加護

「若太夫殿、雁首そろえてなんだ、このていたらくは」


 先頭にでた孫市は、まわりを見渡しながら、襲撃者にもっとも近い位置にいた土橋若太夫に、溜息まじりの悪態をついた。

 どうやらこのまわりにいるのは、孫市たちと同じような雑賀五緘の有力者たちのようだった。


「……こうなってしまった以上、返す言葉もない。してやられたわ」


 土橋若太夫は、苦々しげな表情で、うめくようにそう言った。孫市は、そんな若太夫を横目に見ながら、蛍から銃を受け取り、足を踏み出そうとする。


「おい、動くな!……動いたら、この輿の中に弾を撃ちこむぞ!」


 襲撃者の一人、火縄銃を持った男が、銃口を輿に向けてそう叫ぶ。

 どうやら、孫市が嗅ぎわけた火縄の匂いは、この銃のもののようだった。残りの襲撃者たちは、少し長めの打刀を抜刀しており、周囲をにらみつけていた。


「……御法主は、間違いなくあの中にいるのか?」


 孫市の問いに、若太夫は沈痛な面持ちで頷く。孫市は、あからさまに大きな舌打ちをして、踏み出しかけた足を止めた。

 三郎は、そんな孫市の姿を見て、寺内町でのあの神業のごとき射撃を思いだす。孫市の腕をもってすれば、あの銃をかまえる男を一瞬で仕留めることは、造作もないことのように思えた。

 問題はそのあと残りの者どもの白刃を、どうするかということであろう。

 三郎の後ろでは、鶴と無二も、すでに火縄銃を構えていつでも撃てる体勢をとっている。

 三郎がそれを確認したときには、すでに周りの雑賀衆の面々も銃をかまえていたが、もちろん、迂闊に引き金が引ける状況ではなかった。

 同時に襲撃者全員を仕留める必要がある、ということはもちろんだが、万が一弾がそれて、顕如にもしもの事があれば、それこそ取返しがつかない。彼らは、そのまま慎重に時を過ごすしかなかった。


(これは、どうしたものか……)


 そんな雑賀衆や襲撃者たちを交互に見ながら、三郎は自らのすべきことをはかりかねた。目の前で顕如が襲撃されるなど思いもよらぬことで、もちろん一益からそれを想定した指示などあるはずもない。


(下手なことはできぬ)


 三郎は突然の状況に動揺していたが、なによりもその心を揺らしたのは、自らが咄嗟に石山本願寺側に立った思いを抱いたことであった。

 石山での生活は、彼自身が思う以上に、心に浸透し始めているのかも知れない。

 そんな織田の間者が、目の前にいるとは想像もしないであろう襲撃者たちは、雑賀衆を見ながら互いに目配せをする。


「……よし、動くなよ……おい、輿から……」


 銃を構えた襲撃者は、雑賀衆の様子をうかがいながら、何事か言おうとして、輿のほうを振り向いたが、その瞬間、言葉をとめてぎょっとした表情を見せた。

 いや、驚いたのは襲撃者たちだけではない。

 雑賀衆や三郎も、そして孫市までも、驚きで一瞬息をのんだ。紫色の輿から、一人の人物が姿を現す。

 その美麗な僧衣をまとった僧侶は、輿の周りの状況などまったく意に介さない様子で、輿の簾をあげて、ゆらりと降り立つ。その姿は優雅そのもので、どこかこの世のものから、かけ離れたものを感じさせる。

 その美しい僧は、石山本願寺の法主、顕如その人であった。

 その顕如の美しい所作を、周囲の人々は、あっけにとられて見つめている。輿の中でも、周囲の状況はわかっているはずだが、顕如はまるで、なにごともなかったかのようにそこに現れ、少し物憂げな表情で口を開く。


「……引き金を引きたくば引くがよい。しかし、それは無駄なことじゃ。私には、御仏の御加護がある故、弾はあたらぬぞ」


 顕如はそう言って少し首を振り、目を伏せる。その姿はまるで、襲撃者たちを憐れんでいるようであった。

 銃を輿に向けていた男は、その銃を顕如に向けなおし、わずかに後ずさりする。

 その男が激しく動揺していることは、その揺れる銃口からもあきらかであった。その顔面も、蒼白になっている。

 顕如の超然とした姿に気おされているのだろうか。襲撃者の、動揺した姿をそうとらえた三郎は、斜め前にいる孫市の様子をうかがった。

 その瞬間、三郎は孫市から凄まじい殺気が放たれるのを見た。

 思わず銃をかまえた襲撃者をみると、離れた位置からもその男の瞳が揺れているのがわかる。次の瞬間、その襲撃者の目に、なんらかの覚悟が浮かんだ。

 襲撃者が引き金を引こうとする気配を三郎は感じ、孫市が男を撃つだろうとその姿を再び見つめた。しかし、孫市は銃を少し上げただけで動かない。その瞬間、顕如のいる方角から轟音が響き渡る。


(やられたか!)

 何故か三郎はそう思い、慌てて顕如の姿を確認した。しかし、その美しい立ち姿はまったく変わることなく、そこにある。

 その顕如の手前で、美しくもみえる鮮血が宙を舞う。それは、襲撃者の顔面から弾けたように飛び散り、男はそのままあおむけに倒れた。それに少し遅れて、宙を回転する破損した火縄銃も地面に落ちる。


(なんと……暴発したのか!)


 三郎は、瞬時にそれを察知した。

 まるで顔が吹き飛んだようにして倒れた仲間をみて、抜刀した襲撃者たちが一瞬ひるむ。孫市らがそれを見逃すはずもなく、孫市や鶴たちの火縄銃から、立て続けに轟音が鳴り響いた。


「一人は残せよ!」


 その孫市の叫びを合図のようにして、周りの雑賀衆は抜刀して襲撃者たちを取り囲んだが、すでに先の銃撃で大半が致命傷をうけたようであった。唯一、孫市が撃ったであろう男が、撃たれて刀を落とした手の甲をおさえていたが、雑賀衆が近づいてくるのをみて、小刀をだして一瞬で首をかき切ってしまった。

 すべてが一瞬の出来事であった。

 銃を暴発させた男は、それが致命傷のようですでに息絶えていた。

 残りの襲撃者達は、わずかにうめき声を上げている者もいたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 雑賀衆は、地面に血の海が広がりはじめた襲撃者達を取り囲み、慎重に遺体を調べ始めた。その雑賀衆の後ろを取り囲んでいた石山本願寺の僧兵たちは、輿を担いでいたために切り付けられた者たちの元へ向かい、介抱を始める。

 先程までの静寂が嘘のように、周囲は堰を切ったようにがやがやと騒ぎはじめ、安堵のため息が漏れる。三郎も、立場を忘れ思わずほっと胸を撫でおろした。

 その前にいた孫市は、熱さもかまわず銃口をひと吹きして、蛍に手渡す。鶴や無二らも安堵の表情を浮かべ、孫市のもとに集った。

 その目の前では、土橋若太夫が青い顔をしてゆっくりとしゃがみこむ。もし万が一にも、顕如の身になにかあったらと思うと、生きた心地がしなかったのだろう。

 その法主顕如は、まるで何事もなかったかのように、再び輿に乗り込もうとしていた。負傷した者たちにかわり、新たな僧兵が輿を担ごうとまわりを囲む。


(あれが……石山本願寺法主、顕如か)


 三郎は、その優雅な姿を目に焼き付けておこうとしたが、鮮烈な印象にもかかわらず、その姿が輿の中に消えるのと同時に、まるでうたかたの夢のように、三郎の脳裏からもとけるように消えていった。


「……これは、御加護じゃ……まさに、御仏の御加護じゃ」


「おお、まさにそうじゃ!火縄銃の弾も御仏をおそれたとみえるわい」


 がやがやとした周囲の喧騒から、そんな声が拡がる。火縄銃の暴発は、構造上ありえないことではなかったが、もちろんその確率は低く、それがこの時に訪れたことは、まさに奇跡的な確率と言えた。

 その事実は、門徒ではない三郎ですら、仏の加護を感じずにはいられなかった。


「若太夫殿!」


 その大音声で、うつむいていた若太夫が顔を上げる。

 見ると、鳥居小四郎が肩をいからせてやってきた。その後ろでは、頼廉が自分の頭をなでながら固い表情で歩いてくる。


「此度のこと、ただではすみませぬぞ。いかに御法主様が御無事であったと言えども、この雑賀での警備の不備は看過できませぬ……厳しく詮議することになりますぞ!」


 小四郎は、いかにも憤懣やるかたないといった仕草で、若太夫に詰め寄った。

 その言葉はもっともらしい論調ではあったが、顕如の無事と仏の加護を喜んだばかりの僧兵や雑賀衆の気持ちに、水を差すことにもなった。特に周囲の雑賀衆は、不満気な表情を浮かべた。


「……孫市殿、貴殿も同様ですぞ」


 小四郎は、うなだれる土橋若太夫の後ろにいた孫市にも、詰問の言葉を投げつけた。孫市の周囲に緊張が走る。


「これは、異なことを……此度の備えを決めたのは、鳥居殿ではござらんか」


 孫市は、特に顔色を変えることもなく、言葉を返す。


「今の雑賀衆の代表は、孫市殿であろう。この地に刺客の侵入を許すは、貴殿の怠慢と取られても致し方ありますまい。それとも、何か裏がおありか?」


「……どういう意味で?」


「先程、刺客が引き金を引こうとしたとき、貴殿には撃つ機会があったように見えたが……なぜ躊躇なされたのかな?」


「……」


 その小四郎の問いに、孫市は答えない。

 小四郎の疑問は、三郎も感じたことであった。刺客が引き金を引く気配をみせたあの瞬間、孫市の腕ならば、刺客を撃つことも可能だったのではないか、と。

 しかし先程の孫市は、わずかに銃身を上げただけであった。


「……お答え願いたいものですな。それとも、返答できぬ理由でもおありか?例えば、刺客と繋がりがある、とか」


 小四郎がそう言い捨てた瞬間、孫市の隣にいた無二と但中が同時に刀に手をかけた。周囲に一瞬にしてぞくりとした緊張感が走ったが、それでも孫市は表情を変えない。


「小四郎、いい加減にせぬか!」


 その空気を切り裂いたのは、頼廉の大音声であった。何か言いかけようとする小四郎を手で制し、孫市と小四郎の間に入って、厳しい顔を小四郎に向ける。


「孫市殿の信心と信義に、疑義をはさむ余地などありはせぬ。小四郎、おぬしの言葉は無礼千万である」


「……しかし!」


「はよう戻れ。御法主様の元を離れるでない」


 その頼廉の言葉に、小四郎は尚、不満の表情であったが、有無を言わせない頼廉の迫力に押されて、しぶしぶその場から後ずさり、孫市らを一睨みして、動き始めた輿の方へ向かった。

 その小四郎の姿を見ながら、無二と但中は刀の柄からようやく手を離す。


「すまぬな……あれは、御法主様大事の一念でできた男でのう……気持ちが先走って、ああいった言い方になるのであろう。我らの孫市殿への信頼には、いささかの揺らぎもない。一瞬で賊を制圧したのは、さすがの一語に尽きる」


「刑部卿殿、鳥居殿のことは、どうでもよい」


 少し申し訳なさそうに言う頼廉に、孫市はそう答える。


「先程の御法主の行動、刑部卿殿から御忠告申し上げるべきではありませんかな」


 孫市は、動きだした輿を見つめながら、ため息まじりにそう言った。どうやら、小四郎のことは、眼中になかったらしい。


「うむ……ああいった時の周囲の警護は、考え直さねばならぬな……」


 孫市の言葉に、頼廉は少し言いよどむ。


「そうではない。俺が言いたいのは、御法主の行動そのものだ。あの状況で銃口の前に立つなど、危険極まりない。這ってでも、銃口から逃げるべきなのだ」


 孫市は、はっきりとそう言う。それは、仏の加護による奇跡的な光景にわいた門徒衆の感覚とは、一線を画すものであった。


「……孫市殿、御法主様には弾であろうが矢であろうが、届きはせぬ。あの御方は尋常な御人ではない。御仏の御導きがあるのだ」


「刑部卿殿、仏の加護で弾丸は曲がらん」


「孫市殿、それ以上はならぬ。先程、小四郎は無礼を働いた。しかし、それ以上の貴殿の言葉も、他の門徒には無礼となろう。この話は、ここまでじゃ」


 頼廉は、強い口調で話しを打ち切った。孫市は、がしがしと髪の毛をかいて天を仰いだが、それ以上は何も言わなかった。


(どうも、孫市殿は信心が薄いように見えるが……)


 三郎は、天を仰ぐ孫市を見ながら、そう感じざるを得なかった。それは、今の二人のやりとりだけではなく、前々から感じていたことであった。

 孫市と頼廉がそんなやりとりをしている間にも、僧らと雑賀衆の一団は、刺客らの死体を処理する者らを残して、再び輿を守りながら、ゆっくり東に向かって進み始めた。

 太陽は、行軍を急かすかのよう少しづつ傾き続ける。

 暗くなる前に、雑賀御坊に到着したいと思うのは、疲労の出てきた皆の一致するところであった。さすがの三郎も、長い旅路と不測の事態で疲労して、体が重い。

 幸い、めざす雑賀御坊は、もうすぐ近くまで来ているようであった。

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