襲撃

 雑賀衆が、雑賀荘、十ヶ郷、中郷、南郷、宮郷の五つの地域の人々から成り立っていることは前に述べた。

 そのうち、雑賀荘と十ヶ郷は石山本願寺の意向に従い、反信長でほぼ結束していたが、残りの三緘の意見は分かれていた。その背景には、雑賀に浸透している多数の宗派間の対立があり、さらに土地や交易、資源の権益をめぐる衝突があった。

 それらは複雑にからまっており、単純に二つの陣営に分かれるものではない。

 そんな雑賀のなかで、一向宗は比較的、新しい時代の宗派であった。

 雑賀党鈴木氏が治める紀ノ川の北岸、十ヶ郷周辺は、その一向宗門徒がもっとも多い地域であり、人々の石山本願寺法主、顕如への尊崇の念も強い。

 そんな十ヶ郷の鈴木一党が、顕如の雑賀来訪でその護衛から外されることは、もちろん彼らにとって面白い話ではなかったが、顕如の裁断がある以上、従うほかはない。

 川沿いを歩く一行の中で、二人の娘に挟まれて歩く雑賀孫市の顔は、先程とは打って変わって、穏やかな表情を浮かべていた。

 この男の気まぐれは、子供のまま大人になった印象があり、三郎を驚かせた。もっとも、こういった地域の頭領とは、案外こういった人柄でなければ成り立たないのかもしれない。

 三郎の前を歩く孫市は、相変わらず右肩に銃を担ぎ、その前を歩く但中から、火縄銃の弾を受け取っては、しばらく片手で撫でまわした後、右を歩く鶴に手渡したり、左を歩く蛍に手渡したりしていた。二人はそれを、肩から下げた胴乱に入れていく。


「……それは、何をなさっているのですか?」


「これか?……これは弾の丸さを見ている。俺は、歪んだ弾は撃たん」


 三郎の問いに、孫市はそう答えた。火縄銃の弾は鉛でできており、熱した鉛を丸い鋳型に流し込んで固めたものを、さらに手作業で磨くため、完成したものは全て球形になっているはずである。

 首をかしげる三郎に、蛍が但中から弾を一つ受け取り、手渡す。

 その弾を見た三郎は、目を見張った。弾の表面はわずかなざらつきもなく、綺麗に研磨されて、美しく光沢を放っている。普通は、触らずともわかるぐらいにはわずかにざらつきが残っているもので、光沢が出るまで磨きこまれたものは、今まで見たことがなかった。


「苑也様、お頭は、どんなわずかな弾の歪みもわかるんですよ」


 三郎を見ながらそう言う蛍は、自分のことのように自慢げな表情を見せた。


「……弾はわずかでも歪みがあれば、思いどおりの道に乗らん。そこらへんの鉄砲撃ちならそれでもいいのかもしれんが、俺は困るのだ。同じ鋳型でつくって研磨しても、ほんのわずかだが歪むものも多い。苑也殿も、指の腹でゆるりと撫でてみるがよかろう。歪みがあるかどうかわかれば、いい素質があるぞ」


 孫市にそう言われた三郎は、手のひらに乗せた鉛の弾をゆっくりと撫でた。丹念に磨かれたであろう弾丸は、まったく抵抗なく指の腹を滑るように動く。そこに歪みはまったく感じられなかった。


「私には、歪んでいるようには思えませんが……」


 三郎はそう言って、手にある弾丸を孫市に手渡す。孫市は、それを先程と同じように片手で執拗に撫でまわし、やがて、にやりと笑った。


「……お見事、当たりだ」


 孫市はそう言って、弾を右側を歩く鶴に手渡した。どうやらその弾丸は、孫市の納得のいくものであったらしい。


(もしかすると……孫市の銃の秘密は、あの弾にあるのだろうか?)


 あれほど磨きこまれた弾を、さらに選別しているのだから、孫市にとっては余程こだわりがあるのだろう。

 しかしこれが、百閒とも百五十間とも噂される、銃の間合いに関係しているかどうかは、三郎にはわからなかった。少なくとも、滝川家の砲術では聞いたことがない。


「孫市殿と同じように、弾を撫でて当てたということは、私にも、鉄砲撃ちの素質があるということですか?」


 三郎は、先程孫市が言ったことを思い出し、尋ねた。


「ん?……ああ、そうだな。女を悦ばせる素質があるぞ」


 孫市はそう言い放って、豪快に笑う。


(……この男は、どこまで本気なのだろう)


 三郎は、孫市の真意をはかりかねて、半ばあきれるしかなかった。ただ単純にからかっているだけなのかもしれないが。


「まああれだ、苑也殿。銃はな、面白いぞ。刑部卿殿に、おぬしが石山本願寺にやってきた経緯は伺ったが、幼い頃から旅をしていたわりには肌が白いな。鉄砲を持って山野を駆け、猪やムジナでも狩っておれば、いい色に焼けるぞ。十ヶ郷にいる間、銃を学んでみる気はないか?」


「銃には興味がございますが……伯父上がなんと申しますか……」


 孫市から銃の扱いを学ぶことは、三郎にとって願ってもないことであったが、そこには懸念もあった。

 銃の扱いには、癖がでる。滝川家で砲術を学んだ三郎は、無意識にそういった癖を出してしまう可能性があり、孫市ほどの達人となれば、それだけで三郎の存在に疑念を抱くことは、十分にあり得ることであった。


「懸念無用だ。石山本願寺の僧が、鉄砲を撃つことに抵抗のあるはずはない。そもそも、刑部卿殿も相当の達人だぞ」


 下間頼廉が、石山本願寺の僧侶のなかでも一二を争う銃の達人であることは、広く知られていることであった。そんな教団内において、僧や門徒が銃を扱うことに問題があろうはずはない。

 この時代の僧侶にとって現世と浄土は別儀であり、そのために念仏があるとも言えた。


「はあ……では、機会があれば、火縄銃を」


 三郎がそう言いかけた瞬間、孫市が右手でそれを制した。少し、険しい表情をしている。


「……火縄の匂いがするな」


 三郎は一瞬、自分に向けられた言葉かと思い、内心ぎくりとしたが、どうやらこの周囲のことを言っているようだった。

 孫市は、匂いを嗅ぐ仕草をしながら、紀ノ川の方に歩いていく。その後ろを、蛍が同じような仕草をしながらついていった。


「お頭が言うならそうかもしれないですけど、私には匂いませんね。まあ、ここで火縄の匂いがするのは、当たり前ですけどね」


 蛍の言うとおり、ここ雑賀荘で火縄の焼ける匂いは別段珍しいものではない。ここは、火縄銃の国なのである。


「お前には、まだわからんか……これは、このあたりの火縄の匂いではない。こいつは、漆の匂いが強すぎる」


(そんなことまでわかるものなのか)


 孫市のその言葉は、三郎にはにわかに信じ難いものであったが、この男が言うと真実に聞こえるのは、その射撃の腕を目の当たりにしているからであろう。

 孫市は風の行方を見ながら、ゆっくりと南西の方角を指さした。紀ノ川の下流、隊列の後ろの方である。その方向には、顕如らがいるはずであった。


「まさか、御法主様の御身になにか……」


「苑也殿、戻るぞ」


 孫市はそう言って、肩に担いでいた火縄銃の銃口から一度、中に息を吹き、蛍に手渡して駆け出した。一行も慌てて孫市の後に続く。

 蛍は最後尾で走りながら、孫市から受け取った火縄銃に、胴乱から取り出した早合を装填し始めていた。

 紀ノ川の上流から下流に向かう川の流れのように、孫市は川沿いの道を駆け戻っていく。

 何事とかと振り向き、足を止める僧兵達は、さながら川の流れを分ける岩のように立ち尽くし、苑也ら後続は、その間をすり抜けて孫市の背を追った。しばらく走ると、下流の方から馬に乗った男が、大音声を上げながらやって来る。


「一大事!一大事でござるぞ!方々、戻るべし!」


 馬に乗った男の言葉を聞いた僧兵達は、一瞬顔を見合わせた後、急かされるように駆け戻り始めた。もちろん、事情は誰も把握しておらず、半信半疑の面持ちである。


「太郎次郎!」


 孫市は、馬上の男にそう叫びながら、駆け寄った。


「おう、孫市!探しておったぞ。」


 太郎次郎と呼ばれた男は、そう言って馬から飛び降り、孫市に顔を近づけて声を


「御法主様の一行が襲撃された……!」


 その男、岡太郎次郎吉正がそう言うや否や、孫市はその胸ぐらをつかむ。


「襲撃された、ではすまん!」


「わかっている!……御法主様は御無事だ」


 太郎次郎はそう言って、孫市の手を振り払う。


「しかし、今はまだ睨みあっておる。取りあえず僧兵達に囲ませて、ことの始末は我々雑賀衆がつけるほかない。若太夫が……おい!」


 太郎次郎が言い終わらぬうちに、孫市は駆け出した。太郎次郎もすぐに馬にまたがって後を追い、三郎たちもそれに続く。


(本願寺顕如が襲撃されるだと……これはやはり、お味方の策略か?」


 三郎にはもちろん、聞かされている話ではないが、十分にありえることではあった。しかし、ここは雑賀衆のお膝元であり、簡単に織田の者が襲撃できるような場所でもない。

 顕如の一行は、すぐ近くのところにいた。周りはすでに、僧兵たちによって囲まれ、中の様子は遠目には見えない。孫市らは、僧兵たちをかきわけて中に入り込んでいく。

 輪の中心には、顕如の輿があった。

 しかし、それを担いでいたであろう者たちは、血を流し、その周りで倒れて、うめき声をあげていた。

 僧たちの囲みはかなり広く、輿を中心に分断されたような形になっており、孫市らとは逆側に、頼廉や鳥居小四郎らの姿が見える。

 輿の周りには、五人の男たちが、周りを威嚇するような仕草を見せながら集まっており、この者たちが襲撃者であることは明らかであった。

 顕如の雑賀来訪は、思わぬ事態を迎えていたのである。

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