撃つ男、込める少女
堀にかかる橋を渡り、南町屋のあたりで三郎は、前方に大きな人だかりを見つけた。また旅の一座でもいるのかと思い、その群れに加わると、先程と状況が違うことに気が付く。
人だかりは、一軒の町家を囲んでいた。その町家は、茶器を扱っている店のようで、色々な形をした色とりどりの茶碗が並んでいた。その店先では、店主が不安げな表情で二人の男を見つめている。
一人は浪人風の男であった。がっしりした体躯のその男は、着物をたすきがけしながら、弓を扱う準備をしている。
もう一人の男は、異様であった。
まず身の丈が大きく、体は細身に引き締まって手足が長い。髪は無造作なままのざんばらで、肩あたりで切られており、日焼けした顔は鼻が太く精悍であった。ぎらぎらとした目はそれでいて気だるげで、吸い込まれるような魔力がある。
そして、特に三郎の目を引いたのは、男が右肩に担いでいる大型の火縄銃であった。その隣には、少女が一人おり、この男の供のようであった。
「これは、何の騒ぎでございましょうか?」
三郎は、人だかりの先頭にいた若い男に尋ねた。
「ん?……いや、どうやらあの弓を持っているお侍が、そこの店にあった唐物らしき茶碗を、名物だと絶賛して買おうとしていたらしいんですが、あの大きな御仁が後からやってきて、それは前々から自分が目を付けていたものだから、譲れ、と」
「……それで、あのお侍は弓を?」
「初めは、どちらが高く買うかという話だったんですが、どちらもあまり持ち合わせがないようで……結局、お互いの得意な得物で決着をつけようと……ほら、あれです」
そう言って若者が指さした先の大木に、小刀で紙が刺し付けられている。距離は三十間程であろうか、その中心には、墨で丸が書いてあり、それが的のようであった。
「……よし、いつでもよいぞ。どちらからやるか?」
浪人風の男は、自信ありげに矢を番えながら尋ねる。
「おぬしからやれ……その方が話が早い」
長身の男はそう言って、右肩に担いだ銃を隣の少女に手渡した。受け取った少女は、胴乱から筒状の物を取り出す。
(……早合!)
早合とは、火縄銃の装填を素早くするために、弾と火薬を詰めた筒である。少女とその早合の組み合わせは、本来なら不釣り合いなもののはずだが、その流れるような装填は、不自然さを感じさせなかった。
「……話が早いとは、どういう意味じゃ」
「言葉通りだ……気にするな」
長身の男はそう言って、少女から銃を奪うようにして取った。
(早い……!)
三郎は目を見張った。すでに装填は終わっており、少女は長身の男から垂れ下がっている火縄に火をつけた。
「ふん……なら、儂からいくぞ」
浪人風の男は、憮然とした表情をして大木を見据え、大きく弓を引き絞る。風はなく、絶好の条件であった。
男は目を見開いて、矢を放った。風を切り裂く音を残して、矢は白い紙に吸い込まれるようにして突き刺さる。店の奉公人が大木のもとへ行き、矢の行方を確認した。
「お見事、命中しております!」
その瞬間、群衆から歓声があがった。奉公人は、小刀と矢を抜いて、紙を手に戻ってくる。その紙に書かれた、五寸程の直径の丸の中に、矢の開けた穴があった。達人の腕、と言っていいだろう。
浪人風の男は、その紙を受け取って満面の笑みを浮かべ、長身の男に渡そうとしたが、男は受け取らず、傍らの少女が少し乱暴に受け取った。三郎が少女を見ていると、紙から顔を上げた少女と視線が合う。少女は、少し微笑んだ。
「……やれやれ、困ったのう」
長身の男は、頭を掻きながらそう言ったが、その顔は少し喜色を浮かべているようだった。
「いまさらこの勝負、なしとは言わさんぞ」
浪人風の男は、勝負の勝ちを確信して、長身の男に迫る。
「もちろん、なしにはせんよ。しかし、このままでは引き分けだな……何か、良いものはないか……」
長身の男は、唖然とする浪人風の男を尻目に、あたりを物色し始めた。群衆は少しざわめいて事の成り行きを見守っている。
「丁度いい、これがよかろう」
長身の男は、壁に立てかけてあった木材から、一枚の板を持ってきた。
その板には一寸ほどの節穴が開いており、男は大木の前まで行ってから少女を肩車し、板を枝にぶら下げさせた。二人は肩車のまま、じゃれあいながら戻ってくる。
「あの節穴を通して、向こうの的に当てれば俺の勝ち、でよいな?」
「な、なんじゃと!?」
少女を下ろしながら言う長身の男の言葉に、浪人風の男は声を裏返して驚いた。
驚くのもの無理はない。
この距離で一寸たらずの穴、しかも風が少し吹き始め、揺らめいているのだ。それを聞いていた群衆は、またざわめいた。
「い、いいだろう、しかし、外せば即刻おぬしの負けだぞ」
浪人風の男は、少し冷静さを取り戻し、あきれた様子でそう言った。当たるわけがない、という確信があり、それは群衆も同じであった。
その様子を見て、店の奉公人は新しい紙に筆で丸を書こうとしたが、長身の男はその筆をひょいと取り上げる。
「さすがの俺も、己の力だけで当てるのは難しいな。よし、そこの若い坊さん……一つ手伝ってもらえぬものかな?」
長身の男は、不意に群衆の中にいる三郎に声を掛けてきた。
「……私でございますか?」
三郎は、周りを見回しながら、おそるおそる尋ねる。
「そこで剃髪しているのは、おぬししかおらんぞ。俺は、おぬしのような美しい僧から、是非仏の加護を授かりたいのだ。念を込めて、この紙に丸を書いていただきたい、さあ」
長身の男はそう言って、半ば強引に丸を書かせようとした。三郎は、やむを得ず筆をとり、紙に五寸程の直径の丸を書いた。長身の男の傍らにいた少女は、そんな男と三郎のやり取りを見ながら、くすくすと笑った。
「うむ、立派な丸だ。では申し訳ないが、あの大木に刺してきてもらえまいか?」
「……」
こうなっては仕方がない。三郎は群衆の視線を集めながら、渋々大木の前まで行き、小刀で紙を先程と同じあたりに刺して付け、振り向いた。
三郎が的側から見ると、節穴を通して長身の男がはっきり見えたが、予想以上に板は風に揺らめき、その姿は何度も板に隠れた。板は完全に紙より大きく、その穴を通らねば的には当たりそうにない。
(これで的に当てることができれば、まさしく仏の加護だな……)
三郎はそんなことを考えながら、もう一度節穴を通して男の目を見ようとした。
男はまるで三郎の目が、小さな節穴からでも自分の目を見ていることがわかるかのように、にやりと笑った。
「いや、かたじけない。御僧のためにも、必ず当てて御覧に入れよう」
男は戻ってきた三郎にそう声をかけ、笑顔を見せた。
大木に対して、やや斜めに構えた男は、火皿に口薬と呼ばれる点火薬を入れて火蓋を閉じ、火縄をふいて火挟に挟んだ。銃を頬に付け、火蓋を切り狙いを定める。
その一連の動作は迅速で、この上なくよどみがない。その着物の背中には、烏らしきものが描かれていた。
群衆が固唾を呑んで見守る中、板は風に揺られてゆらゆらと動いている。
その風がまるで決まっていたかのように、一瞬、やんだ。
その刹那、男の銃が火を噴き、轟音が辺りに響き渡る。
その振動に、群衆の動きが一時止まったが、すぐにその視線が大木に注がれた。
吊るされた板は、射撃前と同じく節穴のみが開いており、僅かに揺れている。
店の奉公人が慌てて走り紙をはぎ取ったが、その場では何も言わず、駆け戻って長身の男に紙を渡そうとしたが、それを途中の浪人風の男がひったくるようにして取った。
浪人風の男は一瞬、悔し気な表情をしたが、すぐにそれは諦めの表情に変わり、肩を落とす。
それを見た少女が、浪人風の男から紙を取り上げ満面の笑みで掲げると、群衆からは、大きな歓声と拍手が巻き起こる。紙の中心には、弾が貫通して綺麗な穴が開いていた。
(なんという男だ……これは、常人の業ではない)
織田家中随一とも言われている、滝川家臣団の鉄砲隊を知る三郎ですら、その男の射撃は、驚嘆せずにはいられなかった。
三郎の知る、一番の鉄砲の使い手といえば、やはり滝川一益であろう。
一益はかつて、柱の穴を通したという射撃の逸話を持っており、これはそれに匹敵する腕であった。そして、それは腕だけではない、恐るべき強運のなせる業でもあった。
群衆の興奮も冷めやらぬまま、長身の男は三郎に近づいてくる。
「いや、実にありがたい。仏の加護がなければ、外しておったやも知れん。御僧のおかげだ」
「……私はまだ僧籍に入っておりませんし、御仏との御縁もまだ浅うございます。御仏の御加護を、貴殿にお授けできたとは思えません。全て、貴殿御自身の力ではありましょう」
三郎は、少し警戒して、言葉を選びながらそう答えた。
「いかに俺でも、あの状況の的に当てるのは必中とはいかぬ。俺の力が五分、半人前のおぬしの力が五分、というわけだな」
男はそう言って、自らの銃をなでる。その銃の台には、南無阿弥陀仏の文字が見えた。
「もっとも、こいつには元々仏の加護がこめられている。こうなると、もう誰のおかげかわからんな」
(どうにも、つかめぬ御仁だ……)
大口を開けて笑う男の姿に、半ばあきれた三郎ではあったが、その射撃はまぎれもない神業であった。しかし、強運のすべてを加護に依拠する男の言葉は、どこか空々しい印象があって、その真意は見えない。
「苑也様!」
不意にかけられた声に振り向くと、そこには二助の姿があった。息を切らして三郎の元へ走ってくる。
「苑也様、申し訳ございません。はぐれてしまいました」
「いや、悪いのは私だ。昔馴染みに似た者を見かけたのでな、少し追いかけてここまできたのだが、人違いだったようだ。あいすまぬ」
必死にあやまる二助に対して、三郎は適当な理由を付けてそう答える。
健気に頭を下げる二助を見て、この織田の間者は、何故か多少の罪悪感を感じた。
しかし、自分のおかれた立場を考えれば、こういった心の動きは奇妙という他なく、こういった負い目が、自らの首を絞めるおそれがあった。戒めねばならない。
「……しかし、よくここだとわかったな」
「銃声が聞こえたのです。もし苑也様にもしものことがあったら、私は旦那様に合わせる顔がございません」
二助はそう言って、再び申し訳なさそうな顔をした。その表情が、二助のまっすぐな心根を表している。
「……誰かと思えば、刑部卿殿のところの童ではないか」
不意にそう言ったのは、長身の男であった。刑部卿とは、頼廉のことである。
「あ、鈴木様……申し訳ございません。気づきもせず、ご無礼を……」
二助は長身の男を見て、慌てて頭を下げた。すぐに三郎にこの男のことを話す。
「苑也様、雑賀衆の鈴木様でいらっしゃいます」
(雑賀衆の鈴木、ということは……十ヶ郷の鈴木一族の者か!)
三郎は、その一瞬の心の歓喜をおくびにもださず、男を見上げた。
鈴木氏といえば、織田に近しい根来衆が、土橋氏とともに名を上げた豪族であった。孫市がいるのではないか、と疑っていた一族である。
「雑賀衆の武名は、かねがねうかがってております。私は、下間刑部卿の甥で、名を苑也と申します」
三郎はそういって頭を下げたが、頼廉の甥と名乗った自らの声が、他人の言葉のように頭に響いた、少し、めまいがする。
「おお・・・刑部卿殿の甥御か。こんな立派な甥御がおるとは、知らなんだ」
そういって驚く男の隣に、連れの少女がやってきた。その手には、先程の戦利品である、唐物らしき茶碗を入れた箱が抱えられている。
「石山本願寺には最近来たばかりでございます。鈴木様、以後お見知りおきを」
「おいおい、甥御殿、様はよしてくれ。あの刑部卿殿の御身内にそのように言わせては、俺に仏罰が下ろうぞ。俺は……鈴木孫六じゃ、孫六でよい」
男は孫六と名乗って、となりの少女から茶器を入れた箱を受け取った。
「ところで苑也殿、この茶碗のことなんだがな……」
「……茶碗、でございますか?」
三郎が、孫市と孫六という二つの名のことについて考える間もなく、孫六が突然尋ねてきた。
「……俺は茶に興味がなくてな。この茶器は、唐物のいいやつらしいのだが、価値がわからん。これはいい物かね?」
「……は?」
三郎は唖然とした。この男は、この茶器がほしくてあんな勝負をしたのではなかったのか?
理解できない様子の三郎の前に、少女が視線を合わせようと孫六との間に入ってくる。
「お坊様、この人は、他人が欲しがるものが欲しいだけなんです。そのために勝負して、そのために知りもしない茶碗を買ったんです。深くお考えにならないほうがよろしいですよ?」
少女はそういって笑う。年の頃は三郎と同じくらいであろうか、日焼けした顔が健康的で、活発な印象をあたえた。
「いやあの浪人者が、したり顔で茶碗を褒めちぎるものだからつい、な。で、近頃は坊主も数寄者が多いだろう、苑也殿は、こいつの価値はわからんか?」
数寄者とは、茶の湯に専心する風流人のことである。
この時代の茶の湯は、堺の豪商を媒介として急速に広まりつつあった。その最大の保護者は織田信長であり、武士階級に茶の湯が広まるにつれ、その茶器の価値も広く知られるようになっていた。それは石山本願寺も例外ではなく、堺との交流が公だったころは、豪商との茶会が盛んに行われていた。
もっとも現在の堺は、信長と友好関係にあり、石山本願寺とは表面上、交流がないことになっている。
「私も、茶の湯はさっぱり……価値など見当もつきません」
「あーあ、また無駄使いをして……」
少女は、もう価値がないものと決めつけて口をとがらす。
「まあまて、蛍、これは無駄にはならん。実はな苑也殿、我々が雑賀から出てきたのは、刑部卿殿にお会いするためなのだ。つまり、この茶碗は、刑部卿殿への手土産になるというわけだな」
「あきれた……価値のない、がらくただったらどうするんですか?」
「いいか蛍、刑部卿殿は徳の高い御方だ。価値のないものに価値を見出す、そういう御方だ」
孫六は遠くを見つめて、よくわからないことを呟いた。
「そもそもお土産が必要なら、この間、三河まで足を延ばしたときに買っておけばよかったじゃないですか。織田信長の戦を見にいった時に」
「三河は田舎だった。何もなかった」
孫六は短くそう言った。
蛍と呼ばれた少女は、あきれて果ててもう何も言わなかった。おそらく、いつもこんな調子なのだろう。
三河であった織田信長の戦とは、おそらく長篠設楽原での武田氏との戦のことらしい。結果は織田勢の大勝であった。
「そういうわけでな苑也殿、刑部卿殿の屋敷に向かおうではないか。いやしかし、実にいい巡りあわせだな……これこそ、仏の導きであろう」
孫六はそう言って、豪快な笑い声をあげて歩きだした。蛍もその後ろに続いて歩き出す。
三郎と二助は、孫六に圧倒されてしばらく顔を見合わせていたが、慌てて後に続いた。
そんな一行を見て、先程まで歓声をあげていた群衆もやがて散り散りになり、往来はもとの平穏を取り戻した。
そんな中、一人取り残された浪人風の男は、一つ大きなため息をつき、石山本願寺の寺内町を去っていった。
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