占う者

 その日は朝から、十ヶ郷の人々は祭りの準備で忙しいようだった。

 一応客人である三郎は、特にするべきこともなく小雀の遊びの相手をしたり、十ヶ郷をぶらぶらとしながら、その地形や人々を観察していた。

 十ヶ郷の要所には小規模ながら砦が点在し、一応の防衛網を形成しているようではあったが、そんな防衛施設より大きく整備された街道が目立ち、防衛より流通を中心とした、人々の生活を重視していることがわかる。

 そんな中でも、孫市の居館の周囲だけは様子が違っていた。

 孫市の居館は、隠居の館のさらに北、紀伊の険しい山々に少し入り込んだ所にあり、その地形が天然の要塞のように館を囲んでいた。

 そこに至る道筋も曲がりくねった細い道で、深く造られた堀からも、この館の重要性が感じられる。いざ戦となれば、ここを落とすのは至難の業であろう。

 孫市の館に帰ってきた三郎は、遊び疲れてうたた寝をする小雀を見守りながら、陽のあたる縁側に座って祭の支度に追われる人々を眺めていた。程なくして、蛍が白湯を持ってやってくる。


「おい、蛍。そんな働かん奴に白湯など持ってくるな」


 三郎と蛍が驚いて声の主に目を向けると、庭の端にふてぶてしい表情をした短髪の男が立っていた。

 確か、隠居の館で孫市から頭をこづかれた男で、名を発中といったはずである。


「発中、苑也様への無礼はやめて。本山のお坊様に向かって……」


 蛍は発中を睨みながらたしなめたが、三郎は下間頼廉の一族というだけで、僧籍に入っているわけではない。


「坊主の何が偉いものか。根来にも粉河にも、山ほどおるわ」


 そう吐き捨てるように言った発中は、眉間にしわをよせ顔を前に突き出すようにして三郎を睨みつけながら、近づいてくる。


「石山本願寺の坊主だろうがなんだろうが、よそ者がでかい面で郷を歩き回り、仏像みてえにここに座ってやがるのが気に入らねえ。そもそもてめえは……」


 縁側に座ったままの三郎の顔の目と鼻の先まで近づいてきた発中は、さらにたたみかけようと口を開きかけたが、素早く庭に降りた蛍が、その足を踏みつける。


「痛てぇ!」


 発中はそう叫んで飛びあがり、後ずさった。


「この馬鹿の言うことは、お気になさらず。苑也様は私たちにとって大切なお客様ですから、お好きになさって頂いて構わないのですよ」


 蛍は片足で跳び続ける発中を尻目に、三郎の手を取りながら無礼を詫びる。


「蛍、そいつに触んな!」


 発中は飛び跳ねながら、そう叫ぶ。


「あんたねぇ、苑也様に無礼をしたら、お頭が許さないよ。大体、昨日だっていらない告げ口を御隠居様にして、お頭に怒られたばっかりなんでしょ?」


「俺が言わなくても、あのじじいの地獄耳なら、いずればれるだろうが。後で知られるより、先に言っといたほうが説教が短くてすむんだよ!」


 発中は足を引きずりながら隠居を罵り、一息ついた。どうやらこの男は、誰にでも口が悪いらしい。


「とにかくだ、ここででかい面をするのは、俺が許さねぇ。後、蛍に近づくな。わかったか!」


 発中はそう叫んだ後、蛍の部分をもう一度念押しした。どうやら、そこが本当に言いたいことなのだろう。


「発中、勝手なこと言わないでよ。私は……」


「……犬みたいにうるさい奴らだ。だから、雑賀衆は石山本願寺の犬だとか言われるんだぞ」


 蛍の声を遮るようにして現れたのは、孫市であった。


「まったく、小雀が目を覚ましてしまうぞ……おいまて、蛍!」


 孫市の姿を見た蛍は、顔を背けてそのまま走り去ってしまった。どうやら昨日のことは、まだ解決してはいないらしい。


「おい、坊主」


 突然耳元でささやいてくる声に振り向くと、いつの間にか発中が三郎の隣に立っていた。発中は、三郎にしか聞こえない声でささやいてくる。


「なんでお前がお頭に気に入られているか、俺にはわかる。お頭は、男も女も抱けるからな。その美しい坊主頭が気に入ったんだろうよ。その気がなきゃ、せいぜい気を付けるんだな」


 目を丸くする三郎を見て、にやにやと笑みを浮かべた発中は、今度は嬉しさで飛び跳ねながら、庭の奥へ消えた。


「苑也殿、発中が何を言ったか知らんが、気にすることはないぞ。あれは、馬鹿だからな」


 孫市は蛍と同じようなことをいいながら、三郎を見つめた。先程の話が耳に残る三郎は、なんとなく目をそらす。

 この時代、男色は決して珍しいことではない。しかし、今まで三郎の育った周囲では、身近にそんな関係を聞いたことはなかった。

 しいていえば、信長と小姓たちの噂を聞いたことがある程度であろう。


(いやしかし……そうなったほうが、孫市殿の秘密を探れるのか?)


 一瞬そういう考えが頭をよぎったが、三郎としては御免こうむりたい。

 そんな一連の大人たちの騒ぎにもかかわらず、縁側で眠る小雀は目を覚ますこともなく、可愛らしい寝息を立てていた。孫市は、肩に羽織っていた着物をやさしく小雀に掛ける。


「随分、懐いたようだな。しかし、昨日は俺の銃にばかり興味を持って、小雀を泣かせたらしいではないか。おなごより俺の銃を選ぶなど、困ったことだな」


 孫市は少し冗談めかしてそう言う。先程の話を聞いた後では、あまり笑える冗談ではないが、孫市の銃に夢中になっていたという話が本人に伝わっているという事実は、それ以上に笑えない。


「いや、あまりに美しい銃だったので、つい。この子には悪いことを致しました。小雀は、いつもああやって孫市殿の銃を?」


 三郎は、自らの銃への執心を悟られまいと言い訳をしながら、話を少し逸らそうとする。


「俺の銃を磨くのが、こいつの仕事だ。子供と言えども、働かん奴に食わす飯はない」 


 そう答える孫市の横顔は、疑った様子は見えなかった。


「……蛍殿とは、まだ話をされていないのですか?」


 三郎は、続けざまに口を開き、話題を変える。


「ずっとあの調子だ……なあ苑也殿、おぬしからあれに何か気の利いたことを言ってはもらえんか?」


 孫市は蛍が去った方を見ながら頭をかき、そう頼み込む。


「気の利いた事、と言われましても……一体なんと?」


「坊主には、うまく相手言いくるめる説法があるだろう。御仏がどうとか来世でどうとか、現世での状況を認めさせるやつが……それで頼む」


 孫市はついに両手で三郎を拝み、哀願した。

 それにしても、僧侶からすれば随分な言われようで、門徒の言葉とは思えない。


「前にも言ったような気がしますが、私は得度しているわけでもなく、説法などできません。ましてや騙すようなことは……」


「騙すのではない。あんな女子供のわがままを聞けないのは、おぬしもわかるだろ。これは、雑賀衆をまとめるため、しいては石山本願寺のためでもあるのだ。よいか、これはおぬしが一端の僧かどうかが必要なのではなく、本願寺を後ろに持つおぬしが、もっともらしく語れば説得力があるというだけの話だ。内容はどうでもよい」


 三郎は孫市のその言いように、隠居が言っていた信心を疑われているのではないか、という話を思い出した。なるほど、今の一連の言動を聞けば、そう思われても仕方がないだろう。

 三郎が何と答えればよいか逡巡していると、廊下の奥から一人の老人が姿を現した。

 その老人は隠居のような精悍さはなく、その曲がった背も相まって揺れる柳のようにしなやかな印象を受けた。老人は音を立てることもなく、廊下を滑るように近づいてくる。


「お頭、よろしいですかな?」


「申せ」


 ちらと三郎を見る老人に、孫市は言葉をうながす。


「今朝方の雲を見るかぎり、今夜の空は吉兆の星々が姿を現し、五穀豊穣に感謝する祭りにはうってつけと言ってよろしいでしょう。ただし昨晩、子の上刻に彗星が流れ、その薄く光る尾が西の方角を向いておりました。これは凶兆かもしれませぬ故、祭りは亥の刻までにしたほうがよろしかろうと存じまする」


 老人はしわがれた声で淡々と呟いた。


「苑也殿、この老人は月の翁という占卜をよくする者でな。おぬしたちからすれば胡散臭くみえるかもしれんが、これで観天望気は中々よく当たる。戯れに近くに置いているのだが、まあ気にせんでもらいたい」


 雲や星だけでなく、あらゆる森羅万象を関連づけて吉兆を見る占卜は、古くからこの国にある学問の一つであり、人々の行くべき道を示す指針でもあった。そのため占卜は、長く人口に膾炙され、戦国武将などは、その道に精通した者を側において、戦の度に吉凶を占わせることも多かった。

 ただし仏教においては、宗派によって占卜に対する考え方に違いもあり、忌避する人々も少なくない。


「苑也様、貴方様のお噂は、かねがねこの爺にも聞こえておりまする。石山本願寺の方々から見れば、占卜など児戯に等しいと存じまするが、まあ面の皮が厚い老人の戯言と思って、ご容赦下され」


 月の翁と呼ばれた老人はそう言って呵々と笑い、丁寧に一礼して歩いてきた廊下を戻っていった。その姿はどこか現実感に欠け、青空にただよう雲を思わせる。

 それにしても、この雑賀の種々雑多な信心はなんであろうか。仏教各宗派はもちろんのこと、海の神山の神といった民間信仰や、氏神信仰のような神道もあり、その信仰は多彩であった。

 そもそも、孫市の着物に刺繍されている八咫烏が示す通り、雑賀鈴木氏は神道と深いつながりがあるにもかかわらず、新しい信仰である一向宗を取り入れて、それらが自然とまじりあい、共存している。

 そんな雑賀にとって、占卜のようなものもまた、まざりあう色の一つなのかもしれない。


「雑賀は、混沌としておりますな」


 三郎は思わず、そう呟く。


「節操がないなどと思うなよ、苑也殿。どの国の民も、自らに都合よく解釈して生きておる。俺たちにとって、念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるというのは、これほどありがたいことはないのだ」


 三郎の言葉を非難と取ったのか、孫市はそう返して、三郎の肩に手を置く。もちろん、非難の意志はない。


「苑也殿、俺は祭りまでにやらねばならんことがあってな。すぐにいかねばならん。次に会うのは、祭りが始まる夕方になろう。とにかくだ、その時までになんとか蛍を問答で言いくるめる文言を考えておいてくれ。もしうまくいったら、おぬしの望みを何でも聞いてやるぞ。」


 孫市はそう言って、置いた手で肩を軽く叩き、手を上げて奥へ去っていった。


(さて……どうしたものか)


 三郎は、腕組みをして目をつぶり、あぐらをかいて柱にもたれかかりつつ、思案を始めた。

 御仏の教えで説得せよとは、三郎にとって無理難題ではあるが、何でも望みを聞くとの言質は渡りに船ではあった。なんとしてでも、うまく騙す言葉を考えたい。

 しかし、柱にもたれかかって思案を始めたのは、完全な失敗であった。この季節にしては暖かな昼すぎの陽気と、隣で眠る小雀の規則正しい寝息が相まって、強力な睡魔が襲ってくる。

 そんな三郎が意識を取り戻したのは、随分と陽が傾いたころである。

 慌てて背筋を伸ばした三郎ではあったが、傾いた太陽を見てため息をつき、自らの膝を叩いた。

 遠くで大きな烏の鳴き声が聞こえていた。

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