鈴木党の戦略

 館の外に出ると、そこに孫市の姿は見えず、三郎は辺りを見回す。


「痛てぇ!」


 三郎が振り向くと、先程、無二や但中と一緒に座っていた短髪の男が、頭を押さえてうずくまっている。その後ろには、拳骨を握り締めた孫市が立っていた。


「発、余計なことを……」


「お、俺が言わんでも、いずれ御隠居の耳に入っていた話ではないか!俺は……」


 その男、発中は尚も言い訳しようとしたが、孫市が再び拳を見せると、唾を飲み込み黙り込んだ。その後ろから但中が「馬鹿」と言いながら、発中の後ろ頭を軽く小突く。


「お前らはもういい、戻れ。苑也殿、俺は孫市の所へ行く。ついてこられよ」


 孫市の言葉に、三郎は首をかしげる。以前もこういった言い回しを聞いたことがあった。


「孫市、というのは俺の兄貴のことだ。皆は先代と呼ぶが、俺は今も孫市だと思っている」


(……孫市というのは複数いるのか?いや……違うな、おそらく世襲のようにして受け継がれる名か)


 三郎は、なんとなくそう見当をつけながら、歩き出した孫市に続いた。 

 二人は、先程の鶴たちと同じように、門と堀の間の小径を進んで行く。

 道は、うっそうとした森に繋がっていた。しばらく歩くと綺麗な沢があり、その隣に質素な庵が立っている。沢のそばには平らな岩があり、その上には蛍が膝を抱えてうずくまっていた。

 泣いているようであった。


「……苑也殿、しばらく待っていてくれるか?」


 孫市はそういって、蛍には目もくれず、屋敷の中に入っていった。

 三郎は、やむなく蛍の隣に腰かける。


「……いかがなされたか?」


 そう問いかける三郎に、蛍はしばらく膝の間に頭を埋めたままであったが、やがて顔を上げて涙を拭う。


「申し訳ございません。お恥ずかしいところを……」


「いや、かまわぬ……私でよければ、話を聞くが……」


 三郎は努めて笑顔をつくり、泣いていた理由を話すようにそれとなく促した。その話が、孫市に関することかはわからないが、ありとあらゆる情報を集めておくのが間者であろう。

 蛍は少し逡巡する仕草をみせたが、やがて少しづつ話し始めた。


(……どうやら、ある程度は信用されているようだ)


 その事実も、三郎にとって好都合なことであろう。

 蛍が涙声でとつとつと語りはじめたことは、次のようなものであった。

 雑賀荘の有力国人、土橋若太夫には年頃になる娘がいる。

 この娘は、雑賀一円で評判になるほどの器量よしで、若太夫は、もっとも土橋氏にとって有利になるであろう嫁ぎ先を探していた。当然、婚姻は雑賀内の勢力争いに深くかかわっており、雑賀五緘からは、土橋氏と血縁になろうとする有力な国人が数多おり、近頃は、国人衆の土橋氏詣でが続いていたという。

 そんな中、かねてより先代、つまり孫市の兄がこの娘と孫市の婚姻について、土橋若太夫に申し入れており、どうやらその話がまとまりそうだという。これはもちろん、鈴木氏と土橋氏の利害が一致したということに他ならない。

 蛍の憂いの原因は、どうやらその土橋の娘にあるようであった。

 この娘は美しいだけではなく、気が強く、まさに女丈夫といった女性である一方で、かなり嫉妬深い性格らしかった。

 土橋若太夫が婚姻の条件として先代に出したことは、そんな娘の望みを聞き入れたものらしく、孫市に一切の側室を認めず、近くに若い女をおくことも許さないというものであった。

 この日、事前に先代に呼ばれていた鶴と蛍は、今しがた先代から、この話が土橋氏との間で正式にまとまったことを初めて聞かされた。そして、土橋の姫輿入れの際には、その日から孫市に近づくことを一切禁じられるという。


「こんなこと、許せません。これではあまりに、鶴姉さまがかわいそうです。私は絶対に認めませんから」


 蛍はそう言って、その大きな瞳から、大粒の涙をこぼす。


(つまり鶴殿は、孫市殿の女であるということか……)


 三郎は、そういったことにまったく気づかなかった己の未熟を恥じた。

 間者ならば、彼らの会話や表情でもって、そんな機微も察することが必要であろう。英雄の弱点が閨にあることも、古今東西稀なことではない。


「苑也様、これは仕方ないことなのでしょうか。私たちのような身分の女は、我慢するしかないのでしょうか。これも、御仏がお決めになった運命なのですか」


 三郎からすれば、世の習いとしかいいようがなかった。

 しかし、ここで下手に蛍の機嫌を損ねては、得られるはずの情報を逃すことになるかもしれない。阿弥陀仏の答えなど知る由もないが、彼女におもねる答えが必要だろう。


「……鶴殿はなんと?」


 三郎は取りあえず答えずにすむように、矛先を変えようとする。


「鶴姉さまは何も言いません。だから、私が怒っているのです。私は絶対、この婚姻には反対ですから。何なら、輿入れした土橋の女を撃ちます」


 蛍が物騒なことを言い終えた時、庵のほうから話声がした。

 すぐ後に、孫市と鶴、小雀が庵から出てくる。顔を上げて蛍の姿を見つけた孫市は、その少女に向かって声をかけた。


「蛍、ちょっとこい」


「知りません、馬鹿!」


 蛍はそう叫んで岩を降り、小径を走っていってしまった。その後ろ姿をみて、孫市が舌打ちをする。


「お頭、私が言い聞かせて参ります」


 そう言って孫市に一礼した鶴は、蛍の後を追って小径を駆けていく。小雀はわけがわからず呆然としていたが、とりあえず鶴を追いかけて走っていった。

 三郎が、小雀の後ろ姿から視線を戻し孫市を見ると、その後ろに別の人影があった。

 そこには孫市より一回り小さい男が立っていた。三郎は、その白い顔をみて息を呑む。

 男の左目のあたりには、かなり大きな傷があった。端正な顔をしている分、その傷は余計に痛々しく見える。その肌は、三郎が雑賀であった誰よりも白く、顔は伏し目がちであった。


「確か、苑也殿、でござったか……某は、孫市の兄でござる。十ヶ郷は退屈なところじゃが、ゆるりとお過ごしくだされ」


 先代はそう言うと、頭を下げる三郎をほとんど見ることもなく、庵に戻っていった。


「すまんな、苑也殿。兄貴はあの傷のせいで目が不自由でな、日がな一日、草庵にこもっておるのだ」


「私は、気にしてはおりませぬ。それより、よろしいのですか?」


 孫市は頭を掻きながら、「何がだ」と言う。


「蛍殿のことでございます。随分と怒っておりましたが」


「話を聞いたのか……あの馬鹿、十ヶ郷の者でもない苑也殿に……」


 孫市はそういって苦笑した。


「鶴殿がかわいそうだと怒っておりました。二人は姉妹なのですか?」


「あいつらは小雀も含めて、三姉妹のように育ってきたからな、そうも見えるか。しかし、血の繋がりはない。そもそも、蛍と小雀はここの生まれだが、鶴はよそからやってきた女だからな」


 孫市はそう言いながら、蛍が座っていた岩の上に腰をおろす。


「俺はもともと、土橋とは違う国人衆の娘を娶っていたのだが、そいつの輿入れについてきた侍女の一人が、鶴だった」


 孫市が言うには、初めに娶った妻は流行り病でなくなったらしい。

 その後、妻と共に鈴木家に入り、身の回りの世話をしていた侍女たちは、皆自分たちの郷に帰ることになった。しかし鶴だけは、郷に帰っても家も身寄りもないらしく、できれば十ヶ郷に残りたいと孫市に訴えてきたという。


「さてどうしたものかと、一度は迷ったのだがな。戯れに銃を撃たせたところ、存外筋が良い。弾込めもすぐに覚える。こいつは使えるかもしれん、と思って色々仕込んでいるうちに、まあ、ついでに閨の事もな……それで、もともとの名を捨てさせ鶴と名乗らせて、そばにおくことにしたのだ」


 そして今に至る、ということらしい。


「しかし、孫市殿はよろしいのですか。御自分の女性を遠ざけてまで、此度の婚姻が必要であると?」


「……俺は頭領ということになっているが、雑賀鈴木党の戦略は、兄貴の決めることだ。兄貴はああして日がな一日草庵に引きこもり、書物を読みあさり、雑賀衆の行く末を考えている……兄貴の顔をみたか?」


「……はい。何か大きなお怪我を……」


 三郎は、先程みた端正な顔に横たわる大きな傷を思い出した。


「あの傷は……俺たちがまだ子供の頃、銃の暴発が原因でできたものだ。俺が準備をして、兄貴が引き金を引いた。俺の未熟が、暴発を招いたのだ。兄貴はあの傷のせいで目が不自由になり、孫市の名を継いですぐに俺に譲った。だから俺は、兄貴に任せられることは全て任せ、全て従う。俺にとって、兄貴はまだ孫市だからな」

 どうやらそれは、孫市にとっての罪滅ぼしのようであった。この話は先代が決めたことであり、ただそれに従うだけ、ということだろう。


(鈴木一党を戦略面で支えているのは、先代の孫市というわけか……土橋氏との婚姻が成立するということは、先代の影響力は十ヶ郷にとどまるまい……)


 おそらく、雑賀衆全体の戦略にも影響をもっているだろう。


「まあ、女子供のいうことをまともに聞いていては、雑賀は成り立たぬ。土橋との婚姻は、俺たちにとって重要なことだからな。まあ、他の女を遠ざけたい若太夫の考えもわからんではない。娘の嫉妬深さを理由にしておるが、自分の娘と俺との間に子ができねば、何の意味もないからな」


 土橋氏と誼を通じることも、若太夫の考えも、孫市はある程度、納得しているようだった。


「雑賀に来てから、土橋若太夫殿のお話をよく耳にいたします。雑賀衆にとって、かなり重要な方のようですが……」


「ん、まあな……土橋の後ろには、公方がいるからな」


「公方?……足利の将軍様でございますか?」


「他に公方はおらん」 


 孫市がさらりといった名は、三郎にとっては驚きであった。

 紀伊国の守護は、室町幕府の名門畠山氏である。雑賀の国人、地侍衆は、紀伊北西部を実行支配しながら、畠山氏とは友好的な関係を維持してきた。紀伊南部は、今もその畠山氏の重臣が大きな勢力を有しており、京都を追放された足利義昭は、その重臣の庇護下にあり、孫市がいうには、その重臣と土橋氏は深い繋がりがあるということだった。


「御法主が最近、若太夫を重用するのも、裏にはそれがあると俺は見ている。石山本願寺と公方は、反信長では共通しているからな」


 確かに、石山本願寺と足利義昭が、反信長で手を握ることは十分にあり得る。しかし、京を追放された将軍に、信長に対抗する術など残っているのだろうか?


「しかし……私にこんなに内情を打ち明けてもよろしいのですか?」


 三郎はふと不安になり、そう尋ねた。

 出会ってから今まで、三郎の問いに孫市は、随分とあけすけに答えている気がしていた。

 三郎が間者と見破った上で、すべて明かしたのちに殺す、といった悪趣味なことをやられてはたまらないが、今のところ、そんな気配もない。


「苑也殿、俺たちにとって刑部卿殿との友誼は、もっとも頼りとするものだ。おぬしに包み隠さず話すのは、刑部卿殿に、俺たちのことを信頼してもらうためでもある。この十ヶ郷で見たこと、聞いたこと、すべて刑部卿殿に報告してもらいたい。それが、俺たちの石山本願寺への忠義を示すことにもなろう。鳥居小四郎のような男に、痛くもない腹を探られるのは好かん」


 孫市の懸念は、顕如の右筆の一人、鳥居小四郎にあるようだった。

 たしかに昨日の様子を思い返せば、小四郎が孫市たち鈴木一党を快く思っていないであろうことは、三郎にもはっきりと感じられた。しかし、小四郎が孫市らを敵視するそもそもの理由は、三郎にはわからない。


「なるほど、俺にだけ話させるのは気になるか……ならば、おぬしの話も聞かせてくれ」


「私の話、でございますか?」


「おぬしは最近、石山本願寺へ来たといっていたな。何か事情があるのか?」


 孫市の問いに、三郎はわずかに逡巡した。

 しかし、話の流れからして、ここではぐらかしてはここまでの信頼を損ねるかも知れない。やむなく、石山本願寺へいたるまでの話をすることにした。

 その話はもちろん、三郎の人生ではなく、苑也の人生である。

 三郎は、頼廉に聞いた苑也の母が出奔した時の話、その背景にあったキリスト教の話、母親と諸国を巡った幼い頃の話、頼廉に初めて会った時の話、そして、今も形見の十字架を懐に隠し持っている話、などを語って聞かせた。

 その幼い頃の話は、辻褄をあわせた作り話であり、キリスト教の話は頼廉を巻き込む秘密の話であったが、秘密と弱みを晒すことは、信頼を得ることに役立つと思われた。そもそも、三郎の人生ではない。

 三郎が語り終えると、孫市はゆっくりと右手を差し出す。


「……その十字架、見せてはもらえんか?」


 三郎は懐から十字架を取り出して、孫市の手のひらに乗せた。孫市は、黄金のそれを木漏れ日にかざす。


「……綺麗なものだな」


 孫市はそのまばゆい光に目を細めながら、その金色を三郎の手に戻した。

「これで俺たちは、互いの腹の底を見せた。苑也殿、おぬしは今日より俺たちの友だ」


 孫市はそう言って満面の笑みを浮かべる。

 三郎も笑みを返したが、偽りばかりのこの男に孫市の笑顔は眩しく、その胸中は複雑であった。


「明日は祭りだぞ。おぬしはよい時にやってきたな」


 孫市はもちろん、三郎の胸の内などわかるはずもなく、そう言って豪快に笑うのだった。



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