」


 そう言って振り向いた孫市は、意地の悪い笑みを浮かべ頼廉を見つめた。


「いかがも何も……今までと変わらんよ。この苑也が妹の忘れ形見であることは、未来永劫変わることはない。儂には、それで十分じゃ」


 からかうような孫市の言葉に、頼廉はとまどうこともなく、よどみなくそう答えた。孫市は、口をへの字に曲げ、眉をしかめるほかない。


「そもそも御仏は、念仏を唱える人間を区別せぬ。南蛮人であろうが織田方の人間であろうが、南無阿弥陀仏の文言を口にすれば、御仏は平等に救ってくださる。その御前では、どこの血であるかなど無意味ではないかな」


 頼廉は微笑みながら三郎の肩をたたき、歩き始めた。

 見ると、三郎らが石山に帰るための迎えの船が、ゆっくりと接岸しようとしていた。

 南蛮商人は、三郎と孫市に頭を下げ、特に頼廉には再び許しを請い、別れの挨拶をして、自らの船に戻っていった。

 そんな頼廉と南蛮商人を見つめながら、孫市は三郎に顔を寄せる。


「苑也殿、おぬしの伯父上様は、まさに仁者というにふさわしいお方だ。もし儂が刑部卿殿であったなら、妹をかどわかしたあの南蛮商人を、この場で撃ち殺していただろう。誠に怨恨とは忘れがたく、それを平然と捨て去ることができる刑部卿殿を、俺は心底尊敬している」


 その孫市のさわやかな表情は、その言葉が偽りでないことを表していた。

 しかし、その孫市の表情と頼廉の背中は、三郎にとっては心に棘が刺さるかのように、じんわりと痛む。

 そしてその痛みは、これからも長く続きそうだった。


 接岸していた石山本願寺からの船が、夕陽に照らされて湊から離れていく。

 あとで合流してきた、蛍や小雀らも一緒になり、離れていく船に手を振る。遠くになっていく船上に見える人も、手を振っているようであった。

 孫市の隣にいた月の翁は、ふと先程のことを思い出す。


「いやしかし、お頭は、珍しいものを見たことがあるのですな。南蛮人と日本人の間に生まれた兄弟など、なかなかお目にかかれるものではありませんぞ。長く生きてきたこの爺も、見たことはありませんわい」


「そうか、翁も見たことはないか。俺も見たことはない」


 何事もなかったかのように、そう答えた孫市に、一瞬あっけにとられた月の翁であったが、次の瞬間、はじけるように笑いだした。よくわからない蛍と小雀は、おどろいて顔を見合わせる。

 船は、沈みゆく太陽に向かって小さくなっていく。

 月の翁の大きな笑い声も、さすがに船には聞こえなかった。

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