十ヶ郷の人々

 雑賀衆鈴木党の本拠地、十ヶ郷とは、紀ノ川下流域北側の一帯をさす。

 西側の海に面した地域は、川向うの南雑賀荘と同じく、多数の船が行き交う貿易の湊であり、紀ノ川に沿った地域は、冶金業(金属加工)も盛んであった。

 そういう意味では、十ヶ郷と雑賀荘は似通った特徴をもつ地域ともいえる。

 しかし、大きく違うところがあるとすれば、十ヶ郷の北は、和泉国との間に山々が連なり、その山の恩恵を受けることができた。十ヶ郷の特権、と言っていい。


 孫市らが隠居と呼ぶ人物は、出立した道場より北東の山間部にいるという。そこは、鈴木氏の重要な拠点の一つのようであった。

 三郎を案内するのは、孫市や鶴、蛍だけでなく、無二や但中、さらに子供の小雀までが孫市に付き従い、和やかな雰囲気で出発した。

 孫市は小雀から銃を受け取り、いつも通り、肩に担いでいる。銃を持つだけで、この男は心なしか生き生きとして見えた。

 道場を出て紀ノ川沿いを歩き、上流に向かって進むと、すぐにたくさんの白煙が吹きあがっているのが見えた。近づくにつれて、鉄を叩く独特な調子の音が響いてくる。

 どうやらそこは、鉄砲鍛冶に従事する者達が、軒を連ねている集落のようであった。

 道の両脇には、煙を上げる小屋が立ち並び、中では半裸の男たちが鉄を叩き、鍛えている。その激しい熱気は、そばを通る三郎にも伝わってきた。

 中でも、一番大きな建物の中には巨大な炉があり、屋根からいくつもの白煙が揺らめいている。その炉の近くには、たたらと呼ばれる足踏み式の踏みふいごがあり、炉に風を送っていた。


「鉄もつくっておられるのですか?」


 雑賀が製鉄までしていたことは、驚きの事実であった。

 製鉄には、良質の砂鉄が必要不可欠であったが、鉄の生産地は限られていた。

 もっとも有名なのは出雲の鉄で、多くの鉄砲生産地においても、出雲のような有名な生産地でつくられた鉄を使っているのが普通であった。自前で鉄までつくっているところは少ないだろう。


「まあこれは、まだ試しといったところだ。今はまだ、出雲や播磨の良質な鉄が十分に入って来るが、いつまでもそうとはかぎらん。硝石のように、絞られてはかなわんからな」


 どうやら孫市いわく、先を見越したことであるらしい。


「ただな、鉄をつくるには大量の木炭がいる。そのためには、山を狩りつくさにゃならん。俺たちにとっては、山の神の機嫌を損ねるような真似もできんしな、加減が難しいのだ」


「山の神、ですか?」


 三郎は、不思議そうな顔で尋ねる。


「山に入る時は、山の神に祈る。海に出る時は、海の神に祈る。そして一日の終わりには念仏を唱える。まあ俺たちは、そういうものだ」


 孫市はそういって豪快に笑った。随分と勝手な解釈にも思えるが、自然の恵みが多い分、こういう感謝を捧げながら、成り立ってきた一族なのであろう。

 鍛冶場で働いているのは、男たちだけではなく、多くの女たちも同じように働いていた。その女たちは、忙しそうにしながらも孫市たちに挨拶しながら、物珍しげに三郎に視線をおくる。


「苑也殿、あまり女どもに色目を使ってくれるなよ。なにせ郷の女は、武士とか坊主とかに目がない。女が浮つくと、郷の男どもも騒がしくなる」


「いや、私はそんな……」


 三郎は、しどろもどろにそう呟くしかなかった。


「……蛍殿、いったい孫市殿とは、どういうお方なのですか?」


 三郎は、からかう孫市をいなそうとして、蛍に尋ねた。配下からみた孫市評も、聞いてみたかったのだ。


「どういうお方も何も……このままの人ですよ」


 そう答えた蛍は、何か思いだしたのか、胸の前で音を立てて両手を合わせた。


「お頭が、子供の頃の話がございます。昔、狩りで山に入ったときの話らしいのですが……」


「おい蛍、その話はやめろ」


 孫市は、そう言って話を止めようとしたが、蛍は気にせず話を続ける。


「山の中でムジナを仕留めたらしいのですが、お頭はそのときまでムジナのことをタヌキだと間違えていたらしくて、そのムジナをタヌキと呼んだんです。そしてその日から、十ヶ郷ではそれまでムジナだった獣はタヌキになったんです」


「……は?」


「変えちゃったんですよ、タヌキに。十ヶ郷では、ムジナをタヌキ、タヌキをムジナと呼ばないと、お頭に怒られるんです。本気で」


 喜々として喋る蛍は、唖然とする三郎を見て、得意げな表情を浮かべる。

 どうやらこの話は、その時の孫市が間違いを認めずに、十ヶ郷におけるムジナという存在を、タヌキに変えてしまったということらしかった。

 実に面倒くさい男ではある。

 しかし、ムジナとタヌキなどは地方によって呼び名が入れ変わることもあり、そのこと自体はもちろん重要ではない。要するに意固地になったら、理屈は通用しないということだろう。

 孫市は、そんな蛍の話は聞こえないふりをして、道々働いている者たちに、挨拶と労いの言葉をかけていた。

 人々はそんな孫市に笑顔で答え、周りで遊んでいた子供たちは、孫市に走り寄ってじゃれついてくる。

 少々意固地な孫市の性格が、集団を治める長としてふさわしいかどうかは、若い三郎の少ない知識では判断できない。

 しかし、その姿を見るかぎり、郷の人々には慕われているようであった。



 一行は、しばらく歩いて鍛冶場を通り抜け、北の山々に向かって進みはじめた。

 道はよく整備され、左右には麦を植えた田んぼと畑が広がっている。農作業に従事する人々からは、時折笑い声も聞かれ、のどかな光景が長く続いていた。

 どれほど歩いただろうか、十一月にもかかわらずじんわり汗が額に出はじめたころ、目の前に大きな館が見えてきた。

 その館は、堀と塀に囲まれてはいたが、堀はさほど大きくなく、塀も木製の質素なものであった。館そのものも質素なつくりになっているようで、随分と古い造りであろう印象を受ける。


「ではお頭、私たちは、先に御先代にご挨拶して参ります」


 館の門前で、鶴はそう言って蛍や小雀を連れ、堀と塀の間の小径を歩きだした。その小径は、館の奥に見える森に続いているようである。


(先代といったか……隠居とは、また別の人物がいるのか?)


「さあ苑也殿、隠居が待っておる。こっちだ」


 小径の奥に歩いていく鶴たちの背中を見ながら、思案していた三郎に、孫市が声をかける。


「孫市殿、御隠居様というのは?」


「……俺の親父だ」


 館の奥の部屋でしばらく待っていた三郎の前に現れたのは、孫市に勝るとも劣らない体躯の老人であった。

 しかし老人とはいっても、そう見えるのは後ろに束ねた真っ白な髪だけで、その四肢も肌も、あまり老いを感じさせるものはなかった。ただその眼光は孫市ほどに鋭くなく、やさしげな印象を受ける。


「よう参られたのう。おぬしのことは、こやつらによう聞かされておる」


 隠居と呼ばれる老人は、顎で孫市たちを示して破顔した。その笑顔は、人を包み込むような温かさすら感じさせる。

 三郎は頭を下げて、老人に丁寧な挨拶をすると、早速、頼廉に渡されていた書状を手渡す。


「……苑也殿は、この書状の内容をご存知かな?」


「いえ、私は存じませぬ」


 三郎の答えに、隠居は軽く頷きながら、小刀で箱と書状の封を切り、ゆっくりと書状に目を通した。


「恐れながら……書状にはなんと?」


 隠居が書状を読み終えた後、三郎は失礼にあたるとは思いながらも、とっさにそう尋ねた。どうしても書状の内容を知りたかったのである。

 それを聞いた隠居は、声を出して笑う。


「……それは、刑部卿殿にお尋ねになるがよろしかろう。あのお方がまだ言わぬものを、儂がいうわけには参らんな」


 隠居は笑顔のままそういって、書状を孫市に手渡す。隠居とは違い、孫市は素早く書状に目を通した。


「苑也殿、十ヶ郷はいかがかな?」


 隠居は特に気を悪くした様子もなく、三郎に尋ねる。


「とてものどかで、心の落ち着く場所でございます。人々も活気にあふれ、忠勤に励んでいるように見受けられました。鈴木殿の治世、感服いたしました」


「いやいや、我らは大名ではない。せいぜい人々の意見が異なったとき、仲裁しておる程度のことじゃ。ここの人間はな、もともと陽気で、働き者なのじゃ」


 隠居が、笑いながら言ったその言葉は、今の紀伊の情勢を、よく表したものであろう。

 紀伊の国北西部は、長きに渡って雑賀衆ら国人衆や寺社勢力が割拠して、武家勢力を寄せ付けず、時には武力をもってこれを排除してきた。

 そのことが結果的に、国というものにとらわれない雑賀衆のような武装集団を生み出し、統率者がない故に金銭しだいの傭兵集団として、名を馳せることともなった。

 そんな雑賀衆が信長とぶつかることは、石山本願寺と同じように、やはり必然であったのかもしれない。天下布武を掲げる信長が、その天下の目と鼻の先にいる武装集団を、野放しにするとは思えなかった。


「ところで……孫市」


 三郎と一通り話したあと、隠居は孫市に声をかける。


「おぬし、雑賀にいたるまでの道中、御法主様のもとを離れたらしいな?」


 そう言われた孫市は振り向いて、後ろに座っている者たちに視線を向ける。

 その視線の先には、無二と但中、そして、三郎の見覚えがない男が一人座っていた。その若い男は、坊主頭をそのまま無造作に伸ばしたような短髪をしており、その白目がちな目は、動揺のためか、せわしなく動いている。


「俺とて、離れたくて離れたわけではない。御法主の側近が若太夫に頼むと仰せとあらば、それに従うほかあるまい」


 孫市は視線を戻すと、憮然とした表情でそう言った。


「雑賀の今があるのは、どなたのおかげか。孫市の名で雑賀衆の中心として、認めれているのは、どなたのおかげか。とんなことがあっても、御法主様のそばを離れてはならぬ。土橋若太夫に、遅れをとってはなるまいぞ」


 そう孫市に説く隠居の表情は、いつの間にか険しいものになっている。


「誰を重用するか、それは御法主の御心一つだ。それが雑賀の若太夫になっても、詮なきことではないか」


「確かにおぬしに問題がなければ、いたしかたなかろう。しかし、おぬしの信心を疑われておるとするならば……」


「ありえん」


「よいか孫市、聞け。武家の天下など儚いものよ。将軍家の威勢衰えれば、細川管領家が立ち、細川が衰えれば三好が立つ。そして今は三好も、織田信長にとって代わられた。しかし、そうやって武士の世が変わっても、本願寺は、常にそこにあったのだ。いずれは信長も衰え、また別の武家が出てくるだろう。そうなった時も、本願寺は変わらずそこにあるのだぞ」


「わかっている。小言はもうよい」


 孫市は苛立たしげにそう発し、三郎に声をかけて立ち上がり、返事も聞かず早々に広間を出て行ってしまった。


「やれやれ、困った奴じゃ……苑也殿、何とぞ、刑部卿殿にはよしなに……」


 複雑な表情でいう隠居に対して、三郎は深々と頭を下げ、孫市を追って広間を辞する。

 後ろに座っていた三人も、それに続いて館を出た。

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