祭りの夜
祭りが始まる十ヶ郷の広場は、美しい夕陽に照らされて、すでに多くの人々で賑わっている。
広場の中央には木製の大きな祭壇が設けられ、獣肉や魚、様々な農作物が捧げられていた。その下には、細い薪が小枝とともに積み上げられ、子供たちが更に松や檜の薪や小枝、藁などを盛っている。
その隣には、太い大きな薪が規則正しく並べられていた。
その祭壇から、大きく距離をとって囲むように、敷き詰められた筵の上には、すでに様々な料理や酒が並べられ、祭りの始まりを待ちわびていた。夕陽に照らされた人々の日焼けした顔からは、自然と笑みがこぼれ、穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「おう、来たな苑也殿」
人々から少し離れた場所に立っていた三郎に、孫市は笑顔で声をかけてきた。
「……で、どうだ。蛍を納得させるよい文言は浮かんだかな?」
孫市は、子供のようにそわそわした様子で尋ねてくる。
「……実は」
「実は?」
「……あの後、ぐっすり眠ってしまいまして」
「おいおい、そりゃあないだろう」
孫市は、顔をしかめて落胆した。しかしすぐに表情を戻し、三郎の肩を叩く。
「まあいい、ここは一か八かだ。おぬしの、その場しのぎの発想に期待しよう」
「……やめませんか?」
「苑也殿、あいつの気性だ、このままだと輿入れの時に土橋の姫に銃を向けかねんぞ。俺たちと土橋が仲たがいすることは、本願寺にとっても一大事、やるしかあるまい。心配するな、いざとなれば俺にも考えがある。もう軽い気持ちでやってくれ」
孫市はそう言って、三郎を励ました。その言葉を聞いて、やっと三郎も決心を固める。
「孫市!」
孫市と三郎の会話が途切れた時、そんな声が聞こえてきた。二人が振り向くと、三郎にも見覚えのある男が歩いてくる。
「来たか、太郎次郎」
太郎次郎と呼ばれた男は、三郎の前にやってきて一礼した。
「先日は、ご挨拶もせず失礼いたした。雑賀荘の住人、岡太郎次郎と申す。苑也殿の御高名は、孫市から伺ってござる。以後、お見知りおき願いたい」
その男は、顕如襲撃の折に、急を知らせてきた馬上の人であった。
孫市に負けず劣らずの、堂々とした体躯の男で、精悍な顔立ちは、数々の修羅場をくぐってきたことを思わせる。
「苑也殿、この太郎次郎は雑賀荘にあって、俺とつかず離れず、若太夫ともつかず離れず、いい感じの距離を保つ、いい感じの男でな」
「妙な言い方をするな。しかし……聞いたぞ孫市、土橋の姫との婚姻がまとまりそうだというではないか」
太郎次郎はそう言って、にやりと笑う。
「どこから聞いたか知らんが、相変わらずの地獄耳め……しかしあの姫、おぬしも狙っていたという噂があったな。悪く思うなよ」
「馬鹿言え!どんなに見目麗しい女でも、あんな嫉妬深い女、俺は御免だ……おっと、これは失言か?」
太郎次郎は大声で笑い、孫市も笑う。その姿には、二人の関係性がよく表われていた。
「いやしかしよかった。鈴木と土橋の縁が強くなれば、我が一族にとってもこれほど嬉しいことはない。石山本願寺の方々も、これで一安心といったところかな」
雑賀の有力国人である、鈴木氏と土橋氏が姻戚関係になることは、他の国人衆にとっても歓迎されることのようであった。
そしてそれは、雑賀衆に戦の助力を頼む石山本願寺にとっても、同様であろう。
そんな話をしていた孫市の前に、松明をもった男がやってきた。
孫市がその男から松明を受け取り、周囲を見回して片手を上げると、騒がしかった広場が一瞬にして静まり返る。
「今年もまた、神仏の御加護によって、大地から、山林から、海川から、恵みを頂いた。今宵、その収穫物を御進物として捧げ、我々の謝意を天に示す。今後も我らはあらゆる神と仏に感謝し、信仰心を失わず、尊崇の念をもって崇め奉ることをここに誓おう」
孫市がそう高らかに宣言すると、人々から歓声が上がった。
供物を捧げた、祭壇の下にある薪の上に、数名の男たちが油らしきものをまき、孫市が松明を投げ入れると、大きな炎が一気に燃え上がる。人々はそれを見て、再び歓声を上げた。
祭りが始まったようであった。
人々は、炎の周りで歌い踊り始め、それを太鼓やかねの音がはやし立てる。辺りは一気に騒がしくなり、話声は聞こえなくなった。
「苑也殿!」
孫市は大声で三郎に呼びかけ、一点を指さす。その指の先には蛍や発中がいた。
孫市は「頼むぞ」と、三郎の耳元で呟き、その背中を押した。やむなく三郎は、人々をかき分け、そのもとへ向かう。孫市は、その後ろをついてくる。
蛍は、自分に近づいてくる三郎を見つけて一瞬、笑顔を見せたが、その後ろの孫市の顔を見て、その場を去ろうとした。
「お待ちくだされ」
歩き出した蛍の肩に手をかけた三郎に反応したのは、隣にいた発中であった。
「てめえいつの間に、おい触んな!」
そう言って三郎の手を払おうとした発中を、孫市は羽交い絞めにして動けなくする。
「少し、お話を」
「苑也様と話したくないわけではありません。お頭と話したくないのです」
蛍はそう言って三郎の手を軽く払い、向き直る。発中がじたばたとしながら何か叫ぼうとするが、孫市がその口を塞ぐ。
「孫市殿は、雑賀のために婚姻をお引き受けになったのでしょう。これは、仕方ないことではありませんか?」
「苑也様はよその御人ですから、土橋の姫の気性と評判をご存知ないでしょう。あの女ならおそらく、私たちはお頭に近づけないどころか、十ヶ郷を追い出されるかもしれません。そうやって私たちに不幸になれと、御仏もおっしゃるのですか?」
「現世の苦難は、来世への糧となります。今、現世で他者のために耐え忍ぶことができれば、きっと御仏は極楽浄土への道を開いてくださいましょう」
「御仏は念仏を唱えれば、皆を極楽浄土に連れていって下さると聞いております。耐え忍んだ私たちも土橋の姫も、等しく極楽浄土へ行くのですか。それは、不公平ではありませんか」
「人には人の、分というものがございましょう。蛍殿には蛍殿の苦難が、土橋の姫には土橋の姫の苦難があるはず」
「姫として生まれた人に、そんな苦難があるとは思えません。私たちと同じでは、ないのでしょう?」
「……」
目に涙をためて訴える少女の姿に、三郎はいたたまれなくなるのと同時に、だんだん馬鹿らしくもなってきた。
その実、僧侶でもない三郎が、その場しのぎの仏の教えで、少女を諭せないのは当然であったが、何より鈴木と土橋の婚姻は、織田方にとって好ましからざるものであった。
その婚姻のために蛍を説得しようとする自らの姿は、滑稽ですらある。
孫市は蛍が輿入れの際に、銃を向けかねないと言っていたが、それで鈴木、土橋両氏の間に亀裂が入るならば、本来それが、三郎の本意とするところなのだ。
(私は決して、己の役目を軽んじているわけではない……わけではない、が)
今の三郎の行動はまるで、生きていれば石山本願寺のために働いたであろう、本物の苑也のようであった。
三郎は軽く頭を振り、孫市に向き直り口を開く。
「……孫市殿、姫も人間、蛍殿も人間でございます……何らかの御配慮があって然るべきかと存じますが」
少し頭を振った三郎の言葉に、その諦めを悟った孫市は、額に手を当てため息をついた。それによって口が自由になった発中が、叫ぶ。
「おい頭、嫁取りってのは何の話だ!俺は初めて聞くぞ!」
そう言い終えるのと同時に、孫市の拳が飛ぶ。発中は白目をむいて仰向けに倒れた。
「……だ、大丈夫なのですか?」
「大事ない。こいつは馬鹿だからな」
心配する三郎を尻目に、孫市は蛍に近づく。
「……わかった。土橋の姫との婚姻はやめる」
孫市は、声を潜めてそう言った。その言葉は、三郎と蛍にしか聞こえていない。
(……今、なんと?)
三郎は予想外の孫市の言葉に、耳を疑う。
「……本当でございますか?」
蛍も、突然の言葉に疑わしげな視線を向ける。
「本当だ。雑賀孫市に二言はない」
「本当に、本当に?」
「しつこい。御仏に誓って約束する」
孫市は、無表情でそう言った。
「……火縄銃を持って参ります」
そう言った蛍は、人々をすり抜けて広場の外に消えた。
「な、なぜ鉄砲を?」
「……あいつはな、良いことがあると銃を撃ちたがるのだ」
そう呟く孫市は、特に顔色を変えることもなく冷静であった。
「申し訳ございません。お役に立てず……」
「いや、無理を言ってしまった。お気になさるな苑也殿」
孫市はそう言って、笑顔を見せた。
その笑顔は屈託がなく見えて、人を惹きつけるものを持っていた。
「しかし驚きました。まさか、婚姻をやめる決断をなされるとは……」
その判断は、正に意外であった。一人の少女のわがままとも取れる言葉で、一党の命運を左右する決定を覆すなど、正気の沙汰とは思えない。
「……やめるわけがなかろう」
「は?……しかし、今」
三郎は、孫市の言葉に再び耳を疑った。
「小娘のわがままで、土橋との関係を壊すことなどできるはずもない。あいつは、勘違いをしている。それでよい」
「しかし、いずれ輿入れの時は参りますぞ」
「その時まで考える。が、考えつかねば後は知らん。俺は、面倒くさいことは嫌いでな、なるようになるだろ」
結局、孫市の笑顔の裏にあるのも、諦めのようだった。
やけっぱち、とも言える。
やがて蛍が火縄銃を持ってきた。少女はいたって上機嫌で、三郎は、他人事ながら心苦しくもあり、その笑顔を直視できなかった。
「蛍、苑也殿に腕前をお見せしろ」
「はい、お頭」
孫市は、薪を持って次から次へと大きな炎の中に投げ入れる。蛍は少し離れたところで空に向けて銃を構えた。
やがて、炎の中から大きな破裂音が響き、一際大きな火の粉が舞い上がった。
その刹那、炎の中の破裂音より遥かに大きな音が、少女の抱く鉄の塊より発せられた。宙を舞う大きな火の粉は、その一撃ではじけ飛ぶ。
「お見事!」
人々からそんな声が発せられ、大きな歓声と拍手が巻き起こる。蛍は銃口から煙を漂わせたまま、三郎のもとへやってきた。
「苑也様、来年の夏にも是非、十ヶ郷に来て下さいね。その時は夜空を舞う蛍を、撃ってご覧に入れますから。私はそれが、一番得意なんです」
そう言って微笑む少女の顔が、三郎には少し哀れにも見えたが、所詮は他人事であった。結局、孫市の言うように、なるようにしかならないのだろう。
祭りの炎はさらに激しさを増し、大きく燃え上がり始めた。
祭りはまだ、続くようであった。
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